ナナに紫水晶
花の街に朝がやってきた。ナナは開け放したカーテンの日差しの眩しさで目を覚ます。
「ん~…」
ナナは朝に弱い。だから部屋のカーテンは閉めない。閉めていたら起きれないからである。ナナはしばらく布団の上でごろごろと転がって眠気をなんとか飛ばして体を起こす。
肩まである紺色の癖のある髪の毛を櫛でなだめ、顔の横に流れるひと房を三つ編みにして後ろで白のリボンでまとめる。そうすると顔の横で紙が暴れない。中等部ではもっと髪が長かったが、不慮の事故で肩までの長さになった。しかし朝の支度が楽になったので、これはこれでいいかなとナナは思っている。
ナナは朝が弱いので朝食もなかなか食べることができない。パンにチーズをのせ、熱いお茶で無理矢理流し込む。お茶は共用の台所でお湯を沸かせて用意した。
朝食をお腹に押し込んだら制服に着替える。食べる前に着替えないのは、なるべく汚さないためだ。ナナは食べ物や飲み物をよくこぼす子供だった。
サクラ学園の制服は黒いシャツが規定で、下はスカートやキュロットスカート、短パンや長ズボンなど様々な種類があり、すべてチェック柄になっている。ナナは膝丈のキュロットスカートに着替えると、鞄に課題や筆記用具などを詰め込んで下宿先を出る。マキに下宿先が古い、もっと危機感を持てと叱られたが、古いということは昔ながらの精霊が居ついていることもあり、居心地は悪くない。祖母の家はもっともっと古かった。
「いってきます」
扉を開けて見上げると雲一つない青空がそこにあった。今日は良い天気だ。今日はいいことがある気がする。ナナは良い天気の日はいつもそう思っていた。
ナナが学園の門をくぐると、待ってましたと言わんばかりにマキが姿を現した。
「やあ、おはよう」
完全に登校時間を把握されている。ナナはそう思ったが、マキは寮の窓からナナが道を歩いているのが見えてから寮を出てていた。そうするとマキが門をくぐった少し後にナナが来るようになっている。
「おはようございます。マキ先輩」
ナナが挨拶を返すと、マキは綺麗な紫色の目を細める。マキの笑顔は以前はもっと得体のしれない怖さがあったが、今は親しみを感じる。マキが変わったのか、ナナが変わったのか。その両方かもしれない。
「今日の調子はどうだい?」
「変わりないです」
このやりとりも恒例のものになりつつある。マキはそれは良いことだと頷いて、ナナに手を差し出した。
「そんな君にこれをあげよう」
「?」
マキの手の下にナナが掌を広げると、そこに円に巻かれた太めのリボンが置かれた。綺麗な紫色をしている。ナナはこれはなんだとマキを見上げる。ナナの無垢な視線を受け止め、マキは微笑みながら答える。
「それ、色染めの授業で作ったんだ。僕には必要ないからさ。君ならなんかうまく使うんじゃないかと思って」
「ありがとうございます」
ナナは頷いて、リボンをまじまじと眺める。
「染色魔法ですね。すごく綺麗な紫色です」
「僕らの卓は紫水晶が見本でね。これは一等の評価を得た」
「それはおめでとうございます。確かに紫水晶の色です」
ナナはそこでマキの顔を見た。眩しいものを見るかのように目を細めて微笑んだ。
「先輩の瞳の色に似てますね」
ナナの言葉にマキは目を丸くした。紫水晶のような瞳が朝の光を受けて輝く。
「………」
「マキ先輩?」
マキが突然固まったので、ナナは何かおかしなことを言っただろうかと少し慌てる。マキは少しして、自分の掌を額に当て何か考えるような仕草をした。
「いや、うん、そう、いや…」
マキは小声で短い否定と肯定を繰り返す。突然様子のおかしくなったマキを、ナナは首を傾げて見る。やがて、額から掌を外すとそこにはいつも通りのマキの笑顔があった。
「ああ、そう言ってもらえるなんて光栄だね」
「そ、それならいいですけど」
するとマキが何かに気付いたように自分の頭の辺りを指さす。
「君、髪のリボンがゆがんでいるよ」
「え?」
寝ぼけて変な結び方をしたのだろうか。ナナは焦りつつ自分の髪の高等部辺りを触るが、鏡がないとわからない。すると、マキが自然な動きでナナの背後に回る。
「結びなおしてあげよう」
「え?あ、ありがとうございます」
そして、するりとナナの手から紫色のリボンが取られた。
「えっ」
「止まって」
「あっ、はい」
マキがナナの髪に触れる。ナナは結び直してもらっている手前、動くことができない。
「……」
道の真ん中で立ち止まっているマキとナナを、他の生徒がちらりと横目で見つつ通り過ぎていく。ナナはなんだかものすごく恥ずかしいことをされているのでは、と思って汗が出てきた。そんなナナのことは知ってか知らず、やがてゆっくりとした動きでマキがナナから離れる。
「はい、できた。これは返すよ」
マキから白のリボンが渡される。これはナナが朝結んできたリボンだ。
「ん?」
それなら今わたしの髪を結んでいるものは何?ナナは自分の髪を手で触る。つるりとした感触が指に当たる。
「じゃあ良い一日を」
「えっ、あの、先輩」
困惑したままのナナを置いて、マキはいい笑顔でさっさといなくなった。
「な、なんなの…」
ナナは校舎の窓に近寄って、自分の髪をガラス越しに確認する。白いリボンがついていたはずのナナの髪にはマキからもらった紫水晶の色のリボンがついていた。紫は白より落ち着いた印象になるな、とナナはそんな感想を抱いた。まあ今日はこれでいいか、とナナは窓から目を離す。髪が整っているならひとまずそれでいい。何色のリボンをつけていたっていいじゃないか。
教室につくと、ユリーがナナに気付いた。
「おはよう、ナナ」
「おはよう、ユリー」
挨拶をした後、ユリーがナナの髪に目を留める。なんとなくぎくりとしてナナはユリーの顔を伺った。
「ど、どうかした?」
「今日はいつもと違うリボンつけてるんだね」
「へ、変かな」
「ううん、似合ってるよ。白のも獣耳みたいで良かったけど」
獣耳みたいとは。それはそれで初耳である。ナナは若干戸惑いつつも、マキがつけたリボンが似合っていることに安心する。
「それよかさ、今日提出の論文どんな感じになった?見せ合おうよ」
「あ、うん。いいよ」
歴史学の授業の課題で、古来の魔法に関する論文だ。お互いの論文を交換し、読み進める。ユリーは問題を暴力で解決しようとする乱雑な節があるが、文字を書かせると丁寧で読みやすい。しばらくしてユリーがすごいねと呟いた。
「ワリの書にこんな記述あったんだ。よく気付いたね」
「おばあちゃん家にあって…なんとなく覚えてたの」
「よくそんな古い本あるね。ナナのおばあちゃん家って博物館?」
「近いものではあるかも…」
「それ本当?ねえ、俺のはどうだった?良い点もらえるかな」
「あ、うん。凄い綺麗にまとまってると思う…強いていえば光の精霊の行動原理について補足が欲しいかも…」
「え〜…みんなわかってるじゃん」
「それはそうなんだけど、モミジ先生なら加点か減点しそうだなって」
「それはそう」
「まだ間に合うよ」
ナナとユリーはそんな会話をしながら授業が始まるまでの時間を過ごした。
朝から昼までは四つの時間に区切られて授業がある。合同授業や合同実験は二つ分の時間を用いる。今日は合同系の授業はない。一時間目は歴史学、二時間目は数学、三時間目は語学、四時間目は生活魔法学。
そして午前のすべての授業が終わると、昼休みになる。
「はーお腹空いた、はやく食堂行こう」
「うん」
サクラ学園には食堂があり、格安で食事を食べることができる。ちなみに学内にある購買部でも弁当やパンが売っている。ナナはハナエビグラタン、ユリーはソラアジの天ぷら定食を選び、空いている席を探す。昼の食堂は込み合っていて、火によっては席を見つけるのにしばらく時間がかかる。するとナナたちに手を振る生徒がいた。
「ナナさん、ユリーさん、こちらですわ」
「センカ」
センカの周りに三つ席が空いている。ナナはセンカの隣に、ユリーはセンカの向かい側に座る。センカは牛丼に箸をつけている。
「助かったよ」
「今日は人が多いですわね」
ナナとユリーとセンカの三人は、午前中の授業の話をしながら食事を始める。半分ほど食事が進んだところで、センカがそういえばとユリーに顔を向けた。
「そういえばユリーさん、昨日私の部活でお名前が出ましてよ」
「えっ」
ユリーが怪訝な顔をする。
「剣術部で剣を振るわれる姿が大変美しいと…」
「やめてやめて!本人の前で言わないでよ」
ユリーが嫌そうな顔をしながら首をぶんぶん振る。センカが所属している部活は、”美しいもの語る会”という同好会だ。何をしているのか尋ねると、各々の愛を語り合っているのですわという答えが返ってきた。何をしているか気になるが見学に行く勇気はない。センカの話から察して、各々が”美しい”と思ったものをお茶とお菓子を食べながら語り合っているらしい。センカはそこでマキの麗しさを存分に語っているらしい。
「剣術部のユリーならわたしも見てみたいかも」
一方ユリーは剣術部という部活に所属している。剣術部は剣を取り扱う部活で、演舞や実戦のための訓練などを行っている。将来役立てることもできるので人気な部活だ。
「見学ならいつでも大歓迎だけどさ」
そこでユリーはナナに話を振る。
「そうだ、ナナも剣術部に入りなよ。身体思いっきり動かせて楽しいよ。最初は体験入部でもいいし」
「え…まあ興味ないことはないけど…」
「まあ、それなら私の美しいものを語る会もいらしてくださいな。実のあるお話をいたしましょう」
「ええ、うーん…」
ナナは返事に困って、グラタンをとりあえず口に放り込んだ。今のナナには懸念事項が多いので何かの部活に入る気はあまりなかった。そんなナナたちに声がかかる。
「よ!ナナと1年坊主たち。同席いいか」
ナナたちが声の方を見と、お盆を持ったカズラが立っていた。カズラは尋ねておきながら了承を取る気はなかったのか、空いているユリーの隣にさくっと座る。
「マキならいないよ。部活の先輩に呼び出されてたから」
「えっあ、そうなんですか」
ナナが周囲を密かに伺ったのをカズラはしっかり見ていた。
「別に探していたわけでは…」
ナナは少し恥ずかしくなって小声でもにょもにょと呟く。するとナナの隣にいたセンカが嬉しそうに声を上げる。
「カズラ先輩、ごきげんよう。先輩のお名前もよく部で挙がっていましてよ」
「センカ!」
ユリーがすかさずセンカを止める。カズラは不思議そうにセンカとユリーを見て、とりあえずとうどん定食に箸をつける。
「き、気にしないでください…」
ナナが苦笑いをすると、カズラは箸をナナに向ける。
「今部活の話をしていただろ、ナナは薬学部に入る運命だと思うぞ俺は」
「先輩まで…」
そうしてしばらく部活の話をしていると、センカがナナの髪のリボンに気付いた。
「ナナさん、今日はリボンの色が違うんですのね。紫色も素敵ですわ」
「あ、ありがとう…」
カズラはそのリボンを見て、色染めの授業のものだと気付く。マキが作ったのが紫色のリボンだということも。
「……」
しかしカズラは何も言わずにうどんを口に運んだ。口を挟むとややこしいことになりそうだなと思ったからだ。カズラは面倒ごとが嫌いだった。
やがて食事が終わり、ナナたち一年が先に席を立つ。ナナの髪に、紫のリボンがゆらゆらと所在を主張するように揺れていた。
午後の一つ目の授業は、占星術の授業だ。担当のリップ先生は恋多き女教師と有名である。占星術の歴史と共に、当時の恋や結婚についての話を織り交ぜてくることが多い。
「ここでぜひ覚えていてほしいのは、昔は自分の色、つまりは瞳の色のものを贈ることを求婚の行為として用いられました」
教科書を読んでいたナナは、リップ先生の言葉に顔をあげた。
「受け取った相手がそれを身に着けると、同意の意味とも取られ、ジー術師がいつも黄色のものを身に着けていたのはそのためだと言われています。そんなジー術師が編み出したのがーーー」
ナナは途中から先生の話が耳に入ってこなくなった。瞳の色のものを贈り、受け取る。それと同じことを今日の今朝やったではないか。マキが挙動不審になったのは、これを思い出したのではないか。二年生はこの授業を去年受けているはずである。
「……………?」
マキはどうしてわざわざナナにリボンを付けたのか。ナナは混乱の中、今すぐ紫のリボンを取り去ってしまいたい気持ちになった。
放課後、ナナはマキに会いに行こうと思った。確かめないとどうにもすっきりしない。マキは、放課後は大抵の場合薬学部にいるはずだ。ナナが実験室に向かおうと校舎の角を曲がると、わかっていたかのようにマキが目の前に現れた。
「っ!」
マキがナナの髪に視線を向けたのがわかった。そして何かを確認し、楽しそうに微笑む。
「やあ、いい一日だったかな?」
絶対確信犯だ。ナナは確信した。揶揄われているのだろう。ナナはむっとして、リボンを解いてやろうと自分の髪に手を伸ばす。するとナナの行動を見越したかのように、マキが笑顔を引っ込めてすうっと目を細める。
「外すの?」
「だ、誰のせいだと…」
きっ、とナナはマキを睨んだ。一方マキはそんな視線を向けられることも楽しいと言わんばかりに唇に弧を描く。
「せっかく似合っているのに」
ナナはもう考えるのが嫌になっていた。ええいと自棄になってマキに言葉をぶつける。
「占星術の授業で聞きましたよ!こういうの求婚の意味になるって!そんなつもりもないでしょう!」
ナナは、マキはもちろんと笑うと思った。ナナを揶揄うためにそうしただけだと。そうしたらナナはリボンをマキにつき返そうと思った。揶揄い目的だとしてもこういうことをしてはだめだと言おうと思っていた。
しかし。
「…あったら?」
マキは静かにナナに問うた。先に質問したのはナナだったのに。
「えっ、う、あ、あったら?」
ナナはマキの問いの意味がすぐに飲み込めない。
「え?」
飲み込んだら飲み込んだで、意味がわからない。先輩が、わたしに、求婚する意味で?それなら、わたしはどうするか?いや、だってそんなの。本当なの。うそでしょう。でも、もし、本当ならどうするの。わたしはどうするの。ナナの頭をぐるぐると考えが巡る。ナナは目を廻しそうになって俯いた。
マキは、ナナが眉を下げて今にも泣きそうな心底困ったような顔をしたのを見た。出会ったばかりの頃はよくそんな顔を見ていた。マキは胸がざわついた。そんな顔をすることか。そんなに嫌か。そんな顔、させたいわけじゃなかったのに。
「……………そ、そんなの…わ、わたしは……」
ナナが震える声をふり絞る。まるで苦しんでいるようなナナの様子に、マキはその先を聞いてはいけないと思った。
「なーんてね。他意はないよ」
「こ、むぇ?」
マキに言葉を遮られて、ナナは変な声が出る。
「本当に君に似合うと思ったから贈っただけさ。変な勘違いをさせてしまっていたらすまなかった」
謝られてしまった。ナナはそっと顔を上げる。マキは申し訳ないという表情をしながらナナの顔を覗き込んでいた。
「リボン付けなおそうか。紫は嫌だったかな」
ナナはもうマキの真意が読めない。最初から読めていなかったのかもしれないけれど。でもマキの困ったような顔を見てしまうと、ナナは罪悪感のようなものが湧いてくる。
「………いえ、リボンが嫌という、わけでは」
そう言うと、マキは静かに微笑んだ。
「君は優しいな」
ナナの胸が痛む。ナナは、自分が優しいとは思っていないからだ。ナナがまだ何か言いたげにしているのにマキは気付いていたが、そっと見ないふりをして一歩下がる。
「じゃあ、今日は部活があるからこれで失礼するよ」
「あ、はい…」
「また明日」
マキはそう言って、軽やかにナナに背を向けて歩き始めた。ナナはその場に取り残される。
「……」
結局、ナナはただマキからリボンをもらっただけということのようだ。そこに他意も本意もないと。それならそれでよかった。ただナナが不甲斐ないばかりに、何かマキを傷つけてしまったのではないかという不安が残った。
ナナは自分が優しいとは思っていない。ただ、自分のせいで誰かが傷つくのが嫌だった。
「……貰って嬉しかったのは、本当なんだけど…」
ナナは小さく呟いて、窓に映る自分の姿を見た。綺麗な紫のリボンは、情けない顔をした自分には合っていないように思った。
仮に、仮にマキが本当にナナに求婚の意味を込めていたとしても、ナナはその気持ちを受け取れない。中途半端に受け取ってしまっては、きっと相手を傷つけてしまう。だってナナにはわからないからだ。
ナナはまだ、恋をしたことがないから。
花の街に夜がやってくる。今日はなかなか寝付けないような気がするなと、ナナは夕焼け空を眺めながらぼんやり思った。




