マキのたのしい放課後
放課後がやってきた。ナナは自分の教室でそわそわと辺りを見渡す。マキは会いに行くと言っていたが、教室まで来るのだろか。教室にはまだ半分ほど生徒が残っている。ユリーは部活があるからとさっさと出ていった。ナナはここにマキが来たら、教室にいる人たちが困惑しそうだなと思いひとまず廊下に出てみることにした。
「…」
しかし自分から二年生の教室に行くほどの勇気はない。というか会いに行くと言われたからって別に律儀に待っている必要はないのではないか。待っていろとは言われなかったし、とナナは思う。この待っている時間にせっかくなら今日の授業の復習がしたいなあとナナが図書室の方へと足を向けたところで、ナナの肩にぽんと手が置かれた。
「やあお嬢さん、どちらへ?」
ナナはぎこちなくマキを振り返る。別に逃げようとしていたわけではないので胸を張っていればいいのに、後ろめたさをナナは感じて声が小さくなる。
「と、図書室に…」
すると、マキはナナの行動など気にも留めない様子で頷いた。
「いいね、行こうか」
「え」
ナナは驚いてマキの顔を見る。
「なんだい?」
「あ、え、マキ先輩は何かしたいことが…」
「ああ、」
マキが何か続けようとしたところに、こちらに向かってくる何かしらの気配を感じてナナとマキはそちらを見た。
「手紙飛行機ですね」
ナナがその何かしらを認めてそう言うと、マキが大きくため息をついたのが聞こえた。
「?」
ナナがマキを見上げると、マキはややうんざりした顔で赤い手紙飛行機を受け止める。手紙飛行機は文字通り手紙が紙飛行機となって対象者のところに飛んでいく魔法である。古典的だが単純で手軽な魔法なので、よく用いられる。
「そんなに嫌なお手紙なんですか」
「赤い手紙飛行機を使って僕に手紙を寄こすのはカズラくらいだ。そしてこういう時はだいたい緊急で」
マキはそこまで言って、手紙飛行機を開いて一枚の紙にする。そこには赤字でこう書かれていた。
”来い!!”
「ほらね」
「な、なるほど…」
「というわけで申し訳ないけど、一緒に来てくれるかい」
「えっ?」
尋ねておきながら、ナナに拒否権はないとでも言うようにマキはナナの腕を手に取って歩き始めた。強引ではあるが、暴力的ではない。ナナは転ばないようにマキの後を歩きながら、困った顔で尋ねる。
「どっどどこにですか?」
「我が薬学部の部室、第三実験室だよ」
マキは歌うようにそう言って、踊るようにナナを導いた。
マキが第三実験室の扉を開けると、中から怒号が聞こえてきた。学園の各教室の壁と扉には防音魔法が使われているので開けないと中の音は聞こえない。
「だーからっ!この薬効じゃ足りないって言ってんだよ!」
「今いる部員じゃこれが限界です!!じゃあ先輩が作ってください!」
「はあ!?今俺が調合してるの見えない!?これ無いと終わるのお前らだけど!?」
「上等です!一連托生じゃないですか!」
「騒がしいね。落ち着いたらどうだい」
「マキ!」
怒鳴り合っていたカズラと、上級生が同時に歓喜の叫び声をあげた。
「……」
ナナは小さくなってマキの後ろに佇んでいる。実験室を眺めて状況を察したマキはカズラに尋ねた。
「いつもの魔力担当たちは?」
「風邪引いて全滅。昨日集って盤上遊戯してたんだと。そのうちの一人が風邪菌持ってて感染拡大ってワケ」
「運が悪いね」
「マキ!お前、これ作れるか!」
上級生が調合書をマキに叩きつける。
「作れますよ」
「良かった!頼んだ!これ提出すると火トカゲの牙が貰えるんだ!」
「それは欲しいですね」
「だろう!」
マキと上級生の会話を隣で聞くカズラはため息をつく。
「こっちも今日締切なんですけど」
カズラはそう言って、赤い薬が入った瓶を振る。ナナはマキの背後からそれを見て、よく見知ったものだったのでついぽつりと呟いてしまった。
「植物成長薬…」
カズラはそこでようやくナナがいることに気付いた。
「マキのお気に入りの一年じゃん」
「こ、こんにちは」
呼び方に引っかかりつつ、ナナはカズラに頭を下げる。
「これ何かわかんの?」
「あ、はい。作ったことあるんで…」
植物成長薬は植物に栄養を与え、成長を促す薬である。うっかり枯らしてしまった植物に与えると復活することがあるので、ナナの地元では重宝されていた。ただし使いすぎると逆に植物を駄目にしてしまう薬でもある。ナナの言葉にカズラは瞳を輝かせる。
「程度は?」
魔法薬はその薬効の程度によって一等、二等、三等の三段階にわけられる。ナナは一瞬誤魔化そうかと考えたが、実験室内の人たちがあまりに真剣で大変そうだったので助けてあげたいと思ってしまった。
「…一等」
「よし!こっち来い!」
カズラはナナの手を取ってナナの身長の半分くらいある大きさの調合鍋の前に連れて行った。
「次の薬剤は俺が作る。お前はここで魔力を込める。薬効目標は一等。成功率は?」
カズラは淡々とそう言ってナナに尋ねる。ここまで来たらもう乗りかかった船である。ナナは包み隠さず答えることにした。
「作るのは久しぶりですが、八割は固いです」
「よし、頼んだ」
カズラはそう言って鍋の前にナナが座る椅子を準備した後、薬剤を作りに行った。
「…」
ナナは鍋の前の椅子にちょこんと座り、騒がしい実験室を見渡す。いつの間にかマキは調合台の前に座り魔法薬を作り始めている。その目は真剣で、手つきも慣れている。鮮やかな手さばきだとナナは感心しながらその作業を眺める。
ナナにとってのマキは突然絡んできたソニアの幼なじみであるちょっと怖い人という感じだが、センカみたいな層もいるらしいし結構凄い人なのかもしれない。流れるような輝く金髪に覆われた整った顔にある紫の瞳は、何かの芸術作品のようにうつくしい。こちらからじっくりとマキを眺めるのはなかなかない機会だったので、ナナはマキが調合する様子を飽きることなく見つめた。やがてカズラがバケツを抱えて鍋のところにやってきた。
「できた!最初は俺が指示を行う!頼むぞ」
「はい」
鍋に薬剤が満たされる。
「最初に込める魔力は細く、糸を巻くように」
「はい」
ナナのピアスの魔法石が瞬く。その光に惹かれるように、マキ含む何人かの部員がナナを見た。
「全体に薄く行きわたったら、徐々に魔力を厚く。幹が太く、枝が伸び、葉が茂るように」
「はい」
カズラの指示は詩的で心地よい。ナナは最初に魔法薬を教えてくれた祖母をこっそり思い出す。祖母はもっと乱雑で抽象的だった。そして薬剤の状態も良い。カズラは優秀な薬剤師なのだろう。
「いいぞ。あとは溢れはしないように最大限魔力を込めてくれ。植物の豊かな繁栄を祈るように」
「はい」
やがて魔力が溢れ出る直前で、ナナは止めた。そして鍋を見つめていたカズラを見る。
「ど、どうですか…?」
ナナの評価的に一等は固いはずだ。そう思って尋ねると、カズラは満面の笑みでナナを見た。
「成功だ!よくやった!」
「はい!」
「じゃあ次行くぞ!」
「えっ」
ナナが何か言う間もなく、カズラは次から次へとナナに薬剤を運んで指示を出した。ナナは仕方なくカズラの言うとおりに片っ端から魔力を込めていった。それを横目で見ていた薬学部の部員が呟いた。
「…あいつ何者?」
それにマキはさらりと答える。
「補欠合格だった一年」
「ああ、入学式の…ってあれで補欠合格?」
部員が不思議そうに首を傾げた。マキはナナを眺めながらそうだねと呟いた。まだナナに関しては謎が多い。
補欠合格にしては、魔法が達者。入学式の直前という、異例の繰り上げ入学。学園の教員と供託して事件の調査。力があるくせに極力控えめで、臆病なくせにお人好し。普段は弱弱しいのに、いざという時は瞳は鋭く光る。癖のある紺色の髪は清廉な炎のような赤い瞳を際立たせる。妙に気になる。すべて暴きたくなる。
「マキ!あと三十分で業者が来るらしい。間に合うか?」
「ああ、間に合わせるよ」
マキはナナを眺めるのを一旦止め、魔法薬の調合に意識を向ける。ナナの魔法石の輝きが時折マキの手元を照らし、それに気を良くしたマキはいつもより調子よく魔法薬を作り切った。
「これで終いだ!」
「やった!」
ナナは結局十数個の薬剤に魔力を込める羽目になった。
「助かった。疲れただろう。そこの飲み物と菓子は好きなように食べていいぞ」
カズラはそう言って、実験室の一角を指さす。そこには生徒が手を出すには少し高級な飲み物や菓子が並んでおり、ナナは喜んで頂くことにした。ナナは炭酸水の瓶を手に取って、一口飲み干す。体が水分を得て喜ぶのがわかって、ナナはもう一度ぐいと炭酸水を身体に流し込んだ。久しぶりにこんなに体力を消費したとナナは思う。
「ふう」
「お疲れ様」
「マキ先輩」
ナナが一息ついたところにマキがやってきた。マキもナナと同じ炭酸水を手に取り、豪快に一気に仰ぐ。上品な立ち居振る舞いをしているマキを見ることが多かったので、ナナはなんだか新鮮に思った。
「これ美味しいだろう。酸味と甘味は疲労回復にいいからね」
「はい」
「これもおすすめ」
マキはそう言って、菓子の山から苺のジャムが乗ったクッキーをナナに渡す。
「ありがとうございます」
ナナは有難く受け取り、個包装の袋を破いてクッキーの端をかじりついた。マキの言う通り、甘味が体に染み渡るようだった。
「マキ先輩は終わったんですか」
「ああ。今日の分はね」
実験室は当初の喧騒から落ち着いたようで、部員の談笑の声も聞こえてくる。
「助かったよ、ありがとう」
そうマキに微笑みかけられ、ナナはクッキーを口に入れたまま頷いた。ナナは自分にできることをしただけだ。それでもまっすぐに感謝されると嬉しいものだった。
「今日は図書室に行けないね」
「え?」
マキにそう言われ、ナナは実験室に来て初めて窓の外を見た。所せましと棚が並んでいる実験室の窓から見える空は、すでに夜の色に染まっていた。
「もうそんな時間…」
「今日は僕が送るよ」
「え?」
ナナがマキの言葉に驚いていると、そこにカズラがやってきた。
「そうするといい。夜に女子一人が歩くのは危ないからな」
「わたしは別に…」
大丈夫ですと言いかけて、マキに鋭い目で見られてナナは口を閉じた。詮索する目と言うか、ナナを責めるような目だった。そんなことを言うな、絶対送らせろ、というような。ナナは困惑して、カズラとマキを交互に見たあとしぶしぶ頷いた。
「…マキ先輩がそうしたいのなら…」
「そうかい」
マキがにっこりと微笑む。目はあまり笑っていないようだった。今の回答の何がいけなかったのかナナにはよくわからなかった。
「ところで、お前名前は?」
帰り支度をするナナにカズラがそう尋ねて、ナナはようやくお互い自己紹介をしていないことに気付いた。
「な、ナナ・カマドです。一年秋組の」
「俺はカズラ・ヒスイ。二年冬組」
「僕はマキ・オダ。二年春組」
「お前はいいだろ」
「嫌だな、僕も混ぜてくれないと」
割り込んできたマキを押しのけながら、カズラはナナに言う。
「ナナ、薬学部に入らないか?」
「…」
「カズラ」
カズラに真っ直ぐな言葉を向けられたナナは困った顔をして口を閉じる。マキはそれを見て、カズラをたしなめた。
「悪質な勧誘は規約違反だ。部が無くなるよ」
「聞いてみただけだろ。マキだってナナがいたほうがいいんじゃないか」
ナナはそうなのか、と言う思いを込めてマキを見る。
「そりゃその方が面白いだろうけどね、薬学部は薬学が好きじゃない生徒にとっては苦痛の場だろう」
カズラは反論が無いのか苦々しい顔をした。ナナはカズラが責められているような気がして、慌てて口を挟む。
「た、頼まれればお手伝いはしますよ」
すると今度はじとっとしたマキの目がナナを捉える。
「君は君の好きなことをするべきだ」
これでこの話は終わったと言わんばかりに、マキはナナの背中をとんと押した。
「さあ帰るよ」
「は、はい」
「二人ともありがとな、お疲れ」
「お、お疲れ様でした」
カズラに手を振られながら、マキとナナは実験室を出た。
「下宿先はどの辺?」
「えっと、東に古い青果屋さんがあるの知ってます?学園から歩いて二十分くらいの」
「ああ、あのご老人が営んでる?」
「そうです。その向かい側くらいにあります」
「わかった。行こうか」
ナナとマキはすっかり暗くなった道を歩き始める。マキはナナの歩く速度に合わせてくれているんだろう、二人は身長差が結構あるのにナナは特に足を速める必要がなかった。二人の足音が暗い道に響く。何か話した方がいいんだろうかとナナがマキを見上げると、丁度マキもナナを見た。
「悪かったね。君を連れて薬学部なんかに行ったりして」
「いえ、興味深かったです」
「今日でうちの奴らは君が有能な人材だとわかっただろうから、これから声を掛けてくるかもしれない。あらかじめ僕から釘は指しておくけど、君もちゃんと断るんだよ」
「だ、大丈夫ですよ、お手伝いくらいなら」
ナナの返答にマキは眉を潜める。
「そうやって簡単に力を貸さない方がいいと思うけどな。君は」
ナナはマキの言いたいこともわからないでもなかったが、小さく首を振る。
「でも、困ってたら助けたいです」
マキはナナが思ったより頑固なところがあるのだと思う。そして、ナナの行動原理の基本は”それ”なのだと腑に落ちる。
「そ、それより、マキ先輩は今日は何をするつもりだったんですか」
ナナの拙い話題転換に優しいマキは乗っかってあげた。
「何かするというより、ただ君と話して交流を深めようと思ってただけさ」
「あ、そう、なんですか」
なんだそんなことかとナナは目を丸くした。なんだか拍子抜けだとナナは思った。もっとマキはぐいぐいと詮索してくると思っていたから。マキという人は、もしかしたらナナが思っているような人ではないのかもしれない。夜道は静かで、少し冷たい風が頬を撫でる。ナナはマキがどういう人かもう少し知りたくなった。
「…どうして、事件の調査に加わりたいんですか?」
マキは目を見張って、何かを考えるように顎に手を沿えた。そして遠くを見ながら口を開く。
「ソニアは知り合いだからね。何か手がかりがあるなら知りたいと思ったのさ」
ソニアという幼なじみのため。なんだ、幼なじみ思いってだけか。とナナが納得しかけたところにマキの唇が弧を描く。
「そして君のことも」
「え」
「僕は君のことが知りたい」
全てを見透かしそうなマキの綺麗な瞳に見られ、ナナの顔色は悪くなる。でもマキはナナが思っているような怖い人ではないかもしれない。ナナはそう思って頑張ってこう言った。
「いいですよ」
マキはナナを見る。ナナの瞳は、月明かりに照らされて淡く赤く光っていた。
「マキ先輩が知りたいことなら、答えます」
マキが疑問に思っていることをすべて答えれば、ナナへの興味は薄まるかもしれない。それならそれがいい。マキはナナの秘密を誰にでも言いふらすような人ではないからきっと大丈夫だ。ナナは薬学部でのやりとりでそれを確信した。
マキはナナからの思わぬ申し出に飛びつく気にはなれなかった。本人から解答が得られるのであればそれでいいはずなのに。
「まずは何が知りたいですか?補欠合格になった経緯から?」
ナナが秘密だと抱えていたものをあっさりとむき出しにしてマキに渡そうとしてきている。マキは内心少し焦った。知りたいはずなのに、知りたくないと思った。
「それとも、わたしの魔法の能力に関してですか」
ナナがあまりにも無防備に自分を差し出してきていることに、マキは危機感を感じた。マキは思わず魔法でナナの口を閉じた。
「ん?んー!」
ナナは驚き、口を閉じたまま声をあげる。マキは自分に言い聞かせるようにこう言った。
「落ち着きたまえ、性急なのは好かないんだ」
「んん…」
ナナがしょんぼりと眉を下げる。
「僕が知りたいことは、僕が暴く。君は勝手なことをしないように」
暴くも何も、今言うのに。ナナはそう思ってマキを見つめるが、マキはナナの目を見ようとしなかった。
「それより、君の好きな菓子は何?」
「ん?」
「僕が釘を刺していても君は自主的に実験室に来てしまいそうだからね、準備させておくよ」
「んー…」
ナナは素直に考え込む。もうナナが勝手に秘密を暴露しないと判断して、マキは魔法を解除した。
「水飴が好きです」
ナナは笑みを作る。マキはナナのそんな顔を初めて見た。野端の花が咲くような、素朴で可愛らしい笑みだった。
「マキ先輩は?」
「僕かい?揚げた芋を好むよ」
「意外です。もっと上品なものが好きかと」
「そうかい?昼食はほとんど毎日拉麺だよ」
「それは、も、もっと食事に気を付けたほうが…」
今はいいけど後に響くとナナが真剣な顔をして具体例を挙げてマキを諭し始めるので、マキは思わず笑ってしまった。
「医者みたいなことを言うね」
「実際おばあちゃんがお医者様から言われているんです!」
「それは大変だ」
ナナは地元のおばあちゃんについてマキに語った。とても厳しいが魔法がとても上手な人で、地元でも有名な人だと。ナナの魔法はおばあちゃんから習ったものが多いと。ナナの魔法技術はそこで培われたものなのだろう。マキはそう思った。あっさりと知りたかったことの一部を知ったが、先ほどのような気持ちにはならなかった。
ナナは隠すことをやめたのが影響しているのか、いつもより少し堂々とした口ぶりになっている。会話の流れでナナが自分をさらに深堀しようとすると、マキは今日はここまでと制止して話題を変えた。自分はもったいないと思っているのだと、マキは気付いた。一気にすべてを明かされると今後の楽しみが減ってしまう。明かすことより、明かす過程の方が楽しい。マキは朗らかに話すナナを見てそう思った。
二人が談笑しながらついたナナの下宿先は言葉を失うほど古く貧相だったので、マキは早急に転居すべきだとナナを叱ってから帰路についた。




