マキは見た
ふと実験室から外を見たマキは気付いた。
「じゃあまたね、ユリー」
「うん、ナナ。また明日」
ナナに友人のようなものが出来たのを。
「はあ…」
そして、放課後になるとナナが度々憂鬱そうな顔をしていること。
マキは放課後は薬学部の活動で忙しかったのであまり気にしていられなかったが、どうも放課後のナナが怪しい。
「…ちょっと出てくるよ」
「あ、おいマキ。変身薬の調合はどうした」
実験室から出ていこうとしたマキに、カズラは声を掛ける。薬学部は部活ではあるが、ここ数年能力の高い者が集まって薬効の高い魔法薬を作っていることから、学園内外から魔法薬の製作依頼が多く集まっていた。製作依頼をこなすことで高価な材料も手に入れることができるため、基本薬学部は多忙であった。
「後でやるよ。明日の朝までに調合しておけばいいんだろう?」
「そうだが、あんまり睡眠時間削んなよ。倒れるぞ」
「そんなへまはしないさ」
マキは歌うようにそう言って、白衣を脱いで軽やかに実験室を出ていった。
「ったく…」
「カズラ先輩、これ見てもらっていいですか?」
「ああ、はいはい。今行く」
実験室を出たマキは、ナナが向かった方向に足を向ける。
「あっちは…本棟か」
サクラ学園はいくつかの棟に分かれている。本棟には理事長室や職員室、事務室、医務室などがあるはずであるが、基本教室や実習のための部屋はないので生徒が頻繁に通うような場所ではない。
ナナの小さい後ろ姿が本棟に入っていくのを見つけて、マキは目を細めて足を速めた。
マキが本棟に入ってナナの姿を探して辺りを見渡すと、遠くから声がした。
「ああ、待たせてすまないね。じゃあ行こう」
「はい、先生」
ナナの声だ。マキは曲がり角の廊下の先に、ナナがいるのを見つける。そのナナの肩に乗っているのは、アカメカワウソである教員のザクロだ。サクラ学園には人以外にも動物の教職員が大勢いるが、ザクロは実戦魔法専門の教員だったはず。それに、一年の前半は実戦魔法の授業は無かったはずだ。
「…」
マキはにやりと笑う。なんて面白そうな。マキは自分に透明化魔法をかける。この魔法は完全な透明にはならないが、景色に溶け込むので気づかれにくくなる。が、マキはとっさに身を引いて廊下の影に隠れた。
「…?」
ナナがマキの方を振り返ったのだ。
「ナナ、どうした?」
「…何か、気配を感じたんですけど」
ナナは廊下の先をじっと見る。ナナにはそこに何かいたという確信があった。でも、そこに悪意や敵意は感じない。放っておいても害は無さそうだ。
「大丈夫そうです。行きましょう」
「ああ」
ナナの足音が遠ざかる。マキはナナの尋常じゃない反応速度と感度に驚いた。やはり、ただ者ではない。
「ふふ…」
マキは楽しくなって笑いだしそうになるのを堪えた。そんなへまをしてこの楽しみをつぶすわけにはいかないからだ。
マキがナナの後を追って本棟を出ると、飛行板に乗ってナナがどこかに飛び去るのが見えた。
「どこに行くんだ…」
マキは辺りを見渡し、その辺に置いてあった箒を手に取る。近年は飛行術は利便性と安定性が高いことから飛行板を使うのが主流だが、古来の箒でも問題なく飛べる。同級生に見つかると揶揄われるかもしれないが。
「さて、見つからないようにしないとな」
マキは楽しそうにそう言って、空に飛びあがった。
ナナとザクロは飛行板でしばらく飛行したあと、サクラ学園からそう離れていない花の都のとある空き地に降り立った。ナナは飛行板を空き地の隅に置いて布をかけた。布には防犯のための魔法がかかっているので、これで盗難される心配はない。
ナナは辺りを見渡しているザクロに声を掛ける。
「終わりました、先生」
「ありがとう。じゃあついて来なさい」
ザクロはそう言って、ぽてぽてと小さい足で歩き始める。ナナはそれに着いていく。しかしお互いの足の長さがあまりに違うので、ナナはすぐにザクロを追い抜きそうになってしまう。このままじゃ目的地に着くまでに陽が落ちてしまうとナナは危惧し、先生に声を掛ける。
「ザクロ先生、わたしの肩に乗っていいですよ」
「い、いいのか…、すまないな…」
生徒の肩に乗ってばかりじゃいられないとザクロは思っていたが、そう申し出されると断れない。なぜならその方がやっぱり速いし楽だからだ。
「では失礼して」
「どうぞ」
ナナは先生に肩に乗られるのが嫌いではなく、むしろ相棒みたいで少しお気に入りだった。
ナナとザクロが学園を出て花の街に来たのは、ソニア失踪事件の調査のためだった。入学式の日にナナが理事長室に向かうと、そこにはザクロが待っていた。理事長は多忙で学園にいることがあまりないので、誰かに伝言を託すことが多いらしい。ザクロは、ソニア失踪事件について、今現在分かっていることをナナに教えてくれた。
「こんな事件に生徒を関わらせることは、私にとっては不本意なんだがな…」
ザクロはナナに対してこう言った。
「わたしは大丈夫ですよ」
ナナは先生を安心させるためにそう言った。しかしナナの言葉を聞いて、ザクロはさらに悲しい顔をした。
その後ナナは何度か呼び出され、今日は現場調査をすることになったのだ。
「その日、ソニアは花の街での買い物を楽しんでいた」
「はい」
ナナとザクロはソニアが失踪した当日の足取りを追ってみて、何か気付くことはないか探してみることにしていた。
「本屋に行って、喫茶店で休憩、そのあと雑貨店に行って…その後消息不明なんですよね」
ソニアの足取りは、魔法警察の調査で判明している。
「ああ。今日はそこを回ってみよう」
「はい」
魔法警察が動いているのにナナたち素人が調べて何がわかるというのか、とナナは思わないでもなかったが、それを言っても自分の状況が変わるわけでもないので、ナナは大人しく先生に従うことにしていた。
本屋は個人経営の魔法書物を専門に扱うところだった。
「いらっしゃい」
店の扉をくぐると、老いた婦人がナナたちに声をかけた。
「ここでソニアが買った本は二冊だ」
ソニアが買った本はわかっている。なぜなら、失踪したであろう場所に取り残されていたからだ。
「魔法使いの特集雑誌と、最新の魔法薬学書ですね」
その両方はまだ残っていた。ナナは雑誌を手に取り、軽く頁をめくる。ナナも知る有名な魔法使いが何人も掲載されている。何枚かめくったところで、べリア理事長が出てきて、ナナは思わずしかめ面になった。
「何か載っていたか?」
「…理事長が」
ザクロはナナの調子が下向きになったのを察した。
「あいつ…と言うともう怒られるが、悪いやつじゃないんだ」
ナナはザクロの口ぶりに少し驚くも、ザクロがサクラ学園での勤めの年数が長いのと、べリア自信がサクラ学園出身であることを思い出した。
「もしかして、先生は理事長の先生でもあるんですか?」
「そんなに関わってはいないけどな。俺は新米教師だったし。でも顔は何度か合わせていたよ」
「そうなんですね」
ザクロにとってはベリアも可愛い教え子の一人なのだろう。ナナは先生の前ではあまり理事長を悪く言うのはやめておこうと思った。
「でも当時から悪ガキだったよ」
当時から、と言うなら先生にとってもベリアは悪ガキなのだ。ナナは少し面白く思った。ナナとザクロは本屋を軽く見て、その後特に事件に関して目新しいものは見つからないなということで店を出た。
「次は喫茶店だ」
ザクロに道案内をされてたどり着いたのは、小さな喫茶店だ。ナナたちが入ると、眼鏡をかけた男性が声を掛ける。
「いらっしゃいませ」
「二人で」
「はい。空いてる席にどうぞ」
店の人は声を掛けてきた男性だけのようだ。ナナは四人掛けの席を選び、ザクロはナナの向かい側に立った。店内は静かな音楽が流れ、ナナたちのほかにもう一組客がいた。
「ご注文決まりましたらお声がけください」
琥珀色の目をした店の人は穏やかにナナたちに微笑みかけた。
「先生はどうします?わたしはおすすめの珈琲にします」
「実は俺は珈琲は苦手でな…この果物水にしよう」
「わかりました。すみません、注文いいですか」
ナナが声を掛けると、店の人がやってくる。
「このおすすめ珈琲を一つと、果物水をひとつで」
「かしこまりました」
すると、店の人はナナたちを見て言った。
「もしかして、サクラ学園の先生と生徒さんですか?今日は郊外学習でも?」
ナナがなんて答えようかちらりとザクロを見ると、ザクロが代わりに答える。
「ええ、そういうところです。この店はおひとりでやられているんですか?」
「はい。私は店主のランと申します」
ランは柔らかく微笑んだ。彼の所作が丁寧で綺麗で、何らかの舞踊をやっているひとなのかなとナナは思った。
「こんな小さな喫茶店にわざわざ来てくださるとは、もしかしてどなたかの紹介ですか?」
「そうです。おいしいと聞いてね」
ザクロはランの質問に淀みなく答えている。調査目的であると知られないようにするためだろう。
「嬉しいなあ。あ、長々とすみませんね、ではお飲み物準備します」
ランはほのぼのと笑った後、はっとしたように調理台へ移動していった。ランが作業を開始したのを見て、ザクロはナナに話しかける。
「聞き取りはまた必要に応じてすることにしよう。今日は現場を見て回るだけだ」
「はい、先生」
ナナは頷いて、店内を見渡す。店はこじんまりとしているが、綺麗で落ち着いている。店の中に漂う珈琲の香りも心地よい。するとナナは壁に写真が飾ってあるのを見つける。
「…」
掌くらいの大きさの写真には綺麗な女性が一人映っている。写真にはもう一人映っていたのだろうか、左の方に腕が見切れている。ナナは詳しくないが、どこかの女優さんだろうか。
「どうした?何かあったか?」
「いえ、綺麗な店内だなと」
写真に関しては特段共有する必要はないだろうとナナがそう言うと、ザクロはしみじみと頷く。
「確かに落ち着いてていいな。ソニアも良く通っていたのだろうか」
ザクロがそう言った時、ナナは店内で魔力が動く微かな気配を感じた。
「…」
ナナがそれとなく辺りを見渡してみると、珈琲豆を挽く音が聞こえてくる。調理器具に魔法が使われることは少なくないので、先ほどの気配はそれだろうか。あまり気にしすぎてはいけないな、とナナはザクロと向き合ってとりとめのない雑談を始めた。
少ししてから、飲み物がナナとザクロのもとへ運ばれてきた。
「どうぞ。ごゆっくり」
ランは穏やかに微笑んでそう言った。出された珈琲は薫り高く、美味しかった。
喫茶店を出ると、ナナとザクロは雑貨店に向かった。雑貨店は魔法具も多く取り扱う店で、店内は魔法の気配がそこら中にあふれかえっていた。ナナとザクロは店内を一通り見て回り、店を出た。
「最後は消息を絶った路地裏だ」
街中には防犯のために映像を記録している機械を点々と設置している。その映像を見たところ、ソニアは路地に入った後姿を消したとみられている。
「あそこだ」
建物と建物の間に、二人が並んで歩けるか怪しいくらいの路地があった。ナナはザクロを肩に乗せ、そこを進む。
「この突き当りだ」
現場であっただろう薄暗い路地裏は、今やただの路地裏だ。魔法の気配も残っていないし、肉眼で見ても違和感を見つけるのは困難だ。
ナナは正直気乗りはしなかったが、今日の成果をひとつくらい持ち帰りたいと思って先生に尋ねる。
「精霊に聞いてみましょうか」
ザクロは驚いた。精霊に聞く、というのは特定の魔法のことを指すからだ。
「追憶魔法を、使えるのか」
追憶魔法は過去その場所であったことを魔法使用者に見せるものである。それは精霊に直接関わるため発動が難しい上に気力も体力も使い、さらには古い魔法なので教える者が少ない。だから近年は追憶魔法が使える者はごくわずかだと言われている。ザクロでさえも追憶魔法は実際には見たことがなく、学園でも使えるのは1人いるかいないかだった。
「…使えるなら、お願いしたい」
ザクロはそしてナナに、そんな魔法が使える人間がどうして補欠合格なのか尋ねたくなった。しかしザクロはナナと行動を共にすることで、ナナの控えめな態度と優しいとひと言で終われないくらいにナナの優しい心根のことを知っていた。尋ねればナナは答えるだろう。しかし、ナナは本当はそれを答えたくないかもしれない。
「はい。じゃあやります)」
「…」
ナナが詠唱し、魔法を発動する。チラチラと精霊たちの光がナナの周囲を飛び回るのがザクロには見えた。
それを眺めながら、ザクロは思う。ナナは類まれなる魔法技術を持っている。それは確かだった。しかし、本人はどうやらそれを隠したがっているように見える。隠すのは自由だが、彼女は隠し事に向かない性分のように思う。ナナが隠すことに疲れてしまわないだろうか。
「先生」
「どうだ」
追憶魔法を終えたナナは、額の汗をそのままにザクロに話しかける。
「ソニアさんは転送魔法によって消えた可能性が高いです」
「そうか」
「その転送魔法は、ソニアさんが発動したものではなさそうです」
「…そうか」
「精霊曰く、ソニアさんは転送魔法の発動を驚いていたと」
ナナはずっと密かに疑問に思っていた。どうしてみんな失踪事件と呼ぶのかと。
「これって、誘拐事件じゃないですか?」
「…そう呼ぶのも、やむを得んな」
ベリアが解決に尽力しろと言っていたのは、もしかして誘拐の犯人を捕まえろという意味なのではないだろうか。ナナはベリアの顔を思い出す。
あの時のベリアの目は雄弁に語っていた。ベリアの心の声が聞こえるようだった。
お前ならば、できるだろ?
それに対して、ナナは自分ならできるかもしれない思った。だから条件を受け入れた。
「誘拐事件であるなら、何か目的をもってソニアさんを転送魔法にかけたのではないでしょうか」
ナナはしゃがみこんで、ザクロと言葉を交わす。二人はお互いの顔しか見ておらず、ナナは先ほどの魔法で少し疲弊していたので、後ろから近づく存在に気付けなかった。
「転送魔法は厄介です。痕跡が残っていないと、本当にどこに飛ばされたかわかりません」
「そうだなあ…警察の話には痕跡など残っていないと聞くし…」
「失踪事件と名前を付けたのは警察なんだよね?」
「そうです」
「そうだな」
ナナとザクロは口を閉じて動きを止めた。ナナは気を抜いていた自分を叱りつつ、おそるおそる声の方を向いた。
「やあ、こんにちは」
しゃがみこんでいたナナとザクロを見下ろすようにしてマキが立っていた。ナナは驚きのあまりしりもちをつく。
「ま、マキ先輩…」
「二年のマキ・オダか。どうしてここに?」
ザクロが平静を装いながらマキに尋ねる。マキは微笑みを携え、ナナたちを見下ろす。
「偶然見かけて、挨拶をしようと思いまして」
ナナはすかさず尋ねた。
「いつから…ですか?」
マキが堪えきれない、というように可笑しそうに笑った。そして答える。
「学園の本棟を出る辺りから」
最初からだ。ナナとザクロは項垂れた。あの時の気配は先輩だったのか、ナナは確認をしなかった自分を恥じた。マキは目を細めながら、口を開く。
「…どうしてお二方はソニアの事件について調べているんですか?」
ナナとザクロは慌てて顔を見合わせる。
「せ、先生…」
「落ち着け、俺が答える」
ザクロはなんとかごまかそうと思ったが、マキはもうそれさえも許す気はなかった。
「生徒一人ならその生徒の勝手な行動であると言えますが、教員が共にしているとなると学園ぐるみなのでは?」
ナナはここまでかと目を瞑った。もうマキの詮索から上手く逃れられると思えない。
「そ、それはだな」
「学園には優秀な生徒は他にもいるのに、どうしてわざわざ補欠合格の生徒を駆り出しているんでしょう」
マキは核心を突こうとしている。
「その補欠合格の生徒がよほど優秀であり、かつ何か学園と繋がりがないとおかしいですよね」
もはやナナとザクロは顔色を悪くしてマキの言葉を聞くことしかできない。
「例えば、入学にはそれが条件だったとか…」
もう黙っていても何を言っても無駄である。こうなってしまったからには仕方ない。そう思ったナナはマキに言う。
「だから何ですか」
マキは内心感心した。ナナがこういう挑発的な目をすることができるのかと。マキはさらに面白くなりそうだと心躍らせた。
「他の生徒には内密に、ソニアの事件を追っているんだね?」
ナナはマキを見据えたまま沈黙で肯定する。
「それなら、そこに僕も加えてくれたまえ。そうしたら、この件は他の誰にも言わない」
ナナは鋭かった眼光を瞬きで消し、困惑した顔でマキを見た。
「そ、そんなこと?」
「それ以外に何があるというんだね」
ナナの地元の少しやんちゃな人だったら、これを口実に金品をせびるなどしていただろうに。ナナは少し拍子抜けした。
「…先生」
ナナはザクロを見る。ザクロは眉間に険しいしわを作っていたが、やがて深いため息をついた。
「やむを得ないな…」
「賢明なご判断感謝します、ザクロ先生」
マキは微笑んで、いまだ地面にしゃがみこんでいたナナに手を差し出した。
「これで僕らは同盟というわけだね。よろしく頼むよ」
ナナは本当によろしくしたくなかったが、もうすでに賽は投げられている。ナナは諦めの気持ちでマキに手を差し出した。
「よろしくお願いします、マキ先輩」
このまま学園生活を送れるかは、それはもういろいろな意味でマキの手にかかっている。それが少しでも穏やかで、平和で、楽しいものであればいいのに、とナナは切実に思った。




