マキは面白いものが好き
サクラ学園の二年生であるマキ・オダは、授業前に図書館から借りてきた本を開いていた。授業の開始を告げる予鈴がなる頃にそれを閉じると、周囲の同級生たちの会話が耳に入ってきた。
「おい聞いたか?一年がまたやったらしぞ」
新学期が始まってから二週間が過ぎた。新入生のもめごと、いざこざは毎年恒例のものとして上級生が楽しむのが通例となっているが、今年もさっそく上級生もとに新入生たちのやらかし情報が流れてきた。
「魔法薬学の実験で、爆発が起きた!」
「着火しようとしして、間違えたらしい」
「服が全身燃えた奴がいたらしいな」
「怪我人は?珍しいな。いないのか」
サクラ学園は魔法を使うことに長けた生徒が入学してくるが、その分自尊心が高く、魔法に自信を持った生徒も多い。そのため、自分の力を見せつけようとして事故が起きることはまあよくあることだった。
「飛行訓練で、空から降りられなくなった奴がいたって」
魔法と一言で言っても、実戦魔法、生活魔法、飛行魔法、魔法薬学など様々な分野がある。そのすべてに特化した人間はごくわずかで、大抵はひとつの分野が得意な奴は他の分野はそこそこである。
「今週絶叫キノコの収穫だろ?」
「今年は何人残るかね~」
マキはそんな一年生たちの情報を聞きながら、あんまり面白くないなと冷めた感想を抱いていた。そんなことより新しい魔法薬学を作りたいし、ソニアの失踪事件の新情報がないか探す方がいい。
しかし入学式からひと月が経過した頃、そんなマキに気になる話が聞こえてきた。
「ねえねえ、さっき一年の眠り薬の授業で爆発があったらしいんだけど、また生き残ったんだって」
一年生の魔法薬学の授業で眠り薬が爆発し、教室全体が眠りに落ちるのは毎年よくある話のひとつだ。しかし、今年は眠らずにいた生徒がいたらしい。
「え、もしかしてあの”補欠合格の子”?」
マキはふと手元の本から顔をあげた。
あの”補欠合格の子”とは、入学式で全校生徒の前で補欠合格だと学園長から直々に明かされた赤目の小さい女子だ。
ソニアの代わりだなんて周囲が言うもんだからつい八つ当たりのように絡んでしまったが、やけにびくびくした態度でこの学園にはあまりいないような奴だったなとマキは思う。絡んで嫌みを言ったことに対しては反省はしない。
「この前の絶叫キノコの収穫でも生き残ってたよね、豪運なのかな」
絶叫キノコとは収穫時に絶叫するキノコの通称名で、その絶叫を聞くと数分の間発狂したり気絶したりするのだが、一年だとだいたいその絶叫を無防備で聞いてしまうので教室全体が全滅するのが通例だった。
たまたまだろうと、マキは思った。何かの偶然で危機を免れる生徒は毎年数人はいる。
ところが、その”補欠合格の子”の話はそれだけでは終わらなかった。
「魔法薬学の授業でまたひとりなんともなかったんだって」
「飛行術の授業でーー」
「薬草の収穫でーー」
教室全体が行動不能な状況に陥る中、その”補欠合格の子”だけがいつも無傷、無影響なのだという。
そんなことがしばらく続いたので、生徒たちの間でこう話題になった。
「あの”補欠合格の子”は”幸運の子”だ!」
マキはそれを聞いて眉を潜めた。”幸運の子”?幸運だからありとあらゆる事象から逃げ延びることができる?マキは内心で首を振る。絶対的な幸運というのはこの世の中に有り得ない。もしあるとすれば、それは精霊から無条件で愛されるという”愛し子”か、”幸運になる”魔法を使っているか、である。しかしそのどちらも資料として残ってはいるが現存している者も物もない。
しかし、あの少女が”それ”を持っている可能性は。
「…なるほど、面白い」
「どうした、マキ。いい薬効でも見つかったか」
マキは声をかけてきた同級生に顔を向ける。今は放課後で、薬学部の活動中である。
「カズラ、愛し子は存在すると思うかい?」
カズラは青緑の目を瞬きさせて、少し考えてから答えた。
「多くの文献にその存在が記載されているから、かつては存在したのだとは思う。だがそれももう何百年前の話だ。精霊に無条件に愛されてどんな魔法も難なくできることができる人間なんて現れたらすぐに話題になるし、国立研究所が黙っちゃいないだろうな」
マキはカズラの言葉に頷く。
「僕もそう思うね」
「なんだ、愛し子でも見つけたのか?」
「いや。愛し子ではないと思う」
愛し子だったら”幸運の子”なんて肩書きじゃ絶対済まない。”幸運の子”だったら、そもそも補欠合格になんて絶対にならない。それくらい特別の存在だ。
「じゃあなんだよ?」
「”幸運の子”らしいよ」
「…ああ、そういや呼ばれてるやつがいるって聞いたような…」
カズラは魔法薬学以外のことにあまり興味がない。
「いい研究材料になりそうなんだよ」
マキは興味が出たなら分野を問わない。
「ふーん。結果が出たなら教えてくれ」
「ああ、もちろんさ」
マキがそう言うと、カズラは会話を終了して自分の作業に戻った。マキは”幸運の子”に対しての仮説をいくつか頭の中で立てながら、口元がゆがむのを抑えきれなかった。
入学式の時はおどおどした田舎者の小さいお子様で、つまらない存在だと思っていたのに。優秀なソニアの穴埋めをすることになった落ちこぼれの存在だと思っていたのに。なかなかどうして面白いものを持っている可能性があるなんて。
「ふふ…」
マキが零した笑い声が聞こえたカズラは、また始まったと内心思うのであった。
サクラ学園には、一年と二年は合同授業というものがある。一年は先輩の技術を習うために、二年は復習と実践を兼ねて、そして一年と二年の顔合わせも兼ねて。事故も多いが実るものも多いので、合同授業の数は少なくない。
そしてある日、一年秋組と二年春組の合同授業が行われることとなった。科目は野外での水魔法の実践。
先生が基礎的な水魔法のやり方を教え、それを二年生一年生の順番で実践していく。事故など起きる要素はほとんどない、平和な合同授業だ。
マキは野外の実技場の端の方に立ち、生徒たちを見回した。そして例の”幸運の子”を見つける。
ナナは周囲をうかがいながらどこかびくびくとした様子でひとりで佇んでいる。そのナナを見てマキは改めて思う。どこからどう見ても冴えないひとりの女子生徒だ。田舎者で、落ちこぼれの。ソニアの穴を埋められるとは思えない、ちっぽけな奴。こんな奴が”幸運の子”なんて言われても、にわかに信じがたい。
とりあえず、僕にもその”幸運”とやらを見せてもらおうかな。マキの指輪についた魔法石が、静かに瞬いた。
「では、次の生徒ーー」
「先生!」
生徒の一人が異変に気付いて声をあげた。いつの間にか実技場の上に水の塊が浮遊していたのだ。マキがこっそりと魔法で作り出したものだが。
「おい、誰だ。あんなところに水魔法を展開している奴は、今すぐに止めろ!」
慣れた様子の先生がそう言うが、マキはそれに従わない。水の塊に気付く生徒は徐々に増え、生徒たちは不安そうな顔をする。
「え、あれってもしかしてここに落ちてくる?」
「ちょっとやばいやつ?」
「おい誰だよー!」
そんな中、平然とマキはナナの観察を続ける。
ナナは他の生徒と同じように頭上の水の塊を見上げつつ、先ほどと変わらず佇んでいた。確かに水の塊を見ているのに、表情は何一つ変わっていない。そう、何も動じてはいないのだ。そして彼女が耳につけている魔法石のピアスが一瞬強く瞬いたのを、マキは見逃さなかった。
「仕方ない。おい、お前たち退避するぞ!」
一向に減らない水の塊が落ちてくるのを懸念して先生がそう叫んだのと同時に、マキは水の塊を開放した。すさまじい量の水が生徒たちを襲い、何人もの生徒が水にまきこまれて実技場の端に流されていく様子を、マキはのんびり眺めるつもりだった。
しかし、水の塊は生徒たちを襲うことはなかった。不思議なうねりを作り出し、ただ一人の生徒のもとに向かったのだ。
「おいお前!逃げろー!」
同級生の誰かがそう叫んだが、とうに遅い。
「あぁああー!」
なんとも間抜けなかすれた悲鳴をあげてたった一人の生徒、ナナ・カマドは水に押し流されていった。
マキはその様子を遠くから見ていた。そして一人笑みを浮かべた。
「なるほど」
先生が慌てた様子で流されたナナを助けに行く。流されたナナは、全身ずぶ濡れになっただけのようで眉を下げて笑っていた。そして誰かが言った。
「今回は”幸運の子”だけが不運を被ったな」
その言葉に、マキは違うと思う。マキは先ほどナナが行ったことを正しく理解した。運という不確定な巡り合わせによって起きたのではない。あれは彼女自身が起こしていることだ。彼女が起こした魔法によって。そしておそらく、これまでも彼女が魔法を使ったことで彼女一人が生き残ってきたのだ。それは偶然でも幸運でもなかった。
「ナナ・カマド。怪我はないか?」
「はい、先生。大丈夫です」
「服を着替えてきなさい。このままだと風邪をひく」
「はい」
先生に促され、ナナは実技場からすごすごと離れていく。マキはその後を静かに追った。
「はあ…」
ナナはずぶ濡れになった制服をつまみながら、廊下を歩く。そして人通りが無くなった通路の端っこで立ち止まった。ナナは少しだけ周囲を気にして、その後魔法を発動した。魔法石のピアスがきらりと瞬く。
ナナを風魔法が取り囲み、ずぶ濡れになったナナの制服をあっという間に乾かしていく。
「ふう」
そしてナナが一息ついた頃には、制服は濡れる前に戻っていた。制服に汚れが無いか確認していると、ナナの背後から足音が聞こえた。ナナが少し警戒しつつ後ろを振り向くと、そこにはマキが立っていた。
ナナは入学式で嫌みを言ってきた先輩だ、とすぐに気付く。
「やあ、こんにちは」
マキは友好的な笑みを浮かべてナナに挨拶をした。ナナはマキのことを綺麗な顔をした人だなと思いつつ、この笑顔で毒を吐くのを忘れてはいけないと自らに言い聞かせた。
「こ、こんにちは」
怯えた態度のナナにマキは笑いかける。
「さっきの水、自分に引き寄せたのはどうして?」
ナナは驚いた顔でマキを見た。気付かれるなんて思ってもみなかったからだ。しかしマキが自分にそんな質問をする意味がわからない。ナナは困惑しながら、おずおずと答える。
「…わたしは魔法が少し得意なので…なんとかしようとしました…」
マキはナナをしげしげと眺める。
「少し、ね」
マキは思う。ナナは水を操作するのも濡れた服を乾かすのも無詠唱でなんの予備動作もなしにやってのけた。難しい魔法ではないが、簡単でもない。入学してまだひと月程度の一年でそれができるのは一握りだろう。
「君みたいな人が補欠合格なんておかしい気がするけど」
ナナはマキの言葉に変な汗が出てきそうになる。なんだこの人は、何を言っているんだ。わたしに何を言いたいんだ。
「で、でも補欠合格でしたし…」
「入学はいつ決まったの?」
「えっ」
ナナは思わず表情を固めてしまった。それは理事長の言葉が頭をよぎったからである。
”ソニア・サンダの失踪事件の解決に尽力すること。そしてこの条件のことは、学園の教員以外に知られないこと”
知られたらどうなるか、は理事長は言っていなかった。しかし条件を受け入れて合格したのだから、条件を守れなかったら合格を剥奪されるのが道理だろう。それは嫌だとナナは震えた。言葉選びを間違えてはならない。
「い、一週間前です。入学の」
「随分急だね。普通の補欠合格の繰り上げならもっと早いだろう」
マキは淡々と言葉を並べる。
「君が繰り上げ合格になったのは、やはりソニアの事件があってのことなんだな」
ナナは何も言えない。推測はできても事実をナナは知らない。
「でもソニアの事件があっても急に繰り上げ合格を認めるなんて、おかしいと思わないかい」
マキは目を細める。
「空いた穴はそのままにしておいてもいいのに。わざわざその穴を一週間前という直前に埋めようとするなんて」
ナナは顔色が悪い。
「君がよっぽど優秀な魔法の使い手でもないと、おかしいよね」
ナナは胃が痛くなりそうなのを抑えて、マキに言った。
「だ、だから何ですか…」
マキはにっこりと笑ってナナに一歩近づく。ナナは逃げようとしたが、背後に壁があって逃げられなかった。隅っこに移動していたのが仇となった。
「僕は君に興味があるということさ」
ナナはマキの笑顔を見て背筋が寒くなった。一体自分の何がこの人に引っかかってしまったのだろうか。ナナはそう思ったが、思い当たることが無いわけではない。現状でナナは不本意ながらもいくつかの内情を抱えていた。しかしここでマキに取り入れられると後々が面倒だと察したナナは、頑張って声を上げた。
「わ、わたしなんて何も面白くないです!」
「最初はそう思ってたんだけどね。気が変わった」
マキはマキで、一度決めたことはそう簡単に覆らせない。
「僕は二年のマキ・オダ。よろしくね」
マキは優しく微笑んで、ナナに右手を差し出した。
「…………」
ナナは青い顔でマキの手と顔を交互に見て、それを無視するのは失礼だろうかと考えたうえで、ぎゅうと強く目を瞑って今後の自分の苦労を憂いたうえで、そろそろと手を出した。
「一年の…ナナ・カマドです…」
よろしくお願いしますと言わないのは、ナナの小さな反抗であった。マキはナナの手をしっかりと握って、微笑みのまま尋ねる。
「それで繰り上げ合格の時、学園側からどんな話があったんだい?」
ナナはこれ以上ここにいたらマキに全て暴かれてしまうと恐怖を覚え、ほとんど無意識に防御魔法でマキの手を弾いた。
「おっと」
「すみませんすみません!」
ナナはそう叫んで、マキの横をすり抜けて走った。態勢を整えるためにもとりあえず今は逃げ出したかった。女子更衣室にでも一旦籠りに行こう。ナナはそう思って廊下を一目散に走っていく。
「…」
マキはナナに弾かれた手と、走り去るナナの背中を見る。
「今のは防御魔法の一種かな?ふふ、面白いことをする」
面白いものを僕に見せつけておいて、逃げられるなんて思わないことだ。マキはそう思いながら、軽やかな足取りで授業へと戻っていった。




