ナナは補欠合格になった
黒を基調とした広い部屋の真ん中に、ナナ・カマドは立っていた。ナナの前には、重厚な作りの机と、同じく重厚な作りの椅子に座った人がいた。薄桃色の腰までありそうな長い髪の毛と、翠色の瞳を持つ四十代くらいの男性だ。ナナは今すぐ逃げ出したい気持ちになりながら、地元の中等部の制服のスカートのすそをこっそり握りしめた。
「では、ナナ・カマド。お前に条件を言い渡す」
この人、べリア・エケは魔法界の第一人者であり、超優秀な国家魔法使いであり、ナナの憧れのサクラ学園の理事長だ。本当ならお目にかかれるのは限られた一握りの者だけであり、ただの一般市民のナナは直接顔を見ることなんてできないはずだった。それなのにどうして、とナナは泣きたい気持ちになりながらべリアの言葉を待つしかなかった。
「ソニア・サンダの失踪事件の解決に尽力すること。そしてこの条件のことは、学園の教員以外に知られないこと」
べリアの瞳は鋭く冷たい。ナナは本能的に防御魔法を展開しそうになるのを必死で抑えていた。
「これを受け入れればお前を繰り上げ合格にし、サクラ学園への入学を許可しよう」
受け入れればとは言うが、こんな状況で断れるひとなんかこの世にいるのか怪しい。一瞬言葉に詰まるとべリアが眉を潜めたので、ナナはこれ以上理事長様のご機嫌を損ねないようにとなんとかお腹に力を入れて、声を出した。
「はい。その条件を受け入れます」
ナナの返答に、べリアは愉快そうに笑った。
「契約成立だ。しっかり励めよ」
どうしてこんなことに、とナナは足を震わせながら心中で叫んだ。ただ、両親が卒業した憧れのサクラ学園で、勉学に励みながら、友を作り、恋をして、輝かしい青春を送りたかっただけなのに。
「どうしてこんなことに……」
理事長室から早々に追い出されたナナは、サクラ学園の廊下で一人しばらく項垂れていた。
こうして補欠合格だったナナは、サクラ学園への入学への切符を手に入れたのだった。
ナナが暮らすのは陽の国と呼ばれる、古くから魔法と呼ばれる技法で栄えてきた島国だ。
高等部になるにあたってナナは地元の学園でなく、陽の国の中心である花の都にあるサクラ学園を受験することにした。
サクラ学園は優秀な魔法使いを輩出する学園として有名だったが、入学するには一定の魔法に関する知識と技法がなければ入学ができないため、難関校でもあった。
受験の結果、ナナは補欠合格だった。そして補欠合格のナナのもとに学園からの呼び出しの手紙が届いたのは、入学式の一週間前だった。手紙に従ってナナが慌てて学園に行くと、扉を開いた先にべリアがいてナナに交渉を持ち掛けてきた。その場でべリアが提案したことを困惑しつつ全面的に受け入れたナナは、大慌てで入学準備を行った。
そしてサクラ学園の入学式当日、なんとか準備ができたサクラ学園の制服に身を包んだナナはワクワクとドキドキとそれ以上の不安と困惑を胸にサクラ学園の門をくぐった。
快晴の空の下、多くの生徒たちが歩いている。
「入学おめでとう!」
「入学おめでと~!」
門を入るとすぐに上級生たちの祝福の嵐を身に受けた。
「君、飛行魔法は得意?それならぜひ飛行述部へ!」
「魔法絵画に興味はありませんか~」
「これ!この紙もっていって!」
ナナは押し付けられた紙を見る。
”お菓子を食べるなら、製菓部へ!”
「こういうのは地元とあんまり変わらないんだな…」
ナナは独り言をつぶやきながら、手放しで喜べる状況ではないとはいえどうしようもなく浮足立つ心を持て余しつつ入学式が行われる講堂へと向かった。
講堂は入学生と在校生の全員が集合できる場所とあってか、とても大きく広い。そこに大勢の人が詰め込まれているのを見て、ナナは地元の住人全員集めてもここの人数には敵わないのではないかと思った。
入学生たちが集まり終わり、入学式が始まった。理事長のあいさつでは本人は登壇する事なく、挨拶を代読する形であった。ナナはなんとなく理事長の顔を見たくなかったので少しほっとした。式辞に従って式は進んでいく。学園長挨拶、在校生挨拶ときて、次は新入生挨拶だ。進行役の先生が拡声器でこう言った。
「新入生代表、ソニア・サンダ」
その瞬間ざわめきが講堂内に広がり、ナナも小さく首を傾げた。ソニア・サンダは理事長の条件にあった、失踪事件で行方不明となった女子の名前である。ナナはそのソニア・サンダのことをまだ何も知らないので、首席だったのか、さらにざわめきが起きるほど失踪事件のことを知っている人は多いのかと驚いた。
するとざわめきを聞いた進行役の先生があっとした顔をして手元の紙を見た。
「し、失礼しました。訂正します。新入生代表、モネ・アネ!」
新たに名前を呼ばれた男子がなんとも言えない顔をしながら返事をして壇上に立った。
ナナは思った。ソニア・サンダの失踪事件が起きたのは、ものすごく最近のことなのだと。入学式の準備は前々からしていて、失踪事件が起きてからその変更が間に合っていないのではないかと。
そしてナナは嫌な予感がすると、ひとり静かに顔色を悪くした。
式は進み、入学証書授与が始まった。これは入学生ひとりひとりに学園長が入学証書を渡す行事である。入学証書授与の順番は事前に割り振られた生徒番号順だ。席順もその通りになっている。
そしてここでもソニア・サンダの名前が呼ばれ、またざわめきが起きた。ナナはそこでこれから起こることを予感した。
やがてナナの隣の女子の名前が呼ばれ、次はナナの名前が呼ばれるはずだった。
しかし。
「ベラ・ガー!」
「!」
学園長が発した名前を聞いて、ナナは固まった。ナナはベラじゃない。
「どうした?ベラ」
「……あ、あの…わたしベラじゃなくて…」
「え?」
すると、教員らしき人が慌てて駆け寄ってきた。一枚の入学証書を持って。それを受け取った学園長は、教員と小声で言葉を交わす。
「ああ、ありがとう…なんで抜けて…」
「………です…」
「ああ!」
その瞬間、ナナは壇上の拡声器を見た。電源がついている。
「あの補欠合格の子か!」
一瞬の間のあと、今日で一番大きなざわめきが講堂内に起こった。ナナは泣きそうになりつつも、その場から動くことができない。
ソニア・サンダの失踪事件が入学式の直前にあって、それによって決まったナナの入学はさらに直前に決まったのだ。ナナが大慌てであったように、きっと学園側も同じように大慌てだったのだろう。変更が間に合っていないのもうなずける。理事長は決めるだけ決めて後は放り投げていそうな人だったし。とナナは現状に目をそらしながら理事長に対して不敬なことを考えた。
「あっ…失礼。静粛に!」
学園長の声でざわめきは収まったが、ナナは視線が矢のように背中に突き刺さるのを感じた。
「では続きを…ナナ・カマド!」
「はい」
学園長の今のひとことで講堂中の人、つまりサクラ学園の全生徒に知れ渡っただろう。ナナ・カマドが補欠合格で、なんらかの事情で繰り上げ合格して今この場にいることを。
ナナは自分の席に戻るとき、なんとか平静を装いながら前を向いて歩いてきた。しかし、周囲から小さい話し声がちらほらと聞こえた。
「補欠合格なんてあるんだ」
「補欠合格ってことは、入学者最下位ってこと?」
「補欠なのに入学したってことはだれか入学辞退したの?」
「まさか…失踪したソニアの穴埋め?」
それらはすべて事実なので、否定のしようがないし、すべきでもないし、するつもりもなかったが、ナナはただ肩身が狭く感じた。
「ソニアって首席だったんでしょ?その代わりが最下位なんだ」
そういうことになりますね、とナナはその会話に加わりたい気持ちになった。最初から理事長からそんな話は聞いていなかった。多分必要がなかったんだろうけど。
それからナナは小さくなって入学式が終わるのを待った。逃げ出したい気持ちでいっぱいだったが、入学したばかりの場所からどうして逃げられるとういうのだろう。
そして入学式が終わり、入学生たちは事前に振り分けられた自分の教室へと移動する時間になる。教室は四つに振り分けられ、春組、夏組、秋組、冬組があり、ナナは秋組である。
なんとなく周囲の視線を感じながら、ナナはやや顔を伏せつつ足早に自分の教室へ行こうとした。
しかし行く手を阻むように、ナナの目の前に人が立った。
「君がナナ・カマド?」
声を掛けられて、ナナはゆるゆると顔をあげた。そこにはゆるくウェーブした淡い色の金髪を一つに結った、紫の目の綺麗な顔の男子生徒がいた。
「マキ先輩だ」
誰かの声で、彼がマキという名前の上級生だとナナは知った。ナナは恐る恐る返事をする。
「はい」
マキは優しい微笑みを携えている。優しそうな人だ、とナナが警戒を解こうとしたその瞬間、マキが口を開いた。
「こんな田舎者のお子様が、ソニアの代わり?」
その言葉の意味を理解するのに、ナナは少しの時間を要した。こんな綺麗で優しそうな人から、なんだか嫌みのようなことを言われた気がしたが。
「あ、あの」
ナナはどう返していいのかわからず首を傾げた。そんなナナに、マキはさらににこやかにこう言う。
「首席の穴を埋めるのが、補欠合格なんてね」
ナナはようやく気付いた。この人は優しそうな表情をしているだけで、全然優しくない人だと。地元にもそういう人はいたが、顔が綺麗なだけでこんなにも迫力が違うのか。都会って怖いな。ナナは震えながらそう思った。
「…」
ナナが何も言えず震えていると、マキはふっと目を細めたあと何も言わずにナナの前から立ち去った。
「マキ先輩って、ソニアの幼馴染なんだって」
遠くからそんな言葉が聞こえてきたが、知っていたとてナナにはどうしようもないことだった。
自分の教室に入ると、見定めようとする生徒たちの視線がナナに刺さった。しかし誰も話しかけてくることはなく、遠巻きにナナを眺めているだけだ。
「…」
ナナは自分の名前が書かれた紙が置いてある席に座って、一人さみしく配付された資料を手に取った。周囲の同級生たちは自己紹介をしあったり、雑談を始めたりと楽しそうにしている。
せっかく憧れの学園に入学ができたのに。こんな始まりで、友達ができるだろうかとナナは不安に思った。そして、ナナは資料の一番後ろに一枚の紙があることに気付いた。そこには手書きの文字でこう書かれている。
”放課後、理事長室へ来るように”
ナナは大きなため息をつきそうになるのをぐっとこらえて、その紙を小さく折りたたんで制服にしまい込んだ。
ナナがふと目を向けた窓の外には青空が広がっており、地元もいい天気かなあとナナはここではない遠くの場所へと思いを馳せた。




