いざ、決戦の場へ
「分かりました、お伝えするだけであれば」
彼は観念し、鬱陶しそうに再び眼鏡のブリッジを指で持ち上げた。それを聞いたデルマの表情はぱぁっと明るくなり、白磁の頬を桃色に染めながら全身をめいっぱい使って喜びを表した。とても可愛らしい姿に、さしものコリンもつい頬を緩めてしまう。
まんまといいように利用されていると分かっていても、やはり「天使」には敵わなかった。
「リバーシュ様が、デルマ様の望む対応を取るとは思えませんが」
「ええ、構いません!その時はその時で、また別の作戦を考えるだけですから!」
にこにこと満足げな笑みを浮かべ、デルマは何度も謝辞を口にする。たかだか自分ごときにここまで素直な反応を見せる彼女を、コリンも無下にはできない。それに加え、怪我の件で負い目もあるのだからもう完敗は免れない。
「これは大きな借りです!このご恩は忘れませんわ」
「ですから、借りなどと……」
「ただの自己満足ですから、お気になさらず!」
デルマは一度頷いてから、少し乱れたドレスワンピースの裾を掌で丁寧に整える。優雅な仕草でカーテシーをしてみせると、そのまま大人しくその場から去っていく。
彼女の小さく華奢な背中を見つめながら、コリンは苦杯をなめたような顔をしてしばらくその場に佇んでいた。
してやられた腹立たしい思いと、まぁいいかと絆される心情がないまぜになり非常に複雑。以前もそうだったが、またしてもデルマにしてやられた。
凶暴で苛烈な主人とは違った意味で、手のつけられない強敵であると、内心頭を抱えるのだった。
♢♢♢
そうして、大勢のメイドたちの手により食堂の雰囲気ががらりと変わった。昨日からアレクサンダーがこの城に来てからというもの、女性は皆色めき立っている。
「……今日はなにがあっても、デルマ様から離れたりいたしません」
眉間に皺を寄せた、レイ以外は。
「運良く顔には火傷の痕が残りませんでしたが、手の甲が赤く腫れてしまっています」
「こんなの、大したことないわ」
「いいえ、大切なお体ですから!」
語気を強めるレイに、デルマは思わず苦笑する。コリン同様、当初は彼女の足の怪我など見て見ぬ振りをしていたというのに、今ではこの過保護ぶり。
距離が縮まるよう計算して振る舞っているとはいえ、ここまで好かれるとはデルマ自身も予想していなかった。
「とにかく、なにを言われても私はデルマ様のお側にいます」
「ふふっ、頼もしい女騎士だこと」
「揶揄うのは、やめてください」
ふんと顔を逸らしながらも、優しい空気が流れる。デルマはそんな専属侍女を従えながら、猟奇的な兄を待ち構えていた。
「凄いな、これは」
僅差で食堂にやってきたアレクサンダーは、感心するようにきょろきょろと辺りを見回す。本当は微塵も思っていないだろうに、それをお首にも出さない名演技。
(さすが、兄妹揃っての詐欺師だわ)
嫌味をぶつけてやりたかったが、真似事は大の得意。デルマもまた兄と同じく、大仰な仕草で出迎える。
「みんなが頑張ってくれたおかげなの!トルスタンの人たちは、本当にいい人ばかりよ」
一人ひとりの顔を見つめるデルマを嬉しそうに見つめ返す者もいれば、バツが悪そうに視線を逸らす者もいた。
「私はここに来て、心から幸せを感じてる」
自ら口にしたが、この言葉が嘘であることになぜか胸がつきりと軋んだ。
「……ああ、そうか。兄としては、ひと安心だ」
「ありがとう、優しいアレクお兄様」
美しい二人の心温まるやり取りに、その場の誰もが笑みを浮かべる。その実態は嗜虐心の塊である兄と、亡き姉の真似しかできない妹。
「それで、ウェルガムンド伯爵は?」
「ええと、そのことなら」
「やはり、叶わなかったか」
アレクサンダーはデルマの頭に手を伸ばし、優しく撫でる。やけに熱い掌が、彼女にとってはかえって不気味だった。
「気にするな、忙しい方だろう」
「いえ、私は」
「せっかくの場に水を刺すような話は、ここまでにしよう」
自分勝手に話を切り上げる彼に抗議しようと、デルマは背筋を伸ばす。端正な顔を近づけた瞬間、なぜか背筋がぞくりと粟立った。
(な、に、これ……)
眼前が薄暗くなり、視界が狭まる。瞳に映るのはアレクサンダーだだひとりで、それが死にたくなるほど嫌だと感じた。こんな感覚は、今までに一度だってなかったというのに。




