兄との対峙、湧き起こる憤懣
♢♢♢
不測の事態が立て続けに起こり、ウェルガムンドの使用人たちは誰もが戦々恐々としていた。アレクサンダー・マリーウェルシュの来訪、そして主人の突然の帰宅。かと思えば、真っ先にデルマの部屋を訪ねたというあり得ない事実。
彼女が夜な夜なリバーシュの私室を突撃していることをレイ以外は知らない。だからこそ、なぜこのような事態が起こっているのか分からず、それが恐怖や緊張へと直結していた。
「邪神が、ついに天使に魅了されたか」
「以前はほとんど城にいなかったのに」
「兄に連れ戻されるのではと、焦っている」
などなど、さまざまな憶測が飛び交った。が、最終的な話の着地点は「まさか、ありえない」といったもので、何百何千もの命を平気で奪ってきた男が、いくら天使のように愛らしい少女といえど恋に落ちるはずがないと、そう締め括られていた。
リバーシュの側近であるコリンや、デルマの専属侍女レイは変化に気づいていたが、それを周囲に伝えたところで、一蹴されると分かっていた為、口に出したりはしない。また、コリンはただただ主人に怯え、レイはデルマの不利になるような真似はしたくないという、それぞれの胸の内もあった。
この城の中でのデルマの評価は、少しずつではあるが日に日に向上している。彼女が出ていくのは寂しいが、かといってリバーシュといればいつ危害を加えられるか分からない。
兄アレクサンダーが妹を救済することに期待する者もいれば、なんとかことを納め彼女に留まってほしいと願う者もおり、その他数人のメイドたちに関してはなんでもいいから酷い目に遭えという、化け物じみた嫉妬を滲ませる者もいた。
「おはよう、お兄様!」
「ああ、デルマ。火傷はもう平気か?痛んだりはしなかった?」
「ええ、もうすっかり良くなったわ。心配をかけてごめんなさい」
昨日とは打って変わり、今日は空が鈍色に覆われている。まるで彼女らに陽の光を浴びせまいと、分厚い雲同士が徒党を組んでいるようだった。
「昨日お前の様子を見に行こうとしたんだが、使用人に止められたんだ」
「私がそう頼んだの、無様な姿をお兄様に見られたくなかったから。だって恥ずかしいでしょう?火傷が痛くて、子どもみたいに泣いている姿なんて」
自分自身と打ち合わせを重ねたデルマは、きらきらとした顔ですらすらと嘘を並べる。リバーシュとの約束通り、アレクサンダーと一対一での対面を避ける為だ。
(きっと、いらいらしてたんだろうなぁ)
腹違いといえど、兄とは長年ともに暮らしてきた。誰よりもアレクサンダーの本質を理解しており、またその扱いにも長けている。
といっても、それは大人しく従っていればの話。プシュケの真似をするようになってからすぐ、デルマはさっさと彼から逃げてきた。真っ向から逆らったのは昨日がはじめてであり、そこから先アレクサンダーがどう出てくるかははっきり分からない。
あらゆる神から愛されている彼が、家畜同然の自分にどこまで興味を持ち続けるのか。正直に言えば、とっくに忘れ去られていると思っていた。鬱憤を解消する為だけのただのおもちゃであり、他国の王女と結婚して辺境伯を継ぐアレクサンダーとは住む世界が違うと。
「昨日は中途半端に終わってしまったけれど、今日こそは、ゆっくりお話ししましょうね」
アルビノの瞳を輝かせながら、デルマは微笑む。レイの選んだ薄黄色のドレスワンピースが、彼女の動きに合わせて柔らかく揺れた。
「リバーシュ様もお誘いして、三人でお茶会のやり直しよ!」
「は……?」
デルマの言葉に、アレクサンダーの端正な顔立ちがぴしりと固まる。精巧に造られた彫像のようで、本当に赤い血が通っているのかと疑いたくなるほど。
「あら?いけなかったかしら」
「いや、そうではないが」
「お兄様だって聞いているでしょう?リバーシュ様がお戻りになられたって」
当然のことを尋ねられたアレクサンダーは、きつく握った拳を後ろ手に隠した。使用人たちに愛想を振り撒いていた彼が、その情報を入手していないはずがないとデルマは分かっていて、わざと名前を出した。
「リバーシュ様にも、きちんと紹介しておきたいの。私の大好きな自慢の兄が、結婚前にわざわざ会いにきてくれたって!」
「……だが、デルマ。ウェルガムンド伯爵は、応じないのではないか?」
その後に「なぜならば、彼は無慈悲な邪神だから」という言葉が聞こえた気がして、デルマは思わず勃然として顔を顰めた。
国を問わず誰もがリバーシュ・ウェルガムンドを恐れ、忌み嫌い、絶対悪だと決めつける。彼が収めた戦果などまるでなかったかのように、感謝もせずに陰で罵るばかりだ。
(恐怖を紛らわす為に、精神を蝕む毒まで飲んでいるっていうのに)
己の快楽を得たいが為だけに薬を飲んでいた、アレクサンダーとは違う。よくよく考えてみれば、誰が好き好んで戦場になど立ちたいと思うだろうか。嫌な役割を押しつけるだけ押しつけておいて、都合のいい時には倫理観を振り翳して非難する。
アレクサンダーと話していたはずのデルマだったが、今リバーシュが置かれている状況を思い返し、ふつふつと腹の底から湧き起こる衝動を抑えることの方に必死になってしまった。
そして図らずも兄と同じように、後ろ手で拳を握る。その力があまりにも強かったせいで、彼女の掌にはうっすらと血が滲んでいた。




