狭い世界で、濁った水に映った自分を
「お前が嬉しい?なぜだ」
「それはまぁ。自分が作ったものを食べてもらえたから、ではないでしょうか?」
あくまで「普通は」そうだろう。感情の欠落したデルマには、自身がどう思ったかよりも「世間一般としては」といった回答しかできない。
「そもそも、お前が作ること自体が間違っている」
「えっ?そうですか?」
「誕生日とは、施す日ではなく施される日だろう」
「世間一般としては、という意味で?」
予想外の返しに、リバーシュは僅かに瞳を揺らす。やはりこの令嬢は、ただ籠の鳥としてぬくぬくと生活してきたわけではないと、疑念が確信に変わった。
幼い頃から戦場に立たされ、大勢いた腹違いの異母兄弟達と、血みどろの争いを繰り広げてきたリバーシュに、誕生日を祝うという慣習があるわけがない。そして、デルマからも自身と似た境遇を過ごした雰囲気を察する。
彼女と出会い、早数ヶ月。会話を交わした回数は多くないが、普通ではないと理解するには十分な時間だった。本人いわく「姉を真似ている」間は分からないが、時折垣間見えるデルマ・マリーウェルシュからは、血の通った人間臭さというものが感じられなかった。
「そうだ。世間一般的には、だ」
「であれば、確かにおっしゃる通りですね。愛されている良家の令嬢なら、綺麗なドレスに貴重な宝石、それにたくさんのプレゼントと大好きな家族に囲まれて、さぞかし素敵な一日を過ごせることでしょう」
表情は穏やかだが、目の奥が冷えている。唯一無二のアルビノが、彼女から人らしさを奪っているようにも見えた。美しく、愛らしく、それ故に恐ろしい。
「……お前は、以前こう口にしたな?自分は、化け物だと」
リバーシュは、無意識に頬の傷を指でなぞる。
「はい、確かに」
「誰かに言われたのか」
「ただ、自分でそう思っただけです」
「そうか」
彼は追及しなかったが、答えは分かっていた。これまで誰も存在を知らなかった、プシュケ・マリーウェルシュの妹。姉が死んでようやく日の目を見た、彼女に瓜二つの人間。
リバーシュを神と崇め、まるで愛しい恋人でも見ているかのような瞳で、うっとりと目を細める。夫となる者に求める理想像が「邪神のままであれ」とは、常軌を逸しているとしか言いようがない。
「俺は、望んで邪神になった覚えはない。が、いつしか自分が本当にそうだと錯覚するようになった」
金の瞳が、まっすぐデルマに向けられた。眉間の皺はなくなり、黒布を脱ぎ捨てたリバーシュ自身が剥き出しになる。本当は誰よりも臆病な彼が、デルマにだけは少しずつ本音を見せようとしていた。
「お前も、同じだ」
「私も、ですか?」
「ただ、そう思い込んでいるだけだ」
瞬間、デルマは呼吸を忘れた。化け物だと言われ続けた人生の中で、生まれて初めてかけられた言葉。まさかそれを、あの『無慈悲な邪神』から言われるとは思ってもみなかった。
誰からも慕われ、愛されているアレクサンダーやプシュケは、いつもデルマを否定した。もうずっとそうだったから、当たり前だと疑いもしなかった。
(だって普通は虫や雑草は食べないし、ナイフで切られたら嫌がるもの)
望んで、その環境にいるわけではない。デルマのせいではない。そんな当然のことを、誰も教えてはくれなかった。
「……私には、よく分かりません」
「安心しろ、俺もそうだ」
「……ふふっ、はい」
励まされているのか、貶されているのか、よく分からない。けれどリバーシュの言葉ひとつひとつが、デルマの胸の中に溶け込んでいく。嘘か真実かは、どうでもいいと、彼女は思った。
「それから」
彼は再び、黒焦げのクランペットに手を伸ばす。普段目で人を威殺せるほどの眼光を放つリバーシュが、気恥ずかしさから視線を横に逸らした。
「婚約者は、お前で構わない」
「えっ?」
「退屈凌ぎくらいには、なるからな」
ぽかんと口を開けていたデルマだが、思い返してようやく気付いた。この発言は、彼が先ほどの件を気遣ってのものであると。
突然意味の分からないことを言って、ひとりで勝手に取り乱したのに、それを咎めないどころかこうして言葉をくれる。言い方はさておき、デルマにとっては素直に優しいと感じた。
(文句言いながら、食べてくれてる)
ばりぼりと珍妙な音を立てながら、それでもリバーシュは手を止めない。口の中に広がる強烈な味は、自身が出陣前に飲む毒とよく似ていた。
「あの、リバーシュ様」
彼は返事をせず、視線だけをデルマに寄越した。
「私、今日が十五の誕生日なのです」
「知っているが」
「そうでしたか」
「ああ」
そこで会話は途切れ、デルマも同じようにクランペットに手を伸ばす。ひと口齧ってから、幸せそうにふにゃりと目を細めて笑った。
「やっぱり、美味しくありませんね」
「……ああ」
「へへ」
リバーシュから祝辞の言葉はなくとも、こうして同じ部屋で同じものを食べる。たったそれだけで、デルマの心はまるで陽の光に包まれているような感覚だった。プシュケの真似事をしている時には、感じたことのない気持ち。
(明日、図書室で調べてみなくちゃ)
初めて生まれた感情に、今名前を付けることはできない。さも嫌そうな顔をしながら食べ進めるリバーシュを見て、デルマは部屋に戻らなくてよかったと思いながら、一層頬を緩ませたのだった。




