空っぽで、苦しくて、生きているかも分からない
「ごめんなさい、リバーシュ様。私、他の人には理想的な私でいられるのに、あなたの前ではそれができなかった」
ふと、デルマの声色が変わる。透き通るような耳心地の良い音色ではなく、ぼそぼそとした聞き取りづらい深い音。それに合わせ、口調も幼くなっていく。
「ちゃんとプシュケの真似をしなきゃ、ここにはいられない。私は、私を出しちゃいけない。だから、リバーシュ様が嫌だっていうなら、ちゃんと我慢しなきゃ」
「……突然、何を言い出す」
「ごめんなさい、私、もっとちゃんと……」
伸びていた背は情けなく丸まり、艶やかなルビーレッドの髪はデルマの手でくしゃくしゃと乱される。感情という不確かな闇が頭の中を覆い尽くし、常に働いている理性を喰らおうと襲いかかってくる。
生きる為に、考えることを放棄した。壊れない為に、心を捨てた。プシュケの真似事だけが、彼女がアレクサンダーの家畜ではなく、人間として生きていく唯一の方法だったのに。
(リバーシュ様の弱みを知ってから、なんだかずっと落ち着かない)
表面上、あの話はなかったものとして扱っていた。これまで通り、最恐の邪神としてただきゃあきゃあと言いながら崇めていられたらそれで良かった。
けれど、不意に笑顔を見せられたり、ややぶっきらぼうに名を呼ばれたり、去り際にちらりと視線を向けられたりと、最近はそんな些細なことがいちいち気になり始めた。
どれも、デルマが求める邪神像には必要のないものばかり。にも関わらず、意思とは無関係に心臓が大きく音を立てる。嫌であるはずなのに、不快ではなかった。
デルマにとってリバーシュがあらゆる意味で必要不可欠な存在となっていく中で、彼にとって自分自身がそうではないことが急に負い目に感じられた。
十五の誕生日において、彼女自身はリバーシュと過ごせることが嬉しくてたまらない。その逆は、絶対にあり得ないのに。
「あれく、ごめんなさい、ごめんなさい、わたし、わるいこ
「……おい、待て」
「わるいこは、おしおきしなきゃ。ここにいちゃだめ、だめだから……っ」
デルマはへなへなとその場にしゃがみ込むと、無意識にがりがりと首を掻きむしりながら、浅く短い呼吸を繰り返し始める。突異常な様子を見せた彼女に、リバーシュの眉は険しく吊り上がった。
「デルマ!」
名を呼ぶとともに、彼女の両肩を掴む。それは先ほど手を引いた時よりも、随分と優しい力の込め方だった。
「落ち着け。もっと深く、ゆっくりと数を数えながら息をしてみろ」
「か、かず……、かずを、かぞえ……」
「そうだ、焦るな。ゆっくりでいい」
彼も同様に膝を突き、目線の高さを合わせた。小刻みに震えるアルビノの瞳に、自分だけが映るよう顔を近付ける。
「俺を見ろ、デルマ」
「り、リバーシュ、様……」
「ああ、そうだ」
互いの髪に、吐息がかかるほどの距離。鋭い輝きを放つ金の瞳を見つめていると、逆立っていた胸の内が少しずつ凪いでいくのを、デルマはぼんやりと感じていた。
(どうして、こんなにほっとするんだろう)
普段顔を隠しているリバーシュが、今はこうして素顔を曝け出している。頬を走る傷も、射抜くような眼光も、人より大きな口元も、すべてが彼女を落ち着かせる材料となっていた。
「リバーシュ様、近いです……。へへ……」
「……」
先ほどまでの不安げな表情は消え、言葉とは裏腹にデルマはふにゃりと微笑む。涙を浮かべた真珠色の瞳はどんな宝石よりも美しく、リバーシュは彼女から目を逸らすことができなかった。
咄嗟に体が動いたとはいえ、顔を傷を見られることに忌避感を抱えていた。これまであらゆる女性が打算的に彼に近付き、勝手に怯えては去っていった。
自らこの距離を許したのは、デルマが初めて。安心させられるような要素などどこにもないというのに、彼女は心から安らいだような表情で、少しだけ気恥ずかしそうに笑んでいる。
それを見ただけで、リバーシュの胸に言いようのない感情がじわりと広がっていった。
「取り乱してしまって、申し訳ありませんでした。私は、もう大丈夫です」
「……ああ」
「誕生日だからと、少し浮かれ過ぎてしまったのかも」
やや苦しい言い訳だが、彼は追及しないだろう。デルマは立ち上がり、ワンピースのプリーツを軽く手で整えた。昼間のドレスとは違う、軽い素材のシンプルなワンピース。当初は夜着で訪れていたが、なんとなくそれではよくないかと思い直した。




