エピローグ1 蚊帳の外の彼女たち
……【大怪蟹】との戦いに勝利し、見事池袋を救った灯夜たち。長い苦難の一日は終わり、一行は無事学園へと帰還したのだった。
そしてこれは、その翌日から始まる後日談である――――。
――――ゴールデンウィーク二日目。マスメディアを賑わせたのは例年通りの観光地情報ではなかった。大手新聞各社の一面と同じく、昨日起きた池袋での広域群発火災の話題で持ち切りであったのだ。
池袋駅を中心として東西池袋にまで及ぶ広い範囲に避難指示が出され、多くの住人が着の身着のままで街を離れる事になったこの事件。火災の原因は老朽化したガス管の損傷と見られ、一ヶ所の破損から連鎖的に被害が広がった……との見方が昨夜の時点で公式に発表されていた。
火災自体の発生件数は現時点で把握出来ただけでも三桁に及び、西池袋ではガス爆発が起き道路が大きく陥没。また東池袋の高層ビルではガス管の破裂が全階層に及ぶ重大事故に発展していた。
ただ火災の大部分はボヤ程度の小規模なものであり、消防の迅速な対応によって被害は最小限に抑えられたという。
これによって池袋駅経由の鉄道各線は終日運休となり、GW初日の人々の足に大きな影響を与えた。また周辺道路の全面封鎖も深夜まで続き、この一日での経済的損失は数百億円以上との試算も出ている。
――――近年稀に見る広範囲な都市災害となった今回の事件だが、現在のところ死者は一人も報告されていない。火災自体の規模が小さかったお陰で重傷者はおらず、軽傷を負った者も多くは避難時の混乱によるものという話だ。
ガスを吸って昏倒した数百名が病院に搬送されたが、こちらもほぼ全員が翌日には退院できる程度に回復しているらしい。
……ただ奇妙な話ではあるが火災当時、東池袋上空にドラゴンのような怪物を見たという目撃情報が複数寄せられている。しかしそれを撮影したとされる映像には怪物の姿などは一切見受けられず、おそらくはパニック状態における集団幻覚の類いではないかと精神医学の専門家は結論付けて――――
◇◇◇
……かぽーん、と風呂場特有の環境音が静かに響き渡る。
「ふう……ようやく一息つけるな」
「蛍ちゃん、昨日からずっとピリピリしてたからね~」
ここは橘寮名物、温泉大浴場――――天然の温泉を使用した天御神楽学園の誇る入浴施設である。
「池袋の話を聞いた途端に『あそこには私の生徒がいるんだっ!』って飛び出していきそうになってたし~」
「行っていたさ。電車が止まり道路が封鎖されていなければな……しかし四方院家のヘリ、いつの間に一機だけになっていたんだ? 確か二機はあった筈なのに……」
利用できるのは学園の生徒と関係者に限られているそこで、二人の女性が早朝の湯浴みを楽しんでいた。
「新学期になる前に一機壊れちゃったって話だよ~。蛍ちゃんてば知らなかったんだね~」
「……何度も言うが“蛍ちゃん”はやめろ。生徒に聞かれたら示しがつかん」
――――一人はこの橘寮の管理人、君鳥温子。そしてもう一人は学園の教師である車折螢。
「生徒が危険な目に遭っているというのに手も足も出せぬとは。こんなもどかしさを感じたのは教師になってから初めてだ」
「まあまあ……学園の外での事だし、今回はしょうがないよ~」
「妖が絡んでいたんだぞ! あいつらの身にもしもの事でもあったら、しょうがないなどとは言ってられん!」
苛立ちを募らせる蛍。そんな様子の親友を見かねて、温子は彼女を朝風呂に誘ったのだが……
「でも、みんな無事だったんでしょ?」
「ああ。昨日病院で確認した……時間外とかで面会は断られたがな。昼には退院という話だから、この後迎えに行くつもりだ」
「不幸中の幸いだね~。対策室に入ってる子はそういうのもしょっちゅうだけど、今回は関係ない子も巻き込まれてたから心配だったよ~」
温子の言葉を反芻しながら、蛍はこの学園の特殊性を改めて実感していた。表向きは名門女学校なれど、その実態は東の術者たちの総本山――――対妖の最前線とも言える場所。
そこに通う生徒たちもまた、妖の脅威と無縁ではいられないのだ。
学園の保護を受けているといっても、それは完全な安全を保証するものではない。一歩学園を出れば今回のような事件に巻き込まれもするし、ついこの間のように学園そのものが襲撃を受けることまである……
妖と戦えるような力を持った生徒も居るには居るが、そんな者は全生徒の中でも極々稀。そもそも学園に在籍する生徒の大半は妖を視ることも出来ない一般人なのだ。
「それをどう護るか……不測の事態だからこそ、教師であり術者である私が真っ先に駆け付けるべきなのに――――」
そんな蛍のとりとめのない思考は、がらがらと開く引き戸の音によって中断を余儀なくされる。
「……おや、なんと先客がおったか。朝の温泉一番乗りを目論む者が儂の他にもおったとはのう」
「っ! お前は――――」
現れたのは一人の少女。ここに入って来られる以上は学園の女生徒なのだろう。抜けるような白い肌にバスタオル一枚をまとい、これまた白い髪を頭の上でまとめた姿は美しい以外には至って普通のものだ。
……ただひとつ、紅玉のような瞳に浮かぶ怪しい輝きを除いては。
「美国耶生! 何故お前がここに!」
「何故、とは御挨拶じゃのう……儂とてこの学園のれっきとした生徒。学内の施設を使うて不都合は有るまいに」
確かにその通りではある。特にゴールデンウィーク中は本来昼からとなる大浴場の開放が大幅に前倒しとなっている事もあり、この機会に早朝から訪れようという者も少なからずいるのだ。
連休中、生徒の大半は学園の外に出ていくため混雑も少なく、大浴場は密かな穴場となっている……蛍たち同様、彼女もそれを目当てにして来たのであろう。
「他の連中と違うて、儂は学園の外に出るのを禁じられておるからの。休みと言うても出来る事は限られておる……風呂くらい、好きに入らせて貰っても良かろうが」
手早く髪を流しつつぼやく耶生……彼女はその出自に由来する事情から行動にいくつかの制限を受けている。学園から出る事ができないというのもそのひとつだ。
「【八門】のお前を学園に滞在させる条件としては妥当なものだろう。お前自身もそれには同意したはずだ」
「それはまあそうなのじゃが、もう少し手心を……という話よ」
再び髪をまとめ、湯船に浸かる耶生。ふう……と深く息を吐くと、血色が良いとは言えなかった白い肌にほのかに赤みが差していく。
「実はの、儂もあの月代に誘われておったのじゃ……教師ではなく生徒の方の月代じゃぞ。嬉々として遊びに行く相談をしておるあ奴らを恨めしく眺めておったらの、なんと向こうから声を掛けてきたのじゃ」
「あら~。そんな事があったのね~」
「うむ。あ奴は入学初日以来なんとなしに儂を避けておるようでの。まあ多少霊感のある者なら当たり前の反応じゃし、儂も気にしてはおらなんだが……」
――――お前を避けているのは別に月代灯夜に限った話ではないだろう、と蛍は思ったが……あえて口に出すことはしなかった。
「あ奴自身は気にしておったのじゃろうな。いかにも勇気を出してといった体で話しかけて来おった。『良かったら美国さんも一緒に行かない?』とな」
言いながらニヤニヤと不穏な笑みを浮かべる耶生……本人は朗らかに笑っているつもりなのだが、周囲の者には何やら良からぬ企みをしているようにしか映らない。
「それを……無下に断らねばならなかった儂の気持ちがお主等に分かるか!? 断腸の思いとは正にこの事よ!」
「き、気持ちは分かるが落ち着け美国……」
笑顔を翻し突如激昂する耶生。和やかな会話の途中から突然キレるのは彼女の持ち芸だと蛍は知っていたが、周囲の人間を遠ざけているのは八割がたその性格のせいだぞ……とはあえて言わなかった。言って改善されるとは思えなかったからだ。
「渾身の誘いが無駄に終わったと知った時のあ奴の顔といったら……これでは儂がまるで悪逆非道の化身のようではないか! だいたい昨日の事件とて、儂が行っておれば事件になる前に片が着いたろうに!」
「まあまあ~。そういえば耶生ちゃん、前に頼んでおいた件だけど……あれから何か進展はあった?」
放っておくととめどなく愚痴を聞かされると察してか、温子が素早く話題を変えに入る。流石だ……と蛍は湯の中で親指を立てた。こういう時の対応は彼女に一日の長がある――――むしろ自分より温子の方が教師の職に向いていたのではないか、と思うくらいだ。
「……この間学園に忍び込んだ不埒者の事か? 生憎大した事は分かっておらぬ。他の【八門】なら何か知っておるかとも思ったが、知っての通り儂らは互いに干渉しない事を旨とする家。連絡ひとつ取るのも色々面倒での」
温子の問いにまた瞬時に素面に戻る耶生……先程までの激昂ぶりが嘘のような変わり身の速さだ。
「私も術者仲間に当たってはみたが、それらしい情報を持っている者は居なかった……」
――――新学期早々に起きた、妖による学園への襲撃事件……その中で妖を結界内に呼び込む手引きをした者が居た。それが学園内の人間でない事は直接遭遇した蛍自身が確認している。
しかしその正体はいまだ謎のまま。僅かな手掛かりからそれが前世紀末の大夜行事件の際、落命したはずの術者に関わりがあるというところまでは掴んでいたのだが……
「あらあら~。こっちでも現役時代のコネを使って記録を見せてもらったりしたんだけど……その頃の資料ってまだほとんど紙だから、直接書庫まで行かないと詳しいことは分からないって~」
「あの当時に奴の素性を詳しく探れていればな。もっとも目の前で確かに死んだ男がやがて甦ってくるとは、流石に予想のしようも無いか……」
「……ふむ」
蛍の言葉に思うところがあったのか……耶生がぽん、と両手を合わせる。
「そういえばお主、あの時もそんな事を言っておったな。貴様は死んだ筈だとか何とか……それを聞いてひとつ、思い出した事がある」
「思い出した事?」
「うむ。前に……そろそろ二十年は前になるかの。儂は欧州のとある国の夜会に招かれておった。無論、この学園に来る前の話じゃ」
……二十年前と言えば、学園の女生徒ならまだ生まれてもいない時代である。しかし蛍たちはそれに疑問を挟むこともなく、耶生が続ける言葉を待った。
「その時偶々【八門】の一人と会う機会があっての。滅多にない事ゆえ、世間話がてら情報交換のような流れになったのじゃが……そこで聞いたのじゃ。ある奇妙な男の話を」
「奇妙な男……だと?」
「ああ。そ奴は東洋の島国、すなわちこの国の出身だと語ったそうじゃが……その顔を見るに明らかに西洋人、北欧系の特徴を持っていたそうな。そしてここからが本題なのじゃが――――」
ごくり、と唾を飲む蛍。北欧系の顔というのは確かに彼女の知る“あの男”の特徴と合致している。
「【八門】はの、その男に家に入らぬかと誘いを掛けたそうじゃ。もっとも丁重に断られたという話じゃが……担任殿よ、これがどういう意味かは理解ろうな?」
「……馬鹿な、【八門】は家の創設以来その面子を増やす事も、また減らした事も無いという話ではないのか!?」
「そう……【八門】に入るには資格が要る。定命の者が決して得る事叶わぬ資格が……の。つまり、そういう事じゃ」
――――【八門】は他の退魔の十家とは根本的に異なる家。それはある“異能”を持った者同士の争いを禁じ、有事の際には結託する事を条件として定められた……“家”という名の同盟関係。
「……死なぬのじゃよ。そ奴は」
お久しぶりの方々が再登場!
忘れてたわけじゃないんですよ~(;^_^A




