過去の私は別人な第五話
雫が寝込んでから数日が経ったある日のこと。
「すっかり良くなりました!
先輩の愛を感じる献身的な看護のおかげです♡」「あぁ、もう! 何が愛だ! 普通だよ! ふ つ う!」
和葉が顔を真っ赤にして叫ぶと、雫は楽しそうに笑った。
和葉は大きくため息をつき、ぼそりと呟いた。「……はぁ。あの頃の雫は良かったのにな……」
あの頃——入学式を終え、まだ1週間も経っていない頃。
美術部のドアの前で、ひとりの少女が右往左往していた。
「よし、入るぞ……」
覚悟を決めてドアに手をかけようとしたその時、背後から声が掛かった。
「君、新入生?」
「きゃっ!」
少女は驚きのあまり小さな悲鳴を上げて振り返った。
「あぁ、ごめん。驚かすつもりはなかったんだ」 和葉が慌てて手を振ると、少女はすぐに姿勢を正した。
肩まで伸ばした黒髪をそっと整え、控えめな笑顔を浮かべながら小さく頭を下げる。
「いいえ、こちらこそ驚いてしまい、申し訳ありませんでした。
雫と言います。よろしくお願いします」
その声はとても小さく、純粋で、緊張しているのが丸わかりだった。
和葉は思わず微笑んでしまった。
「美術部、興味あるの?」
「はい……ずっと、絵を描くのが好きで。
でも、ちゃんと続けられるか不安で……」
雫は指をぎゅっと絡めながら、恥ずかしそうに目を伏せた。
その控えめで真面目な姿に、和葉は「良い子が入ってきた」と心から思った。
思い出したら、もう一度大きな溜息がでる。
「最初は本当に純粋無垢な乙女だったんだよ……。
ドアの前でうろうろしてる姿とか、今考えても可愛かったのに」
和葉が遠い目で言うと、雫がにこにこと寄ってきた。
「先輩、あの頃の私のこと、そんなに覚えててくれたんですね。
嬉しいです♡」
「……今はもう、純粋無垢の欠片もないけどな」「えー? 私は今でも純粋ですよ?
ただ、先輩への愛情が純粋すぎるだけです!」
「愛情の方向が完全に間違ってるんだよ!!」
後ろで聞いていた薫がくすくすと笑い、泉希も小さく頷いた。
「雫、最初は本当に可愛かったんですよね……」
和葉は小さくため息をつきながら、心の中で思った。
(……たまに、あの頃の控えめな雫が恋しくなる……)
もちろん、そんな本音は絶対に口には出さない。 福女美術部の、今日も変わらない賑やかな放課後が続いていた。
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