第9話 銀狼騎士、嫉妬する
以前、俺はリリアナのことを「危なっかしい」と評した。その言葉を今、訂正しよう。
リリアナは危なっかしいのではない。無防備すぎるのだ。
辺境都市ルミナ。俺は四本の足で地を踏みしめ、リリアナの隣を歩く。
不服ではあるが、この悪趣味なリボンを付けている時は、街でも自分の足で歩くことができるらしい。仕方なくこの屈辱を受け入れつつ、俺は常に彼女の死角を警戒し、不審者がいないか目を光らせている。周囲からは「なんて可愛いわんちゃんなの!」「リボンが似合っていて可愛いわねぇ」などと能天気な声が飛んでくるが、俺は帝国騎士団長だ。これはリリアナの護衛である。
「コロ、今日はハーブの苗を買いに行きたいな。あっちのお店まで行ってもいいかしら?」
蜂蜜色の髪を揺らして振り返る彼女に、俺は短く「バフッ」と応じる。今日の彼女は先日よりも足取りが軽く、心なしか髪も艶やかに見える。俺が夜更かしを阻止した成果だろう。
それにしても……平和だ。この穏やかな時間が続くのであれば、俺は一生このフリフリを付けていたとしても——。
「——あれ、リリアナ? やっぱりリリアナだ!」
背後から聞こえてきたのは、不愉快に爽やかな、馴れ馴れしい男の声だ。
振り返れば、そこにはこの街の景色に馴染みすぎている服を着た青年が立っていた。二十代前半といったところか。その容姿は整ってはいるが、俺に言わせれば厳格さの欠片もない軟弱な顔である。
「えっ……。あ、テオ君! お久しぶりです」
あろうことか、リリアナはこの男を見て、花が咲いたような笑顔を浮かべた。
テオ、と呼ばれた男は、屈託のない笑みを浮かべてリリアナに歩み寄ってくる。
「お買い物ですか?」
「ああ。母に頼まれた用事でね。……それにしてもリリアナさん、今日は一段と綺麗だ。春の妖精が街に迷い込んだのかと思ったよ」
(…………は?)
俺の思考は一度止まった。
妖精? そんな胸が焼けそうな口説き文句を、事もあろうに俺の目の前で、俺のリリアナに吐いたのかこの男は。
「まあ。ありがとうございます」
リリアナは頬を少しだけ染めて、困ったように笑っている。頬を染めるなリリアナ! こんな軟派な男の言葉など、聞き流してしまえばいい!
「ところで、その子は? 珍しい毛並みの犬だね。へえ、赤いリボンを付けて。最高に似合っているよ」
(殺す。こいつだけは、嚙みついてでも殺してやる)
テオとやらは膝を折り、俺の頭に手を伸ばそうとしてきた。俺は即座に唸り声をあげ、最大級の威嚇を放つ。貴様のようなチャラついた男に触れさせてやる箇所など、俺の身体には存在せん。それに、このリボンを最高だと? 嫌味か、それとも本気で言っているのか。どちらにせよ万死に値する。
「あら、ごめんなさい。コロは少し人見知りみたいですね」
「ははは、元気があっていいね。……そうだリリアナ。この先に、新しくできたカフェがあるんだ。テラス席ならペット同伴も可能みたいだよ。少し、話さない?」
「お誘いありがとうございます。ちょうと喉が渇いていたので、ご一緒させていただきたいです」
は? 今、なんと?
こんな、見るからに下心を持っている男の誘いに、二つ返事で乗ったのか?
俺の制止(激しい鳴き声)も虚しく、リリアナは俺を抱き上げてカフェへと向かった。
「ワウッ! バフバフバフッ!!」
(リリアナ、よく見るんだ! この男の笑顔は偽物だ! どこからどう見ても、お前のことを狙っている!)
「コロ、どうしたの? テオ君のことが気になる? テオ君は、私がこの街に来たばかりの頃、色々と助けてくれた恩人さんなんだ」
恩人。その言葉がひどく、俺の胸に鋭く突き刺さった。
俺の知らない彼女のことを、この男は知っているということだ。俺だってリリアナのことをもっと知りたい。なのに、彼女は自分のことを話そうとしない。……犬に自分のことを話す者の方が少ないか。
席に着くと、テオは身を乗り出してリリアナの顔を正面からじっと見つめた。
「リリアナ、顔色が良くなっているね。森での暮らしが合っているのかな。それとも……誰かいい人でもできた?」
「ふふ、そんなのではありませんよ。ただ、この子と会ってから毎日が楽しくて」
「へえ。その子が恋人みたいなものなんだね。羨ましいなぁ」
奴の手が、リリアナの手元へ伸びている。もうすぐで触れあいそうな距離ではないか。未婚の男女がここまで顔を近づけて会話するなど、不適切だ。
(断じて、許せん……!)
そして何より不愉快だ。できることならばこの男の不埒な手に、ナイフを突き立ててやりたい。
俺は机の下に潜り、テオの手がリリアナに触れる前に奴のズボンの裾を力いっぱいに咥えて引っ張る。
「わわっ!? どうしたんだい、この子。急に暴れ出して……」
「コロ! ダメよ、テオ君に失礼でしょう」
リリアナは慌てた様子で俺を抱き上げた。俺は彼女の腕の中で、テオに向けて牙を見せつける。しかしリリアナは俺の腹を撫でながら、申し訳なさそうに眉を下げた。
「ごめんなさい、テオ君。コロは普段とてもいい子なのですけれど……」
「いいや、可愛いじゃないか。よしよし、お兄さんがお菓子をあげようね」
テオは憎らしいほどに爽やかな笑みを浮かべ、何かを差し出してきた。これは、犬用のビスケットだろうか。
ふざけるな。この俺が、お前のような男からの施しを受けると思うか。
俺は差し出された菓子を前足で払い飛ばし、そのまま奴の指を一度噛んでやろうと身を乗り出す。
「ワフッ!!」
(くらえ、軟派男!!)
「わっ! 元気だなぁ、この子。遊びたいのかい?」
「もう、コロ。お菓子が飛んじゃったじゃない。ほら、ゆっくりと食べて」
リリアナは俺が払い飛ばした菓子を手に取り、俺の口元に近づけた。何を勘違いしているのだ。俺はこの男に一度制裁を……。
ふむ。この菓子からは良い香りがする。美味そうだな。リリアナから差し出された菓子であれば、食べてやっても良いかもしれない。それに、喰わなければリリアナが悲しむかもしれんからな。
そう思いながら菓子を口に含んだのだが、リリアナとテオがやけに生温かな目で俺を見ていたことに気が付いてぞわりと全身に妙な感覚が走った。しまった、罠に嵌められてた。




