第29話 銀狼騎士、誓う
困惑しながら、頬を林檎のように赤く染めて視線を彷徨わせるリリアナ。その反応すべてが、俺の胸を心地よい熱で焦がしていく。仔犬の姿だったときはただ彼女の膝の上で尾を振ることしかできなかったが、今は違う。こうして彼女の指を絡め取り、その反応を間近で愉しむことができるのだ。
「リリアナ、そう身構えることはない。この場所は俺にとっても心地よいが、帝都にある俺の屋敷はここよりずっと広くて快適だ。庭にはお前が好むような薬草を育てるための温室も作ろう。腕利きの料理人も用意する。お前が今までに食べてきたものよりも、ずっと美味いものを毎日出すと約束しよう」
俺はわざと彼女の耳元に顔を寄せて、低く甘い声で囁いた。彼女は「ひゃっ」と短く声を上げ、目を伏せる。その拍子に、彼女の柔らかな髪が俺の頬を撫でた。甘い香りが鼻をくすぐり、俺の理性がまた少し削り取られる。
「俺も、お前が傍にいてくれたら、仕事の疲れなど一瞬で吹き飛ぶ。仔犬だった時と同じように、また俺の頭を撫でてくれるだろう?」
「そ、それは……っ、その……」
「それとも、俺に触れるのはもう嫌か?」
俺はわざと頭の上の犬耳を情けなく伏せて見せた。あざとい自覚はあるが、彼女が俺の耳の動きに弱いことは熟知している。案の定、リリアナは「嫌というわけではありません!」と慌てて首を振った。
確実に、リリアナの心が揺らいでいる。俺はこの機会を逃すまいと、最も尋ねたかった話題の核心へと踏み込んだ。
「……リリアナ。お前が帝都に行くことを躊躇うのは、単に俺を恐れているからだけではないだろう?」
俺は彼女の手を取り、自分の膝の上にそっと置いた。彼女を怯えさせないように、優しく触れることを意識する。
「お前がこの街に住む以前のこと。お前が隠し続けている過去。……お前の口から、聞かせてもらえないか」
リリアナの身体が硬直した。深緑色の瞳に宿ったのは、絶望の澱みだ。彼女は唇を震わせて、何かを言いかけては飲み込む、ということを繰り返す。その怯え切った様子に、俺は殺意を覚えた。彼女をここまで追い詰めてきた「何か」に対して。
「大丈夫だ。俺が傍にいる。誰にも、お前を傷つけさせない」
俺は彼女の背中に手を回し、優しく引き寄せた。彼女の震えが伝わってくる。そっと背中を撫でていると、彼女は諦めたように、ぽつぽつと語り始めた。
「……私は、自分がどこにいたのかすら、ちゃんと知らないのです」
その告白は、衝撃的なものだった。
「物心がついた時から、私はずっと、どこか狭い場所に閉じ込められていました。綺麗な服を着せてもらえて、美味しい食事も与えられて……。でも、毎日大切なお勤めがありました」
リリアナは自分の左腕を、右の手のひらがぎゅっと押さえた。
「血を抜かれるのです。私の血には、魔力を増幅させたり病を癒したりする特別な力がある……と、あそこにいた大人たちは言っていました。私は、ただ血を摂取されるためだけの道具として、あそこで育てられていたのです」
彼女の声は淡々としていたが、それゆえにその異常性が際立っていた。
「……ある方が、私を逃がしてくださいました。大きな火事があって、それに混ざって私は逃げ出したのです。その時、初めて外の世界を知りました。自分がどこにいたのかも、なぜこんな力が自分にあるのかも分かりません。ただ、あの場所に戻ることだけは……絶対に、嫌なのです」
彼女の話を聞いていると、俺はある一つの事件を思い出した。
三年前のことだっただろうか。帝国騎士団も駆り出された、ある名門貴族家の不審な爆発事故。帝都の隅に位置していた、歴史あるが没落しかけていた古参貴族、ブランシュセイク伯爵家でのことだった。現場に踏み入れた騎士達は、全焼した屋敷の中に人間を監禁するための部屋があるのを発見していた。
当時の報告書にはこうあった。
『監禁部屋からは、何者かが生活していた形跡が見つかったが、その人物は行方不明となっている。また室内からは注射器と思われる物と、精製された魔力付与薬の残留物が発見された』
当時、軍部はこれを禁忌の魔術実験として極秘裏に調査していたが、伯爵家当主が火災で死亡したため、真相は闇に葬られたままだったはず。
(まさか……あの時、全焼した屋敷から消えた『実験体』が、リリアナだということなのか……?)
もしそうだとすれば、合点が行く。彼女が身体に無数の針の痕を持つ理由、治療に対しての知識の量、そして夜中に時折魘されていた理由も。
俺は、震えるリリアナをさらに強く抱きしめた。恐らく彼女は、貴族の血を引きながらもその価値ゆえに人としての尊厳を奪われ続けてきたのだ。
「……リリアナ、もういい。それ以上は、話さなくてもいい」
俺の声には、冷たい響きが混じる。それは当然彼女に向けられたものではなく、彼女を道具として扱ってきたすべての者達への怒りだ。
「お前がどこにいたとしても、どんな過去を持っていたとしても、俺にとってリリアナはリリアナだ。お前を閉じ込め、血を啜ってきた奴らがまだ帝都に蠢いているのなら……俺が一人残らず、地獄の底へと叩き落してやる」
リリアナは俺の胸の中で、驚いたように顔を上げた。その瞳には、まだ拭いきれない不安が浮かんでいる。
「アルフレート、様……?」
「いいか、リリアナ。お前は道具などではない。俺にとって最も大切な存在だ」
俺は彼女の額に、誓いの意を込めて接吻を落した。
「お願いだ。俺と共に、帝都に来てくれ。お前を大切にすると誓う。お前を自由にすると誓う。……俺は、お前の家族になりたい」
腕の中の小さな温もりを、決して離さない。そう強く決意した。




