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第28話 求婚……!?


 病室には、規則正しい時計の針の音だけが響いている。軍医様が処方してくれたお薬が効いたのか、のどの痛みは和らいで、今では少し掠れてはいるものの普通に言葉を発することができるようになっていた。体調は万全。いつでもベッドから降りて、自分の家に帰れる。

 帰れると、思っていたのに。


(……どうして、どうしてずっとそこにいらっしゃるのですか……!?)


 私は毛布を胸元まで引き上げたまま、ベッドのすぐ横の椅子に腰かけている銀髪の青年——アルフレート様に目を向けた。彼は用事がある時以外はずっとこの部屋にいる。聞いた話ではこの場所は帝国騎士の駐屯所であるらしいので、他にも個室は沢山あるはずなのに、彼はここから動こうとしない。それどころか、その紅い瞳を真っ直ぐに私に向け続けているのだ。その頭頂部にある銀色のふさふさなお耳は、つねにピコピコと嬉しそうに動いている。


「あ、アルフレート様……あの、本当にもう大丈夫ですから、お仕事に戻られては……」

「俺の現在の最優先任務は、お前の護衛だ。他の何にも代えられん」


 低く、あまりにも恰好良い声。それなのに言っている内容は、過保護の極みともいえるものだ。私が少し身動きをすれば、彼はすぐに上体を乗り出して「どこか痛むか?」「寒くはないか?」「水を持ってこさせようか?」と、至れり尽くせりの過保護を発揮してくる。

 その、見た目の威厳に全くそぐわない優しい言動。それに、私が困った顔をすると、彼の頭の上のお耳はしゅんとハの字に寝てしまうのだ。


(ひえぇ……本当にコロだ……。コロがそのまま大きな人間になって服を着て喋っている……)


 目の前にいるのは、泣く子も黙る帝国騎士の最高権力者、銀狼騎士団長閣下。それなのに、彼の中にいるのは、毎日私に抱っこされて「クゥン」と鳴いていたあの可愛らしい毛玉そのものなのだ。その事実を突きつけられるたびに、私の脳裏にはコロに晒し続けていた醜態を思い出し、顔がカッと熱くなる。落ち着かないなどというレベルではない。


「……リリアナ。そんなに顔を赤くして、やはりまだ熱があるのではないか?」

 アルフレート様が心配そうに、大きな手のひらを私の額に伸ばしてきた。

「だ、大丈夫です! 本当に大丈夫ですから!」


 慌てて彼の手を両手で押し返す。その時、ふと触れてしまった彼の指、今まで剣を持って幾度となく戦ってきたのであろう硬い皮膚に触れて、私ははっと我に返った。

 そうだ。いつまでも、この甘い空間に浸っているわけにはいかない。彼は、ここにいて良い人ではないのだ。


「……あの、アルフレート様」

「何だ?」

「一つ、お伺いしてもよろしいでしょうか」


 私の声色が変わったのを察したのだろう。アルフレート様の犬耳がピクンと直立し、紅い瞳には真剣な色が宿った。


「あなたは、帝国騎士の団長様なのですよね。あなたが生きていることを知れば、帝国の皆さまはどれほど喜ぶか……」


 私は彼の手をそっと離し、自分の膝の上で拳を握り締める。


「怪我も治り、お身体も人間の姿に戻られた。……ということは、あなたはいずれ、帝都へ戻られるのですか?」


 これは、避けては通れない話だ。ルミナは辺境の小さな街である。帝都の中央で、一国の軍事の一翼を担うような人が、いつまでも滞在していい場所ではない。彼が人間の姿を取り戻したということは、同時に私の元から「コロ」がいなくなることを意味しているのだ。

 寂しい。けれど、これが正しいことなのだ。私は一介の薬師に過ぎない。彼には、帰るべき場所がある。


 口元が引きつらないように笑みを浮かべて彼を見つめると、アルフレート様はしばらくの間沈黙した。部屋の中には、再び時計の針の音だけが響く。彼の銀色のお耳だけは腹側にぴくぴくと動いていた。

 やがて、彼はゆっくりと椅子から立ち上がった。そしてベッドの縁に腰かけ、私との距離を詰める。近くになればより強くなる彼の威圧感に、私は思わず息を呑んだ。


「……リリアナ」


 彼は私の両手を、大きくて温かな手で包み込んだ。とても丁寧な手つきだ。私を怖がらせないようにしてくださっているのだろう。


「俺は、いずれ帝都に戻る。過激派貴族の悪事を暴き、俺に呪いをかけた教団を成敗せねばならん。それが、騎士としての俺の使命だ」

「……はい。そう、ですよね」

「だが」


 アルフレート様は、私の言葉を遮るように顔を近づけてきた。彼の燃えるような紅い瞳が、私の目を射抜くように真っ直ぐと見つめてくる。その瞳の奥にある感情が何なのか、私には完全に理解することはできなかった。


「俺は、お前をここに置いていく気は毛頭ない」

「え……?」

「この街は安全ではない。いや、この世のどこにいようと、俺の目の届かない場所にお前を一人で置いておくなど、絶対に許せん」


 アルフレート様の手の力がわずかに強まる。


「リリアナ。お前を俺の側に置いておきたい。帝都の俺の屋敷に来い。そこで俺が、我が命に代えてもお前を一生守り抜く」

「な、ななな……何をおっしゃって……」

「……これは、俺の我が儘だ。お前が拒んでも、連れて行くと決めている」


 彼は少しだけ眉を下げ、まるで甘えた仔犬のような、しかしコロとは大きく異なる不適な笑みを浮かべた。


「俺の側にいてくれ、リリアナ。お前がいない世界など、俺にはもう想像もできない。……俺と共に、帝都に来てくれないだろうか」


(————————っ!?)


 これは、あまりにも真っ直ぐで、あまりにも強引で、そしてあまりにも甘すぎる——事実上の、求婚だ。

 頭の中が真っ白になる。帝都へ? 騎士団長様の屋敷へ? 一生、彼の側で守られる?

 昨日まで私の腕の中で「きゅ~ん」と鳴いていたあの可愛いコロが、信じられないほどの色気を漂わせながら私を口説いている?


「あ、あの……! わ、わた、私は、ただの薬師で、その、それに、帝都からは逃げ出してきたような身で……っ」

「お前を拒む者がいるなら、俺がそいつの首を刎ねよう。お前はただ、俺の腕の中にいればいい」


 私は、彼のお耳がせわしなく動いているのを見つめながら、破裂しそうな心臓を必死に抑えることしかできなかった。

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