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第27話 銀狼騎士、復活する


 危ういところだった。本当に、己の理性を消し飛ばしてしまうところだった。


 真っ赤に染めた顔を布団から覗かせながら、「行かないでください」と言ったリリアナ。あの羞恥と決意が入り混じった深緑色の瞳、そして消え失せそうな声量ではあったものの、健気な感謝。

 仔犬の姿をしていた時でさえ、彼女の一挙一動に俺の心臓はかき乱されていたのだ。それが今や、人間としての肉体を取り戻した状態である。腕の中には、未だ彼女の軽さと柔らかさが残っている。


 だが幸か不幸か、極度の緊張と薬の残滓によって限界を迎えたのだろう。リリアナはこくりと船を漕ぎだし、そのまま糸が切れたように眠りへと落ちて行った。おあれは安堵のため息を漏らし、毛布を掛け直す。鼓動はうるさく鳴り響いており、これ以上この部屋にいて葉眠る彼女の顔を凝視し続けてしまうだろう。


「……後は頼む」

「言われなくとも。僕の可愛いリリアナを、貴方様のような詳しくも知らない方に任せておくのは不安ですからね」


 一言多い裏社会の男を睨みつけ、俺は部屋を後にした。奴を残しておくのはかなり不安であるため、部屋の前で待機していた軍医を部屋の中に移動させておく。

 少し冷える廊下を歩きながら、ふぅ、と深い息を吐き出した。頭を冷やさねばならん。一国の軍を率いていた騎士としての冷静さを取り戻すのだ。


 だが、現実は俺に一時の休息を与えることもなく。駐屯所の作戦会議室の扉を開けた、その瞬間。


「——だ、団長ぉぉぉ~~~~ッ!! 本当に、本当に団長なのですかっ!?」


 鼓膜を破壊せんばかりの爆音のような絶叫が響き渡った。声の主は、ハンスだ。俺の直属の部下であり、今回の騒動——ドロベルク伯爵別邸の強襲の報を受けて、急遽兵を動かす命を出した本人であるらしい。帝国の帰還命令を受けて大半の主力部隊(以前俺の救出のために動いたカイルもその一人だ)は既に帝都へと発っていたはずだったが、諸々の後片付けのためにルミナの街に残っていた数名の精鋭が、ここに揃っていた。


「ハンス、静かにしろ。騒がしいぞ」


 俺がいつもの調子で低い声を出すと、ハンスをはじめとする数名の騎士たちは、一瞬にして硬直した。


「そ、その御声……その冷徹にして厳格に満ちた響き……! 嗚呼、間違いない。我らがボス、帝国騎士団団長アルフレート・シュンベル閣下だ!!」

「団長ぉ! 生きて、生きておいでになられたのですね……!」


 大の大人であるはずの筋骨逞しい騎士らが、一斉に崩れ落ちるように膝を付き、子どものようにぼろぼろと泣き始めた。ハンスにいたっては、涙と鼻水で顔をぐしゃぐしゃにしながら俺の足元へ這いよってこようとする勢いだ。行方不明となり、死んだという噂が信憑性を増していた俺が、突然目の前に現れたのだ。彼らの忠義とこれまでの心労を思えば、この涙の重さは十分に理解できる。


「皆、よく俺を待っていた。俺が不在の間、苦労をかけたな」


 俺は彼らの肩を叩き、労いの言葉をかけようと手を伸ばした。

 ……しかしその時、部屋の空気が奇妙なまでに静まり返った。ぽたぽたと涙を床に落としていたハンスが、ふと目を瞬かせながら、俺の頭上へと視線を固定したのだ。他の騎士らも同様だ。彼らの感動に満ちていた涙が尾が、徐々に困惑の相へと変化していく。


 彼らの視線にあるもの——。確認せずとも分かる。逆に何故、部屋に入ってきた時に誰も目を向けなかったのか。


「……だ、団長」


 ハンスが引きつった笑みを浮かべながら、おそるおそる指をさした。


「その……貴方様の頭上にある、大変愛らしく、かつふさふさとした『それ』は……一体、どのような効果を持つ装備なのでしょうか」

「装備なわけがあるか。呪いだ」


 俺は忌々しげに吐き捨てた。彼らに隠しても仕方のないことだ。俺は椅子を引いてどっかりと腰を下ろすと、これまでの経緯を簡潔にまとめて話し始めた。

 教団の呪いによって仔犬の姿に変えられていたこと。瀕死状態だった俺をリリアナが拾い、今日まで共に過ごしていたこと。そしてつい先ほど怪しげな行商人の奇妙な液体を浴びて、不完全ながらも人間の姿に戻ったこと——。


 俺の、極めて整然とした説明を聞き終えた騎士たちは、深い沈黙に陥った。彼らの脳内では今、猛烈な速さで情報を処理しているのだろう。戦場を駆ける銀狼として恐れられていた俺が仔犬になっていたという事実。そしてその結果として残ってしまった、この情けない耳。


「……なるほど。つまり、団長は」


 ハンスが、真剣な顔をして顎に手を当てた。


「仔犬の姿となりながら、毎日そのリリアナ殿という女性の腕に抱かれ、寝食を共にしておられたと」

「……そうだ。だがお前が想像しているような不埒な意図は一切ない。俺はただの仔犬として……」

「羨ま、っ、いや! なんという、なんという卑劣な呪いなのでしょう! 帝国の至宝たる団長をそのような目に遭わせるとは、教団の奴らめ、万死に値する!」


 こいつは慌てて言葉を濁していたが、他の部下たちの目を見れば分かった。彼らは今、上司の危機に対して不謹慎にも俺が犬となって女に甘えていたという光景を想像し、必死に笑いを堪えているのだ。実際俺が耳を後ろに伏せると、一人の若い騎士が「ぶっ」と吹き出し、隣に立つ者に刺される勢いで小突かれていた。


「笑いたければ笑え。だがこの耳のことは他言無用だ。特に帝都の連中にはな」

「は、はっ! 勿論にございます。団長に可愛らしい耳が生えたなどと噂されれば、軍の威信に関わりますからね!」


 ハンスは涙を拭い、居住まいを正す。


「団長。リリアナ殿の件はどうなさるおつもりですか? ドロベルク伯爵は、裏で帝国の過激派貴族とも繋がっているという噂があります。今回の件、ただの地方貴族の暴走とは思えません」


 そうだ、笑い話はここまでだ。俺が人間の姿に戻った以上、もう二度と、リリアナを危険な目に遭わせはしない。

 俺は立ち上がり、部下達へと目を向ける。


「ハンス、帝都へ伝令を飛ばせ。帝国騎士団団長アルフレートは健在であり、これより帝都に帰すと」

「はっ!!」


 騎士達は一斉に敬礼をする。その顔には先ほどの困惑は消え、騎士としての凛とした表情に戻っていた。

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