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第26話 元・仔犬


 頭の芯が、じりじりと熱い。テオ君の言葉が、耳で何度も何度も繰り返されている。


『君が閉じ込めていた場所から君を救い出したのは、間違いなくそこにいる銀髪の彼だ。……実は彼は、君の『コロ君』なんだ』

(………………はい?)


 私は固まったまま、目の前に座る銀髪赤目の絶世の美青年を凝視した。整いすぎた顔立ち、引き締まった身体、そしてその頭頂部で、所在なさげにぴくぴく動いている、見覚えがありすぎる銀色のふさふさな耳。


「……コ、……ロ……?」


 私が掠れた声でそう呼ぶと、目の前の青年——帝国騎士団長アルフレート様だと思われる方は、なんとも言い切れない、きまりの悪そうな顔をして視線を泳がせた。それは、私の知っているコロがよくやっていた動きとそっくりである。


(…………まさか、本当に……?)


 この、ちょっと抜けているけれど、本気で私を心配してやまないという慈愛に満ちた独特の空気感。彼から漏れ出るそれは、私が森の中で広い、毎日一緒に過ごしてきたコロのものと等しく思えてしまう。

 そう思った途端、私の脳内には「コロとの思い出」が、走馬灯のように、加え鮮明すぎる記憶として一気に蘇ってきた。


(待って。ちょっと待って。整理しましょう。……え、あ、あぁぁぁあああああ!?)


 顔から火が出る、という表現では生ぬるい。全身の血液が沸騰して蒸発してしまいそうなほどの、凄まじい羞恥心が私を襲った。


 コロは、ただの仔犬だと思っていた。だから私は彼の前で、一切の虚飾を脱ぎ捨てていた。

 暑い夜には「もう、コロったら。くっつくと暑いわよ」なんて言いながら、薄い寝巻き一枚の格好で彼を抱きしめて寝ていた。朝、寝ぼけて髪がボサボサの状態で、彼に顔中をぺろぺろと舐められながら「おはよう、コロ」と笑いかけていた。お風呂上がり、バスタオル一枚の姿で彼を抱き上げ、「コロ、今日はテオ君にこんな意地悪を言われたのよー!」と、情けない泣き言を散々聞かせていた。


 あんなことや、こんなこと。乙女として、いや人間として、人様には絶対に見せられないようなあんな醜態やこんな隙を……。


(全部、この超絶美形の帝国騎士様に見られていたということ!?)


 しかも、彼はただ見ていたのではない。私の腕の中で丸まり、私の胸元に鼻先を埋め、時には私の首筋に顔を寄せて寝ていたのだ。……あの、至近距離で。

 羞恥のあまり、私の顔は熱を帯びすぎて真っ赤になっていることだろう。私は震える手で顔を覆って、ベッドの上でのたうち回りたい衝動を必死に抑えた。


「——リリアナ、大丈夫か? まさか、まだ薬の影響が……」


 心配そうに顔を覗き込んでくるアルフレート様。彼の声は、低くて艶のある男性の声である。可愛いコロの鳴き声とは似ても似つかない。……この上なく心臓に悪い。

 彼が私の頬に触れようと手を伸ばす。その大きな手。コロの可愛い手ではなく、私の手を簡単に覆えるような大きな手……。


「……っ、……~~~~~っ!!」


 私は声にならない悲鳴を上げながら、布団を頭から被って籠もった。


 無理。無理です。どんな顔をしてこれから彼と向き合えばいいの。あんなに無防備に甘えていた相手が、実は自分よりも背が高くて、こんなに強そうで、しかも帝国で一番偉くて強い騎士様だったなんて、誰が想像できるだろうか。

 布団の外で、アルフレート様が狼狽している気配が伝わってくる。


「……すまない、リリアナ。驚かせるつもりはなかったんだ。俺も、まさかあんな魔法薬でいきなり人間の姿に戻るなんて思っていなくて……。その、お前に隠し事をしていたことも、謝る。……あと、その、今までの……いろいろなことも、本当に、その、悪かった……」


 彼の声が、どんどん小さくなっていく。

 どうやら彼の方も、人間(しかも男性)の意識を持ったまま仔犬として私と接していたことに、相当な罪悪感ときまりの悪さを感じているようだった。


「……お前も、混乱しているだろう。少し一人になって、考えをまとめたいはずだ。俺も、今のこの……中途半端な姿でお前の側にいるのは、お前をさらに不安にさせるだけかもしれない。一旦、場所を外す。……テオ、あとは頼む」


 アルフレート様が椅子から立ち上がり、部屋を出て行こうとする気配がした。その物音が、どこか寂しげに響く。


 その時、私の頭の中には、恥ずかしさや動揺とは別の感情が、不意に沸き起こってきた。

 狭くて冷たい部屋で、絶望に呑み込まれそうになった私。男の手が私に触れようとした、その瞬間。扉を蹴破って現れたのは、他の誰でもない、彼だった。私を助けるために、彼は真っ向から飛び込んで来てくれたのだ。


 今の私があるのは、彼が「コロ」として、そして「アルフレート」として、私を守り抜いてくれたから。


「……ま、……待って……!」


 私は布団をバッと跳ね除け、ベッドの端まで身を乗り出した。ドアノブに手をかけていたアルフレート様が、驚いたように振り返る。

 私はまだ掠れてうまく出ない声を振り絞り、力の限り声を出した。


「……行かないで……ください……」


 アルフレート様が、紅い瞳を大きく見開く。彼の頭の上のお耳が、驚きからかピンと直立した。


「……リリアナ?」

「……恥ずかし、くて、死にそうです。……思い出したら、お顔、見られません。……でも、……でも……っ」


 私は顔を伏せたまま、ぎゅっと毛布に力を込めた。


「……助けてくださって、ありがとうございました。……コロも、アルフレート様も。私を助けてくれたのは……、あなたでした」


 彼の顔を見ることはできなかった。けれど、私の思いを真っ直ぐと言葉に込める。声が震えてうまく話せないけれど、なんとか自分の言葉で伝えることができた。

 沈黙が流れる。やがて、私の頭の上に、大きくて温かな手のひらがそっと置かれた。


「……俺の方こそ、ありがとう、リリアナ。お前が、俺の命を救ってくれた。……お前が、俺に大切なことを教えてくれた」


 彼の声は、どこまでも慈愛に満ちていた。私は顔を上げられないまま、ただただその大きな手のひらに身を委ねるのだった。

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