第25話 銀狼騎士、慌てる
これほどまでに、己の形というものをもどかしく思ったことはない。
目の前で毛布にくるまり、小刻みに震えているリリアナ。彼女の緑色の瞳は、驚愕と、そして隠しきれない恐怖に揺れていた。
無理もない。彼女の視線が、俺の頭頂部に釘付けになっていることは痛いほどわかった。不完全な呪いの解除によってもたらされたと思われる、この忌々しい犬耳。人間としては異形であるこの奇妙な姿が、ただでさえ麻痺薬で不安定な彼女の頭を混乱させてしまったようだ。
(隠さなかった俺の落ち度だな。これでは、俺がただの不審者だ。化け物に見えていてもおかしくはない)
彼女は怯えている。俺という「男」の存在そのものに。仔犬の姿だった頃は、どれだけ近づいても、どれだけ無作法に懐に飛び込んでも、彼女は聖母のような笑みを浮かべて受け入れてくれた。その温もりが、今の俺にとってはあまりにも遠い。
薬のせいで声を出せない彼女は、必死に俺の袖を掴み、涙目で何かを訴えかけていた。その必死な眼差しが何を求めているのか、俺には痛いほどわかる。彼女は、路地裏で蹴り飛ばされた仔犬を心配しているのだ。
彼女が求めているのは、どこまでも「コロ」という無力な仔犬であって、目の前にいる「アルフレート」という男ではない。このまま何も言わずに黙り続けたら、彼女はいつまでも戻らない仔犬を待ち続け、涙を流すことになるだろう。それは断じて容認できない。
だが、どう説明すればいい? 俺がコロだと言って、誰が信じるというのだ。これほど体格も姿も違えば声も違う。頭に耳が生えているという一点を除けば、共通点など色彩だけだ。
「……リリアナ」
俺は、彼女の手のひらに自らの手を重ねた。彼女がびくりと身体を震わせるが、ぐっと力を込める。
彼女を落ち着かせなければならない。これ以上の混乱は、彼女の衰弱した精神に悪影響を及ぼす。だが、俺は……これ以上、俺のことで悩む彼女を見たくない。
「落ち着いて聞いてくれ。お前が探している『コロ』は、どこにもいない。……俺が、お前のコロだ」
「——っ!?」
案の定、リリアナは大きく目を見開き、信じられないものを見るような目で俺を凝視した。声を出せない彼女の唇が、明確に「嘘」と動いたのが分かった。彼女は掴んでいた俺の袖をパッと離し、さらにベッドの奥へと身を引いてしまう。その瞳には、先ほど以上の警戒心と、「この不審者は何を言っているんだ」という深い困惑が満ちていた。
(くそ、やはり信じないか。当然だ、俺だって逆の立場なら狂人の妄言だと切り捨てる)
俺の頭の上の犬耳が、しゅんと左右にへたれて寝てしまっているのが自分でもわかる。ほら、この耳の動きを見ろと言いたかったが、そんなもので証明になるはずがない。俺は己の弁明の下手さに絶望し、点を仰ぎたくなった。帝国騎士団を率いるための大演説ならいくらでもできるが、一人の少女に「俺は貴女の愛犬です」と信じ込ませるための言葉など持ち合わせていない。
俺達の間には、最悪な雰囲気のまま沈黙が横たわる。俺がどうにか彼女の不信感を解こうと、口をもごもごと動かしていたその時だった。
「お邪魔します。……おや、随分と空気が死んでいるじゃない。リリアナ、どうかしたのかい?」
現れたのは、あの不愉快極まりない男、テオだ。奴はいつもの、あの仮面のような爽やかな笑みを浮かべながら部屋に入ってきた。その足元には、マロンがのんびりと付き従っている。
「テオ……くん……っ」
リリアナの顔に、明確な輝きが戻った。彼女はベッドから身を乗り出して、助けを求めるようにテオを見つめる。その様子に、俺の胸の奥で嫉妬の炎がパチパチと音を立てたが、今はそんな下らん感情に拘泥している場合ではない。
俺はテオに目を向け、リリアナに見えないように鋭い視線を送った。頼む、お前のその無駄に回る舌で、状況を説明してくれ。このままでは俺は完全に「自らを犬だと語る不審な犬耳男」として軽蔑されて終わる。
テオは俺の顔を一瞥すると、ふっと楽しげに口元を歪めた。こやつ、完全に俺の窮地を楽しんでやがる。
「安心して、リリアナ。君が閉じ込めていた場所から君を救い出したのは、間違いなくそこにいる銀髪の彼だ。……実は彼は、君の『コロ君』なんだ」
テオはベッドの脇まで歩み寄ると、リリアナの視線に高さを合わせて優しく言った。
「信じられないかもしれないけどね。僕は、この目で見たんだよ。大きな狼の上に乗ったコロ君を見て、君に何かあったのではないかと思った僕は、付いて行くことにしたんだ。その途中でね、ある怪しい商人が転んだ時に落としてしまった妙な液体を頭から浴びてしまったのだよ。そうしたら、大量の煙と共に、彼がその場に現れたんだ」
テオは淡々と、しかし極めて分かり易く何が起こったのかを説明し始めた。リリアナは驚きからか口をぽかんと開けたまま、テオの顔をじっと見つめている。
「コロ君は人間の姿になるやいなや、僕のことなんて完全に無視して貴族の別邸へ突撃した。君を抱えてここまで走ってきたのも彼だよ。……ほら、よく見てごらん。この銀色の髪も、燃えるような紅い瞳も、何よりその頭の上の可愛らしい耳も……君のコロ君そのものだろう?」
その言葉に賛同するかのように、足元のマロンが「ワン!」と元気に吠えた。
『コロがおっきくなったんだよ! 人間だったなんて、驚いちゃった』
そう言いながら、マロンは俺の足元に鼻先を擦り付けてくる。テオの説明と俺とマロンの様子から判断したのだろう。リリアナの視線がテオから俺へと戻ってきて、その瞳の奥では驚愕が確信へと、そしてさらなる大混乱へと塗り替えられていくのが分かった。
「……コ、……ロ……?」
かすれた声が、明確に俺の「名前」を呼んだ。俺は居心地の悪さに身を硬くしながらも、彼女の視線を真っ直ぐに受け止めたのだった。




