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第14話 消えた仔犬


 さっきまで、すぐそばにいたはずだった。


「……コロ?」


 新しい薬釜の細やかな部分を店主と確認していた、わずか数分の間。いつもなら賢く私を待っているはずの、可愛いコロの姿がどこにもない。


「コロ……っ! コロ、どこにいるの!!」


 周りの目を気にせずに喉が張り裂けんばかりに叫びながら、街の通りを駆け出した。人混みをかき分け、路地裏を覗き、何度も何度も名前を呼ぶ。しかし返事はなくて、虚しい反響だけが残る。

 ふと、馬車が激しく行き交う通りのすぐそばに、鮮やかな「赤」が落ちているのが見えた。


「——っ!」


 赤色のリボン。汚れて、引きちぎられたような無残な姿で落ちているそれを見た瞬間、私の世界から音が消えたように感じた。


「ああ……あああ……!!」


 立っていられなくなり、崩れ落ちながらそのリボンに手を伸ばす。


 嫌だ。いやだいやだ。信じたくない。

 分かっていたはずだ。あの不気味な商人に声をかけられてから、コロが目を付けられていたことも、この街に動物攫いが潜んでいるということも。


(私のせいだ。私が……私が、あの子から目を離してしまったから)


 視界が白く霞み、呼吸がうまくできなくなる。空気を求めて喘ぐたびに、喉がヒュウヒュウと悲鳴を上げた。

 私はリボンを握りしめたまま、這いずるように、唯一頼れる場所へと向かう。


「テオ君……っ! テオ君、助けて……っ!!」


 お店の中に駆け込むと、棚の整理をしていたテオ君が驚いた表情で私を見た。


「リリアナ!? どうしたんだ、そんなに慌てて……っ、顔色が真っ白だ。とにかく中へ!」


 彼は今にも倒れそうな私を支えながら、椅子に座るよう促してくれる。私は震えを止めることができず、握りしめたリボンを差し出すことしかできない。


「コロが……いないの。リボンが、落ちてて……誰かに、連れて行かれちゃった……っ」

「落ち着いて。まずは呼吸を整えるんだ。いいかい、ゆっくりとだよ」


 テオ君は私の肩を撫でながら、何度も深呼吸を促した。しかし私の心臓は早く打ち続け、後悔が波のように押し寄せてくる。


「私の、せいなの……あの子、賢いからって。危ないって、わかっていたのに。自分の買い物に夢中になって、あの子を一人にして……私が、私がちゃんとしていないから……っ」


 喉が詰まる。私は自分の肩を抱いて、震えを止めようと爪を立てた。

 すると、テオ君は私の両肩を掴み、静かな声で私の名を呼んだ。


「リリアナ。僕も目を見て。……いいかい、まずは息を吸って。ゆっくり吐くんだ。そう、僕に合わせて」


 彼が背中を優しくゆっくりとさすってくれる動きに合わせて、息をする。するとようやく、乱れた呼吸が落ち着き始めた。


「……落ち着いたかい? それ以上、自分を責めるのはやめてほしい。コロも、君が苦しむ姿は見たくないと思うよ。今僕達がすべきなのは、一刻も早くあの子の足取りを掴むこどだ」

「でも、どうやって……」

「恐らく、コロを連れ去ったのは動物攫いだろう。この街の奴らは、組織的だ。闇雲に動けば君の身まで危うくなる。今すぐ、衛兵の詰め所へ行こう。そこには、僕の知り合いの衛兵もいる。彼らなら、組織の隠れ家にも心当たりがあるはずだ」

「衛兵……? でも、それじゃあ間に合わないかもしれません。あの子は、宝石みたいに綺麗だから……」

「間に合わせるんだ! そのためにも、別の人の力を借りないといけない。これが一番安全で、確実な方法なんだ。さあ、行こう。君一人じゃない、僕も一緒に行くから」


 彼の言葉は正しい。私が一人で何かをしようとしても、力があるわけでもないし返り討ちにあう危険だってある。そうだ、私一人で何ができるというのだろう。私なんて、良いところは少しもなくて、何もできない無力な人間なのだから。

 テオ君に手を差し出されて立ち上がった、その時だった。


「——ワン! ワンワンッ!!」


 店の外から、力強い鳴き声が聞こえた。姿を見せたのは、テオ君が飼っている茶色い毛並みに垂れ耳の犬——マロンだ。怪我をしていた所を、私が治療したことのある子である。


 マロンは私たちの元へ駆け寄ってくると、私の手の中のリボンに鼻を寄せた。ひくひくと鼻を動かしていると思うと、それから私のワンピースの裾を咥えて猛烈な勢いで外へと引っ張り始めたのだ。


「マロン? どうしたんだ、急に……そんなに興奮して」


 テオ君が驚いた様子でマロンを私から引き剥がすが、マロンは止まらない。私を見つめて「ワフッ!」と短く吠えると、前足で床を激しく叩いた。


「……テオ君。この子、何かを知っているみたいです。もしかしたら、コロの場所が分かるのかも」

「確かにマロンは元猟犬だけど……。相手が馬車を使っている可能性だって考えられる」

「分かっているのです。マロンの目を見たら、分かります」


 私は、手の中にある赤いリボンを強く握りしめた。テオ君は慌てた様子で私の肩を掴む。


「リリアナ、落ち着いてくれ。君が危険に飛び込む必要はない。衛兵に任せよう。詰め所まではここから走って数分で着く」

「その数分で、コロが追い付けない場所に行ってしまったら? 船に乗せられてしまったら? ……そうなったら、私は一生自分を許せません」


 テオ君は、私のことを一番に考えてくれている。それが痛いほどに伝わってくるのが分かったけれど、私にとってはコロが一番なのだ。自分がどうなろうと、コロが帰ってきてくれたらそれでいい。


「リリアナ……」

「テオ君。あなたは、衛兵を呼んできてください。私は、マロンと行きます」

「ダメだ! 君が傷ついたらどうするんだ。お願いだ、リリアナ。僕の言葉を聞いてくれ。君に何かあったら、僕は一生自分のことを許せなくなる」


 ——彼の真っ直ぐな目に、私は言葉を失った。


「コロを助けたいという気持ちは分かる。でも、そのせいで君が傷ついては元も子もない。奴らは危険な集団だ。これまで何人もの人を手にかけていて、更には人を売っているという噂もある。……君が一人で行っても、コロを取り戻すことはできない。それどころか、君まで奴らの手に落ちてしまうかもしれない」


 荒ぶっていた心が落ち着いてくる。少し高い位置にある彼の瞳を見つめていると、私がどれだけ無謀な行動をしようとしていたのか、ようやくわかった。私は、この優しい人のことも傷つけようとしていたのだ。


「……ごめんなさい、テオ君」

「いいんだ。僕の方こそ、酷いことを言ってごめんね」


 テオ君は、私を安心させるかのように優しく微笑む。この人は、どうしてこんなにも優しくしてくれるのだろう。ずっと疑問に思っているけれど、今は聞く気分にはなれなかった。

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