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第13話 銀狼騎士、攫われる


 明らかに、慢心だった。


 リリアナが新しい薬釜の部品を吟味している間、俺は店の外で周囲の警戒をしていた。数日前に怪しい男に話しかけられてからか、彼女は街を訪れても必要最小限のことだけを行い家に帰ることを繰り返している。俺が籠の中に入れられることも多くなった。

 街行く人々の視線が俺に向いている。その顔は、基本だらしなく緩んでいることが多い。


(ふん、警戒心のない者ばかり。こんなにも緩んでいるから、不逞の輩が闊歩することを許すのだ)


 そんなことを考えていた時だ。背後から、足音が聞こえてきた。人間のものではない。振り返ると、そこには茶色の毛並みに、だらしなく垂れ下がった耳を持つ一匹の犬がいる。

 ふむ、茶色の毛に垂れ耳か。どこかで聞いた特徴だな。


『ねえ、君』


 脳内に言葉が流れ込んでいる。獣同士の会話だ。茶色の犬は、鼻をひくひくと動かしながら、無遠慮に俺に近づいてくる。


『君から、リリアナの匂いがする。ああ、やっぱりそうだ。あの甘くて優しい匂いだ』

『……貴様、リリアナのことを知っているのか?』

『知っているも何も、僕のこの足をリリアナが治してくれたんだ。ねえ、リリアナはどこ? 久しぶりにあの温かい手で撫でてほしいんだ』

(やはり、この犬か!)


 俺の心の中では、どす黒い感情が生まれる。リリアナが以前助けたという犬で間違いがない。俺だけの特権を一時的に享受していた不届き者だ。飼い主の元に戻ったと聞いていたが、こんなにも近くにいたとは。それに、まだ彼女を求めている。

 気に入らない。猛烈に、気に喰わない。


『リリアナは今、用事がある。邪魔をするな。向こうへ行け』


 俺はわざと、リリアナがいる場所とは正反対の方向へと歩き出した。この垂れ耳を彼女に近づけさせるわけにはいかない。この犬が撫でられている所を見ると、黒い感情が爆発してしまいそうな気がするのだ。


『お。そっちにリリアナがいるの?』


 垂れ耳が俺を追ってくる。俺はこいつを撒こうと思い、近場の裏路地へと足を踏み入れた。

 普段ならば、このような愚かな過ちは犯さなかっただろう。だがこの時は感情に揺さぶられ、正確な判断ができない状態だった。


 不意に、背後から巨大な影が差す。


「——いたぞ。こいつだ」

(ッ!?)


 反射的に跳躍しようとしたが、それよりも速く、俺の小さな身体を持ち上げられた。何をするのだと吠えようと口を開いた瞬間、革製の太い何かを口に回されて、力任せに締め上げられる。


「グ……ッ!?」


 轡だ。声が出ない。牙を剥けない。

 そのまま、俺の視界は暗闇に染まった。厚手の布袋の中に入れられたのだろう。


(くそっ。離せ、何をする……!)


 袋の中で必死に暴れ、布に爪を立てる。しかし敵は手慣れているのだろう。俺の身体は雑に動かされ、何か別の入れ物に入れられた感触があった。何らかの箱の中だろうか。


「騒ぐな。お前一匹で、俺達の半年分の稼ぎになるんだ」


 くぐもった、下卑た男達の会話が聞こえてくる。


「販売所へ運ぶぞ。これほど珍しい毛色なら、お貴族様もいつもの二倍、三倍の値を付けるはずだ」

「おい、いいのか? 飼い主の女が近くにいるぞ」

「構うな。あんな小娘に何ができる。追いかけてきたら、逆に捕まえて売ってやろう。顔は悪くなかったからな、欲しがる奴も多いだろう。収入が増えるかもしれんぞ」

(貴様ら、リリアナを……!)


 怒りで全身が熱くなり、視界が赤く染まる。

 俺を襲ったのは、間違いなくマリンザが言っていた動物攫いだろう。数日前に見た、あの胡散臭い商人も仲間の一人だと思われる。ずっと、俺を攫う機会を伺っていたのだ。俺を狙うならまだしも、リリアナに手を出すことだけは許せない。


「丁寧に運べよ。傷を付けたら値が下がる」


 床が揺れている。男達が移動しているのだろう。鋭い爪で何度も何度も布を切り裂こうと試みるが、袋は何重にも重ねられているのか、今の力では歯が立たない。


(リリアナ。リリアナ!)


 危険な事だけはするな。リリアナは俺がいなくなったことを知ると、絶望して己を責めるだろう。独りで苦しみ、独りで無茶をし、独りで泣くのではないか。


(畜生。俺は何故、こんなにも無力なんだ……!)


 かつては岩をも断ち切ったこの手は、今では袋一枚を破ることすらできない。口に轡を嵌められ、袋に詰められ、箱に閉じ込められた今の俺は、誇り高い騎士でも、人間ですらもない。ただの無力な仔犬に過ぎないのだ。


(ふざけるな。商品として売られるなど……断じて、許さん……!)


 残されるリリアナのことを思うだけで、胸が千切れそうなほどに苦しかった。無理に口を開こうとしたからか、微かに血の味がする。

 守られるだけの立場に甘んじ、浮かれていた自分の愚かさが恨めしい。俺が護りたいのは、リリアナの笑顔だ。


 俺を拾い、俺を優しく撫で、俺に微笑みかけてくれる。そんなに良い女は、リリアナ以外にはいない。


(リリアナ)


 必ず、お前の元に戻る。

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