第12話 動物攫い
「……気のせいかしら」
背中をなぞるような、じっとりとした視線を感じる気がする。ルミナの大通りを歩いている時に、その視線は常に私を追っているように感じられた。
私が足を止めて振り返ると、足元のコロも「ガルル……」と低く唸っている。どうやらコロも違和感に気が付いているようだ。私よりもずっとそういうのに敏感だろうから、やはり何者かが私を——というより、コロを見ているようだ。
薬を売りに行く前に食料品を見ておこうと広場へ向かった時。
「お嬢さん。少しお時間をいただけますかな?」
ある男に声をかけられた。一見すると、裕福な商人のような身なりの男である。彼が視線の主だろうか、と直感で思った。
豪華な刺繍が施された外套を纏い、愛想の良い笑みを浮かべている。しかし、その目は少しも笑っていない。まるで宝を鑑定する商売人のような、冷たい光を宿していた。
「……何か御用でしょうか?」
「いや、失礼。お嬢さんのお隣にいる、そこのお犬様に目を奪われましてね」
彼は私の足元にいるコロを指差した。コロはこれ以上ないほどに不機嫌そうに鼻に皴を寄せて、男を睨みつけている。
「月の光を閉じ込めたような銀色の美しい毛並み、そして宝石のように輝く瞳。素晴らしい、実に素晴らしい。どうでしょう、その犬を私に譲っていただけませんか?」
「……お断りします。この子は私の家族ですから」
そういうことだろうと思った。私は即座に応えて、立ち去ろうとする。しかし男は素早く回り込み、私の行く手を塞いだ。
「まあ、そう焦らずに。話しだけでも聞いていただきたい。——銀貨五十枚、いや、金貨五枚。これでいかがでしょう」
金貨五枚。それは、辺境で暮らしている薬師が一生かかっても手にできないような、破格の金額だ。しかし私はその言葉にとてつもない怒りを覚える。
「この子は売り物ではありません。何を言われても、答えは同じです」
「お嬢さん、現実を見た方が良いですぞ。たかが、獣一匹のことです。この犬を売るだけで、もっと良い暮らしができるようになるのですよ。綺麗な服も、美味しい食べ物も、不自由のない家も手に入る」
男は言葉を重ねた。まるで、私の心を揺さぶって隙を狙うかのように。ただ苛立ちだけが募り、私は男を睨みつける。
「馬鹿にしないでください。この子以上に、私に必要なものはありません。……これ以上お話お話することはありません。通してください」
一切の躊躇いも見せない私に、男は一瞬、冷たい表情を露わにした。
しかしすぐにまた愛想笑いの仮面を被って、ゆっくりと私に道を空ける。
「そうですか。それは残念だ。だがお嬢さん、気を付けることですな。こんなに美しい宝石を持ち歩いていれば、いつ誰に盗まれてもおかしくはありませんよ」
明らかな警告。男は人混みの中へと消えていったけれど、背中を刺すような視線は完全には消えなかった。
逃げるようにして、マリンザさんの薬屋へと駆け込む。
「あら、リリアナ。なんだい、そんなに顔を真っ青にして」
マリンザさんに、今あった出来事を一気に話した。私の話を聞く彼女の顔は、みるみると険しくなる。
「……リリアナ。あんた、狙われているよ」
「狙われている?」
「最近、この辺りじゃ『動物攫い』と呼ばれる輩が蔓延っているんだ。珍しい見た目の動物を攫っては、成金貴族に高値で売りつけている専門の組織さ。特にコロちゃんのような綺麗な銀色の毛並みをしていると、奴らにとっちゃ歩く宝石のように見えるだろうよ」
マリンザさんは、コロの頭を優しく撫でる。コロは抵抗することなく彼女の手を受け入れているけれど、その紅色の瞳には読み取ることができない感情が宿っているように見えた。
「奴らは一度狙いを定めたら、手段を選ばない。……リリアナ、警戒は怠らないようにしなよ。あいつらは、人間を傷つけることも厭わない連中だからね」
「……はい。ありがとうございます、マリンザさん」
コロを抱き上げたけれど、いつもよりも重く感じた。守らなければならない存在がいることが、こんなにも恐ろしいことだなんて。
マリンザさんの警告で心臓が早鐘を売っていたけれど、私はそのまま家に帰る気にはなれなかった。
少しでも、コロを安心させてあげたい。あんな不気味な男に嫌な目で見られて、怖い思いをさせたお詫びをしたかったのだ。私は震えそうになる足を叱咤して、テオ君のお店へと向かう。彼のお店は、街でもよく知られている大きな雑貨屋である。
「おや、リリアナ。また会えたね。随分と顔色が悪いようだけど……大丈夫かい?」
カウンターの奥で商品の整理をしていたテオ君は、私に気が付いてすぐに駆け寄ってくれた。
「ええ、少し……。あの、テオ君。今日はコロに何か、とびきりの物をあげたくて」
私がそう言うと、テオ君は少し考える素振りを見せたけれど、すぐに明るく微笑んだ。
「なるほどね。じゃあ、これなんてどうだい? 帝都で流行っている、犬用のジャーキーだよ。それから……この、噛むと音が鳴る骨の玩具。丈夫だから、長持ちするはずだよ」
彼が傍の棚から選んで差し出してくれたのは、香ばしい匂いのするおやつと玩具。
「まあ、コロが好きそうな匂い。ありがとうございます。ジャーキーと玩具、買わせていただきます」
「いいや、お金は要らないよ。持って行って」
「ダメですよ、そんな。ちゃんと払います」
テオ君は優しすぎるところがある。私たちはしばらく押し問答を続けたけれど、彼の熱量に押されてしまい、結局いただくことになってしまった。こういうことは、何度もある。彼に貰った温かいものを、私も返していきたいのだけれど。
「リリアナ。何かあったら、僕を頼って。君とコロくんを守るためなら、僕はいつだって駆け付けるから」
そう言って、彼は私の手を優しく包み込んでくださった。その温もりに心が落ち着いてくるけれど、足元から「ガルルルル……ッ!!」という凄まじい声が聞こえてきて、私たちは思わず飛び上がる。
「コ、コロ! そんなに怒って、どうしたの?」
「ははは……相変わらず厳しい子だ。僕がリリアナに触れようとすると、この子には決まって怒られるな」
テオ君は苦笑いしながら手を離したけれど、その瞳には私を案じてくれている色が濃く残っていた。




