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第11話 銀狼騎士、決意する


(——生存は絶望的、か)


 昼間、あの気に喰わない男の口から語られた噂話が俺の胸を締め付け続けている。帝国は俺を死んだものとして扱い始めているのだろうか。俺がいなくなった後の騎士団はどうなっている。俺がいなくとも成り立っているのだろうか。

 俺がこのまま温もりを貪っていていいはずがない。戻らなければならない。一刻も、早く。


 だが、何の力も持たぬこの身体で、言葉を発することのできぬ仔犬の姿で、どうやって?

 焦燥感に焼かれて悶々と悩みながら、俺は浅い眠りに落ちていた。


 その時にふと、隣にあるはずの温もりが消えていることに気が付き、目を開ける。


(……リリアナ?)


 リリアナがいない。水分を摂りに行ったのか、はたまた俺に気付かれないようにこっそりと起きてまた薬の本を読み耽っているのか。


(世話の焼ける女だ)


 俺は寝床を抜け出し、音を立てぬようにリビングへと向かう。

 閉じられていた扉を少しだけ押し開けた瞬間。俺の思考は、凍り付いた。


「……っ、いや…………こない、で…………」


 リリアナは、月明りも届いていないリビングの隅で、膝を抱えて座り込んでいた。

 肩が、小刻みに震えている。何かに怯えるように、自分の両腕をきつく抱きしめている。漏れ聞こえるのは、呼吸を押し殺したような、断続的な喘ぎ声。彼女の顔は闇の中でも青白く、その瞳に底知れない絶望と恐怖が張り付いていることが分かった。


(リリアナ……?)


 俺は咄嗟に駆けよろうとしたが、彼女が漏らしたかすれ声に、足を止めた。


「おねがい……もう、やめて…………私の、価値は…………それ、だけなの……?」


 いつもの明るく穏やかな彼女からは想像もつかないような、苦痛と絶望に染まった声。

 彼女は自身の手首を隠すように抑えている。何度も、彼女の腕には不自然な針跡のような傷があるのを見たことがあった。それと、何か関連があるのだろうか。

 脳裏には、テオが言っていた言葉が蘇ってくる。


『顔色が悪くて、目を離すと今にも消えてしまいそうだった』


 リリアナが抱えているものは、いったいどれほど重いものなのか。孤独という言葉で片づけられるほど、単純なものではないのだろう。


(…………っ!!)


 騎士としての矜持。帝国への復帰。そんなものが、今目の前で震えているこの女一人を護ることよりも重要だというのか?


 違う。

 俺が剣を握ったのは、弱きを、愛しき者を護るためではなかったか。


 リリアナの元へ駆け寄り、彼女の手のひらに鼻先を押し付けた。


「……ぇ? コロ……?」


 彼女は俺に気が付いたのか、涙で濡れた瞳を大きく見開いた。俺は構わずに彼女の膝によじ登り、彼女の涙を丁寧に舐めとる。


「……起こしちゃったのね。ごめんね」


 リリアナは、震えている手で俺を抱き上げる。今にも折れてしまうのではないかと不安に思うほど細い腕。俺は不安を打ち消すように、彼女の顔を撫でまわす。体面など気にしていられるか。俺の前で彼女がこんなにも怯えていることが、耐え難い。


「あは、コロ……くすぐったいわ……」


 どういうわけか、彼女は驚くほど自然に、しかしひどく歪な「笑顔」を浮かべた。

 その瞳の端には涙が溜まっているというのに。唇は小刻みに震えているというのに。何故、笑う。何故笑える。


「心配してくれたのかしら。ありがとう。私は大丈夫よ。ちょっと……嫌な夢を見ただけ。すぐに、落ち着くから」

(嘘を吐くな!)


 俺はさらに必死になって、彼女の頬を舐め続けた。

 どうして笑う。どうして、今にも壊れそうな時ですら、ただの犬である俺を気遣って面を被る。

 辛いなら、声を上げて泣けばいい。誰かに縋って、助けてと言えばいい。


 俺は彼女の胸元に強く頭を押し付けた。俺の身体に触れろ。俺はここにいる。お前を一人にはさせない。

 言葉にはできないが言葉よりも強い思いを込めて、俺は何度も何度も彼女の身体に全身をすり寄せた。リリアナは、涙で濡れた瞳を大きく見開いている。


「……コロ。あなたって、本当に不思議。まるですべて、わかっているみたい」


 リリアナは、そっと俺を抱きしめた。その抱擁は、まるで俺に縋っているかのような、あまりにも脆い弱さ。


「私ね……昔、とても暗い場所にいたの」


 そしてついに、彼女の言葉を引き出すことに成功する。


「どれだけ血を流しても、心が壊れそうになっても、私はただの道具でしかなかった。だから私は、一度心を入れ替えたつもりだったの。あの時の私と今の私は別の人間だって。でもね、時々、彼らが私を連れ戻しに来るような気がして……怖くて、たまらなくなるの」

(道具、だと?)


 激しい怒りが火花を散らした。この慈しみ深い可憐な女を、そのように扱った輩がいるのか。

 話から察するに、リリアナの腕の傷は、その屑によって刻まれた搾取の痕だったというわけか。


「……あら、私ったら何を。変なことを喋っちゃった。今のは気にしないで」


 リリアナははっとしたように言葉を切り、明るい声でそう言った。そして俺を抱き上げたまま立ち上がり、いつものような優しい笑みを浮かべる。無理に明るい声を出し、無理に微笑んでいるということは明らかである。


「今夜は少し寒いね。お布団に戻りましょう」


 彼女はそう言って、俺を連れて寝室へと戻る。元のリリアナに戻ったように見えるが、実際のところはそうでないのだろう。ただ、「明るいリリアナ」を演じているだけに過ぎない。


(……リリアナ。お前をそこまで追い詰めた奴らを、俺は決して許さない)


 この呪いが解けた時。俺はこの手で、彼女の過去をすべて塗り潰し、俺の前で涙を堪える必要がないようにしてやる。

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