63話 本当の練習コース
夏休みに入って数日後の練習日の事だった。俺が恐れていた事が起こった。三年生の先輩は海外に行っている為、俺達を引率するのは一部の三年生。松村先輩だった。俺が恐れていた事は勿論引率する人が変態思考の松村先輩である事ではない。
「よし、一年生だいぶ体力付いてきたし、今日は言山行くか!」
松村先輩が言葉を放つや否や二年生の先輩達の表情が曇った。
「雑言山行くんですか……?」
「ああ。だけど、今日は試しって事で麓までにしとく?それとも山頂まで行くか?」
「ノンストップで無いならば一年生でも大丈夫かも知れませんね」
雑言山。先輩達はそれを略して言山と言った。この山は俺達ワンゲル部の練習場所の中でも熾烈を極めるしんどさを誇る山だった。中学三年生から少し聞いた話によれば高校生達にとっては毎日の練習の常連コースになっており、重りを背負って山に向かい、途中で休憩する事も無くノンストップで山頂まで登るらしいそれはあの化け物体力あっての物だろう。俺達には到底縁の無い話だ。あと三年であそこまで体力が付くとは思えない。と言うかあんなしんどい思いをしてまで体力をつけようとは俺は思わなかった。
「そもそも、今の一年生連れて山頂まで行ったら時間までに帰れるか分からんから階段ダッシュまでにしとくか?」
「いや、状況を見て一年の体力ヤバそうだったら自販機の所で止めるか、麓の神社でサッカーさせるのが良いと思います」
「成る程、一理ある。よし。それは現地着いてから考えよう」
良芽先輩は顎に手を当てて様々な状況を松村先輩に提案していた。だが、俺達はまだ一度も雑言山に登ったことがない為、状況は一切分からなかった。俺が知っている情報は雑言山が標高二百メートル超えの山で、志道学園から雑言山麓までの距離が約四キロメートルであると言う事だけだ。
山の高さは肘山の実に三倍を誇り、麓までの距離も肘山よりも長い。これだけの情報でも明らかに普段の部活の時間に練習で走って登る山の中ではレベルが違う事がわかる。前よりかは少し体力が付いたものの四キロ走った後に再び肘山以上の山道を走る事が出来るのだろうか?俺の心には不安しかよぎらなかった。
「よし、ちまちま考えてたってしょうがないだろ?勃起したーー」
「先輩下ネタは控えて下さい。一年生も居ますから」
「おう、そうか悪ぃ」
鳳来先輩は少しムッとした表情を浮かべた。鳳来先輩は小柄な先輩で、オカッパ頭にメガネと言ういかにも運動できなさそうな風貌をしている。だが、少なくとも二年生の平均くらいの体力は持ち合わせていた。二年生の中で今の所体力がずば抜けているのは良芽先輩と颯先輩である。一年生は言うまでもなく速瀬一強だ。速瀬の体力は二年生に匹敵する。いや、それ以上かも知れない。俺はこの時はこう思っていた。だが、それはある意味間違っていた事に今日俺は気付かされる。
それはそうとさっき松村先輩はあそこからどう下ネタに繋げようとしたんだ?まさか、勃起したアレと同じだろ?手を動かさずには居られまい?とか言おうとしたのか?もしそれを彼が言おうとしていたのならば鳳来先輩が止めておいて正解だっただろう。まだその行為を知らない純真な中学生が居るかもしれないのだ。え、居るよね?多分。
「平地はいつもよりペース飛ばすぞ。じゃないと六時半までに学校に帰れなくなっちまうからな」
「分かりました」
俺達はいつもより走る速度を上げた。それと同時に心拍数が上がり、鼓動が高速で脈を撃つ。学校の裏道から出て東側に、橋を渡って俺達は雑言山を目指す。幸い信号の数は肘山までのルートよりも多い。交差点も多い為か、良く俺達は信号で停止した。
全く。時間足りないって焦らせて……。信号に多く引っかかるって事かよ。まぁ、確かに普通に考えたら四キロ走るのに一時間とかかからんわな。部活の時間は四時半から六時半まで。二時間もあるのだ。往復一時間かかったとしても一時間も余裕が出来る。俺はどう考えても走るだけで時間が潰れるとは思えなかった。
橋を渡り、市内電車の線路を跨ぎ、俺達は市内を走り続ける。ある程度走った所で道を大きく左折した。
「あの正面に見える山が雑言山だ」
「おお」
そこで俺が抱いた感想はただ一つ。デカくね?
標高二百メートル。言葉で聞くとかなり小さい。だが、近くで見るとかなり高く感じるのだ。雑言山の山頂には展望台や電波塔があるが、それがまるで豆粒のように見えた。肘山の山頂にも電波塔が立っていたが、それよりも明らかに小さい。肘山はまだ麓から山頂が見えたのだ。ちょっと階段を登ったら山頂。そんなイメージだ。
だが、雑言山は山頂は見えない。いや、まだ麓に辿り着いて居ないからだ。俺はそう思いながら若干の血の味がする唾液をカラッカラの喉に無理矢理流し込んだ。
「一年生。水しっかり飲めよ」
時間にして三十分弱。麓の神社がある公園に辿り着いた俺達は雑言山を俯瞰した。うん。やっぱり見間違いじゃなかったわ。俺は大きく肩で呼吸しながら水を喉に流し込む。既に俺の身体は休息を欲して居た。学校からここで休まずにノンストップで山頂まで雑言山登る高校生化け物かよ!俺は本気で思った。
「来年からはオレも重り込みか……嫌だなぁ。それで十一、二分のタイム出せるかなぁ」
松村先輩の独り言が漏れる。その時の松村先輩の表情はいつもとは違い若干落ち込んでいた。
四キロ程度でスローペースにも関わらずくたばる主人公。まだまだ体力向上までの道は遠そうですね。




