64話 先輩としての矜持
麓の神社で短い休息を取った俺達は雑言山に向かった。雑言山への道は住宅街の隙間を縫って行く。神社の脇の階段を下り住宅街を抜けると直ぐに少し広めの道路に出た。近くには小さな商店がある。
「高校生達はここから重り背負ってる状態で山頂まで十二、三分で行ける。よし、そう考えたらたったそれだけの時間か〜ってなるだろ?イケるイケる」
いや、ならない。今から登るであろう長く続く坂道を見て顔を引きつらせている俺達を見た松村先輩は明るい声をかけた。松村先輩は少しの時間耐えればすぐに着くと表現したかった様だが、それは逆効果であった。
いや、高校生の先輩って高低差五百メートルの悪路を十二キログラムの重り背負って三十分で登る化け物だろ?あの人達でも十二分もかかるのだ。キツいに決まっている。先輩達のタイムレースをする光景は俺にとって軽くトラウマだった。
「……まぁ、気にすんな。足動かせばどうにでもなるさ」
俺達の反応が自分が予想していた反応と違っただけに松村先輩は少し狼狽えた。
「さっきから聞いてれば、俺達が体力無ぇ、みたいな言い方ですよね?ちょっとそれは舐めすぎじゃないですか?」
おいおい。先輩に啖呵を切るなよ。速瀬はヘラヘラと笑う松村先輩の発言に噛み付いた。語尾などは喧嘩を売っている様な口調だが一応敬語を使っている所に野生的な知性を感じる。松村先輩は正直いつものお茶らけた態度から少し速瀬に舐められていた。対する俺は先輩、後輩と言う関係に特に違和感も感じていなかった上、ワンゲル部への意欲も少なく先輩からは人を馬鹿にした雰囲気を感じなかった為特に反感の感情は無かった。特に要望も無い為、不満も無いのだ。それに対して速瀬は異常なまでの向上心とプライドがあった。
速瀬としてはこんなお遊びにいつまで付き合えば良いんだ?とそんな感じだろう。だが、正直言ってそれを言うならば何故この部活に入った?俺はそう思った。
「悪い。悪い。特にそんなつもりは無かったんだ。じゃあ、話は終わりにして今から走るぜ。一旦今日は自販機の所まで行って様子を見るわ。二年生。一年生に負けるなよ?ここからはペースは各自で調整してくれ」
「ふん」
松村先輩は速瀬の強い語尾に少し怯んだものの直ぐにいつものお茶らけた表情を浮かべ雑言山に向かって走り出した。速瀬は不服そうな表情を浮かべて松村先輩の後ろを追従した。
脚に乗る重力と早まる鼓動。また最初の合宿の時とは全く違う感触だ。雑言山の道路は綺麗に舗装されており、走りやすく、春にはお花見をしに沢山の人が山に車を走らせる。そもそもこの山を走って登る物など物好きか、上級ランナー位しか居ないだろう。
「はぁっ、ゔぇっへ!」
喉に痰が絡まり、俺は思わず咳き込む。先程水を飲み過ぎた影響か俺のわき腹には強烈な痛みが走った。脹脛、肺、太もも、脇腹、喉。全てが痛い。馬鹿みたいに痛い。俺は身体を左右に揺らしながら歯を噛み締めて走った。前がどんどん離れて行く。俺が最初のコーナーを曲がる頃には速瀬の姿は小指サイズにまで小さくなっていた。
同じ一年なのにここまで差があると言うのか!同じトレーニングを積んでいるのに!トレーニングは普段一緒なのだ。ただ初期ステータスが彼は高かった。元から何かしらの運動をやっていたのか、それともそう言う体質なのか。それ故に彼は俺達に傲慢な態度を取るのだ。ただそれは彼が俺達を馬鹿にしている訳では無い。彼は自分が体力で周りより劣ると言うのは彼の矜持が許さなかった。特に優越感を得ている訳では無い。ただただストイックなのである。
俺の後ろにいるのは山田と孤島、天咲の三人だ。若干前にいるのが葉川先輩と戸山先輩と植木先輩、青山先輩、青空、山猫、濱内、雲井、茂木、材木、明道のグループである。それより前に二年生全般のグループと松山先輩と速瀬、それより頭一つ抜け出ているのが颯先輩、良芽先輩のグループである。
速瀬も速いが、驚いた事に二年生の大半が速瀬と同レベルの速度は保っていた。表情だけで見たら明らかに速瀬の方が余裕そうなのに、二年生の先輩達の速度は落ちる事が無かった。
まぁ、後ろの方をヨタヨタしながら走っている俺には殆ど関係の無い話だ。俺はそう思い少し速度を緩めて歩く。
「おい!そこ!歩くな!走れや!」
「はい!」
その刹那。先鋒から怒鳴る様な声がこちらに届く。古岩先輩である。いつもは青山先輩と変に絡んでいるだけの先輩。俺達で言う茂木と材木の様なコンビ。そんなイメージだった彼の声は図太く俺の腹の芯まで届いた。
普段お茶らけていても、やる時にはやる。そんな雰囲気を俺は感じた。そうだよ。山登りは遊びじゃないんだ。命を懸けたスポーツなんだ!少し油断するだけで命を落とす危険のあるスポーツ。それの基礎練習。これにお茶らけて取り組むなんて馬鹿のする事だ。
俺はそもそも自分の甘い考えが間違っている事に気付き、ただただ無我夢中で走った。
「「ラス……ゲホッ……トォォオ!!」」
「ぜぇ……ぜぇ……ぃ」
山頂の自販機が見えた。最後の坂に俺が差し掛かった所だった。自販機の辺りから先輩の大きな声が響いたのは。そこで俺は目を疑った。俺の目に映ったのは山頂で膝に手を当てて大量の汗を流して肩で息をしている速瀬と地面に倒れ込みながらも、立ち上がり必死に俺達に声援を送る先輩達の姿だった。
一体どっちが勝ったんだ?あの様子を見る限り残り体力に余裕があるのは……速瀬の方に見える。だが、今にも倒れそうな中声を張り上げているのは先輩達。その光景は俺にとって異質な光景だった。
体力的に速瀬は一年生の時点で二年生の平均に匹敵するか若干上回ってます。




