36話 保安林
「はぁ……」
馬鹿じゃねえのか。そう思いながら坂を登り切った俺は苛立山山頂へと力を振り絞った。苛立山ピーク手間の坂を除けば後は緩い坂ばかり。山頂は目前に迫っていた。山の尾根に乗った関係か、周囲は大きく開け、木々も低木層が目立つ。
昨日と違って、生えている木々は標高が上がっても広葉樹林が主だ。その為、全体的な風景は明るい緑。陽樹林そのものの色をしていた。山の尾根から遠くに見える陰樹林。それと相対する様に生える陽樹林。
同じ山域でここまで分布が分かれている。それがどれだけ不思議な事か。坂道を登っている最中には一切思わなかった事が俺の脳内に巡った。昨日のルートには自然歩道……山に直接向かう為の車道があったがこちら側には無い。この景色を見る為には必ず登山をする必要がある。そう考えたら一時的に、山は俺の荒れた心を清らかにさせてくれた。
俺は爽やかな風を浴びながら、荒地を歩く。そして、俺の視線の先には分岐を示す看板があった。
「分岐は左か」
その看板に書いてあったのは分岐だけでは無かった。
『保安林』
その文字が大きく記されていた。その意味はそのままでこの森は保安林である事を示している。保安林とは、勝手に開発や伐採をする事を禁じている森を示している事が多い。木場山一帯は希少な植物の群生地でもある為、県が管理している。その為、勝手な開発や伐採は禁止されているのだ。県は開発や伐採を防ぐだけでは無く、登山客にも環境保護の協力をお願いしている。
自然破壊の理由に、人間の開発や木々の伐採なども大きな理由に含まれるがそれ以上に登山客のマナーは近年問題になって来ている。捨てたタバコの吸い殻によって山火事を誘発、登山客が捨てたゴミ、持ち込んでしまった種によって生態系は簡単に崩れる。
山登りと言うレジャー人口は他のスポーツに比べて到底多いとは言えないが、安易に増やせないスポーツでもあるのだ。マナーだけでは無い。山を軽んじて遭難したりするケースも跡を絶たない。マナーは勿論の事、入念な準備とある程度の知識が必要だ。
山は基本的に一人で登るのは危険だ。山に詳しい知り合いなどが一人いるだけで初心者でも、気軽なスポーツになるだろう。実際、俺も昨日の登山だけで沢山のことを学んだのである。
話が逸れた。
俺は左右の切株を跨ぎ分岐を左折し、地図を確認する。今俺達が歩いている尾根は島根県の県境だ。勘のいい人は既にこの時点で気付いているだろう。これは偶然では無いのだ。
偶然、ルート上と県境が重なっている。そうでは無い。昔の人はこうやって山を隔てて県境を設けたのである。この木場山一帯は、島根県と広島県を分ける重要な県境を示す山だったのだ。
その事からそれくらい昔の人にもこの山は馴染みがあった山だと分かる。山の歴史などには甚だ興味は無いが、山を登るとこの様な事まで分かる。これこそ俺が今まで知り得る事が出来なかった。いや、理屈では分かっていても実際に見る事が出来なかった景色なのだ。
理屈を五感で感じる。それがこう言う事なのか。
俺は達した。
しばらく登山道を直進し、俺達は苛立山へと着いた。
「写真でも撮るか」
「そうだな」
他のグループと交わりつつ、休憩をしていた俺は同級生達や班で写真を撮った。
「後で送ってね」
「勿論」
写真は当然後で送ってもらうつもりだ。
苛立山の山頂に関してだが、風は若干強い。だが、倒れそうな程では無い。苛立山から見える景色は木場山一帯は勿論の事広島県、島根県を見渡せる様な感じで、当然山の山頂の為、三角点や分岐看板が設置されている。
現在時刻は七時前。太陽は完全に空まで昇っていた。次は毛ヶ死山か。俺は分岐先のクロボク質の地面とその先にある山の山頂を眺めた。
「パイ◯ン山までのルートは……」
「?」
横から呑気な声が響く。おい。誰だ。俺の聞き間違いか?今パ◯パン山って聞こえた気がしたんだが……。いや、まさかな。
「これで良いんじゃね。パイパ◯までは」
パイ◯ン言うなし。
唐突な下ネタに俺は眉を顰めた。当然その言葉を発した主は茂木である。お前パイ◯ンって言いたいだけだろ!パ◯パンとは隠語で、女性の陰部に毛が生えて無いことを示す単語だ。元々の語源が麻雀牌の白から来ている為、『何も無い』などの意味を示すのに使われる事もある。
そして、何故。毛ヶ死山を彼がパイ◯ン山と呼んでいるかは想像するに容易い。『毛が死』山と言うネーミングから分かる通り弄りやすい名前なのだ。安定のハゲ弄りである。
そして、何より毛ヶ死山の山頂付近は観光ブックの写真を見た限り、殆ど高木は生えていない。いや、低木すら疎らだ。その為、その様子は名前の事もあって彼の中でハゲを連想させたのであろう。ハゲ弄りができる先生や先輩が居なくて助かった。あんまり馬鹿にした呼び方してるとバチが当たるぞ。
だが、彼が言っているパイ◯ン山はあくまで彼が勝手に言っているだけだ。これが定着する程、至道学園は稚拙な学校では……。
「その名前良いな」
「パイ◯ン山か。それ採用」
……。嘘っだろ?
松村先輩を含む複数の先輩は、パイ◯ン山のネーミングセンスに口元を綻ばせた。男子中学生は下ネタが大好きなのである。
そして、このパイ◯ン山の名称が今後至道学園で代々引き継がれる事になろうとは俺は予想だにしていなかったのであった。
保安林……国や県が管理している森。希少な植物の分布などを持ち合わせており保護対象。勝手な伐採や開発が禁止されている。
保安林の保護に関しては登山客にも、協力を申し上げている。




