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もしも『源氏物語』の姫君たちが、幸せを選べたなら  作者: くるみ


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15/19

白猫

【原作では】

女三宮は、朱雀院の皇女で、父の意向により光源氏の妻として六条院へ迎えられます。

ある春の日、飼っていた唐猫が御簾を引き上げたことで柏木に姿を見られ、柏木は女三宮への思いを募らせます。

やがて柏木は女房の手引きで寝所に忍び入り、女三宮は柏木の子・薫を産んだのち、出家します。

女三宮が、生まれて初めて自分で選んだものは、一匹の白い猫だった。


その日、朱雀院の御前には、三匹の子猫が入った籠が置かれていた。

一匹は黒。

一匹は薄い灰色。

もう一匹は、耳の先から尾の先まで雪のように白かった。


三匹は互いの身体へもぐり込み、小さな声で鳴いている。


「好きなものを一匹、選びなさい」


父に言われ、女三宮は籠の前へ膝をついた。

どの猫もかわいらしかった。

黒い猫は活発で、籠から出ようと前脚を伸ばしている。

灰色の猫は眠たげに目を細めている。

白い猫だけが、ほかの二匹に踏まれながら、何もせずにじっとしていた。


女三宮が手を差し出すと、白い猫は細い鼻を近づけた。

指先の匂いを嗅ぎ、それから、舐めた。


「この子にいたします」


「白いものを選んだか」


朱雀院は満足そうに笑った。


「三宮には、よく似合う」


女三宮も笑った。

何を選んでもよいと言われ、その選択を誰にも変えられなかったのは、それが初めてだった。

白猫を抱き上げる。

柔らかな身体から、かすかに乳の匂いがした。


「名は、何とする」


父が尋ねる。

女三宮は少し考えた。


「雪と」


「見たままではないか」


「はい」


父は声を立てて笑った。

周囲の女房たちも笑った。

けれど、女三宮は恥ずかしいとは思わなかった。


白いから、雪。

それでよかった。

自分が選んだ名だった。


その日の夕刻、朱雀院は娘の婚姻について告げた。


「三宮を、源氏の君へ託そうと思う」


女三宮は、膝の上で眠る雪を見た。


「源氏の君とは、六条院の?」


「そうだ」


「私より、ずっと御年上の方ですね」


朱雀院の笑みが、わずかに曇った。


「御立派な方だ。私が出家したあとも、三宮を大切に守ってくださる」


「私は、六条院へ行くのですか」


「そうなる」


「いつ、お決めになったのです」


「以前から考えていた」


「私には、いつお尋ねになるおつもりだったのですか」


朱雀院は答えなかった。

女三宮は、眠っている猫の背を撫でた。


「今、お尋ねになってくださいませ」


「何を?」


「私が、源氏の君の妻になりたいかどうかです」


御前が静まった。

女房たちが、息を潜める。

朱雀院は困ったような顔をした。


「三宮には、まだ分からぬことだ」


「分からないのであれば、なぜ結婚することだけは決められるのですか」


「結婚とは、好いた嫌っただけで決めるものではない」


「では、私が嫌だと申し上げても、変わらないのですね」


父は目を伏せた。

その沈黙で、女三宮には分かった。


「分かりました」


彼女は言った。


「何が分かったのだ」


「父上は、私の気持ちをお知りになりたいのではございません」


声は震えなかった。


「私が、父上のお決めになったことを喜ぶかどうかだけを、お知りになりたいのです」


朱雀院は、しばらく何も言わなかった。

やがて、穏やかに諭すような声で言った。


「源氏の君ならば、三宮が不自由することはない」


「不自由とは、衣や食べ物のことでしょうか」


「それだけではない」


「では、自分の暮らす場所や、誰と夫婦になるかを決められないことは、不自由ではないのですか」


「三宮」


朱雀院の声が、少し強くなった。


「女が一人で生きることは難しい」


「一人で生きたいとは申しておりません」


女三宮は父を見た。


「決めるときに、私もそこにいたいと申しているのです」


膝の上で、雪が目を覚ました。

小さく鳴き、女三宮の袖へ爪を立てた。

彼女は猫を抱き直した。


「私は、源氏の君の妻になりたいとは思いません」


初めて、はっきりと口にした。


「それでも、六条院へ行かなくてはならないのでしょうか」


朱雀院は、答えなかった。


◇


女三宮の婚姻は、予定どおり進められた。

高貴な皇女を迎えるため、六条院では新しい御殿が整えられた。


衣、調度、屏風、香。

女三宮が好きだと聞き及んだ品々が、次々と運び込まれた。

ただし、何が好きかを、本人に尋ねた者はいなかった。


婚儀の日、女三宮は幾重もの衣をまとった。

身体が沈むほど重かった。

乳母が髪を整え、頬へ白粉を重ねる。


「お美しゅうございます」


「そうですか」


「源氏の君も、さぞお喜びになるでしょう」


女三宮は鏡の中の自分を見た。

美しく装われた少女がいる。

自分ではない誰かのようだった。

足元では、雪が衣の裾へじゃれついている。


「猫を婚儀の場へ連れていくなど」


乳母が困った顔をした。


「六条院へも連れてまいります」


「もちろんでございます。けれど、今だけは」


女三宮は雪を抱き上げた。


「この子は、私が選んだものです」


乳母は、それ以上何も言わなかった。


◇


六条院での女三宮は、大切に扱われた。

少なくとも、誰もがそう言った。


御殿は広かった。

仕える女房も多い。

珍しい香や、異国の織物が贈られた。

光源氏は穏やかで、声を荒らげることもなかった。


「三宮は、まだ幼いから」


何かにつけて、そう言った。

女三宮が御殿の使い方について尋ねれば、


「そのようなことは、家司へ任せればよい」


女房の人選へ意見を述べれば、


「難しいことを考えずともよい」


宮中の儀式について学びたいと言えば、


「急ぐことはない」


と答えた。

そして、女三宮の前では、紫の上の話をした。


「紫の上は、若い頃から何事にも心が行き届いていてね」


衣の色目。花の移し植え。

女房たちへの気遣い。楽の技。歌。

どの話にも、紫の上が出てきた。


「紫の上様は、何でもおできになるのですね」


女三宮が言うと、源氏は微笑んだ。


「三宮も、いずれは」


いずれ。


今は、何もできない。

そう言われているようだった。


ある夜、女三宮は尋ねた。


「私は、何をすればよろしいのでしょう」


「何もしなくてよい」


光源氏は答えた。


「美しく、穏やかに暮らしていればよいのだ」


「それが、妻の役目でございますか」


「三宮には、まだ難しいことは分からぬだろう」


女三宮は黙った。

幼いから。

頼りないから。

分からないから。

父も、夫も、同じことを言った。


何も教えず、何も任せず、何も決めさせない。

そして、何もできない女だと言う。

雪だけが、女三宮の膝へ上がってきた。

彼女は白い背を撫でた。


「雪は、私が頼りないと思いますか」


猫は答えず、喉を鳴らした。


◇


女三宮は、自分から学ぶことにした。


最初に呼んだのは、父のもとで長く仕えていた老女房だった。

宮中の儀式。荘園から届く収入。

女房たちの役目。文の書き方。

物を贈る際の決まり。

光源氏には知らせなかった。

知らせれば、急ぐ必要はないと止められると思ったからである。


老女房は、初めのうち戸惑っていた。


「宮様が、そのようなことをお知りになる必要は」


「必要があるかどうかも、私が決めてはいけないのですか」


女三宮に問われ、老女房は口を閉じた。

学び始めると、女三宮は覚えが悪いわけではなかった。

ただ、これまで覚える必要がないとされてきただけだった。

分からないことは、何度も尋ねた。

一度で理解できなければ、恥じずに聞き直した。

老女房は、次第に教えることを楽しむようになった。


「宮様は、御自分を頼りないとお思いですか」


ある日、老女房が尋ねた。


「皆、そのように申します」


「わたくしは、そうは思いません」


女三宮は筆を止めた。


「なぜです」


「頼りない方は、分からないことを隠します」


老女房は答えた。


「宮様は、分からないとおっしゃる。そして、分かるまでお尋ねになります」


女三宮は、初めてその言葉を聞いた。

自分は頼りなくない。

誰かにそう言われたのは、生まれて初めてだった。


◇


女三宮が六条院で暮らし始めてから、雪はますます大きくなった。

白い毛は長く、尾はふさふさとしていた。

女房たちは、猫が御簾の紐へじゃれつくことを心配した。


「外から御姿が見えてしまいます」


「では、紐を高いところへ結んでください」


女三宮は言った。


「猫を閉じ込めるのではなく?」


女房が尋ねる。


「この子が悪いのではございません」


雪は、人の決まりを知らない。

御簾の内と外。

見てよいものと、見てはならないもの。

高貴な女の姿を男が見ることの意味。

猫に分かるはずがない。

それでも女房たちは、雪が御簾へ近づくたびに追い払った。


ある春の日、女三宮は庭に近い部屋で琵琶を弾いていた。

雪は、几帳の影で眠っている。

風が吹き、梅の香が流れ込んだ。

そのとき、庭の向こうを一人の男が通った。


柏木だった。

光源氏の息子である夕霧の友人で、宮中でも評判の公達だった。

女三宮は、名を知っているだけだった。

柏木が御殿の近くまで来ることは、珍しいことではない。

六条院には、多くの人が出入りする。

女三宮は気に留めなかった。


ところが、雪が目を覚ました。

風に揺れる御簾の紐へ飛びつく。


「雪」


女三宮が呼ぶより早く、猫は紐を引いた。

御簾が大きく持ち上がった。

庭から、部屋の中が見えた。

女房たちが悲鳴を上げる。

女三宮は、反射的に袖で顔を隠した。

御簾はすぐに下ろされた。

外から、誰かの足音が遠ざかる。


「雪を捕まえて!」


女房の一人が叫んだ。

別の女房が猫へ駆け寄る。

女三宮は立ち上がった。


「乱暴にしてはなりません」


「ですが、宮様の御姿が!」


「雪には分かりません」


「縛って、奥へ置きましょう」


「この子を罰しても、見た方が見なかったことにはなりません」


女三宮は雪を抱き上げた。

猫は、騒ぎの意味も分からず、彼女の胸へ顔を埋めた。


◇


その夜から、柏木の文が届くようになった。


最初の文には、女三宮を偶然見たことへの詫びが書かれていた。

同時に、姿を忘れられないとも。

女三宮は返事をしなかった。


二通目。

三通目。


文は続いた。


柏木は、自分の心が抑えられないことを書いた。

女三宮も同じ思いであれば、ほんの一言でよいから返してほしいと。

女三宮は女房へ命じた。


「すべて、お返ししてください」


「お返事を添えますか」


「いいえ」


「何も書かなければ、恥じらっておられると思われるかもしれません」


女三宮は考えた。

返事をしなければ、恥じらい。

返せば、心がある。

どちらを選んでも、柏木に都合よく受け取られるのだろう。

彼女は筆を取った。


御文をいただく理由はございません。

今後、私へ文を寄越さず、御殿へ近づかぬようにしてください。


短い文だった。

歌にはしなかった。

遠回しな言葉も使わなかった。


返事を受け取った柏木は、その夜、さらに長い文を寄越した。

女三宮が身を守るため、心にもない拒絶を書いているのだろうと。

自分には分かっていると。


「分かっていないから、書いたのです」


女三宮は文を閉じた。


「もう、取り次がないでください」


女房たちは従った。

それでも、柏木の文は別の者を通じて届いた。


花に結ばれ。

楽譜へ隠され。

女房への贈り物へ紛れ込んだ。


女三宮は、見つけるたびに焼いた。


「光源氏様へ、お話しなさいますか」


老女房が尋ねた。

女三宮は迷った。


源氏が自分を守ってくれるだろうか。

それとも、姿を見られた女三宮の不注意を責めるだろうか。

雪を飼っていたこと。

御簾の近くで琵琶を弾いていたこと。

柏木に文を送らせる隙を作ったこと。


「まだ、申し上げません」


女三宮は答えた。


「その代わり、夜の警護を増やしてください」


「理由を聞かれます」


「私が望んでいると」


老女房は頷いた。

だが、家司は女三宮の命令だけでは警護を変えようとしなかった。


「源氏の君の御指図がなければ」


「この御殿の主は、私ではないのですか」


「もちろん、宮様でございます」


「では、なぜ私の命令では動けないのです」


家司は答えなかった。


「源氏の君の御殿の一部を、宮様へお預けしている形でございますので」


預けられている。

自分のために造られた御殿でありながら、自分のものではない。

女三宮は、その夜、初めて父に文を書いた。


私が嫌だと申し上げても、婚姻は変わりませんでした。

柏木に近づかぬよう伝えても、文は止まりません。

警護を増やすよう命じても、夫の許しが必要だと言われます。


父上。

私の言葉は、どこまで届けば、言葉として扱われるのでしょう。


返事は、すぐには来なかった。


◇


柏木が女三宮の部屋へ入ったのは、雨の夜だった。

外では風が強く、廊を渡る足音が雨音に紛れていた。

女三宮は、雪とともに奥の部屋で休んでいた。


女房の一人が、源氏からの使いだと聞いて男を通した。

几帳の外から声がした。


「宮様」


女三宮は目を覚ました。

知っている声ではない。

雪が低く唸った。


「どなたです」


返事はなかった。

几帳が動いた。

女三宮は起き上がった。


「そこから先へ、入ってはなりません」


男の影が止まった。


「三宮」


柏木の声だった。

女三宮は、身体が冷たくなるのを感じた。


「お帰りください」


「一度だけ、お話を」


「文で、お伝えしました」


「人目があるため、心にもないことをお書きになったのでしょう」


「心から書きました」


「私は、宮を苦しめるつもりは」


「今、苦しめております」


女三宮は声を上げた。


「誰か!」


外に控えていたはずの女房たちから、すぐに返事はなかった。

柏木が、さらに一歩近づいた。


「声を上げれば、宮のお名前に傷がつきます」


その言葉に、女三宮の恐怖が怒りへ変わった。

侵入した男ではなく、助けを呼ぶ女が恥じる。

柏木は、それを知っている。

知っていて、声を上げられないと思っている。


「誰か!」


女三宮は、今度はさらに大きな声で呼んだ。

しかし誰も助けには来なかった。

柏木は女三宮を押さえつける。

口元に布を押し込められ、女三宮の世界は真っ暗に落ちていった。


◇


雪が柏木へ飛びかかった。

白い身体が男の袖へ爪を立てる。

柏木が驚き、腕を振った。

猫は畳へ落ち、甲高く鳴いた。


「雪!」


女三宮は、そばにあった青銅の鏡をつかんだ。

柏木へ向ける。


「それ以上近づけば、これを投げます」


「宮」


「お帰りください」


足音が聞こえた。

老女房と、数人の女房が駆け込み、女三宮を後ろに隠し込んだ。

その後ろに、警護の男たちもいた。


柏木は顔を伏せた。

服装の乱れた高貴な公達を取り押さえることを、皆ためらっている。


「捕らえてください」


女三宮は命じた。

誰も動かなかった。


「宮様、まずはお静かに」


年長の女房が言った。


「このことが表へ漏れれば」


「漏らしたのは、私ですか」


「そうではございません」


「では、入ってきた方を捕らえてください」


警護の男が、ようやく柏木の前へ進んだ。

柏木は抵抗しなかった。


「宮を傷つけるつもりはなかった」


彼は言った。

女三宮は、震える手で鏡を握ったまま答えた。


「傷つけるつもりがなければ、何をしても傷つかないとお思いですか」


◇


光源氏が来たのは、夜が明ける前だった。


柏木は別の部屋に留められている。

女三宮の部屋には、乱れた几帳と、倒れた燈台が残っていた。

雪は、女三宮の腕の中で震えていた。

前脚を少し痛めている。


「なぜ、私へ早く知らせなかった」


光源氏は最初に言った。

女三宮は夫を見た。


「何をですか」


「柏木が文を寄越していたことを」


「知らせれば、何となさったのです」


「もちろん、近づかせなかった」


「私は、近づけぬよう命じました」


「三宮の命令だけでは、家司も困るだろう」


「なぜです」


光源氏は黙った。


「ここは、私の御殿ではなかったのですか」


「そのような話をしているのではない」


「私には、同じ話です」


女三宮は雪を抱く腕へ力を込めた。


「私が嫌だと申しても、誰も動かなかった。柏木は、私の言葉を恥じらいだと思いました。家司は、あなたの命令がなければ警護を増やせないと申しました」


「それでも、私へ話すことはできただろう」


「話せば、私は何を責められましたか」


「責めるなど」


「猫を御簾の近くへ置いたことですか。外から見える場所で琵琶を弾いたことですか。文を寄越されるような姿を見せたことですか」


光源氏は目を伏せた。

女三宮には、その一瞬で十分だった。

夫も、考えていたのだ。


なぜ女三宮は見られたのか。

なぜ柏木に思われたのか。

女三宮が何かをしたのではないかと。


「柏木は、どうする」


光源氏が尋ねた。


「私にお尋ねになるのですか」


「三宮が、捕らえよと命じたと聞いた」


「はい」


「表沙汰にすれば、三宮の名も傷つく」


「また、私の名ですか」


「高貴な女君の部屋へ、男が忍び入ったと知られれば」


「柏木の名は、傷つかないのですか」


「もちろん、柏木も」


「けれど、隠すよう勧められるのは私です」


光源氏は答えなかった。

女三宮は、夫を見つめた。


「私は、柏木がこの部屋へ入ったことを隠しません」


「三宮」


「何も起きなかったから、隠せとおっしゃるのでしょうか」


女三宮の声は震えていた。


「何かが起きてからでなければ、私の嫌だという言葉には、何の重さもないのですか」


その問いに、光源氏は答えられなかった。


◇


女三宮は、その日のうちに朱雀院へ文を送った。


今度の文は、娘から父への訴えではなかった。

皇女としての要求だった。


柏木が、許しなく私の部屋へ入りました。

私は以前より文を拒み、御殿へ近づかぬよう伝えておりました。


このことを、私の不注意として隠すことは望みません。

父上と源氏の君に、私の前でお話しいただきたいことがございます。


朱雀院は、すぐに六条院へ来た。

出家した身でありながら、顔色を変えていた。

光源氏も同席した。


柏木の父である内大臣も呼ばれた。

女三宮は御簾の内へ座った。

いつものように、男たちの言葉を聞くだけの場ではない。

自分から話すための場だった。


「柏木がしたことについては、厳しく処分いたします」


内大臣が最初に言った。


「我が子ながら、弁解の余地はございません」


「何を処分なさいますか」


女三宮が尋ねた。

内大臣は口を閉じた。


「官位を下げるのでしょうか。しばらく外へ出さないのでしょうか」


「それは、帝の御判断にも」


「私は、柏木の官位について話すために、皆様をお呼びしたのではございません」


女三宮は父を見た。


「父上」


「三宮」


朱雀院の声には、痛ましさがあった。


「恐ろしい思いをしただろう」


「はい」


「すまなかった」


女三宮は、しばらく父の顔を見た。

謝られたかったはずだった。

けれど、その一言で終わらせたくはなかった。


「私が源氏の君との婚姻を望まないと申し上げたことを、覚えておられますか」


朱雀院の表情が固まった。


「今、それを」


「今だから、お尋ねしております」


女三宮は続けた。


「私は嫌だと申しました。それでも父上は、私には何も分からないとおっしゃった」


「三宮を守るためだった」


「その結果、私は自分の御殿で、警護一つ変えることができませんでした」


朱雀院は目を伏せた。

女三宮は光源氏へ向き直った。


「源氏の君」


「はい」


「あなたは私に、何もせず、美しく穏やかに暮らせばよいとおっしゃいました」


光源氏は答えなかった。


「何もさせず、何も決めさせず、私を頼りない女だとお思いでした」


「そのようなつもりでは」


「つもりの話をしているのではございません」


女三宮は言った。


「私は、自分の言葉が聞かれなかった結果について話しております」


御簾の外で、誰も動かなかった。


「私は、柏木だけを責めればよいのですか」


女三宮は尋ねた。


「文を拒んでも、止めなかった柏木を。部屋へ入った柏木を。それは当然です」


雪が、女三宮の隣で丸くなっている。

痛めた前脚には、白い布が巻かれていた。


「けれど、柏木が私の言葉を聞かなかったことと、父上や源氏の君が聞かなかったことは、まったく別なのでしょうか」


朱雀院が息を呑んだ。


「同じではない」


光源氏が言った。


「私たちは、三宮を大切に」


「柏木も、私を大切に思っていたと申しました」


女三宮は静かに答えた。


「大切に思うことと、相手の言葉を聞くことは、同じではないのですね」


◇


女三宮は三つのことを求めた。


一つ。自分の御殿の人事と警護について、女三宮自身が最終的に決めること。

一つ。柏木の侵入を、女三宮の不注意として処理せず、彼が拒絶を無視したことを内大臣家の記録へ残すこと。

そして、もう一つ。


「私は、六条院を離れます」


女三宮が言うと、光源氏が顔を上げた。


「どちらへ」


「父上より、私自身のための邸をいただきます」


朱雀院が目を見開いた。


「父上が出家なさった後、私が一人で生きられないから、この婚姻を決めたとおっしゃいました」


「そうだ」


「では、夫へ渡す代わりに、私が自分で暮らせるものをくださいませ」


女三宮は言った。


「土地と、邸と、それを保つための財を」


その場にいた男たちは黙った。

高貴な姫君のために婚姻相手を探すことは当然でも、姫君自身が暮らしを保てるだけの財を渡すという考えは、誰も口にしなかった。


「私が何もできないと思われるのであれば」


女三宮は続けた。


「できるようになるまで、教える者もつけてくださいませ」


朱雀院は長いあいだ娘を見つめていた。


「三宮は、そこまで考えていたのか」


「考える時間だけは、たくさんございました」


父は顔を伏せた。


「分かった」


やがて言った。


「三宮の望む邸を用意しよう」


光源氏は、苦しそうな顔をした。


「私とは、もう夫婦ではいられないと?」


女三宮は夫を見た。

嫌いではなかった。

光源氏は彼女へ暴力を振るわなかった。

衣も、御殿も与えた。

ただ、女三宮を一人の大人として見ることができなかった。


「私たちは、最初から夫婦だったのでしょうか」


女三宮は尋ねた。

光源氏は答えなかった。


◇


女三宮が六条院を離れる日、紫の上が訪れた。


二人きりで話したことは、ほとんどなかった。

女三宮は紫の上を恐れていた。

自分より美しく、賢く、何事にも行き届いた女性。

光源氏が、何かにつけて女三宮と比べた人。

けれど、御簾を隔てて向かい合った紫の上は、静かな声で言った。


「お発ちになると伺いました」


「はい」


「お寂しくなります」


女三宮は、何と答えればよいか分からなかった。


「私は、紫の上様に嫌われていると思っておりました」


思い切って言うと、紫の上は少し笑った。


「私も、三宮様にそう思われていると感じておりました」


「源氏の君は、いつもあなたを褒めました」


「三宮様の前で?」


「はい」


紫の上は目を伏せた。


「私の前では、三宮様の高貴なお立場をお話しになりました」


女三宮は顔を上げた。


「では、私たちは互いに」


「比べられていたのでしょう」


紫の上は答えた。


二人の間にあったのは、憎しみではない。

一人の男によって作られた、見えない競い合いだった。


「三宮様が御自分の邸へ移られることを、私はうらやましく思います」


紫の上は言った。

女三宮は驚いた。


「六条院のすべてを取り仕切っておられる方が?」


「取り仕切っていることと、自分のものであることは違います」


紫の上は、穏やかに笑った。


「どうか、御自分の御殿を、御自分のお好きな場所になさってくださいませ」


「はい」


「それから」


紫の上は、雪を見た。

猫は女三宮の隣で、長い尾を揺らしている。


「その猫を、あまり御簾の近くへ置かれませんように」


女三宮は一瞬、何を言われたのか分からなかった。

紫の上の目元が笑っている。


「皆様、同じことを申します」


女三宮も笑った。


「けれど、この子は、言うことを聞きません」


「それは、頼もしいことです」


二人は、初めて同じものを見て笑った。


◇


女三宮が移った邸は、六条院ほど広くはなかった。


庭も小さい。

池には水草が多く、初めのうちは水面さえよく見えなかった。

それでも、女三宮は気に入った。


どの女房を置くか。

夜の警護を何人にするか。

門をいつ閉じるか。

庭へ何を植えるか。

一つずつ、自分で決めた。


分からないことは、老女房へ尋ねた。

間違えたことも多い。


薪を多く買いすぎた。

衣を注文する時期を誤った。

雨漏りの修理に、必要以上の銭を払った。

家司に騙されかけたこともある。

そのたびに、女三宮は帳面を開き、何が悪かったのかを聞いた。


「宮様は、以前よりずっと御立派になられました」


乳母が言う。

女三宮は首を振った。


「以前から、私でございました」


「では、何が変わられたのでしょう」


女三宮は考えた。


「失敗することを、許されるようになりました」


六条院では、何も任されなかった。

失敗しない代わりに、何もできなかった。


今は違う。


間違えれば、直す。

知らなければ、学ぶ。

決めれば、責任も負う。

それが大人になることなのだと、女三宮は初めて知った。


◇


柏木は、官位を一時退けられ、父の邸へ閉じ込められた。

やがて病に伏したという知らせが届いた。

女三宮は、見舞いの文を送らなかった。


周囲の者は、薄情だとは言わなかった。

少なくとも、彼女の前では。


柏木からは、一度だけ文が来た。

自分は女三宮を心から愛していた。

その思いが深かったために、過ちを犯した。

どうか許してほしい。


女三宮は、最後まで読んだ。

そして返事を書いた。


あなたが何を感じていたかを、私は否定いたしません。

けれど、あなたの思いが深かったことは、私の拒絶を軽くする理由にはなりません。


私は、あなたを許すために生きるのではございません。

どうか、御自分のしたことを、愛という一言で終わらせないでください。


その文を最後に、柏木とのやり取りは途絶えた。

ほどなく、彼は亡くなった。


女三宮は知らせを聞き、長いあいだ黙っていた。

喜びはしなかった。

悲しみとも違った。

一人の人が死んだ。


自分を恐れさせた男。

それでも、若く、苦しんで死んだ男。

女三宮は、一度だけ経を読んだ。


許すためではない。

死を喜ぶ自分にならないためだった。


◇


それから数月後、女三宮は身体の変化に気づいた。

柏木が侵入した夜、雪が彼に飛び掛かる前に、女三宮には記憶のない時間があった。


誰にも話したくない記憶だった。

医師の診立てを聞き、女三宮は何も言えなくなった。


子を宿している。

父親が誰であるかは、彼女にしか分からない。

女房たちは青ざめた。


「源氏の君へ、お知らせを」


乳母が言った。


「なぜです」


「御子を、源氏の君の御子として」


「そのようにすれば、何もなかったことにできますか」


「宮様」


女三宮は、自分の腹へ手を置いた。

まだ、何も感じない。

この中にいる子に、罪はない。

柏木の子だからといって。

望んだ形で授かった子ではないからといって。


「私は、この子を産みます」


女三宮は言った。


「そして、私の子として育てます」


「父君の名は、どうなさいます」


「必要になれば、真実を伝えます」


「世間が」


「世間は、この子を育ててはくれません」


女三宮は乳母を見た。


「私が育てます」


朱雀院と光源氏へも知らせた。

光源氏は、子を自分の子として公に扱うと申し出た。

女三宮は断った。


「あなたの名で守らなければ、この子は生きられないのでしょうか」


「三宮と子を守りたいのだ」


「守るという言葉を、もう一度考えてくださいませ」


女三宮は答えた。


「真実を隠し、私たちをあなたの妻と子として囲うことが、守ることなのでしょうか」


「では、どうすれば」


「この子が暮らせる財と立場を、あなたと父上から与えてください」


女三宮は言った。


「名は、私が与えます」


子は、薫と名づけられた。

身体から、かすかに良い香が漂うと言われたからである。

ただし女三宮は、その香を柏木の名残とは呼ばなかった。

薫自身の香だった。


◇


薫は、よく泣く子ではなかった。


静かに周囲を見ていることが多かった。

女三宮が抱けば、衣の紐を握った。

雪が近づけば、白い毛へ小さな手を伸ばした。


「爪を立てられますよ」


女三宮が止めても、薫は猫へ触れたがった。

雪は初め、幼子を避けていた。

やがて、薫のそばで眠るようになった。

一人と一匹が並ぶと、白い塊が二つあるようだった。


「雪は、薫が好きなのですね」


乳母が言う。


「好きなのでしょうか」


女三宮は尋ねた。


「いつも、そばにおりますから」


「そばにいるだけで、好きだと決めてはいけません」


女三宮が真面目に言うので、乳母は目を丸くした。

それから、二人で笑った。


「では、雪へ尋ねなくてはなりませんね」


「ええ」


女三宮は猫へ顔を近づけた。


「薫のそばにいてもよいのですか」


雪は大きなあくびをした。


「お返事は?」


乳母が尋ねる。


「今は、眠いそうです」


◇


薫が歩くようになると、女三宮の邸は急に騒がしくなった。


猫を追いかける。

池へ入ろうとする。

帳面へ墨をこぼす。

女三宮が大切にしていた琵琶の糸へ手を伸ばす。


「触れてもよいですか、とお尋ねなさい」


女三宮は何度も教えた。

薫は、まだ言葉をうまく話せない。

それでも、琵琶を指差して、


「よい?」


と尋ねるようになった。


「今日は、よろしいです」


女三宮は答えた。

別の日には、


「今日は、いけません」


と言った。


薫は不満そうな顔をした。

それでも、手を引いた。


「嫌だと申されたときは、その先へ進んではなりません」


薫がどこまで理解しているかは分からない。

女三宮は、幼い子へ何度も同じ言葉を伝えた。


「どうして?」


薫が少し大きくなって尋ねた。


「相手のものだからです」


「琵琶が?」


「琵琶も。身体も。心も」


薫は考えた。


「雪も?」


ちょうど雪の尾をつかもうとしていたところだった。


「雪もです」


薫は手を止めた。


「雪、よい?」


猫は返事をせず、薫から離れていった。


「いけないって」


薫は残念そうに言った。


「そうですね」


女三宮は笑った。


「では、追いかけないでおきましょう」


◇


数年後、朱雀院が女三宮の邸を訪れた。

出家後、父が娘の住まいへ足を運ぶことは珍しかった。


庭には、女三宮が選んだ白い萩が咲いていた。

池の水草は整理され、水面には空が映っている。

薫は廊で雪と遊んでいた。

猫はすっかり年を取り、動きもゆっくりになっている。


「三宮」


朱雀院は、娘の前へ座った。


「よい邸になった」


「ありがとうございます」


「源氏の君も、三宮がこれほど何事もできるとは思わなかったと」


女三宮は、少し笑った。


「何もできないと思っていた方が、間違っていたのでしょう」


朱雀院は、気まずそうに目を伏せた。


「そのとおりだ」


以前の父なら、軽く笑って終わらせたかもしれない。

今は、娘の言葉を否定しなかった。


「私は、三宮を守りたかった」


父は言った。


「はい」


「だが、守ることと、閉じ込めることを取り違えた」


女三宮は黙って聞いた。


「三宮が嫌だと申したとき、私は、幼い娘の我が儘だと思った」


「はい」


「今になって、あのとき何をすべきだったのか、考える」


「婚姻をやめていただきたかったです」


女三宮は答えた。

朱雀院は苦く笑った。


「三宮は、容赦がない」


「曖昧に申し上げれば、また違う意味に受け取られますから」


父は、しばらくして頷いた。


「そうだな」


薫が、廊の向こうから走ってきた。


「母上」


「走ると転びますよ」


「雪が、動かない」


女三宮は立ち上がった。

雪は、日の当たる場所で横になっていた。

白い毛は以前より薄く、呼吸も小さい。

女三宮は猫のそばへ座った。


「雪」


猫は目を開けた。

薫が触れようとする。


「今は、そっと」


女三宮は言った。

薫は手を引いた。


「触れてよい?」


女三宮は猫の様子を見た。

雪は逃げなかった。


「背中を、優しくなら」


薫は、小さな手で猫の背を撫でた。

雪は目を細めた。

朱雀院は、その様子を離れたところから見ていた。


「その猫が」


父が言った。


「三宮が、あの日選んだ猫か」


「覚えておられたのですか」


「白いから雪と名づけた」


女三宮は笑った。


「見たままだと、父上はお笑いになりました」


「あの頃の三宮は、小さかった」


「はい」


「けれど、選ぶことは知っていたのだな」


女三宮は雪の背を撫でた。


「誰でも、知っているのではございませんか」


「何を?」


「好きなものを選ぶことも、嫌なものを拒むことも」


女三宮は父を見た。


「周りの者が、それを選択として扱うかどうかが違うだけです」


◇


雪は、その冬に死んだ。

朝、女三宮が目を覚ますと、いつも眠っている場所で、静かに動かなくなっていた。

薫は何度も猫を呼んだ。


「雪は、眠っているの?」


「いいえ」


「起きない?」


「もう、起きません」


薫は泣いた。

女三宮も泣いた。

白い身体を布で包み、庭の萩の下へ埋めた。

女房たちは、小さな石を置いた。

薫は、その上へ白い花を一輪載せた。


「雪は、いなくなったの?」


薫が尋ねた。


「ここには、もうおりません」


「そうしたら、雪はどこへ行ったの?」


女三宮は答えを探した。


浄土へ行ったと教えることもできた。

生き物は皆、別の命に生まれ変わると話すことも。

けれど、薫には、今の自分の言葉で伝えたかった。


「雪がいたという事実は、なくなりません」


「どうして?」


「薫が覚えているでしょう」


「母上も?」


「ええ」


「雪は、母上が選んだの?」


「そうです」


女三宮は頷いた。


「私が初めて、自分で選んだものです」


薫は、しばらく石を見つめていた。


「母上は、私のことも選んだ?」


女三宮の胸が詰まった。


「ええ」


彼女は薫の肩を抱いた。


「あなたを産むことも、育てることも、私が選びました」


「私も、母上を選んだんだ」


薫は言った。


「そうなのですか」


「うん」


女三宮は笑った。


「それは、嬉しいことです」


◇


やがて薫が七歳になる頃、女三宮は髪を下ろした。


誰かに罪を問われたからではない。

男との関わりを恥じたからでもない。

長く学んできた仏の教えを、自分の暮らしの中心に置きたいと思ったからだった。


ただし、邸を捨てることはしなかった。

薫を手放すことも。

出家した女は俗世を離れるべきだと説く者もいた。


女三宮は答えた。


「私が何を捨て、何を残すかは、私が決めます」


朱雀院は、もう反対しなかった。

光源氏からも、祝いの品が届いた。

紫の上からは、白い念珠が贈られた。

文には、短くこうあった。


御自分の道を、御自分で選ばれたことを、嬉しく思います。


女三宮は、その文を何度も読んだ。


出家の日、薫は母の短くなった髪を不思議そうに見た。


「母上は、違う人になったの?」


「いいえ」


女三宮は答えた。


「前と同じ私です」


「髪が違う」


「髪は違います」


「母上は母上?」


「そうです」


薫は安心したように頷いた。


「それならよかった」


◇


女三宮の邸には、のちに白い猫がもう一匹住みついた。

どこから来たのか分からない。

庭の隅で痩せて鳴いていたのを、薫が見つけた。


「飼ってもよい?」


薫は母へ尋ねた。

女三宮は猫を見た。

雪とは似ていなかった。

白い毛は汚れ、片方の耳が少し欠けている。


「薫が世話をするのであれば」


「する」


「食事も?」


「うん」


「水も?」


「うん」


「嫌がっているときは、抱かないことも?」


薫は少し迷った。


「できる」


「では、猫にも尋ねてみましょう」


二人は少し離れて座った。

薫が手を差し出す。

猫はすぐには近づかなかった。

逃げもしなかった。

長いあいだ、こちらを見ていた。


「待つの?」


薫が小声で尋ねる。


「猫が決めるまで」


女三宮は答えた。


夕暮れが近づいた。

庭へ長い影が伸びる。

やがて白猫は、ゆっくりと薫のほうへ歩いてきた。

差し出された指の匂いを嗅ぐ。

それから、小さく頭を押しつけた。


薫は顔を輝かせた。


「よいって」


「そうかもしれませんね」


「名は、何にしよう」


女三宮は笑った。


「薫が選びなさい」


「白くて丸いから、もち」


「もち、ですか」


「だめ?」


女三宮は、昔の父と同じように、見たままだと言いそうになった。

けれど、言わなかった。

薫が選んだ名だった。


「よい名です」


白猫は薫の膝へ乗った。

女三宮は、その様子を見つめた。


かつて一匹の猫が御簾を引いたために、女三宮の人生が壊れたと、人々は語った。

けれど、猫はただ紐にじゃれただけだった。


女三宮を見たのは柏木である。

拒絶を無視したのも。

御殿へ忍び入ったのも。

娘の言葉を聞かなかったのは、父と夫だった。


猫ではない。

女三宮は、白猫を不幸の始まりにはしなかった。

猫を愛したことも。

琵琶を弾いたことも。

御簾の内にいたことも。

声を上げたことも。

子を産んだことも。

どれ一つ、自分の罪にはしなかった。


庭では、白い萩が揺れていた。

薫の膝で、猫が喉を鳴らしている。


「母上」


「何です」


「もちは、ここが好きかな」


女三宮は、猫を見た。

猫は丸くなり、目を閉じようとしている。


「今は、ここにいたいのでしょう」


「ずっと?」


「それは、もちが決めます」


薫は少し考え、頷いた。


「では、今日、いてくれたらいいな」


女三宮も頷いた。


「ええ」


今日、ここにいる。

明日のことは、明日選ぶ。

誰かの愛に囲われるのではなく。

誰かに守られる名のもとで、言葉を奪われるのでもなく。


女三宮は、自分で選んだ邸にいた。

自分で選んだ教えを守り。

自分で選んだ子を育て。

自分で選ぶことを教えながら。


夕暮れの風が、御簾を揺らした。

白猫は目を開けた。

けれど紐へ飛びつくことはなく、薫の膝の上で、もう一度静かに目を閉じた。

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