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第95話 魔王とハイラ

 ランゲル王国と国境を接する魔族領側には、人外境じんがいきょうと恐れられる魔の森が広がっている。

 この森は300年以上に渡る長い間、人族と魔族の激しい戦争の最前線となっており、争いで亡くなった多くの兵士がアンデットとなって、夜な夜な森を彷徨さまよっているのだ。

 運命によって定められたように終わりの見えないその戦いであったが、数年前に突如として人族と魔族の間で停戦協定が結ばれ大陸中を驚かせる。

 この多くの血が流れた魔の森も、今ではその役割を終えたことにより、平和で静かな時が流れているのであった。

 とは言え、ひとたび夜が訪れれば無数のアンデットが闊歩かっぽする危険な場所である。

 そんな場所に好んで居を構える者など、普通に考えればいないであろう。

 もしも、この森に住人がいるとすれば、世間から身を隠しているわけありの人物か、もしくは何も考えていない余程の愚か者だけである。

 この魔の森には、そんな人物が潜んでいるのであった。


「うーん、困ったな……」


 魔の森を挟んでランゲル王国と反対側に位置をする魔都パンデモニウム。

 その街の中央にそびえ立つ魔王城の謁見えっけんの間に、王座に腰を下ろして一通の書簡を見つめる人物が居た。


「はあ、どうしてこうなった…… これ以上は、私だけでは対処は不可能だな…… 仕方がない、ハイラはいるか?」


 困ったような顔をするその人物が呟くと、全身黒い装束に身を包んだ女性が王座の後ろに現れる。


「お呼びでしょうか?」


「うわ、ビックリした! いきなり後ろから現れないでくれる? 私には君の気配を感じられないんだからさ!」


「はあ、相変わらず馬鹿な人ですね…… 気配を漂わせていたら、隠密警護の意味がないでしょうが…… それで、何の用ですか魔王様? 数日前にその書簡が届いてから、頭を抱えてため息ばかりですよ? 護衛をする身でいうのも何ですが、はっきり言って気持ちが悪いです」


 上司であるはずの魔王に対して、ハイラと呼ばれる女性は酷く辛辣しんらつな対応をしている。

 しかし、このやり取りは普段通りの光景のようで、魔王はハイラの振る舞いに対して特に注意することなく話を続けた。


「これかい? これはドルビィ様からの要請の書簡だよ。いや、強要といった方が近いかな」


「ドルビィ? ドルビィって、300年前に全亜人種をまとめあげて聖魔戦争を引き起こした、あの魔神の眷族のドルビィですか?」


「うん、そのドルビィ様だよ」


「本物ですか?」


「多分、本物だと思うよ。たとえ300年も姿を隠している人物であっても、勝手にその名を騙るような身の程知らずは居ないからね」


「要請って何ですか?」


「ホロウ様を差し出せってさ」


「ブラックドラゴン様をですか? 何ですか、そのふざけた要請は? そのドルビィを名乗る人物を探し出して、今すぐに殺してきましょうか?」


「……君が強いのは知っているけど、流石にドルビィ様には敵わないと思うよ。だって、魔神様の眷族だよ?」


「魔王様は聖魔戦争の時代には、すでに生まれていたんですよね? 魔王様はそのドルビィなる者には会ったことがあるんですか?」


「私がまだ子供だった頃に何度かね。先代魔王の父へ会うために、この魔王城にもよく来られていたよ」


「どんな人物ですか?」


「とても良い人だったよ。いつも来るときにお土産を持ってきてくれて、私や街の子供たちとも一緒によく遊んでくれたんだ」


「良い人物が魔族領の守護竜たるブラックドラゴン様を差し出せなんて要請しますか? 絶対に偽者ですよ。分かりました、今すぐそいつを探して殺してきます」


 謁見の間から飛び出ようとするハイラのことを、慌てて魔王が制止をする。


「ちょ、待ってハイラ! もう時間が無いんだよ!」


「は? 時間が無い? どう言うことですか?」


「引き渡しの期限は昨日までなんだ…… 期限を過ぎたらホロウ様のむ地獄谷へ、直接刺客を向かわせるってさ…… テヘ」


 魔王は子供のような無邪気な笑顔で頭を掻いている。


「テヘ…… じゃないですよ! 何でそんな重要なことを黙っていたんですか! また大臣に叱られたいんですか! 毎夜寝室でポコチンばかり弄っているから、頭が馬鹿になっているんですか!」


「ちょ! 何でそのことを知っているの! まさか覗いていたの!?」


「隠密警護なんだから常に近くにいるに決まっているでしょ! 本当に毎日毎日ポコチン弄りながら、弄りながら……」


 全身をプルプルと震わせながら魔王の行為を思い出し、ハイラの顔が徐々に赤く染まっていく。


「もしかして…… 君の名前を呼びながら行為をしているところまで見られている?」


 ボッ


「う、うるさい、黙れ! このセクハラ変態ポコチン魔王めが! もう我慢の限界だ! ドルビィを殺しにいく前に、まずはお前のことを殺してやる!」


 火が噴くほどに顔を真っ赤にしたハイラは、腰から短刀を抜いて魔王の顔目掛けて突き刺した。


「ヒイ」


 パシッ


 額に刺さる寸前の距離で、魔王はハイラの腕をつかみ難を逃れる。

 眼前で光る短刀を見つめながら、恐怖で魔王の顔は真っ青になっていた。


「ちょ、今の攻撃は本気で刺しにきたでしょ! 魔王暗殺は重罪だよ? 大変なことになっちゃうよ!」


「大変なことって何ですか? この魔族領に私を捕まえることが出来る者など存在しないですよ。たとえ追手が英雄殿だとしても、本気で逃げに徹した私を追える者などこの世に存在しませんので。どうぞ安心して貴方は死んでください!」


 ゴホン


 謁見の間に咳払いが鳴り響く。


「……イチャつくのはその辺で止めてもらえますか?」


「おお! 大臣か! 良い所に来た! 早くハイラを止めてくれ!」


「はあ、情けない……」


 ギロリ


 大臣はため息をつきながら鋭い眼光でハイラを睨み付ける。


「父上…… だって魔王様が……」


「魔王城では大臣と呼べと言っておるじゃろう。早く魔王様から離れんか、この馬鹿娘が」


「自分だっていま娘って……」


「口答えをするでない!」


「はい……」


 実の父である大臣の言葉に肩を落とたハイラは、短刀を鞘に納めて魔王から離れた。


「ふう、助かったよ大臣。いつ頃から謁見の間に来ていたんだ?」


「セクハラ変態ポコチン魔王の辺りからですかな」


「え、いやあ…… 私は何もしていないよ? むしろ私の方がプライベートを覗き見された被害者だからね?」


「分かっています。ともあれ、私も大臣の前に一人の親ですので、自身の娘に最低卑猥なお下劣行為を見させた償いはしてもらいますので」


「父う…… 大臣…… あまり魔王様を虐めないでください。私も少しばかり感情的になりすぎていたようです……」


「はあ…… お主が感情的になるときは、いつも魔王様のことじゃのう。安心せい、お主の気持ちは分かっておるよ」


 ポッ


 ハイラの顔が再び赤く染まっていく。

 どうやら、本当にイチャついていただけの様だ。


「ところで、大臣は何の用で来たんだ?」


 大臣は先程までの緩い顔を一変させて、真剣な声で魔王に用件を伝えた。


「今しがた、国境沿いに配備中の警戒班から緊急の連絡が入りました。これまでに探知したことがないほどの、異常なまでに強大な魔素を持つ存在が、凄まじい速度で魔族領へと接近中との知らせです。早急に魔王様からの全線への指示、ならびに全魔王軍への緊急出動を要請するとのことです」


「ドキッ!」


 身に覚えがありすぎる魔王は大臣から顔を背ける。


「どうなされましたか?」


「え、いや、あの、その……」


 言い辛そうにしている魔王に代わって、ハイラが魔王から聞いた話を大臣に伝える。


「数日前、ドルビィを名乗る人物からブラックドラゴン様を差し出せとの書簡か届いたらしいです。引き渡しの期限は昨日まで。どうやら要求に答えなかった為に、魔族領へと刺客が送られたようですね」


 バタン


 大臣は泡を吹きながら後方へと倒れた。


「ち、父上! しっかりしてください! 父上が逝ってしまったら、誰がこれからの魔族領を導くのですか! こんな無責任ポンコツ魔王に指揮を任せたら、あっという間に魔族領が滅びてしまいます!」


「あ、あの…… ハイラさん? それはちょっと言い過ぎなのでは?」


「うるさい! それもこれも、全て貴方の責任でしょう! 父上の仇だ! 殺してお前の首をドルビィに付き出してやる!」


 ハイラは短刀を抜いて魔王に襲いかかろうとするが、意識を取り戻した大臣がそれを制止する。


「ま、待て、ハイラよ…… わしを勝手に殺すではないぞ…… 我が主君のあまりの馬鹿さ加減に、改めて失望をして意識が飛んだだけだ。はじめから期待などしておらんかったから、心へのダメージは軽傷ですんだようだな」


「うう、いくらなんでも君たち酷過ぎるよ……」


 魔王は両手で顔を隠して泣いているようだ。


「嘘泣きは止めてくだされ。それで、その書簡はどのような経緯で、魔王様へと届けられたのですか? 魔族領宛てに届いた書簡であれば、大臣の私にも話が伝わっているはずですぞ?」


「これはローリーが持ってきたんだよ。数日前に顔半分を仮面で隠した怪しい人物が現れて、内密に私の元へこの書簡を届けろと指示されたらしい。言う通りにしないと、その場で殺すと脅されたそうだ」


「ローリーにですか? 何故、ローリーなどをメッセンジャーに選んだのであろうか? あの様な、いかにもパッとしない小者に…… いや、あれでも一応は魔族軍の部隊長であったか。となると、ある程度の魔族領の内情を知っている者になる。どちらにせよ、その仮面は叡智の仮面で間違いはないであろうな。紛れもなく、その人物はドルビィ様ご本人のはずじゃ」


「ああ、私も本物のドルビィ様だと思うよ。偽ってその名を騙るような愚か者など考えられない。全亜人種を敵にまわす行為になるからね」


「しかし、ドルビィ様が何故このようなことを? どう考えても、あの御方のするような行動ではない……」


「私もそれが疑問でね。どうにも信じられなくて、一人で悩んで誰にも伝えられなかったんだ。何か深い考えがあってのことなのか……」


「やっぱり偽者ですよ。そうでもなければ、姿を消していた300年で性格が変わってしまったのでしょうね」


 ハイラの核心めいた言葉に、魔王と大臣は悲しそうな表情を浮かべている。

 重苦しい空気が謁見の間に流れていると、慌てた様子で兵士がその場に駆け込んできた。


「伝令です! ランゲル王国領より巨大なドラゴンが魔族領へと侵入! 現在、魔の森上空を地獄谷方面へと高速で飛行中です!」


「何だと!」


 報せを聞いた謁見の間の三人は、魔の森を一望出来るバルコニーへと移動をした。


「あれか!」


 魔の森上空へと目を凝らした魔王は、遠くの空を悠然と移動する巨大な物体を見つける。


 バサッバサッ


「あ、あれがドルビィからの刺客…… なんて禍々しい魔素をしているの? それも、赤、青、黄、緑、複数の強大な魔素が混ざり合っているような…… これではまるで、四体のエレメンタルドラゴンが融合したみたい……」


 人族や全ての亜人種が有する魔素は、基本的に白と黒の二種類にわかれている。

 これは、この世界の種の根元が光の精霊と闇の精霊にルーツを持っているためだ。

 しかし、エレメンタルドラゴンと呼ばれる六体の古竜は、この星の意思から生まれたとされている。

 それ故に、エレメンタルドラゴンは各々がその個体の特長を表した色の魔素を持っているのだ。

 ハイラは隠密としての優れた探知能力によって、魔の森の上空を飛ぶドラゴンの本質を理解したのである。


「あ、あんな化け物、勝てるわけがない……」


 吐き気を催す恐怖に耐えられず、ハイラはその場に腰から砕け落ちていた。


「不味いですぞ、魔王様…… あのドラゴンの進行方向は……」


「ああ、最悪の状況だ…… よりにもよって、あのドラゴンが魔の森を通過するとはな…… あの辺りは彼女の暮らす場所からも近い…… くそ、なんて傍迷惑なドラゴンなんだ……」


 襲来したドラゴンへの危機感よりも、何か別のことに魔王は焦っているようだ。

 そんな二人の様子を前に、状況が理解出来ないハイラは戸惑った顔をしている。


「あ、あの…… なんの話をしているのですか? 魔の森に何かあるのですか? それよりも、今はあの化け物ドラゴンの対応を考えなければ……」


 ハイラがドラゴンを指差した次の瞬間、魔の森の木々の中から上空を飛ぶドラゴンに向かって何かが飛んでいった。


 シュ


 ポカ


「ウギャ」


 ピュー


 バキバキ


 ドサ


 地上から飛んでいった何かがドラゴンの頭に直撃すると、小さく悲鳴をあげながら、意識を無くしたドラゴンは魔の森へと落ちていった。

 その光景を見た魔王と大臣は頭を抱えている。


「な、何て事だ! 彼女があれに興味を持ってしまったぞ!」


「おお、最悪の展開になってしまった…… 万が一にも、あのドラゴンが彼女のことを怒らせてしまったら……」


「え? え? 何が起こっているのですか?」


 キョロキョロと二人を見ながら混乱しているハイラに、真剣な声で魔王が命令を告げる。


「ハイラ、最重要任務だ! 至急あのドラゴンの落ちた場所へと向かって、その場の状況を監視するんだ! いいか! 監視をするだけだ! 何があっても彼女にだけは手を出すんじゃないぞ! 大臣は急いであれを持ってきてくれ!」


「すぐにご用意を致します!」


 大臣は大慌てで何かを取りに謁見の間を出ていった。


「ちょっと待ってください。何もかもが理解不能なんですが? 監視って何ですか? 彼女って誰なんですか?」


「……いい機会だし、君には知っておいてもらおう。あの魔の森には、英雄殿が暮らしていることは知っているな? これは魔族領でも、ほんの一部にしか公表をしていない事なのだが、実は英雄殿には娘さんがいるのだ」


「英雄殿の娘さんですか?」


「そうだ。ある事情があって、彼女は魔の森に隠れ住んでいるのだ。詳しい話は、この世界が滅びなかった時に説明をしよう……」


「え、なんですか? 世界が滅ぶ?」


「ハアハア…… お、お待たせしました。さあハイラ、これを持っていきなさい」


 息を切らしながら戻ってきた大臣は、持ってきた包みをハイラへと渡した。


「これは何ですか?」


「もしも、彼女が怒っているようならば、その時にこれを渡しなさい。きっとお主の命を救ってくれるじゃろう」


「えっと、すごく行きたくないのですが……」


「すまんなハイラ。私は英雄殿のことを迎えに彼の家へと向かう。英雄殿を連れて急いで現場へと向かうから、それまでの事はハイラに任せたぞ。大臣は最悪の事態に備えて、パンデモニウムの外に魔族軍全軍を集結させてくれ。まあ、無駄だと思うがな」


「かしこまりました」


「よし、行動開始だ! 世界が滅亡していなければまた会おう!」


 魔王と大臣は謁見の間を飛び出していった。

 ハイラは渡された包みをじっと見つめている。


「いや、本当に行きたくないんだけど……」

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