第87話 砂漠の聖水
日の出前の早朝、まだ寝ているリオンを部屋に一人残して、ムロは叡智の仮面を片手に悪魔の岩山に向けて出発をする。
ドルビィとの約束のためにリオンには事情を説明していないが、ムロは今日までの宿代を部屋の机の上に置いてきていた。
「何も言わずに出ていって悪いな。そんなに日数はかからないだろうから、それまでは一人で待っていてくれ」
本来であれば砂漠での移動にはサンドタートルを使うのだが、事前に予約をしていないムロは自身の足で悪魔の岩山へと向かうことにする。
普段からムロは砂漠地帯での活動が多いため、徒歩での砂漠の横断には慣れているのだった。
何よりも、先日ドルビィに魔素回路を最適化して貰ったおかげで、いまのムロの体調は絶好調の状態になっている。
(ここから悪魔の岩山までの移動となると、ムロさんの足ではどれくらいの日数がかかりますか?)
「そうだな…… 道中で魔物などに遭遇をしなければ、四日くらいで到着が出来るはずだ。仮にサラマンダーなどの強い魔物と出会ってしまったら、Bランク冒険者の俺一人では到底太刀打ちは出来ないだろう。場合によっては、一旦砂漠のバザーに戻るはめになるな」
(ムロさんは魔素の流れが悪かったですし、武器による直接攻撃が戦闘の手段なのですか?)
「ああ、その通りだ。とは言っても、俺は戦士系の冒険者ではなく、主に砂漠地帯にある遺跡の調査や発掘作業を専門として活動をするトレジャーハンターだ」
ムロは腰にぶら下げていた鞭を手に取って、前方にあるサボテンに向けて腕を振るった。
バシ
風を切り裂く音と共にサボテンが粉々に砕け散る。
(おお、中々の腕前ですね。トレジャーハンターならサポート系の魔法を使える冒険者が多いと思いますが、ムロさんはそっち系は苦手なのですか?)
「魔法はからっきし駄目だな。昨日俺の魔素回路を最適化してくれたんだろ? Dが何か魔法を教えてくれよ」
(魔法は一朝一夕で身に付く物ではありませんよ。まあ、どうしてもと言うのであれば、今すぐにでもムロさんが魔法を使えるようにも出来ますが?)
「そんなことが出来るのか? もしかして、昨日言っていた魔素回路に術式を刻むとかいう方法か?」
(クックック、ムロさんは感が良いですね。その方法ならばムロさんが魔法を覚えなくても、術式を介して魔法を発動することが出来ます。呪文詠唱など面倒くさい手順も踏まずに、無詠唱で魔法を使うことが出来るでしょう)
「マジかよ。その術式を俺にも刻んでくれよ」
(クックック、どうしましょうかね。肉体活性の術式だけでも、ムロさんに支払う報酬としては十分過ぎる物ですからね)
今までムロにやられっぱなしだったドルビィは、仕返しと言わんばかりに意地悪な対応をする。
「そうか、残念だが仕方がないな。それなら俺はバザーに戻るとするか」
(な! ここまで来て何を言うのです!)
「周囲を良く見てみろ。砂漠の上に何かが這いずり回った形跡がある。おそらくはサラマンダーだな。大きさの違う複数の跡があるから、厄介なことに家族で集団行動してやがる。Bランク冒険者の俺一人では、複数のサラマンダーを一度に相手するなんて不可能だ。こんな状況では、これ以上先には進めないぞ」
(ほう、流石に砂漠での移動に慣れているだけはありますね。しかし、ムロさんの魔素量ではたとえ魔素に術式を刻んでも、扱えるのは下位魔法が関の山でしょう。その程度の魔法ではサラマンダーに勝つことは出来ないですよ?)
「まあ、牽制にさえなれば後は何とかするさ。いざとなれば奥の手を用意しているからな」
ムロは背負っている荷物を親指で指差す。
(なるほど、準備は万全と言うことですか。分かりました。それではムロさんの魔素にフリーズアローの術式を刻みます。少々お時間が掛かるので、その間は注意して砂漠を進んでください)
「了解した。この辺の形跡はかなりの時間が経っているようだし、すぐにサラマンダーと遭遇することはないだろう」
ドルビィは口を閉ざして術式の刻印作業へと入った。
ムロは周囲への警戒を強めながら、悪魔の岩山へと足を進める。
体調が良いためかムロの足取りは軽く、サンドタートルでの移動と比べても遜色のない速度で砂漠地帯を横断していく。
ほどなくして、太陽が沈み辺りは暗くなってきた。
ムロが野営をする場所を探していると、砂漠地帯の真ん中に不自然な窪みがあるのを見つける。
「何だあれは?」
砂漠での移動に慣れているムロであったが、今までに見たことがない光景であった。
ムロは奇妙なその穴を確認するために近付いていく。
「これは人口的に作られたオアシスか? 砂漠地帯のど真ん中に、これだけの水を惜しげもなく使うとか正気とは思えないな。もしかして、何処ぞの王族でも通った後なのか?」
砂漠の炎天下に晒されているにもかかわらず、オアシスの水は高い水位を保っていた。
ムロ一人が休憩するのには、十分すぎるほどの水の量である。
「ちょうど良い。今夜はここで夜営をするとしよう」
ここまでの移動中では、ムロは水を節約しながら飲んでいた。
いままでの喉の乾きを潤すかように、ムロはオアシスの水をすくって口に含んだ。
ゴクゴク
「ぷはー、美味い! 何なんだこの水は! まるで聖水のように体に染み渡るぞ!」
ムロは荷物から空の水筒と予備の水筒全部を取り出すと、中身を破棄してオアシスの水と入れ換える。
「誰がこのオアシスを作ったのかは知らんが、こんな贅沢なことをするような奴なら本当に聖水でも使っているのかも知れないな。ここまでの旅の疲労が全部吹き飛んだみたいだ」
ある意味で正解なのだが、この聖水の正体を知ったらムロはひっくり返るだろう。
ともあれ、流石ドーラの聖水と言うだけあって、それを含んだオアシスの水には肉体を回復させる力があるようだ。
「さてと…… あっちに転がっているのはサラマンダーか?」
オアシスのすぐ近くには、骨だけになったサラマンダーの死骸が転がっていた。
ムロは死骸に近付くと、落ちている骨を拾って観察をする。
「焼かれてからまだ新しいな。爪や牙が無いと言うことは、討伐されて解体をされた後か。この手際の良さからすると、高ランクの冒険者の仕事だろう。そう言えば、ライムさんも砂漠のバザーに来ていたな。ライムさんであれば、たとえ一人であってもサラマンダーを討伐することは容易だろう。そう考えれば、オアシスを作るのに使われてた硬化魔法にも合致がいく。だが、どうやってあれ程の水を運んだんだ? 一緒にいた神官の少女が、アイテムボックスでも持っていたのか? これほどの水を収納出来るアイテムボックスが存在するのか? まあ、俺には関係がないことか。残されたオアシスは有り難く使わせてもらうしよう」
ドルビィはまだ術式を刻む作業をしていようなので、ムロはオアシスに浸かって旅の汗を流すのであった。




