第84話 ドルビィの受難
ランゲル王国と魔族領が国境を接する場所には、荒れ果てた大地が広がっている。
あらゆる生命を拒絶するかのようなその大地は、旅人が足を踏み入れることすら希な荒野であった。
そんな辺境の大地に、血塗れで全身を何かに食い荒らされたような死体が転がっている。
死体は顔半分を隠す仮面をつけており、その口元は僅かに笑っているようであった。
(クックック、残念ですがこの体はもう使い物にはなりませんねえ。何故かしばらくの間、叡智の仮面が機能を停止していたようですが、仮面の破壊をされなかったのは幸運でしたね。ドーラさんも、私の本体が叡智の仮面だとは想像も出来なかったのでしょう。大鎌デスサイスを失ったのは痛いですが、最悪の事態は免れることが出来ました。こんな荒野の中心では、誰かに拾われるのは期待出来ないでしょう。ですが、私との連絡が取れなければ、いずれ他の眷族が私のことを探しに来るはずです。特に、ラトさんには新しい衣装の買い物を頼まれています。きっと私の帰りに待ちくたびれて、エイスさんに状況の改善を訴えるでしょう。クックック、それまでの間はドーラさんの対策でもゆっくりと考えるとしましょうか)
日差しを遮るものが何もない為、日中の荒野はまさに地獄の炎天下である。
そんな場所に死体が転がっていれば、どうなるかは想像も容易いであろう。
あっという間にドルビィの体は腐敗し、その周囲には強烈な死臭が漂っていた。
それでも考えることしか出来ないドルビィは、ドーラへの対抗手段を必死に模索しているのであった。
(この賢者の体では、ドーラさんの足元にも及びませんでした。並大抵の体で対抗をしては、ドーラさんはおろかあの犬コロにすら敵わないでしょう。それに、今の私は魔素を失なっています。もっと強力な体が必要ですね…… 魔神様には禁止をされていますが、大地の精霊の脱け殻を使いますか? 捨てられた人形のようなあの体ならば、今の私にでも操ることが可能でしょう。しかし、あの体の中には邪神が…… どういうわけか、ドーラさんは邪神の浸食に抗うことが出来ているようでした…… どうやって自我を保っていられるのです? あの異常なほど少ない魔素の少女が…… もしかして、魔素の大きさに何かしらの関係があるのでしょうか? いえ、それだけだとは思えませんね……」
ドルビィは考え続けた。
いつ来るかもわからぬ仲間を待ちながら、来日も来日もひたすら考えている。
そして、一つの結論に至った。
「クックック…… なるほど、そう言う事ですか…… これならば、悪魔の岩山の邪神が今も眠り続けていることと合致がいきます。私にならドーラさんと同じことが出来るかもしれない…… いえ、今の私であれば必ず出来るはずです! 待っていて下さいドーラさん。あなたと対等の力を手に入れて、再びあなたの前へと現れましょう! クックック、久しぶりに頭がスッキリしている為か、とても思考の回転が早いですね…… いえ、違います。これは魔素を失ったからですね…… なんてことだ…… この私ともあろうものが、賢者の悪意に魔素を犯されていたのか…… 奇しくも、肉体と魔素を失い情報だけの存在となったおかげで、本来の自分を取り戻すことが出来たようです。まったく、ユダさんはとんでもない体を私に紹介してくれましたね…… まさか、意図的に仕掛けられた? クックック、そんなことがあるはずありませんね。ユダさんが私を裏切るようなことなどありません。それよりも、問題はエルフ族ですね。ドーラさんが手に入れた力は、おそらくエルフの隠れ里に封印をされているはずの邪神です。エイスさんには悪いですが、昔からエルフ族は信用が出来ませんからねえ。そうなると、黒幕はエルフの女王でしょうか。何を企んでいるのですかね、あの女狐は……)
ザッザッ
ドルビィがエルフ族への疑念を深めていると、その場に近付いてくる集団の足音が聞こえてきた。
「おい、荒野のど真ん中に死体があるぞ」
先頭を歩く戦士風の男がドルビィの死体を発見する。
小柄だが全身が筋肉の塊のようなドワーフ族の男だ。
「あ、本当だ。こんな何もない場所に死体なんて変よね。誰かに殺されて捨てられたのかしら?」
両手を頭の後ろで組んだ盗賊風の女が退屈そうに歩いて来る。
「ふぉふぉふぉ、その死体を良く見てみい。体中を何かに食い荒らされた形跡が見られるの。おそらくは、魔物に襲われたのじゃろう」
最後尾をゆっくりとついてくる魔術師風の老人は、髭を撫でながらドルビィの死体を観察している。
「こんな場所でか? それなら、こいつはここで何をしていたんだ?」
「そんなのわしゃ知らんわ。我々と同じように、極秘の任務にでも就いていたのじゃろ」
「もしかして密偵の死体? でも、この人は魔術師っぽいよ?」
「わしだって魔術師じゃわい。大方、パーティーで行動をしていて、死んだから棄てられたんじゃろ」
(クックック、運が良いですねえ。まさか、こんな荒野を通る冒険者パーティーがいるとは。それも、中々に優秀そうな者が揃っています。Sランク冒険者…… いえ、裏の匂いがしますね。何処かの特殊工作員と言った所でしょうか。クックック、心に闇を持っている方が操り易い。さあ、この叡智の仮面を手に取るのです! そして仮面を被るのです!)
「この死体、何か変な仮面を被っているよ? 私の見立てだと、マジックアイテムかもしれないな」
「どれどれ…… ほう、何かしらの魔術的な刻印が施されているようじゃ。これは良い値で売れるかもしれん。誰かその仮面を死体から外してくれんか?」
(クックック。そうです、私を手に取るのです)
「俺はパスだ。腐乱した死体がつけている仮面なんて触りたくない」
「私も嫌よ。だってこの仮面臭いし」
(ガーン…… く、臭いですと? 荒野の日差しのせいで、体が痛むのが早まったのですか…… この仮面は魔神様の魔素から作られた、言わば魔神様の体の一部です。それを、何と不敬な者どもですか……)
「じゃが、珍しい仮面だったら大金になるかもしれぬぞ?」
「そんな仮面だった死体と一緒に棄てられてるわけねえだろ」
「うーん、確かにマジックアイテムだったら高値で売れるけど…… それじゃあ、ジャンケンで決めようか? 敗けた人が、この臭い仮面を持って帰るのね」
「ふぉふぉふぉ、良かろう」
「マジかよ。仕方ねえな、一回勝負だぞ」
「「「せーの、ジャンケンぽい」」」
「うが、俺の敗けかよ…… くそ、しゃあねえな」
戦士の男は指先で摘まむように叡智の仮面を持った。
「うししし。それじゃあ、あんたは一人で先頭を歩いてね。私たちは離れた距離から後ろをついていくから」
「は? 何でだよ?」
「臭いからに決まっておろう。早う先に進むのじゃよ。今日は砂漠のバザーで宿泊をしたいからの。身体強化の魔法を掛けてやるから、日が暮れる前に荒野地帯を抜けるぞ」
「くそ、お前ら覚えておけよ……」
謎の冒険者パーティーは叡智の仮面を持って砂漠のバザーへと足を進めた。
(やれやれ…… この様子では、この者たちが仮面を被ることはないでしょうね。荒野から移動を出来るだけでよしとしますか。何処か人の集まるような場所に行ければ、叡智の仮面を被る者も現れるでしょう)
身体強化の魔法を使っている為、三人は労することなく目的の砂漠のバザーへと到着をする。
バザーの住人たちは、突如現れた悪臭を漂わせる戦士のことを冷淡な目で睨みつけていた。
他の二人は離れた場所で他人のふりをして笑っている。
「はあ、まずはこの仮面の臭いをどうにかしねえとな。早いとこ宿屋に入って風呂場で洗うとするか」
(クックック、臭いが消えれば誰かが仮面を被るかもしれませんね。さあ、早く宿屋へと向かうのです)
三人は真っ先に宿屋へと向かった。
「入店はお断りだ」
「は? 何でだよ?」
「当たり前だ。そんな臭い仮面を持って宿屋に入られたら、他の客の迷惑になるだろうが。商売のじゃまだ、さっさと出ていきな」
宿屋を追い出された三人は途方にくれている。
「ちょっと、どうするのよ! その臭い仮面のせいで、宿屋に泊めてもらえないじゃないの!」
「はあ? なに人のせいにしていやがる! はじめから俺は、この仮面を持って帰るのに反対をしていただろ!」
「ふむ、困ったの…… 砂漠のバザーでは水が貴重じゃから、自由に使える水場が外にはない。それを洗ってから宿屋に入ることも出来んの」
「こんな仮面なんか棄てちまおうぜ。どうせ売っても大した金にはならねえよ」
「そうよね、私も早くお風呂に入りたいしそうしましょう。そもそも、そんな汚い仮面を持って帰ったら姫様に殺されるわ。ただでさえ私たちは、任務に失敗をしておずおずと王都へと戻るというのに」
「ふむ、そうじゃの。丁度あそこの露店で仮面を売っておるし、その仮面を引き取ってもらうとしよう」
三人は露店の店主に強引に仮面を押し付けて、大喜びで宿屋へと入っていった。
「こんな臭い仮面なんて売れるわけないだろ……」
仕方なく店主は、商品の隅に叡智の仮面を並べた。
(く、なんたる屈辱…… 偉大なる魔神様から授かった叡智の仮面を、まるで汚物のように押し付けあうとは…… しかし、この状況はかえって好都合ですね。商品として販売をされるのなら、必ず手に取る者が現れるでしょう。クックック、もうすぐですよドーラさん! 必ずやこの手で貴方のことを止めてみせます!)
翌日……
(はあ、はあ…… な、な、何でドーラさんが目の前にいるのですか!)
露店へとやって来たドーラが叡智の仮面をじっとみている。
意外と早い再開であった。
(ま、まさか、叡智の仮面の秘密に気付いて追って来た? か、仮面を破壊しに来たのですか?)
ドルビィは存在しないはずの体を震わせて怯えている。
ドーラは仮面をじっとみている。
(お、終わった……)
「ワン」
「え? 臭いからあんまり近づきたくない? そうだね。臭いからもう行こうか」
ドーラは露店から離れていった。
(ぶは…… た、助かりました…… 臭くて良かった……)
自分で臭いと認めてしまうドルビィであった。
そして数日後……
「店主、この仮面は廃棄する商品なのか?」




