第73話 プロポーズ
ランゲル王国の北部に連なるアム山脈。
大陸を分断するかように聳え立つ、一年中雪に覆われた豪雪地帯だ。
アム山脈を挟んだランゲル王国の反対側には、シーワン帝国が隣接をしている。
この両国は長年に渡って争いが絶えないが、アム山脈が戦いの戦場となることは過去にも一度としてなかった。
それはアム山脈を中心として広がる、白霧の森と呼ばれる広大な樹海が存在するからだ。
一度足を踏み入れれば二度と帰ることが出来ない、迷いの森として恐れられていた。
そんな未開の大地のランゲル王国側に、魔神の眷族はアジトを作って隠れ住んでいる。
ラトがミーシャの協力の元に、ドルビィの捜索を開始してから数日が経っていた。
ラト一人に捜索を任せるのは悪いと思いつつも、他の魔神の眷族たちはアジトで変わらぬ日々を過ごしている。
今日もエイスは日課の洗濯を終えると、自身の部屋でのんびりと紅茶を飲んで寛いでいた。
まさに、嵐の前の静けさといった感じだろう。
ドタドタ
バーン
アジトに戻ってきたラトが、物凄い勢いでエイスの部屋のドアを開けて飛び込んでくる。
「エイス! 重大報告だ! 今すぐ他のメンバーを集合させろ!」
ブー
嵐のようなラトの来訪に、エイスは飲んでいた紅茶を吹き出してしまった。
「ゲホゲホ…… ラ、ラト…… 部屋にはもう少し静かに入ってきてくれないか? おかげで洗濯したばかりの上着に紅茶を溢してしまったじゃないか」
エイスはティーカップをテーブルに置いて立ち上がると、紅茶を溢した上着を脱いで上半身裸になる。
「キャー! 嫁入り前の乙女の前で服を脱がないでー!」
「訳の分からないことを言ってないで、何があったかを説明してくれ。重大報告と言う事は、もしかしてドルビィの行方が分かったのかい?」
「え? ドルビィ? ああ、そうか、あたいはドルビィの捜索に出ていたんだったな」
「はあ…… 君は何をしに外に行っているんだい? まさか、外で遊び呆けているのではないだろうね?」
「誰が遊び呆けているだと! あたい一人に面倒事を押し付けている癖に、ふざけた事言っていると殺すぞ露出狂の変態エルフめ!」
「ふむ、そうだったな。すまない、少し言いすぎだったようだ」
「いや、あたいも興奮していたようだ。謝るよ」
口は悪いが、彼らは仲良しなのであった。
「それで、何があったんだい?」
エイスは上半身裸のままソファーへと座り、再び紅茶を飲みはじめた。
「あ、そうだ。ドルビィで思い出したが、そっちの手掛かりも入手したんだった。ドルビィは殺されたみたいだぞ」
ブー
エイスは再び紅茶を吹き出した。
「ゲホゲホ…… 殺されたって? どういう事だい?」
「あいつはミーシャのことを襲っただけにとどまらず、人族の村を襲撃していたんだ。その過程でお姉様と出会い、敵対をして返り討ちにあったんだ」
「お姉様? それはいったい誰なんだい?」
「この世で一番強く、一番優しい、ドーラお姉様だ」
「状態異常解除」
ポワ
ラトの体が光に包まれるが、何の変化も起こらずに光は空中へと拡散をする。
「いきなり何しやがる!」
「ふむ、魅了に掛かっていると言うのではない様だね」
「当たり前だ! あたいはお姉様の素晴らしさを説明しただけだ!」
「この世で一番強くて優しいのは魔神様だ。君もずっとそう言っていただろ?」
「そうだな。優しさに関していえば、お姉様と魔神様では優劣を付けるのは難しいだろう。しかし、強さと言う点においては、お姉様に敵う者などこの世に存在しないと断言をする。もちろん、魔神様も凄い御方なのは間違いはないけどな」
「……君にそこまで言わせるとはね。何者なんだい、そのドーラという者は?」
「お姉様は…… 何者だろう?」
「はあ…… ラト、いったいどうしたと言うのだ? ドルビィはそのドーラと言う者に殺されたのだろ? 何故、大切な家族を殺した、得体の知れない者なんかに心酔をしているんだ?」
エイスの疑問はもっともである。
同じ魔神の眷族として、共に苦楽を分かち合ってきたエイスには、ラトの言葉は極めて非情に聞こえていた。
「ドルビィなら大丈夫だろう。叡智の仮面は破壊されていないようだしな。何者かに持ち去られてしまったらしく、行方は分からないが、今頃きっと新しい体を何処かで見つけているのかも知れないな」
「そうか…… 魔神様のお作りになられた叡智の仮面は、オリハルコンに匹敵をする強度があるからね。あれを壊せる者など、この世界に数えるほどしかいないだろう。しかし、ドルビィの魂に限界が近いと言う問題もある。楽観的に構えている事も出来ないだろうな。ラトの持ち帰った重大な報告とはその事なのかい?」
「いや、これはオマケだ。重大報告とは、あたいはアジトから出ていく事にした」
「……どういう事だい?」
エイス部屋に張り詰めた空気が流れる。
「言葉の通りだ。あたいはアジトを出て、これからはドーラお姉様と行動を共にする」
「……組織を裏切ると言うのかい? 我々は皆、魔神様に助けられ、魔神様にその身の全てを捧げると誓った筈だ。もしも、君が組織を出ていくと言うのなら、その行為は魔神様への背徳行為に他ならない。残念だよ…… 魔神様の元に集まった我々眷族は、家族のような繋がりがあると思っていた。魔神様のいない今、長男の役割を担うこの私が、道を外れてしまった愚かな弟に裁きを下さなければならないとは……」
パン
半裸のエイスが拝むような動作で両手を打つと、彼の背後に巨大な天秤が現れる。
「裁きの天秤」
天秤の片方の皿には分銅が現れ、もう片方の皿にはラトの体から魂のような物が吸い寄せられた。
「我々眷族の絆と、君の罪の重さを計らせてもらうよ。もしも、君の罪がこの分銅よりも重ければ、その魂は未来永劫に時の牢獄へ閉じ込められるだろう」
「ふん、好きにしろ……」
ラトは無言で腕を組みながら堂々と構えている。
「……計りが動かない?」
「はあ、当たり前だ。あたいは魔神様の事も、お前らの事も裏切っちゃいないからな」
「裏切っていない?」
「そうだ。あたいがアジトを出ていくのは、お姉様にプ、プ、プロポーズをされて嫁ぎに行くからだ!」
「プ、プロポーズされただと!」
衝撃的なラトの発言に、エイスは合わせていた両手を離して驚いている。
それと同時に裁きの天秤は消えて、皿の上の魂もラトの体へと戻っていった。
「ああ、そうだ。これからは、お姉様があたいの面倒を見てくれるとな。今夜、お姉様の部屋に呼ばれている。つまり、しょ、しょ、初夜ということだ!」
ラトは頬を赤くして、くねくねと体を捩らせている。
ドーラが言っていたのは、ダークエルフの里に滞在している間の面倒だったのだが、ラトは一生の面倒を見るプロポーズの言葉に受け取ってしまっているらしい。
宿屋でも、みんなが同じ部屋で泊まっていることを知らないのであろう。
「し、しかし、君は女性の体に変化をしているが本当は男だ。相手の女性はその事を知っているのか? ……ん、まてよ? 相手は女性だから、男のラトと結婚するのは普通のこと…… なんと言うことだ! つ、ついにラトが正気に戻ったのか!」
「エイスはあたいらの事を家族だと言ったよな? 本当に家族だと思うのなら、身内の幸せは祝福しやがれ!」
「う、そ、それは……」
パチパチ
エイスの部屋の外から誰かの拍手が聞こえてくる。
ガチャ
「おめでとう」
「パイク、聞いてやがったのか? 犬族なだけあって、相変わらず耳がいい奴だな」
「何か騒がしかったから来てみたんだ。僕たち眷族は人付き合いが苦手だから、誰も結婚はできないと思ってたよ。まさか、一番年下で女装趣味がある変態のラトが結婚をするとはね。君が出来るのなら、僕にも希望がありそうで嬉しいよ」
「へへへ、誰が変態だ…… でも、ありがとう」
パチパチ
エイスのクローゼットの中から誰かの拍手が聞こえてくる。
ガチャ
「おめでとう」
「ドルフ、聞いてやがったのか? 猫族なだけあって、相変わらず暗くて狭い場所が好きな奴だな」
「洗濯好きのエイスのクローゼットは、いい匂いがして落ち着くのでな。自分の部屋よりもこの中の方が居心地が良いのだよ」
「へへへ、迷惑な奴だ…… でも、ありがとう」
パチパチ
この状況に毒気を抜かれたのか、エイスがとても穏やかな表情で拍手をしている。
「魔神様がお戻りになられた時、ラトに子供が出来ていれば魔神様もきっと喜ぶだろうね。たとえ、離れ離れに暮らすこととなっても、我々眷族はかけがえのない家族だよ」
「こ、子供とか気が早いぞ! ば、ばか野郎、恥ずかしいこと言ってんじゃねえ! でも、ありがとう」
パチパチ
「おめでとう」
パチパチ
「おめでとう」
パチパチ
「おめでとう」
エイスの部屋に鳴り止まない拍手が響き渡っている。
「じ、じゃあ、あたいは準備があるから、自分の部屋に戻るぜ」
照れ臭そうにラトがエイスの部屋から出ていく。
「ラト…… 君の結婚相手と言う事は、我々にとっても妹のような存在だ。落ち着いたら、一度アジトまで連れてくるといい。新しい家族なのだから、眷族みんなで歓迎をするよ」
「ありがとう…… あ、そうだ!」
何かを思い出したラトがエイスの部屋に戻ってくる。
「お姉様から借りたパンツだ。返す前に洗濯をしておいてくれ。今度取りに来るから、それまでに頼んだぞ」
ラトはパンツを脱いでエイスへと渡した。
「ふむ…… 何故、ラトが穿いているのかは疑問だが、新しい家族のパンツだ。喜んで洗濯をしよう」
エイスは洗濯のために水場へと向かった。
魔神の眷族は今日も仲良しなのであった。




