第22話 ダイフクvs赤毛
ハングリーベアーは、アダマスの森北部に位置する湖周辺を縄張りにして棲息をしている。
現在ドーラたちがいるアダマスの街方面とは反対側になるため、かなりの長距離を移動する必要があった。
(んー、高齢のゴブリンさんに合わせて歩いていたら、到着する頃には日が暮れそうだな。ワームのことは内緒にしてくれるって約束したし、少しくらいならワームの能力を見せても大丈夫だよね)
ドーラはディメンションワームを使い、老ゴブリンの大きな体が入れるほどの黒い靄を展開する。
「これは先程も見た靄じゃの。今度は何をするのじゃ?」
「この黒い靄は、中を通って転移魔法のように移動をすることが出来ます。湖の場所は森に配置しているワームで把握をしているので、この靄の中を通って湖まで移動をしましょう。それではゴブリンの皆さん、どうぞ中に入ってください」
「うーむ…… 転移魔法とは高度で複雑な術式を用いる魔法のはずじゃ。たった一人を転移させるのにも、高位術者による集団での儀式が必要だと聞いている。術式を介さずに複数の者が転移出来る魔法…… そもそも、これは魔法なのかの?」
見たこともない転移魔法を前にして、老ゴブリンは怪訝な顔をしている。
黒い靄を前に老ゴブリンが躊躇をしていると、その横をダイフクが尻尾を振りながら靄の中へと入っていった。
それを見た老ゴブリンは、少し安心したような表情を浮かべている。
「ときに、お嬢ちゃんの名は何というのじゃ? 差し支えがなければ、教えてもらっても良いかの?」
「ドーラです。ゴブリンさんには名前はあるんですか?」
「わしらには名前を使う習慣はないのう。ただ、友人のロレンはわしのことをクーニと呼んでおる。ドーラ嬢もそう呼んでくれてかまわぬぞい」
「わかりました。それではクーニさん、安全ですのでこの靄に入ってください」
クーニと二匹のゴブリンは、恐る恐る黒い靄へ足を踏みいれる。
クーニたちが黒い靄を通ると、目の前には穏やかな湖が広がっていた。
「なんと…… 本当に一瞬で湖まで移動をしたわい…… こんな転移魔法が存在したとはの……」
本来、転移魔法を発動するのには膨大な情報を正確に処理をする必要がある。
肉体の構成要素や空間の位置情報の術式変換を少しでも誤れば、そこには確実に死が待ち受けているからだ。
間違いなく、この世界において最高難度の魔法のひとつなのである。
それ故に、転移魔法の単独での発動や無詠唱化は、この世界の魔術師達にとっての永遠のテーマなのであった。
ただし、ドーラは転移魔法がそこまで特別な魔法だとは思っていないようである。
奇しくも、数日前に単独による無詠唱の転移魔法を使うドルビィを見てしまったからであろう。
クーニたちが湖の湖畔で呆けた顔をしていると、後を追ってドーラが黒い靄から出てきた。
「へー、きれいな湖ですね。まわりの森も静かだし、こういう長閑な場所は大好きですよ。私の暮らしていた森の湖には、常にアンデットが徘徊していましたから」
「ほっほっほ、否定はせんよ。ハングリーベアーの縄張りじゃから、身の安全面の保証はできんがの」
ドーラはサーチワームで周辺の魔素を確認する。
湖周辺に反応する魔素の数は少なかったが、ゴブリンと比べると個々の魔素量はかなり大きいようだ。
その中に、とりわけ大きな魔素を持った個体がいた。
「これかな? ボスっぽい魔素を見つけましたけど、その個体を説得すればいいのですか?」
「ふむ、おそらく赤毛じゃの。左目に傷を持つ特殊個体のハングリーベアじゃよ。そやつに認められれば、この森のハングリーベアーは全てドーラ穣に従うじゃろう。しかし…… こんな簡単に奴の居場所を見つけるとは、ドーラ嬢はかなり高度な探知魔法も使えるのかの?」
「んー、似たようなものですね。周囲の魔素を探すことが出来ます。魔素に限らずに精度を調整すれば、大抵のものは見つけられますよ」
「ほっほっほ、ドーラ嬢には驚かされっぱなしじゃわい」
クーニは髭を撫でながら楽しそうに笑っている。
ドーラの力を目の当たりにしたためか、ハングリーベアーの縄張りの中でも心から安心をしているようだ。
「それでは、その赤毛さんに会いに行きましょう。念のため私とダイフクが先を歩きますので、クーニさん達は少し離れてついてきてください」
「あいわかった」
ドーラは赤毛の魔素反応のある場所へと向かった。
森の中に入りしばらく進むと、前方に大きな岩山の洞窟が見えてくる。
ドーラが後ろに振り返ると、クーニはゆっくりとうなずき、洞窟の入り口に向かって自身の来訪を告げた。
「久しぶりじゃの、赤毛よ! わしのことは分かるじゃろ? お主に大事な要件があるのじゃが、洞窟から出てきてもらえんかの?」
ドドドドドド
地響きのような足音で岩山を揺らしながら、巨大な魔物が洞窟の暗闇の奥から現れた。
「フゴー!」
ハングリーベアーは脅威度Cの魔物である。
個としての脅威度ではワイルドウルフよりも高くなっているが、性質的に単独での行動を好むため、Cランクの冒険者パーティーであれば討伐は難しくはない魔物だ。
本来のハングリーベアーの体毛はうすい紫色をしているが、赤毛と呼ばれるこの特殊個体は、全身が真っ赤な毛で覆われ通常の個体よりも遥かに大きな巨体をしている。
片目が傷で塞がっているのもあり、よりいっそう狂暴な風貌をしていた。
赤毛はクーニを見つけると、今にも飛びかかりそうな体勢で睨みつける。
「フゴーフゴー」
「……何か、すごく怒ってるみたいなんですけど?」
「ほっほっほ、数十年前の出来事になるかのう。誤って奴の縄張りに足を踏み入れてしまい襲われたことがあっての。その時、逃げ出す弾みに奴の左目を傷つけてしまったのじゃよ。昔のことなんじゃが、奴はいまだにその事を根にもっているようじゃの」
赤毛はドーラとダイフクに視線を向けるが、特に興味を示すことはなく、再びクーニへの威嚇をはじめる。
「フゴーフゴー」
「まあ、待つのじゃ赤毛よ。言葉は伝わらずとも同じ魔物同士。伝わる気持ちもあるじゃろ? ドーラ嬢や。ミミズを出してくれないかの?」
「はい」
ガサガサ
周辺の茂みの中から無数のワームが集まってくる。
現れたワームの群れに囲まれた赤毛は、毛を逆立てながら警戒を強めている。
「森の中に溢れかえっているミミズのことはお主も気付いておろう。このミミズたちは、こちらのドーラ嬢が従えておるのじゃ。もちろん危険な存在ではない。このドーラ孃の願いで、しばらくの間このミミズたちをこの森に住まわせて欲しいのじゃがの」
「フゴ?」
赤毛はクーニの言葉を理解したらしく、集まったワームを興味深そうに観察をしている。
少しの沈黙のあと、赤毛は二本の足で立ち上がり、両腕を広げながら咆哮をあげた。
「フゴー!」
「やはりそうなるかの…… 残念じゃが今のわしは老いぼれで、お主の相手をするには力不足なのじゃ。ドーラ嬢よ、あとのことは任せるわい」
「あ、はい。じゃあダイフクよろしくね」
「ワン」
ダイフクは嬉しそうに尻尾を振りながら赤毛の前へと歩み寄った。
赤毛は怪訝な顔でダイフクを見下ろすと、一切の躊躇をすることなく、鋭く尖った爪をダイフクに叩きつける。
ドーン
大地を揺らす轟音とともに砂煙が舞い上がった。
クーニとゴブリン達は、よろめきながら地面に膝をつけている。
「く、相変わらずの馬鹿力じゃわい…… 直撃じゃったがダイフク殿は無事なのかの?」
「フゴー」
勝利を確信したかのように、赤毛は不敵な笑みを浮かべていた。
しかし、砂煙が立ち消え視界が開けるとその表情を一変させる。
赤毛の渾身の一撃を受けたはずのダイフクは無傷であった。
四本の足が地面にめり込んではいるが、ダイフクは元気そうに尻尾を振っている。
「フゴ?」
「ワン?」
ダイフクはめり込んだ足を地面からゆっくりと引き抜く。
赤毛は不思議そうに首を傾げながら自身の爪を見つめていた。
特殊個体の赤毛は通常のハングリーベアーよりも遥かに強い。
脅威度をつけるとすれば間違いなくB以上であろう。
その豪腕から繰り出される必殺の一撃は、脅威度Aの魔物にすら匹敵する破壊力である。
「む、無傷じゃと? し、信じられん…… なんという耐久力なんじゃ。やはりダイフク殿はただの犬ではないようじゃの」
「ふひひひ、ちょっと強いだけの普通の犬ですよ」
ダイフクは尻尾を振りながら赤毛の様子を伺っている。
赤毛は後方へと飛び退いて四つ足になると、全身の毛を逆立てながら狂暴なその口を開いた。
「フゴー!」
赤毛の口の前に魔法陣が現れ、凄まじい咆哮の波動が辺り一面に響き渡る。
「いかん! 赤毛の特殊能力じゃ! 耳を塞ぐのじゃドーラ嬢よ! 相手に行動阻害と精神汚染の状態異常を与える咆哮のブレスじゃよ!」
「ふひひひ、大丈夫ですよ」
ドーラは振り向きながら慌てるクーニへと笑いかける。
ダイフクの中にいるスレイブワームが、ダイフクの脳に干渉して全ての精神系の攻撃を無効化する。
「ワン?」
ダイフクは尻尾を振って不思議そうに赤毛をみている。
「フ、フゴ……」
赤毛は自身の攻撃が一切ダイフクに通用しないことに、明らかに動揺をしている。
「ダイフク、攻撃する時は殺さないように手加減をするんだよ」
「ワン」
ダイフクは返事をすると同時にその場から姿を消した。
ズドン
「フギャ!」
赤毛の腹部にダイフクの頭がめり込んでいる。
バタン
赤毛は白目をむきながら後方へと崩れ落ちた。
「ダイフクお疲れさま」
「ワン」
「なんとも簡単にやってのけるわい。間違いなく、赤毛はこのアダマスの森においての最強格の魔物だというのに……」
「でも、ワイバーンに比べたら全然小さな魔素ですよ?」
「ほっほっほ、竜種なんかと比べられたら赤毛もたまらんだろうて」
クーニは髭を弄りながら白目でひっくり返っている赤毛の顔を覗き込んだ。
「さて、話は出来るかのう?」
朦朧とした状態の赤毛であったが、クーニの気配を感じて意識が戻ったようだ。
「フ、フゴ?」
「ふむ、なんとか大丈夫そうじゃの…… どうじゃ? この森にミミズを受け入れることに納得をしてくれるかの? もちろん、先ほどいった通りにお主や他のハングリーベアーへ危害を加えることはないと約束をしよう」
「フゴフゴ」
赤毛は何度も頭を上下に振っている。
「ほっほっほ、どうやら聞き入れてもらえたようじゃぞ」
「ありがとうございます」
「さてと、次はワイルドウルフじゃの。リーダーの個体は群れを率いてアダマスの街に向かっておるが、そっちの方はどうなっておるのかの?」
「フィーネさんは無事に街へと到着をしたようです。今はフィーネさんの呼び掛けで、ギルドの冒険者たちが街の正門に集まっている最中ですよ」
「ドーラ嬢は手を出さんのかの?」
「んー、とりあえず様子を見てみます。集まった冒険者には札付きの冒険者もいるようですし、私が手助けをしなくても大丈夫だと思いますよ。一応、街の中にもスコープワームを配置しましたので、万が一ワイルドウルフが街中にまで侵入をしたのなら、その時は私が助けの手を出そうかと思います」
(まあ、その場合はワイルドウルフを助ける事になると思うけどね)




