第108話 滅亡へのカウントダウン
ラトはカーラング家の屋敷にある自室で一人朝を待っていた。
夜明けまで後わずかということもあり、その日は寝ずに朝を向かえることにしたのだ。
ラトにとって人生で最も多くの出来事が起きた夜であったが、その顔には悲しみや後悔の念は見受けられなかった。
「静かだな。夜明け前の屋敷ってこんなにも静かだったのか…… いや、ちょっと静かすぎじゃないか? 普段ならこの時間になれば、メイドたちが朝食の準備をはじめている頃だろ?」
少し神経質になっているとも思ったが、なぜか胸騒ぎを感じたラトは、部屋を出て薄暗い屋敷の中で人影を捜した。
「どう言うことだ? 誰もいないぞ? こんな事はありえない…… まさか…… 母上!」
ラトは大慌てで母の寝ているはずの寝室へと向かった。
バーン
「母上!」
勢いよく開けたドアの奥には、ラトの母の姿は見当たらなかった。
思いもよらない出来事に、ラトはおぼつかない足取りで部屋の中へと足を進めた。
「そ、そんな、なんで…… まさか、邪神の仕業か? 邪神は眠りに就いたんじゃなかったのか?」
「そうです、邪神は眠っています」
「誰だ!」
呆然と立ち尽くすラトは、慌てて声のする廊下へと振り向いた。
「ドルビィ?」
「ラトさんの母君はもうこの里には居ません」
「母上が居ない? どう言うことだ! お前の仕業なのかドルビィ!」
「いえ、私は何もしていません。昨夜、私は邪神の活動停止を確認してから、みなさんが戻ってくるまでの間に探知魔法で里の様子を調べました。その時にはラトさんの母君の魔素はこの里からなくなっていました」
「は? 意味がわからないぞ? なんで母上がこの里から居なくなるんだ?」
「おそらくは、逃げたのだと思います」
「逃げた?」
「ラトさんの母君はその昔、数々の死線を潜り抜けてきた歴戦の戦士でした。ラトさんが生まれる前には、我々と共に邪神とも戦っていたほどです。彼女はとても強かったですね。ギル殿よりも、いえ私や他の魔神様の眷族よりも遥かに強かったです。強いがゆえに、誰よりも邪神の脅威を理解していました。おそらくは、復活した邪神の存在を察知して、恐ろしくなってこの里から逃げ出したのでしょう」
「そんな馬鹿なことがあるか! それじゃあ、他の屋敷の者たちは何処にいったんだ! 何で誰も居ないんだ!」
「メイドや使用人の者には、既に私から昨夜の出来事を説明をさせてもらいました。話を聞いた者たちは、雇い主が居ないのであればこの屋敷で働く意味がないと言い、夜が明ける前に皆この屋敷から出ていきました」
「は? 意味が分からない…… 皆ずっとカーラング家に使えるって言っていたのに…… 父上が亡くなった後は、僕が母上を支えてこの里を……」
ラトは涙を流しながら膝から崩れ落ちた。
「ラトさん…… これからどの様に生きていくのか、貴方は決断をしなければなりません。邪神の驚異は去りましたが、本当に貴方一人でダークエルフの里を守っていけるのでしょうか? 私たちは一週間ほどダークエルフの里に滞在をする予定です。ラトさんもそれまでに決断をしてください。この里に残るのか、それとも私たちに着いてくるのかを……」
その言葉が放心状態のラトに届いているかは分からかったが、ドルビィはそれ以上語らずにその場から離れていった。
「僕は……」
それから一週間、ラトは屋敷の自室で一人過ごしていた。
*******
魔神一行がダークエルフの里を出発する当日、ドルビィはラトの部屋へと訪れる。
コンコン
「ラトさん、約束の日です。お考えは決まりましたか?」
ドルビィはドア越しにラトへと話しかけるが、部屋の中からは何の反応もなかった。
「ラトさん? 扉を開けますよ?」
ガチャ
「ラトさん……」
部屋の中にラトの姿はなかった。
「答えを出さずに逃げる…… それもある意味正解なのかもしれませんね」
ドルビィの期待をした結果ではなかったが、その顔つきにはこれといった失望の感情は見られなかった。
「長寿のダークエルフ族とは言っても子供は子供です。どんなに強い力を持とうとも、心が大人になっていると言うわけではありませんからね」
ドルビィはカーラング家の屋敷を出て、魔神の待つダークエルフの里の正門へと向かった。
「おい、ドルビィ! 遅いじゃないか! お前から僕のことを仲間に誘ったくせに、僕より集合場所に来るのが遅いなんてお前舐めているのか!」
大きな荷物を背負ったラトは両手を突き上げて怒っている。
「ラ、ラトさん!」
「ふふふ、驚いたかい? 私たちがこの場所に来る前から、ラトは待ちくたびれているようだったよ。やる気があってとても素晴らしいね」
上機嫌な様子でエイスは笑っている。
「……ドルビィも来たようだな。一先ずはドルフたちと合流をして、新しい家族を紹介するとしよう。転移魔法を使えるくらいは魔素の回復はしたが、せっかく回復した魔素を無駄にしたくない。のんびりと地上の旅を楽しみながらアジトに戻るとしようか」
ドルビィの視線の先には後ろ姿の魔神が立っている。
「クックック、お待たせして申し訳ありません。ラトさんもお元気そうで何よりです。どうやら、私の考えなど杞憂であった様ですね」
「は? 何を言ってるんだお前? まあ、いいや…… そうだ! おい、ドルビィ。お前、他人の魔素にも術式を刻むことが出来るんだってな。後で僕の魔素に刻んで欲しい術式があるんだけど頼めるか?」
「術式をですか? それは構いませんが、何の術式を刻むのですか?」
ラトは嬉しそうな顔をしながら溜め息をつく。
「はあ、どうせお前も母上とグルなんだろ? 僕はまだ子供だけど馬鹿じゃない。何故、母上が姿を消したのか…… あれほど僕を愛してくれていた皆がカーラング家から離れていったのか…… 一週間も考えればそれくらい僕にもわかる。要は僕にはまだ子供として成長をして欲しいんだろう? まったく、とんでもなく不器用で過保護な奴らだ。まあいいさ。あいつ等がそういう気なら、こっちはとことん自由に生きてやろうじゃないか。と言うわけで、僕に肉体活性の術式を刻んでくれ」
「肉体活性ですか。ふむ、確かにラトさんは物理的なエネルギーへの魔素変換が得意のようです。肉体活性はよりいっそうの戦士としての成長をラトさんにもたらしてくれるでしょう。分かりました。アジトへと戻ったら、ラトさんの魔素に肉体活性の術式を刻みましょう」
「約束だからな」
ラトは不適な笑みを浮かべている。
そんな様子を悪魔の岩山頂上から眺めている二人がいた。
「本当にこれで宜しかったのでしょうか、ソラ様」
「カムジちゃんは心配性だね。あの子の顔を見れば何が正しかったのかなんて分かるでしょ?」
「……ソラ様は何処まで知っておられるのですか?」
「んー、トキちゃんから聞いていることはあまり話せないかな。未来を知っている者は少ない方が良いからね。今はまだ未来を変える時じゃないし」
「それは、ギル様が犠牲に成らなくてはいけなかったのでしょうか? もしソラ様が動いていたのならば、被害はもっと最小限になっていたのではないでしょうか?」
「ギルちゃんのことは悲しいよね。確かに、私の力があればギルちゃんの死の運命くらいは変えられたかもしれない。でも、いま運命を変えてしまったら、これからの未来の流れも変わってしまうかもしれないんだ。運命への介入はギリギリまで我慢しないと駄目なんだよ。それに、この状態にならなければ、あの子は里を離れようとしなかったと思う。あの子にはもっと強くなってもらわないと駄目なんだ。そう、私よりもずっとね。だから魔神君に預けることにした」
「ソラ様よりもですか? それは少々無茶な話しかと……」
「あの子なら成れるよ」
「それもトキ様の見た未来ですか?」
「あははは、これは私の確信かな。だって、私の息子なんだからさ。結果をトキちゃんに聞くことも出来たけど、楽しみは取っておかないとね。ま、魔神君に預けておけば大丈夫。きっと立派な男の子に成長するでしょ」
「そうですか…… ソラ様はこれからどのように?」
「そだねー、取り敢えずはエルフの女王に状況を伝えに行こうかな。あそこの邪神もこっちと似たような状況だし。その後は、トキちゃんに顔を見せてから…… しばらくは人族の国でゆっくりと過ごそうかな」
「人族の国ですか? 亜人族と人族は現在戦争状態に陥っており、ダークエルフ族のソラ様が暮らすには少々危険なのでは?」
「ま、姿を変えれば平気でしょ。人族の国は食べ物は美味しいし、娯楽もいっぱいあるからね。楽しみだなー」
「姿をですか? ……やはり私も御一緒してソラ様をお守りした方がよろしいのではないでしょうか?」
「あははは、カムジちゃんが私を守る? うけるんだけど、あまり舐めたこと言ってると殺すよ?」
ジョバー
カムジは全身の水分が無くなるほどの失禁をした。
「は! 出過ぎた発言をして申し訳ありません!」
「冗談だよ、オシッコ漏らさせてごめんね。ま、少なくとも300年後まではこの世界は滅びないから、それまではカムジちゃんも好きに暮らしなよ。んじゃ、私はもう行くね。300年経ったらまた会えるかもね。人族の国に行ったら何しようかな? そうだ! あの子に再会した時に妹が居たら喜んでくれるかな? あの子、いつも妹が欲しいって言っていたからな。あははは、それ面白いかも」
ソラは笑いながら転移陣へと姿を消していった。
その後のソラの足取りを知るものは誰もいない。
そして、300年の後に再びソラが表舞台へと戻ったとき、息子は娘へと変わっているのであった。




