2-21.終わった夢
レイはその場から動かず、じっと待っていた。大太刀を構えたまま、ゆっくりと呼吸をし、体力の回復に注力する。
たった一太刀。ただそれだけの攻撃のために、身体を癒していた。
家に古くから伝わる呼吸法、《鉄人の呼吸》。これを行えば常人よりも早く体力を回復できる。レイはその呼吸を普段から行っていた。食事、就寝、運動、様々な状況でも無意識にできるように訓練されている。さらにその場から動かずに《鉄人の呼吸》をすることに集中すれば効果は増す。致命傷でなければ、一時間もあれば完全回復できるほどだった。
止まった状態で《鉄人の呼吸》をすること五分。体力は大分回復していた。あと三分もすれば、レイの全力の一太刀を振るうことが出来る。その時間を稼いでくれているルイスに、レイは感謝していた。
そのルイスは、今にも泣きそうな顔をしていた。
「うひゃあ!」
「およぉ!」
「ひぃいいいい!」
黒竜化が進んだユーレスを、たった一人で相手をしている。ユーレスの目先で攻撃を躱し続ける様を見れば、逃げ回っているという方が正しいかもしれない。ルイスの動きは危なっかしくて今にもやられそうである。毎回ギリギリで攻撃を避けている姿を見れば、むしろなぜ生きているのか不思議なくらいだった。
だが、ルイスのお蔭で時間が稼げているのは確かである。レイはルイスを信じて回復に努める。
「ちょ、ちょっとレイちゃん! まだ?! まだですか?!」
レイの眼に涙目のルイスが映る。
「もう少しです」
「少しってどれくらい?! 五秒? 十秒?」
「二分です」
「長いよ! ちょー長い! 二分もあったら死んじゃうよ! 五回は死ねちゃう!」
「……頑張ってください」
「うわぁあああ! かっこつけるんじゃなかったぁああああ!」
走って、跳んで、転がって、ルイスの身体は汗まみれで泥まみれだ。遠目でも肩で息をしているのがはっきりと見える。喋らずに回避に集中すれば良いのにと、少しばかり呆れていた。
ルイスの体力は限界に近い。だが焦ってしまってはダメだ。集中が乱されると《鉄人の呼吸》の効果が薄まってしまう。そうなるとルイスを助けるのが余計に遅れることになる。
レイは静かに呼吸を繰り返す。あと少し。もう少しで力が元に戻る。冷静に、集中して《鉄人の呼吸》を続けた。
背中から、寒気を感じた。
振り向いてクリフの方を見る。クリフが相手取っているバッテルが、また黒竜砲を撃とうとしていた。
避けないと。けど今動いたら……。
判断が遅れたレイに、黒竜砲が放たれる。黒い閃光がレイに向かって伸びていく。喰らってしまえば全てが無駄になる。レイは口惜しさを抱き、避けようとした。
その間際だった。ロロの手が伸び、レイと黒竜砲の間に割って入る。黒竜砲がロロの手に当たり、黒い光が霧散した。
弱った元竜が黒竜砲を受けると黒竜になることがある。そしてロロはその条件を満たしてしまっている。一瞬、レイはロロに武器を向けることを考えた。
だが、ロロを纏う空気は以前と変わらなかった。
『……あれっ?』
ロロは黒竜砲を受けた手を見てから軽く動かす。
『なんか大丈夫みたい』
『ばかなっ! 何故黒竜にならない! ユーレスもそれで黒竜になったんだぞ! いや、仮にならなくても何でそう平然と……』
バッテルは気を動転させている。たいしてダメージを受けていないロロに、心底驚いているようだった。
レイたちにとって、これは好機だった。クリフもそれを察し、ロロに指示を出す。
「ロロ。またこいつがさっきのをレイたちに撃ったら止めてくれ」
『分かった』
「守れるのはお前だけだ。頼んだぞ」
『うんっ』
ロロの無事な様から、レイも安心した。これでレイも身体を癒すことに専念できる。
レイはまた、《鉄人の呼吸》に集中した。
クリフが頑張ってる。ルイスとロロは、己の役目を全うしようとしている。ケイトは役割を果たした。なら次は、私の番だ。
呼吸が整った。
「ルイス」
「なにっ?!」
「もう大丈夫。こっちに来て」
「待ってました! 百年くらい待ってた!」
ルイスは主人に呼ばれた犬のように、嬉しそうにレイの方に走る。その後を追うようにユーレスが地面を滑って向かって来た。
「ロロちゃん。私は……」
レイはゆっくりとした動作で大太刀を構える。
「ロロちゃんの友達を、斬る」
ロロの友達を殺したらロロが悲しむのではないか。最初はロロの友達だと聞いて、斬ることを躊躇っていた。ロロは友達を作るために人里に下りた。そんな彼女の友達を斬ることを、レイは決断できなかった。その迷いで、ケイトとルイスを危険に冒してしまった。
だけど、もう迷わない。
今のユーレスは正気を失っている。時間が経てば元の戻るかもしれないが、その間に他で被害が出ることも考えられる。
それに助けなければいけない。ロロを、ケイトを、ルイスを、村人を。
そして―――、
『レイちゃん、お願い』
ロロと同じ想いを持っていたユーレスを。
『くわせろぉおおおおおお!』
ルイスがレイの横を通り過ぎ、ユーレスが目の前に迫る。レイは身体の力を抜きながら、眼で狙いを定める。
「ごめんね」
一閃。静かな一太刀だった。ユーレスとのすれ違いざま、突進を右に避けながら大太刀を振るった。
ユーレスは勢いのまま進んで、少し経つと停止する。一言も鳴くことは無く、ゆっくりと身体が傾いて地面に倒れた。ユーレスの顔の周りには、血が飛び散っていた。口に刃を斬り入れて奥の胴を大きく斬り裂いた一撃は、文字通り必殺となった。
レイは倒れたユーレスに近づき、顔を見る。ユーレスの表情は憑き物が落ちたみたいに穏やかだった。
「もっと早く会えてたら、友達になれたかもね」
元々はロロと同じ、友達を欲する竜だった。ロロと違うのは、人の姿になれるか否か。大きな違いだが、たった一つの違いだ。
レイの力なら、その差を埋められる。似た者同士、友達になれたかもしれない。そう考えると哀しくなっていた。
『ロロを……』
ユーレスの口が僅かに動いた。レイはその言葉に耳を傾ける。
『よろしく、ね』
***
「どうしたのユーレス? 怪我をしてるじゃないか」
森の中、ユーレスの姿を見たアレンが訊ねた。ユーレスは身体中から血を流していて、一歩も動くことが出来ない瀕死の状態だった。
原因は黒竜だった。いつも通り森でのんびりを過ごしていた時、突如現れた黒竜に襲われた。力が弱く、碌に戦闘をしたことも無かったユーレスは、抵抗したものの散々痛めつけられた。何とか一瞬の隙を突いて逃げることが出来たが、途中で力尽きてしまった。そのとき、森を散歩していたアレンに遭遇した。
不幸中の幸いだ。ユーレスはアレンに話しかけた。
『アレン、今すぐ戦士を呼んで来て』
「へ?」
『黒竜がいる。すぐに対処しないと村が襲われる』
ユーレスが戦士を呼ぶ理由は二つあった。
一つは村人の避難のためだ。ユーレスが黒竜と遭遇したのは、村からそう離れていない場所だった。じきに村の存在がばれてしまう。その前に黒竜の存在を伝えて、村人を避難させる必要があった。
だが、戦士がすぐに動いてくれるかどうかが気掛かりだった。ガタラ村の戦士は穏健で、悪く言えば平和ボケしている。今まで黒竜どころかモンスターに襲われることすら無かった平和な村だったため、危機的状況に置かれたことが無い人間が多い。そのため、ユーレスがアレンに言伝を頼んでも信じてもらえない可能性があった。
その展開にさせないために、戦士を呼ぶことを頼んだ。竜を追い詰める戦士はガタラ村にはいない。にもかかわらず瀕死状態のユーレスの姿を見せさせれば信じさせられると踏んでいた。
そして二つ目は……、
「けどそしたら、ユーレスが殺されちゃうよ」
『そうだね。けどそれで良いんだよ』
「……どういうこと?」
『僕を殺して貰う。その必要があるからだ』
ユーレスを殺して貰う。そのために、戦士の力が必要だった。
「な、なんで? どうしてそんなことを……」
信じられないと言いたげに、アレンが顔を曇らせた。
『じきに、僕は黒竜になるからだ』
逃げ出す直前、ユーレスは黒竜砲を受けていた。体力が残り少ない状態で黒竜砲を受ければ黒竜になるということを、ユーレスは知っていた。ならないこともあるが、ユーレスには当てはまらなかった。現に、段々と身体の一部が自分以外のものになっている感覚があった。
人を喰え。竜を食え。普段なら絶対に考えないことが頭に浮かぶ。別人格がユーレスを支配し始めていて、それに抗えないことを察していた。このままでは黒竜になる。それを予感した。
人を殺したくない。友を殺したくない。その意志が消えるのも時間の問題だ。そうなる前に、ユーレスは死にたかった。
『僕は君たちに迷惑をかけたくない。だから戦士たちを呼んでくれ。今ならまだ間に合うから』
ユーレスは必死にアレンに懇願した。アレンならユーレスの想いを汲んでくれる。そう信じていた。
友を殺すのは心苦しいだろう。だが今ユーレスを殺さなければアレンだけでなく村人も死んでしまう。それが分からないアレンではない。ユーレスはアレンが決断してくれることを祈った。
アレンはじっと考え込でいる。ユーレスに顔を見せないように、俯いたままだった。
間もなくしてアレンが顔を上げる。寂しげな笑みを見せて、アレンは言った。
「分かった」
ユーレスは安堵の息を吐く。これで他に被害は出ないで済む。そう確信していた。
『そっか。じゃあ早く呼んで来てね。いつまでもつか分からないから……』
「黒竜ってさ、人を食べたら回復するんだよね」
ユーレスは目を丸くした。突拍子の無いことを言ったアレンをその眼で見る。アレンの表情は変わっていなかった。
「前にユーレスが教えてくれたことだよ。黒竜は人を喰う、食べたら身体を治せる、食べた人間の姿になれる、だったよね」
『そうだけど……』
「黒竜だと身体の一部が黒くなるって言ってたけど、僕になったら大丈夫だね。僕って身体が弱いからほとんど寝たきりだから、身体を布団で隠せちゃうね。なり替わるにはうってつけだよ」
『……何言ってんだ、アレン』
アレンは腰についたポーチからナイフを取り出した。モグネロ山に入るときにいつも持ち込んでいるものだ。よくそのナイフを使わせて、ユーレスが動物の解体方法を教えていた。
そのナイフを、アレンは自分の腹に突き刺した。
『アレン!』
アレンが血を噴出し、その場で蹲る。そしてゆっくりと顔を上げる。アレンはまだ笑っていた。
「こうすれば僕を食べてくれるでしょ? このままだと、ほら、無駄死にになっちゃうから……」
『何バカなことをしているんだ?! 早く医者を……くそっ』
ユーレスは息を大きく吸い込む。大声で鳴けば村人が気付いてここまで来てくれると考えた。
だが叫ぼうとした瞬間、アレンが「ばれるよ」と止める。
「黒竜に追われてるんでしょ? 叫んだら僕たちの居場所がばれちゃうよ」
『っ―――』
黒竜にこの場所がばれたら、逃げてきたことが無駄になる。ユーレスはやむを得ず叫ぶのを止める。
ならどうすれば良い? ユーレスは考えて、この身でアレンを村まで運ぶことを考えた。瀕死のユーレスだが、無理をすれば村の近くまでは辿り着く。もしかしたら村人が気づいてくれるかもしれない。賭けになるがそれしかない。ユーレスは決意を固めた。
『アレン。今から村に行く。文句は聞かない』
「いいよ。そんなことしなくて」
『お前こそ何考えてるんだ。僕は人を喰わない。食うくらいなら―――』
「僕はユーレスに生きて欲しいんだよ」
『それは僕の台詞だ。君はまだ村の事しか知らない。もっと広い世界を知りたくはないのか?』
アレンは短く笑った。
「それ、もう叶ってるよ。ユーレスのお蔭でね」
『どういうことだ?』
「いろいろと教えてくれたじゃないか。色んな世界の色んな景色を」
アレンは懐かしむように、思い出しながら話し続ける。
「果ての無い青い海。海の底にある大きな遺跡。出口の見えない薄暗い森。ある一帯に広がった綺麗な花畑。凶悪なモンスターが住む恐い洞窟。星のように輝く鉱石。何も見えない夜の世界。夜空に浮かぶ虹色のカーテン」
次々と、アレンはユーレスが教えたことを口にする。語っている間、アレンは嬉しそうに笑っていた。
「全部ユーレスが教えてくれたことだよ。村から出れない僕が、村の人ですら知らなかったことを僕は知れた。ユーレスのお蔭で、僕の世界は広がったんだ。それがどれだけ嬉しかったか……ユーレスは知ってる?」
『……知ってるさ』
何も知らないアレンに、いろんな知識を教えるのは楽しかった。どんな事でも嬉し気に聞いて、嘘をつかれるととても怒る。アレンの反応は面白くて、話し甲斐があった。
「僕はそれで十分だったんだ。それ以上のものはいらない。だから僕の命をユーレスに上げるよ」
『何でだ? 自分の眼で世界を見てみたいとは思わないのか?』
「だって……そこにはユーレスがいないでしょ」
『それはそうだが……』
「じゃあ意味が無いよ。僕は、ユーレスと一緒に世界を見てみたいから」
アレンの意思は固かった。ナイフで自傷した時から分かっていたが、言葉を聞いてより強く感じた。
アレンは折れない。このままでは死ぬ。だがそれでも、ユーレスは決断できなかった。
「それに、さ」
優しい声で言葉を続けた。
「ユーレスが僕を取り込んでくれたら、一緒に色んな世界を見れるよね。そう考えたら、別に良いかなって」
アレンの腹部から、血が止まることなく流れ出る。顔色は悪く、今にも死にそうで、苦しそうだ。
それでもアレンは笑っていた。
ユーレスは弱い。だけどそれでも生きてこれた。知恵を知識を活かして敵から逃れ、生き永らえた。だから弱いことを悔やんだことは無かった。
弱さを悔いたのは、これが初めてだった。
弱いから自由に生きられず、弱いから死にかけ、弱いから死すら選べない。そして、友を救えない。
ならば、最後の望みを叶えてあげよう。
『分かったよ、アレン』
ユーレスは覚悟を決めた。
『一緒に世界を見に行こう』




