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荒廃の大地より愛欲を込めて  作者: 蓮見燐
1章 最強と少女
37/44

36:残業はクソ

「……こうして文字に起こすと気でも狂ってんのかって言われそうな一日ですね」

「これがこの世界の日常じゃないの?」

「こんなモンが日常であってたまりますか。というかこれが日常だったらとっくに人類滅んどるわ」


 それもそっかー、とネネカは呑気にベッドの上で寝そべりながら返す。

 対するヴェルサスは変わらず机に向いたまま。しかし顔だけ僅かにネネカの方を見て、呆れ気味に一つ溜息を吐いた。

 詳細な時刻は不明。しかしとうに二人が普段寝る時間は過ぎた時刻。

 昼と夜の境界が部屋ごとに異なるこの屋敷で、寝る時刻というのは特段定まっていない。

 家主も含め、休みたいときに休むのがこの家の習慣だが……まあなんだかんだ皆人であるが故か、眠りに落ちる時間は皆近しいものだ。

 そうして既にメイドたちは眠りにつき、ヴェルサスとネネカも本来は眠っている時刻なのだが。

 こうして眠らずに行っている作業は……至ってシンプルだった。


「ねー、まだ話さなきゃなんないことあるのー?というか一週間前の事なんて殆ど覚えてないよー」

「気持ちは同じですが、やらなきゃならない事なのでお付き合いください。……全く、こんなに報告書要らんでしょうに……いえ隙を与えないためだというのは理解してますけども……」


 ぶつくさと恨めしそうに語りながらも、ヴェルサスはガラスペンを走らせる手を止めることはない。

 二人が眠れない理由。それは単純に、報告書に書かなければならないことが多すぎるからだ。

 当然、最初からこうだったわけではない。なんだったらヴェルサスは一度、報告書を書いた後しっかりとそれを小鳥の乗った不思議な投函箱に入れ、皇城へと提出完了している。

 問題はその後。

 報告書を送り終え、ヴェルサスとネネカは二人で歯磨きついでに風呂へ入り、さっぱりした身体で部屋へ戻って来てみれば、机の上に一つの封筒。

 嫌な予感を感じつつ二人が封筒を開き、内に在る手紙を読んでみれば……クルーベルの字で、要約すればこう書かれていた。


「大陸西部と北部に暴動の予兆有り。また誘導したと思わしき者の影、皇城内に複数有り。警戒のためより詳細な報告書の提出を要求する。具体的にはここ一週間の出来事を一言一句全て書いて提出しろ」


 これを読んだ直後。ヴェルサスは「出来るかァ!!!」と全ギレで叫び、ネネカは左の手で顔を覆いながら深い溜息を吐いた。

 その後のやり取りで、一応全てを一言一句でなくともよい、今回の件に関わった全てを改めて報告書として記載してくれればいい、と譲歩は入ったが……それでも追加で書かなければならないことが出来た事には変わりないし、その追加分が非常に大変だということも変わりない。

 加えて。今回の件に関わった全てとなると、結局は一週間前まで遡って報告しなければならないわけで。


「報告書自体は毎日送ってたけど、それじゃ駄目なの?」

「今回の件に関する経緯として改めてというものなので……あー、めんどい」


 苛立ちを込めるように、ヴェルサスの手元からガリガリと音が聞こえてくる。

 ガラスペンも魔道具らしいので、多少雑に扱おうとも破損の心配は無いのだろうが……少なくとも通常のガラスペンであれば既に先端が削れていてもおかしくない程度の力が込められているとネネカは感じた。

 同時に、ガラスペンでそんなに力を入れてまともに書けるのか?とも思ったが、ヴェルサス自身が特に何も言っていないのなら良いのだろうと特に気にしないことにした。

 流石のヴェルサスも紙を駄目にして報告書を書き直すほど、理性を吹っ飛ばしてはいないだろう。

 気持ち的にはキレて暴れたい気持ちは盛大に有るのだろうが。


「で、えーと……あれ?私がネネカさんを救出したのって昼でしたっけ?夕方でしたっけ?」

「えー……覚えてないってー……。ええと、救出された後にお風呂入って、その後なんやかんやしてたら睡眠薬盛られて寝ちゃって……」

「あー、そうでした。……ええと、それからネネカさんはぐっすり寝てたことも考えると……夕方くらいですか」


 一応、今日の出来事については全て書き終えている。まだ皇城に送ってはいないものの、今日の事を精密に書いた報告書は傍に既に置かれている。

 問題なのは現在の通り、ネネカがこちらの世界に来た日。より正確にはその前後の事。

 ある意味で今回の発端でもあるスタンピード・ラヴェジャー。その詳細と、その原因と推測されるネネカの世界転移、ネネカ救出時の状況等だ。


「割とあの時の私バチギレしてたんで、詳細なんか憶えてねーですー……スタンピード・ラヴェジャーもクッソ時間かかったから中盤らへんの動向なんか憶えちゃいないし……」

「最初と最後は案外覚えてるよねー。というか、スタンピードって割と起きるものなんだね。ホープの方でも起きてたっていうし」


 ネネカがヴェルサスに共感しつつ素朴に思った事を述べると、ヴェルサスはさらにうんざりした様子でその言葉に応える。


「普通は稀です稀。ウルグリムは様々な要因で魔獣が発生しやすい大地でもあるんで。他の土地じゃ数百年に一度起きるかどうかなのがスタンピードです」

「悉く暮らし辛いなあこの大陸」

「暮らしやすい大陸だったら、食料や水の奪い合いで戦争なぞ発生してません」


 そういえば割と普通の理由で戦争が始まっていたんだった、とネネカはウルグリムの歴史を軽く思い出す。

 どこにでもある理由。戦争の理由としては極めてありきたりなもの。

 それが過激化した結果、いつの間にか戦乱の大地などと呼ばれる程度には戦争が一般化してしまった、というだけで。


「……いや、戦争が起きること自体はいいけど……良くないけど置いておくとして。そこから戦争が一般化するって何がどうしてそうなったのさ」

「私だって普通に知りませんよ。なんかカラミティクエストが幾つか絡んだ、みたいな噂は聞きますが……所詮は噂ですし。そもそも戦争続きすぎて、百年以上前の歴史は殆ど残っていないので。始まりが何年前なのかも曖昧なんですよねー。少なくとも数百年以上は前なことは分かりますけど」


 過程の情報が殆ど抜けた結果、最初と最後だけが明確に残っている、と。

 人と同じだなー、とウルグリムの歴史に対しポケッと考えるネネカ。

 戦争が無かったとしても、数百年の歴史が一切損なわれずに伝わることは稀だ。魔獣という明確な自然の脅威も相まって、栄枯盛衰も極めて様々な形で盛んであろうこの世界であれば尚更だ。

 そんな中で百年以上も大陸規模で戦争が続いていたのだ。

 始まりの情報が残っているだけでも、奇跡と言い表せよう。


「……ちなみにカラミティクエストって?」

「説明めんどいんでまたいずれ。超大雑把に言うなら世界の悲願とだけ」

「あー……あれか。なんかヤバい奴が討伐対象に指定されてるクエストとかだ」


 大体そう、とヴェルサスはガリガリと報告書を書き続けながらネネカの言葉を端的に肯定する。

 元の世界のゲームでもたまにあったものだ。果てしなく危険なモンスターの討伐が目的の依頼などが。

 形式は様々な形ではあったが、ファンタジーな世界観の作品では時折あったもの。この世界に有ったとしても、特におかしいと言えるものは無い。


「でー?えー、とー?……ネネカさん。私からラフォンの事って話しましたっけ?」

「?今日?確か……いや、呪詛の中でラフォンの名前とかを知る前は……話されてないはず」

「じゃあ……いいか。となるとラフォンの事は……」


 時折ネネカに確認のような質問をしてはすぐに紙へと向き直り、報告書をしたためていく。

 いつになったら報告書を書き終えるのか。ネネカには全く分からないが、自分も無関係ではないが故に先に寝ることは出来ないし、当のヴェルサスもいつになったら書き終えるのか分からなそうなので、特に何も言わないことにした。

 別に言っても良いのだろうが、下手に焦らせてやり直し等をさせてはそれこそ時間の無駄になると思ったが故に。


「えー……あれ、ネネカさんに反乱組織の事どこまで話しましたっけ……どうにもここ数日色々有り過ぎて、何を話して何を話していないのか、曖昧になってきてしまいました」

「あー、分かる。話の流れとかで察したり理解したりでっていうのも有るし。反乱組織の事はそういうのが有るよくらいにしか聞いてないかな」

「そーでしたー。……んぬぁー。マジでどこまで何を話したか……」


 報告書を書く手を止めて、腕を組んで悩む素振りを見せるヴェルサス。

 実際思い出せず悩んでいるのだろう。如何に最強と言えど、日常的な会話までもを全て憶えているわけではないのだから。


「……いいや、もう適当で。ネネカさん、もしなんか聞かれたら雑に話し合わせといてください。あとネネカさんの理解力に期待します」

「がんばれ未来の私」


 ヴェルサスからのまあまあ無茶な頼みに、ネネカは検討も面倒だったのでため息交じりに未来の自分へ託す。

 どの道今後も知らないことに対し話の流れ等で理解することは多々有ろう。或いは、聞かれたその時までに聞いてはいたが普通に忘れていて、話をしたことで思い出すことも十分に有り得る。

 単なる先延ばしと言える状態だが、今どうにもできない事であることに変わりは無いのだ。


「あと書かなきゃいけないのは……えーと、こっちは書いたから……となると後はラフォンの情報か……もーこれくらいあっちで纏めてくださいよーもー!」


 うあー!と今にも投げ出したいと言わんばかりに腕を振り上げるヴェルサス。

 しかしその腕を感情のまま振り下ろすことは無かった。

 ヴェルサスは軽く息を荒らげながら、再びガリガリと書き始める。

 ただし先ほどよりも、手を動かすスピードは遅くなっているように思えた。


「……ネネカさん。なんか適当に質問とかしてくれません?」

「急」

「眠いんですもん」


 どうやら書く速度が落ちているのは、疲れだけではなさそうだ。

 まあヴェルサスが感じている眠気も、疲れから来ているものも少なくないのだろう。ネネカがなんだかんだで疲れているのだから、現在進行形で仕事をさせられているヴェルサスとて疲れがたまっていてもおかしくはない。

 そのための眠気覚ましとして会話を求めるのも。


「……質問、ねえ」

「出来る限り現在書いていることからあまり外れない程度の事でお願いします。あ、でもあまり核心を問われるとそれも報告書に追記しないといけないんで勘弁」

「注文多くない?あと難しくない!?」


 ヴェルサスがそうオーダーする気持ちも分からなくはない。

 現在書いているのは報告書。それも今回の件に関係する事象に関する報告書だ。

 報告書を書きながら報告書のものとは異なる話題を、というのは普通に高度な並行処理能力を必要とする。

 ヴェルサスならば出来てもおかしくは無いが、少なくとも眠気が襲ってきている中でそれを確実に行えるかというと不安は有ろう。

 かといって核心に迫った話題を話し過ぎては、それすらも報告書に記載しなければいけなくなり、結局は手間が増える。

 それ故のオーダーだが……当然、当のネネカも理解はしていても文句の一つや二つ言いたくなる注文なのは間違いなかろう。


「えー……今はラフォンって人の奴を書いてるんだよね?」

「そうですね」

「ラフォンのこと、ラフォンのこと……うーん」


 当然、ネネカにとって聞きたいことは山のようにある。ラフォンの事も例外ではない。

 が。報告書に記載せずとも良い程度の質問がどの程度なのか。それを考えた場合、選択肢は極めて狭まる。

 むーん、と悩んだ末にネネカは、ふと思い出したものを聞くことにした。


「呪詛の中でさ。ラフォンと別れる前に、なんか……魔法特性?だっけ?を渡されたんだけど」

「待って報告書に書くこと増えたーもー!!!」


 どうやら初手駄目だったようだ。

 ヴェルサスはネネカの言葉を聞くと同時、机にゴンと突っ伏した。

 当然、報告書を書く手は止まっている。


「何の魔法特性貰ったんですかー。いや大体想像は付きますけどー。だってラフォン・フィオルテが持ってる魔法特性の中で態々消滅する直前に渡すような特別なものって一つしかないんですものー!」


 もーもーもー!と半ば喚きながらヴェルサスはなんとか身体を起こし、再びガリガリと手を動かしていく。

 ネネカにはその光景が、半ば八つ当たりのように感じた。


「……あの、そんなに駄目だった?魔法特性を受け継いだの」

「魔法特性を受け継ぐこと自体は全然オッケーですぅ。っていうか一般的な魔法使いが強くなる方法と言ったらそれですしぃ」


 何やら口調が少しおかしくなっているヴェルサス。

 苛立ち故か、眠いが故か。その両方か。

 とりあえずネネカは、それが爆発しないことを願って


「問題は、ラフォン・フィオルテから継承した魔法特性の方なんですー!!!なーんで禁忌の技術の元を受け取る、っていうか渡すんですかねー!!!一代限りだから見逃されてたようなもんなんですけどぉ!?」


 案の定爆発した。それも思いっきり。うがーとヴェルサスは腕を振り上げている。

 詳細は分からない。が、少なくともヴェルサスの反応からしてあまりよろしいものではなさそうだ。


「……そのー、そんなに駄目なの?受け継いだ魔法特性」

「は!?そりゃどう考えても……ん?」


 そこでふと、ヴェルサスは動きを止め。

 くるっと、椅子に座ったままネネカの方を向く。


「……あれ?もしかして分かってない……分かりません?普通に」

「……何が?」

「いや、魔法特性。魔法性質とも言われることあります、けど……」


 ヴェルサスの要領を得ない言葉に、ネネカは首を傾げる。

 言葉の意味を理解できていれば普通に通じる会話なのかもしれないが、ネネカにはその知識が無い故に分からなかった。


「……とりあえず魔法特性とか魔法性質って何なのさ。そもそも何が違うの?」

「や……ええと……いえ、そもそもまずはそこか。この辺りじゃ魔法性質って呼び名が一般的なだけで、どっちも同じものを基本的には指します。地域で呼び方の違いがあるだけで、他にもマジックプログラムとかも南の方じゃ言ったはず……多分」


 なにやらしどろもどろ気味なヴェルサスの説明。

 とはいえ。そもそも、まずは、と言っていた辺り少なくともこの辺りでは一般的に用いられる言葉なのだろう。

 魔法特性。魔法性質。マジックプログラム。一つの事柄に対し様々な呼び名があること自体は、別におかしく無かろう。言語そのものは同じでも、使う地域特有の訛りなんてものまであるのだから。

 だから今回の話において重要なのは、そんなすぐに終わる話の事ではなく。


「……本当に分からないんです?受け取った魔法性質」

「……分かるも何も、なんだけど。ラフォンがどういう魔法性質持ってたのかも知らないし」

「……ふむ?」


 首を傾げたヴェルサスは、瞬きの間にネネカのすぐ傍へと移動してくる。

 瞬間移動が如き速度の移動。ヴェルサスからすれば、ただ飛行も併せて椅子から移動しただけなのだろうが、ネネカの視力を以ってしても瞬間移動にしか見えないのは流石というべきか。

 ……それが出来る能力が有るのなら、報告書も秒でどうにか出来そうな気もしたネネカだった。

 ヴェルサスはネネカの頭へ、そっと触れる。


「……成程。誰かから該当する魔法特性について聞かされるまで情報が解禁されないよう、ロックがかかっていますね」

「え、ロック?」


 ネネカが声を上げた時には、ヴェルサスは既に先ほどと変わらぬ、机に向かってガリガリと報告書を書く作業に戻っていた。

 どうやら本当に、継承した魔法特性の事情について確認しただけのようだ。

 その割に瞬間移動もかくやというものであったが、ヴェルサスの場合はこれがデフォルトなのかもしれない。


「……魔法性質ってロックとか出来るものなの?」


 とりあえずネネカは、直近で気になったことを聞くことにした。

 ヴェルサスの眠気覚まし程度には成るだろうと考えて。


「んー……一般的には出来ません。高位の闇属性魔法の適性……というより、高位の闇属性魔法の適性を必要とする闇属性魔法専用の魔法性質によってのみ、自分から相手へと完全に譲渡する場合のみ可能です」


 確認されている限りはですが、とヴェルサスが付け加える。

 付け加えた理由は恐らく他にも封印のような形を行える技術が有るかもしれないのだろう。

 ヴェルサスが最強と呼ばれていようとも、この世の全てを知っているわけではないだろうから。


「じゃあ、ラフォンはそれを使って魔法性質?を私に封印した状態で譲渡した、ってこと?解放条件は?」

「そうなります。解放条件は、今回のものは先ほど言った通りです」

「……いや、そうじゃ……ん?じゃあ今……」

「より正確には、他者より該当する魔法性質の正式名称を言い当てられることで解放されるようになっています。逆に言えば、その魔法性質の情報をどれだけ語られようが、魔法性質の正式名称さえ正確に言い当てられさえしなければ魔法性質が解禁されることは有りません」


 完全に、魔法性質の正式名称をトリガーとして封印されている、という事らしい。

 どうしてそこまでしっかりと封印を施した上で譲渡したのか。

 譲渡したこと自体はラフォンなりの礼なのだろうとは判断できる。

 ではなぜ封印を……それも、それなりの情報網が無ければ欠片も辿り着く可能性を得られなさそうな、そんな封印の仕方をしたのだろうか。


「……ラフォンも何やら禁忌とか意味深な事を言ってた上で、ヴェルサスちゃんがあんなに面倒くさがったってことは……」

「……相も変わらず察しが良い事で」


 はぁ、とヴェルサスが背中越しでも分かるほど深めのため息を吐いたのが分かる。

 言葉とは裏腹にその態度ということは、皮肉というよりか面倒の可能性へと次々と触れていくネネカに対する呆れが大きそうだ。


「推測の通り。ネネカさんが継承された魔法性質は禁忌の技術です。正確には、禁忌の技術に指定されている魔道具の基になった魔法性質。純粋に汎用性や出力などで考えた場合、私の知る全ての魔法性質の中で考えても、余裕で十本の指に入るであろう程に極めて強力な魔法性質です」

「想像以上にヤバいの継承されてた」


 あくまでヴェルサスの知る中で、という注釈こそ付くが。

 最強たるヴェルサスがここまで一切澱むことなく言い切るほどの魔法性質。

 禁忌の技術の基になった魔法性質である故、魔法性質そのものが禁忌という訳ではなさそうだが。

 それでも。ラフォンが厳重な封印を施し、ヴェルサスもそれを安易に解除しようとせずに居る辺り、詳細を知らずとも相当な代物であることは疑いようもなかった。


「加えて。これはラフォン・フィオルテという、技量と経験で以って闇属性魔法の使い手として名を馳せながらも魔力だけで言えば控えめであった方が、魔力量の影響を強く受けるその魔法性質を所有していた状態での評価です」

「察した。そりゃ危惧するよね、私が使うの」

「そういう事です」


 魔力控えめな者が使って強力だった魔力参照の魔法性質を、莫大な魔力を持つネネカが振るえばどうなるか。

 そりゃもう分かりやすく強力なものと成るだろう。

 善人も悪人も等しく警戒せざるを得ない魔法性質。厳重な封印を施すのもやむなしというものだ。


「純粋な機能だけで言えばかなりシンプルなんですけどねー。シンプルなだけに拡張性が有って、それ故に禁忌の技術まで出来てしまったんですが」

「シンプルが考えものなのはどの世界でも同じなんだなあ」


 シンプルな方がよい事も在るが、それはそれで善い時だけ。

 時と場合と場所によってはシンプルなことが困る事も在るものだ。

 今回はまさに、後者の状況のものを引き取った、と言えよう。


「……あれ?というか、そんな禁忌の技術の基とか手に入れちゃって大丈夫なの?私」

「その魔法性質自体が禁忌の技術に指定されているわけではないので問題は有りません。世間体についても問題無く。自分の保有している魔法性質の派生が禁忌の技術に指定されている、という事例は一般的ですし」

「一般的だった」

「むしろ派生形で禁忌の技術に指定されていない魔法性質とか有るのかってレベルです」

「指定されてないほうが希少なレベルだった」


 逆に言えば、魔法関係だけでも禁忌の技術とされているものがそれだけあるということ。

 技術の発展も善し悪しあるのだと、ネネカは感じた。


「まあ禁忌の技術もピンからキリまで様々ですけどねー。政治的な理由で禁忌に指定されているものも極めて非常に多いですし」

「あー、やっぱそういうのもあるんだ」


 その点において特に驚きはない。

 禁忌の技術などと指定するのも、全ては人だ。

 どういった仕組み、どういった理由で禁忌とされているのかは分からないが、もし国際的な場で決定しているのだとすれば、自分の国に少しでも有利なようにと考える者が多くともおかしくない。

 例えば。戦争において、敵軍の主戦力たる兵器を禁忌の技術に指定してしまえば、それだけで自軍は圧倒的優勢となる。敵は主戦力を失い、仮に無視して使えば国際的な敵と成り果てるのだから。

 兵器以外でもそうだ。自国の産業で一般的に用いられている技術が禁忌の技術に指定されようものなら、それだけで国の産業は大きく傾く。

 国際的な禁止事項というのは、何も危険だからというだけではない。各々の国の事情も当然に絡んでくるものだ。

 国を動かすのも、世論を動かすのも、結局は人なのだから。


「……そんな中で、私の継承した魔法性質は」

「ええ。……あくまでその派生のものがではありますが、純粋に強力かつ倫理的に問題が有るからと禁じられたもの……本来の道理で禁忌の技術に指定されたものです」

「……譲渡はしても封印してた理由が、良く分かるよ」


 これもラフォンの優しさなのだろう。

 消える寸前の自分からの礼として特別に遺せるものはただ一つ。しかしそれは純粋に禁忌に指定されたもののオリジナル。

 それを持つ事での世間体と、俗に言う力に溺れる事態を危惧したが故に、ラフォンは残る全てを用いて封印も施したのだ。

 そしてヴェルサスもそれを瞬時に、正確に理解し、決して容易く魔法性質の名を呼ぶことはない。


「有るものは使わないと勿体ないですし、その封印自体も本来はあまり良くないものですので、いずれは解禁いたしますが。……それよりも先に、この世界に馴染むことを先決としましょう。馴染む傍ら魔法の練習を行い、一定の能力に達したと判断した時、私が名前を呼ぶことで解禁します」

「ん、分かった」


 決してネネカへの信頼と信用が無いわけではない。

 ただ純粋に、単純にタイミングが違うだけだ。

 この世界での常識とネネカの世界での常識は、似ているようで異なる。同様に、言語も同じだが通じる言葉と通じない言葉が有る。

 その大前提の擦り合わせすら行わずに、ただ力だけ得ては遠からず暴走するのがオチだ。

 物事には順序というものが有る。一段飛ばし出来る場面も時としてあるものの、これはその次元ではない。百段飛ばしでも少ない方だと評せるものだ。

 ネネカは静かに、ヴェルサスも認めるその時が来るまで、大人しくこの世界への研鑽を約束した。


「……ちなみに、封印も本来は良くないって言ってたけど?」

「一応呪力……あ、高濃度の闇属性の魔力です。呪力使ってやる奴なんで。高濃度の魔力は色んな理由で人体にはそこそこ……というか相当有毒なんですよねー。まあ私らには関係のない話ですけど」

「?……あー、魔力量が高すぎて害が出ない感じ?」


 ヴェルサスが報告書を書く手を止め、腕を伸ばしながら無言で頷く。

 本当に魔法というものは、魔力次第でどうにでもなるようだ。

 運が良い、と今は素直に思っておくことにしたネネカだった。

 なんとなく、この膨大な魔力を巡って後々様々な面倒も発生するのだろうと、予期しながら。


「さて、と。後は封筒に入れて封蝋で……あれ、スタンプ何処やったっけ」

「あ、もう書き終わったんだ。早いね」

「今までどれだけ書類を書いてきてると思ってんですか。大体のものは、インク切れ等の時間を除けば数分あれば書ききれます」

「普通にプロフェッショナル」


 ガコガコと机の引き出しを開きながら答えたヴェルサスに感心するネネカ。

 なんだかんだ言いながらヴェルサスは、日々膨大な量の書類を捌いている。

 年がら年中様々な書類を書いて処理し続けていれば、確かに相当な書類処理能力が培われるであろう。

 その結果、さらに膨大な書類が積み重なりそうではあるが。


「……私もいずれ、こんなにデスクワークやんないといけないのかなあ……」

「……です……?……まあもし理者になったのなら、書類仕事は多少やることにはなるでしょうね。理者の人員が増えればこの地獄の書類作業も軽減されますし」

「……分散させられる側としてはまあまあ嫌だけどね。その時になったらやり方教えてよ?」

「無論です。流石に何も知らない人にやらせるほど……ちょ待って、スタンプ本当に何処やりましたっけ?」


 話しながらも何かを探していたヴェルサスだが、机の引き出しを一通り見ても見つからなかったようで、バタバタと机の周囲も色々と動かしていく。

 この部屋は別に散らかっているとは言わないが、なんだかんだで物は多い。その殆どが例に違わず魔道具らしく、下手に余所に置くのも怖いのでいざという時幾らでもどうにもできるヴェルサスの身近に置いているらしい。

 そんな魔道具たちを、ヴェルサスは手も触れずにふわふわと浮かばせては降ろし、を繰り返していく。


「……執務室かな?いやでも持ってってない……」


 ブツブツと呟くヴェルサスに、ネネカは身体をごろりと転がしながら声をかける。


「今更だけど何探してるの?なんのスタンプ?」

「あのー、あれです。スタンプ。封蝋用の」

「……あー、アレ?あのー、シーリングスタンプ?」

「へー、そんな名前あるんですか。お洒落でいいなあ。私も今度から使おう」

「柔軟」


 エリーゼもそうだったが、妙に異世界の単語の吸収が早い。

 新しいものが好きなだけかもしれないが、だからと言って異世界の言葉まで取り入れるのはもはや柔軟という言葉すら生温い気がしている。


「あのスタンプ、なんか意味あったの?そういう決まりとか?」

「いえ、別に決まりは無いです。単にあれで封を押した封筒も、あの鳥の小箱と同じように転移して届けることが出来るんです。というより元々……いや最初からだったけど、鳥の小箱は受け取り専用なんです。スタンプの方が本来の送信側なんですよ」


 鳥の小箱は本来、受信専用。スタンプが送信専用。

 小箱とスタンプでセットになっている魔道具。

 随分とかけ離れた見た目同士だが、魔道具故に特におかしいと思う点は無い。

 そしてこれまでの情報から、ネネカは少し考えて。


「……あー。小箱の方の不具合かなんかで小箱でも送れるようになってるけど、一応本来の挙動としてはスタンプの方だからスタンプを出来る限り使いたい、って感じか」

「理解が早くて本当に助かります。あ、コレ……は違うか。ルクスリア用だ。皇城用の奴……あれー?机の上から動かしたっけなー?」


 ネネカの理解に感嘆しつつも探す手を止めることはないヴェルサス。

 一度は見つけたようだが、どうやら別のものだったらしく、少し肩を落としている。

 自分も探すべきかなー、とネネカはベッドから身体を起こし……そしてふと、ベッドのすぐ傍の窓枠を見る。


「……ヴェルサスちゃん」

「なんですー?あ、コレ……も違う。あれこれ何処用の奴?名前書いてない……」

「其処の窓枠に置かれてるの、パンドラとそのスタンプ?」

「パン、え?」


 ほぼ反射的にヴェルサスが、ネネカの方を向く。

 ネネカは静かに、該当する窓枠を指で指し示す。

 そこには黒く金色に輝くパンドラと、その傍に置かれたシーリングスタンプが有った。


「それー!!!」

「あぶな!?」


 ヴェルサスはネネカの目にすら留まらぬ速度でネネカの鼻先を掠めながら飛び、窓枠に置かれたパンドラとスタンプに飛びついた。

 当然そんなスピードで鼻先を掠められたネネカとしては、ひやひやどころの話では無いのだが。


「なんでここに……あ、いやそっか、パンドラの光の当たり具合での変化とかを見て報告書書いてたから……」

「原点通りだったらしないよ……っていうか元ある場所に戻しといてよ」

「忘れてました」


 部屋を散らかす人の典型だなー、とネネカは静かに思った。

 別にこの部屋や執務室が散らかっているわけではない。物こそは多いが、なんだかんだで置くべき場所には置かれている。

 ただ。物が多いゆえに、どうしても足の踏み場が少しずつではあるが失われているのは事実。

 その殆どが危険な魔道具故にヴェルサスの近くに置いておきたい、という気持ちは分からないでもないが……既に壁は一面が見えなくなっている辺り、遠からずゴミ屋敷ならぬゴミ部屋になる未来が見え隠れしている気がした。


「まあ有ったから良し。これはぽいっと。あ、ラフォンの経歴……いいや。めんどいし。しょうもないし」

「しょうもないって。っていうか超ナチュラルにパンドラ放らないでよ」


 パンドラとスタンプを持ってふわふわ浮いていたヴェルサスは、パンドラを適当にネネカの近くへ放りながら机へと向かっていく。

 ヴェルサスが今必要なものはスタンプなので、パンドラが不要なのは分かるが……仮にも危険かもしれないものをこんなに雑に扱うのはどうなのだろうか。

 さらに言えば、言葉にも致命的な問題がある気がした。

 単純に人一人の経歴等を書面に起こすのが面倒なのは分かる。特にエルフともなれば、その経歴は極めて長いものになるだろうし、そもそも我々からでは知らない事情も少なからず有ろう。全てを今から書くのは無理に等しい。

 だが。だからと言って人の人生を、しょうもない、などと評するのは如何なものか。


「だって私の人生じゃないですもん」

「…………………………」


 ヴェルサスは端的に、そう言い切った。

 書き終わった書類を封筒に入れながら。特に声のトーンも変えることなく。

 本当に、只々他人事でしかないと言うかのように。


「なんか辛いことがそこそこ有ったらしいですけど。別に私の身近な存在という訳でもないですし、仮に身近だったとして当人でなければどうしようもない事ですし」

「…………………………」

「彼の不幸でこちらが得るものが有るわけでも無し。様々有ってウルグリムが憎いのやもしれませんが、だからと言ってそういう不幸を無くそうと頑張ってる私たちの邪魔をしないでほしいんですよ」


 ヴェルサスは淡々と語りながら、封筒をスタンプで閉じる。

 蝋も何も使わずにスタンプを押しただけだが、封筒は確かに封蝋が成されていた。

 魔道具故に不思議では有っても不可思議は無かった。


「復讐は何も生まないっていうのに。なんで誰も彼も、もう亡くなった国にすら報いようとするんですかね?復讐するくらいなら、過去に戻る研究でもした方がよっぽどか生産的でしょうに。そういう例が無いわけでもないんですから」


 あー疲れた、と言ってヴェルサスは封蠟を押した封筒を適当に放る。

 それだけで瞬きの間に消える封筒。

 魔道具の仕組みと併せて、送るべき場所に送られたのだろう。

 そのままヴェルサスは、欠伸混じりに空中を漂うように、ネネカが座っているベッドへと向かってくる。


「……本当さ、ヴェルサスちゃんって、空っぽなんだね」

「…………………………」


 ネネカの言葉に、ヴェルサスは動きを止める。

 瞬き一つすることなく。まるで時間が止まったかのように。

 しかしそれも数瞬。ヴェルサスは視線だけを、ネネカに向ける。


「……どうして、そう思うんです?」

「そう思うから、としか」


 そうですか、とだけヴェルサスは返し目を瞑る。

 そのたった五音に、現在のヴェルサスの感情全てが詰まっているようにも感じた。

 それが善いものか悪いものか。そもそもどう定義できる感情なのかも、ヴェルサス当人にも分からないのだろうが。


「……ええ。空っぽですよ、私は」


 そして認めた。

 端的に。あっさりと。はっきりと。

 その上で。


「だから足掻いているんですよ。中身を作ろうと、中身を得ようと。空っぽで無くなろうと、無様に必死に手探りで」


 紛れもない、ヴェルサス・ヴァナディースという一人の少女の本心を明かした。

 そこに力など無い。意思が有るかも分からない。

 だが確かな願い故の足掻きが、そこにはあった。

 そうしてヴェルサスは、静かにネネカへと向き直り、瞼を上げる。


「貴方も同じことでしょう?」


 その視線と言葉は確信を持ってのもの。

 この世界における全てを持つ少女は、この世界をまだ知らぬ少女へと問いかける。

 少女は。ネネカは。

 ヴェルサスの言葉に対し、静かに瞼を降ろす。

 少なくとも今は何も答える気は無いと、告げるかのように。


「……全く」


 ヴェルサスは浮いたまま、ネネカが持つパンドラに触れる。

 パンドラは変わらず黒い箱型で、金色の幾何学模様が走っていた。


「どれだけ力が有っても不自由ばかり。自由は何時になったら得られるやら」

「この世のしがらみから解放された時じゃない?異世界に来て元の世界のしがらみから解放された私みたいに」

「説得力がすんごい」


 ネネカの言葉に苦笑しながら、ヴェルサスはポスッとベッドに落ちる。

 通常ならばベッドに飛び込んできたら多少跳ねたりなどするのだろうが、ヴェルサスが落ちてきたのが然程高くない場所であり、かつ当のヴェルサスが小柄故に軽いため、然程ベッドのマットレスが動くことは無かった。

 まあこのマットレスも魔道具らしいので、元々動くことが無いのかもしれないが。


「……ああ、そういえば。パンドラの事、少しだけ分かりましたよ」

「え」


 驚いたネネカはパンドラを持ったまま固まる。

 当のヴェルサスは、眠そうに目元をうにうにとしていた。

 なんだかんだ眠いのだろう。実際ネネカは、ヴェルサスが眠っている姿をあまり見たことが無い故に。

 少なくとも眠る時はネネカより遅く、起きる時はネネカより早いのは確実であり、年頃の少女がそんな生活をしていては眠くなるのも仕方ないものだ。

 しかしネネカとしてはそんなヴェルサスに構う余裕などない。

 元居た世界で、パンドラという物体の登場した作品と、その作品内でパンドラが引き起こした様々な事象を知っている者としては、決して悠長な姿勢など取っていられないために。


「どう、どういう効果なの?」

「落ち着いてください。あくまで、何も分からないではなくなった、というだけです。効果までは分かりません」


 効果までは分からない。

 ならば少なくとも、効果以外の何かしらは分かったということだが。

 ネネカはじっとヴェルサスを見て、言葉の続きを待つ。

 ヴェルサスは変わらず眠そうにしながら、んー、とごろりとベッドの上で転がってくる。


「……一応、前提の確認を。このパンドラと呼ばれる物質は、起動状態にあるときは現在のように金色の幾何学的模様が表面に浮かび上がる。……で、いいのですよね?」


 ヴェルサスの問いに、ネネカはコクリと頷く。

 ベッドの上で転がっていたヴェルサスは、しれっとネネカの太ももに頭を乗っけていた。

 しかし寝心地が悪かったのか、もう一度ごろりと転がってネネカの身体から離れる。


「分かったのは起動条件です。詳細にどういった条件かは分かりませんが、少なくともネネカさんの意識に強く関係していることは確かです」

「?意識?」

「はい。……何度も言いますが、詳細はまだ不明です。ただ、ネネカさんが眠っているときは光を失っているんです、パンドラは」


 ネネカはパンドラを見る。

 手の内に在るパンドラは、今までと変わらず漆黒の立方体に金色の幾何学模様が有るだけ。どんな力が有るのかも全く分からない。

 ただ少なくとも、ネネカの意識に関係しているものだという。

 成程。であればネネカはこのパンドラの変化に気付かずとも仕方ない話だ。

 意識無くして変化に気付くなど、他人でしか出来ない事だ。

 まあもしかすれば意識を身体から離す魔法なども有るのかもしれないが、今行使可能というわけではないので同じ話だ。


「ネネカさんが眠っていると起動しないのか、意識を失っていれば起動しないのか……そして起動状態の場合は何が起こっているのか等は未だ分かりません。もしやすれば現在のネネカさんを構成する要素の内、極めて重要なものに関わっている可能性も十分に有ります。が、そのどれも今は解明に至れません」


 パンドラの事で分かったことはただ一つ。

 詳細は分からずとも、ネネカの意識に関係しているということ。

 それだけであるようだ。


「……それでも大きな進歩では有ると思うよ。元ネタの方じゃ、起動条件も内容も何も分からなかった結果起きた悲劇が無数に有ったんだし」

「内容次第ですけどね。まあいざとなれば私が時間とか空間とか色々操ってどうにかします」

「多分本当に出来るんだろうけど、大規模過ぎて想像が出来ない」

「奇遇ですね。私も大規模な技術使わないんで想像できません」


 使わないんだ、と少し意外に思うネネカ。

 別に時間や空間を操る技術を普段使わないという点については、特に違和感はない。そもそもそんな技術を使わなければならない状況に陥る方が問題だし、陥ったとしてそんな状況が人生で何度も有るかと言われれば少ない方が自然だ。

 加えてヴェルサス自身、自分の能力十割で何もかも全てを自分の思い通りにどうにかするタイプではないだろう。何故やらないのかは一旦ともかく、結果としてやっていないのだから間違いない。

 ただ、あんまり使わない、ならともかく、使わない、と断言するとなれば話は異なる。

 力が有る、というのは一種の強制された運命のようなもの。力を持つ者の意思を問わず、その力に自他ともに振り回されるものだ。

 他ならぬネネカがそうであったから。

 しかしヴェルサスは、一切迷うことなく、その力を使えることを明確に認識したうえで、使わない、と言った。

 それに対し意外に思ったネネカと、そんなネネカの表情からその思考を察したヴェルサスは、どこか自嘲気味に笑いながら答えた。


「……私は、実の姉やヴァメルたちが守ってくれましたから」

「……そっか」


 実の血の繋がった家族の姉。血は繋がっていないが家族のようなヴァメル。

 どちらも純粋な実力の上ではヴェルサスには劣っているだろう。力の種類でも勝っているとは考えにくい。

 それでも、ヴェルサスをして守ってくれたと言うのなら。

 その力の差を理解した上で、出来ることをしてくれたのだろう。

 ネネカの姉が、自分より遥かに優秀な妹を、悪性の極みのような世界から守ってくれたように。


「……いつか紹介してね?お姉さんの事も」

「……ええ、いつか」


 その返事を聞くと同時、ネネカはベッドの傍の机にパンドラを置く。

 これでパンドラに関する話は区切りだ。

 どの道これ以上語れる事はない。

 パンドラの起動条件がネネカの意識に関係していることが分かっただけ。

 もしパンドラが危険なものであったのなら、最強たるヴェルサスが守られていた本気を出してでもどうにかする。

 それだけの話でしかなく、それ以上など無いのだから。


「じゃ、そろそろ眠るとしましょうか。地味に今日疲れたし」

「今更だけど私さ、ずっとこの部屋で寝泊まりしちゃってるけど、使用人部屋に移った方が良い?」

「このクソ広いベッド、一人で使うのいい加減クソ寂しいんでずっと居てくれません?」

「理由」


 気持ちは分からないでもないけど、とネネカは寝転びながら苦笑いを浮かべる。

 二人が寝ているベッドはとても広い。訳が分からないほど広い。具体的にはトリプルワイドキングサイズ。

 そんな広さを小柄なヴェルサス一人で使うとなれば、それはまあ寂しいとなっても致し方なくは有ろう。


「んー。でも、同じ住まわせてもらってる人らの中で、私だけ特別扱いっていうのもなー」

「大丈夫ですよ。どーせ、明日には確実に特別扱いですから」

「?」


 ネネカが疑問そうに首を傾げるが、当のヴェルサスは欠伸するばかり。

 何か知っている、というより分かっている、という雰囲気であるが。

 流石のネネカも何の情報も無しに、ヴェルサスが理解している内容を察することは出来なかった。


「どの道その魔力じゃ、特別扱いは時間の問題です。そうでなくても異界の知識は誰もが常日頃から求めるもの。使用人部屋に移ろうものなら、使用人たちに毎日……それこそ徹夜で異界の情報を求められますよ」

「うわめんど」


 別に異世界の情報を話すこと自体はいい。

 勿論情報価値、情報統制的な問題は有るためむやみやたらに喋ってよいものではないだろうが、単純に異世界の情報を明かすという点に限れば然したる問題は無いとネネカは考えているし、ヴェルサスやクルーベルらもその点については同意見だろう。

 しかしそれが連日、徹夜でともなると流石に常識的に考えても遠慮願いたい話となる。

 こういう世界だ。未知の世界の情報などは誰もが求めるもの。それが政治的な話か純粋な興味かは人それぞれだろうが、こういった未知を求めるのは不思議ではないが。

 それにも常識的な限度というものが有り、ネネカとしてはそれを超えるのは勘弁願いたい。


「あとついでに刺客の脅威も有ります。この屋敷も余所より安全というだけで確実に問題無い保証は有りませんし。安全性という意味では私の傍が一番ですよ、これからも」

「……なんかプレゼンされてる気分になってきた」


 しかし実際、安全性という点においてヴェルサスの傍以上は存在しないのも確かだ。

 この世界の事にまだ疎いネネカでも分かる。己の、この世界における計り知れぬ価値を。

 通常ならばその価値を誇る者も居るのだろうが、ネネカはそういう気質では無いし、なによりこれは度が過ぎている。

 下手に己の価値をひけらかそうものなら、瞬く間にあらゆる勢力の手が伸び、真っ当な人生とはかけ離れた生涯を送る事となろう。

 仮にむやみやたらと己の価値を誇らずとも、聡い者は感付き動いてくるであろうことは容易く読み取れる。

 勿論その二つでは襲い来る脅威の数も規模も桁違いだろうが、どちらにせよネネカという一人の人間の計り知れぬ価値を求めてあらゆる者が貪欲に手を伸ばしてくることは想定できる。

 そんな中で確実に己の身を守る手段が有るとするなら、比類なき最強であるヴェルサスの傍に居るのが最善となろう。

 自衛手段も得られたら良いが、それどころでは無いのが現状なのだから。


「まあヴェルサスちゃんが良いならこれからも此処で寝泊まりさせてもらうけどさ……その方が私的には助かるし」

「構いませんよ。むしろこちらが聞きたいのですが、私と一緒に寝泊まりして良いのですか?」

「……?……なんで?」


 あふ、とネネカが欠伸混じりに聞き返す。

 眠い思考ではあるが思案の末に、ヴェルサスが危惧するようなことが有るとは思えなかったが故に。


「……いや、私淫魔なんですけど。普通嫌じゃありません?淫魔と寝食を共にするとか」

「……あー……?」


 半分忘れかけていたが、ヴェルサスは淫魔……要するにそういう事に長けた種だ。

 淫魔と寝食を共にする。それはまあ、そういう事が有ったと思われても致し方ない事であろうし、張本人も望まぬ行為を迫られる可能性も有る。

 当たり前だが一般論等で考えるのならば、淫魔と共に居るだけであまり良い目では見られない事だろう。


「……んー。普通とか言われても、私の世界には淫魔なんて創作の世界にしか居なかったからなあ……あんまり感覚が分かんないや」

「……創作では居たのでしょう?こちらの淫魔と同じものが。それが現実に居て、怖いとは思わないので?」

「現実に……うーん……」


 ネネカは再び思案する。

 思案する中で一応元の世界での淫魔の扱い……創作物でどういった淫魔が登場し、どういった事を行っていたかを思い出す。

 年齢としてはまだ幼いと言えるネネカだが、周囲の環境のせいか肉体と共に精神の成熟も早く、そういった知識も自然と身につけさせられた。

 故に、淫魔がどういった存在かは理解している。

 ただ。


「……うーん……?」

「そんなに悩むことです……?」


 その理解を前提としても、ネネカには淫魔を敬遠する理由が思い至らなかった。

 別にそういう行為を好んでいるわけではない。人生で何度か強姦されてきたが、当然その全てが嫌な思い出でしかない。

 そういう行為に対するネネカの感情を、善いか悪いかで考えればまあ悪いと即答できるであろう。

 しかしそれを踏まえた上で。


「……正直、そんな特別に嫌悪するとかは無いかなあ……?」

「まあまあ曖昧ですね」


 ネネカの答えにどこか複雑そうなヴェルサス。

 それを悪く受け取っている様子は無い故、単純に種族的にも複雑な部分が有るだけなのだろう。


「普通、嫌だと答えると思いますけどね。この世界に来て早々あんな目に遭ったのなら尚更」

「……うん、まあ、何も思うところが無いって言ったら嘘になるけどさ。淫魔がそういう事に長けた種族で、いくら淫魔の種族として強姦を嫌っているって言ってもなんかしらで貪る種族なんだろうなとは思ってるし」

「貪るて」


 間違ってないけど、と肯定するヴェルサス。

 ヴェルサス個人としてはむやみやたらとそこらの者を魅了し堕落させるわけではないが、他の淫魔は自分好みの者を様々な手段で抱え込んでいるというし、抱え込む過程で強姦紛いの事をやっている者も少なくないため、そういう種族として見るネネカの認識は正しい。


「ただ……そのー、なんて言うのかなー……」


 うーん、とネネカが一頻り悩んだ末に、何処か疲れたように言葉を紡ぐ。


「……魔族よりも怪物らしい人間を見過ぎたかな」

「……そうですか」


 ヴェルサスはそっと、ネネカの頭を撫でる。

 決してヴェルサスはネネカの過去を知らないし、ネネカも己の過去を語ろうとは思わない。

 どこか通じるものが有るとは感じていても、個人の歴史は異なって当然だ。それが異世界ともなれば尚更。

 お互いにお互いの人生に興味こそあるが、それを聞きたいかと言われれば己の人生によって否定されるのがヴェルサスとネネカで。

 その人生によってこんな考えが浮かび、それを否定できないのがヴェルサスとネネカだ。

 魔族を怪物と呼び忌諱する人間は居る。善くは無いが仕方のない事だ。

 だがその人間の中には、魔族どころか魔獣よりも怪物のような人間も居るし。

 怪物として恐れられる魔族の中には、人間よりも心優しく慈悲深い聖人の如き者も居る。

 怪物の心を持った人間と、人間の心を持った怪物。

 どちらを善いものとするかは、人それぞれとしか言いようが無いだろう。

 個人の歴史は異なって当然であり、そこから生まれる考え方も個人で異なって当然なのだから。


「……では。仮にもし私がネネカさんに手を出したら?」

「ヴェルサスちゃんは意味もなく手を出すことはしないし、出来ないでしょ?自分の欲望すら分かってないのに」

「…………………………」


 言われてヴェルサスは押し黙る。

 図星とまでは言わないが、否定できなかったが故に。

 別にヴェルサスが淫魔の欲望を持たないわけではない。少なくとも屋敷のメイドには皆手を出しているし、自身が本来理者として統治する唯一の都市を色欲の罪都の異名通りに淫魔らしい都市にして、己もかなりの頻度で楽しんでいる。

 ただその全てが、淫魔がそういう種族だから倣っている、と言われれば全く否定できないのが現状だ。

 仕方のない話では有る。ヴェルサスはその複雑な立場とは裏腹に、内面は外見と似たようなもの。何も無いなりに、他人の真似をしているだけなのだ。子どもが身近な大人の真似をするように。

 故に。必要が無い、もしくは真似をすることで状況が悪化すると判断した場合、淫魔らしい事すらも特に行うことはない。

 ネネカの言った、意味もなく手を出すことは出来ないというのは、そういう意味だ。


「それでももし、ヴェルサスちゃんが理由も何も伝えずに私に手を出したなら……種族の事を考えなくても、そうするしかなかったんだろうなって理解するし。それに、事前にこうして話しておけるだけ、今まで私を散々犯しやがった奴らと比べれば遥かにマシだから」

「…………………………」


 それは比較対象としてどうなのだろうか、とヴェルサスは思わざるを得なかった。

 淫魔は全人類種の中でも屈指に色々と複雑な種。それ故、強姦を嫌いながらも強姦のようなことをする、一見でなくとも矛盾にしか見えない事も種特有の考え方が有る。

 ヴェルサスはそこに加えて最強などの世界最大に複雑な立場も加わっているため、その説明もまともに行えぬほど複雑怪奇な内面と外面で、端的に評すれば面倒の極み状態と言えよう。

 ただその中でも分かりやすく決して揺るがないものは有り、その一つが強姦に対する極めて強い忌避感だ。

 淫魔がある種の種族的欠陥とすら呼べる形で抱えるソレは、過去も現在も色々複雑なヴェルサスの中でさえ、淫魔の欲の核の一つとして健在だ。

 ただそれだけにネネカの相手の判断基準として、自分が最も忌み嫌うが故にそうはなるまいと努める存在と自分が同じ天秤に載せられているのは、中々に複雑な気分で押し留めるのが精一杯な心境であった。


「ま、どの道って言うのも色々有るし、仮にヴェルサスちゃんに対する私の感情がどうであっても、安全とか諸々のためには結局この部屋でずっと寝泊まりすることになるんだろうけどね」

「……そうですね」


 ヴェルサスもネネカも理解している。

 現在のウルグリムは、世界最大の国家では有っても決して盤石な国家ではない。

 一歩間違えば砕け落ちる薄氷の上を、スパイクシューズで歩んでいるような状態。そしてその薄氷すらも、ヴェルサス・ヴァナディースという規格外の存在が居てようやくのもの。

 国を運営する側であるヴェルサスとしては、己が居てようやく維持が出来ている現在のウルグリムを根底から粉砕しかねないネネカの存在は、自分の感情を抜きにしても決して目の届かぬ場所に置いてよい存在では無いし。

 国に変化を巻き起こしてしまう側のネネカとしても、別にウルグリムを覆したいわけでもないために過度な行動を起こす気は無く、しかしウルグリムの現体制を破壊したい周囲が放っておくわけもない状況。

 双方の利と不利を考えるのなら、今後もヴェルサスの家で、ヴェルサスの部屋でネネカが寝泊まりするのが最善……どころか、そうしなければならない。

 互いに感情をそれはそれと置いておける人生を歩んでいるからこそ、今は最善を大人しく選ぶのだ。


「じゃあ寝よ。おやすみー」

「……私が言うのもなんですが、ネネカさんも大概切り替えがさっぱりしているというか……ってもう寝てるし」


 ネネカはおやすみの言葉を言った直後には、既に寝息を立て始めていた。

 それだけ眠気が限界だったのかもしれないが……これはもはや睡眠ではなく気絶の類ではなかろうかと思ったヴェルサスであった。


「……や、まあ。興奮は割としてるんですけどね」


 ヴェルサスはネネカの身体を見ながら呟く。

 決してネネカに対し欲情していないわけではない。

 淫魔故に溜まるものは人間の比ではなく、またネネカ個人に対し好ましいと思うが故に淫魔らしくその身を手中に収めたい欲は極めて強い。

 ヴェルサスがそういった衝動や感情を、極端と評せるほどにそれはそれと別で置き行動できるが故に問題無いだけで在り、一般的な淫魔ならばとっくに理性を押しのけて衝動に従い、ネネカをあらゆる手段で以って手中に収めているだろう。

 もしやすれば、前代未聞にして世界唯一の最上級淫魔としての性質なのかもしれないが……前例が無いのは勿論そもそも淫魔が希少種族。それを確かめる術は無い故、今はヴェルサス個人の気質だと考えるしかない。

 そして。ヴェルサスが個人の気質として、淫魔の衝動を抑え込んでいると考えている理由。


「……生憎と、私は幸福になりたいとはもう思えませんので」


 ヴェルサス・ヴァナディースは人を殺し過ぎた。

 戦争において敵国の兵を殺すのは是とされる。

 善し悪しではない。そうしなければならないが故に。

 戦乱の大地であるウルグリムでも、それは変わらない認識だ。むしろ常識とも言える。

 そんな中でヴェルサス・ヴァナディースは、味方殺しをし過ぎた。

 当然、意図したものばかりではない。そもそも現在のヴェルサス・ヴァナディースへと連続する己の人生の中で、自分自身の意思で味方殺しをしたことなど一度もない。

 だがこの世には、様々な形で人を強制的に従わせる技術が数多存在している。現在でも、主な他者支配の技術は禁忌の技術に指定されているが、その隙間を縫うように未だ様々な他者支配の技術が存在しているし、そもそも禁忌の技術に指定されていることを知りながら用いる者も少なくない。

 その中には。

 極めて限定的な状況と極めて非効率な使い方という二重苦を超えさえすれば、最強と謳われるヴェルサスすらも意のままに操る技術も幾つか存在している。


(……あの時、私は何と言ったのでしたっけ)


 他者支配の技術は、時として操られている人物の記憶に致命的な障害を齎すことがある。

 ヴェルサスもその例の一つ。他者支配の技術を受けてからそれが解除される前後の記憶は、酷く曖昧だ。

 全く記憶が無いわけではない。実感も有る。周囲の証言もある。

 薄っすらと、夢の中の出来事のようにしか記憶できないそれだが……様々な現実が、それが真実だと訴えかけてくる。

 大好きだったはずの姉たちを。姉の子どもたちを。姉の旦那を。自分に善くしてくれた城下町の人々を。当時の十剣聖を。当時の十賢者を。

 今居ない者たちを殺させられたその経験が、真実だと肯定される。


「……嗚呼、苦痛よ。貴女は私と共に何時までも、整然と横たわらんことを」


 呟くようにそれだけ語ったヴェルサスは、ネネカの傍に横たわり、意識を落としていく。

 ヴェルサス・ヴァナディースにとって眠りに落ちる感覚は死に凄まじく近い。

 幾度となく死んで来たからこそ断言できること。

 ヴェルサス・ヴァナディースにとって、苦痛に塗れた死とは、安らかにただ一時の眠りに落ちるよりも一般的なこと。

 故にこそヴェルサス・ヴァナディースは願う。

 自身とは異なる世界、異なる歴史であれど、同じ苦痛に塗れた死を一時の眠りよりも普遍的なものとしている、自身のすぐ傍で規則正しい寝息を立てる少女が。

 自分とは異なる、幸福な終着点へと辿り着くことを。

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