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荒廃の大地より愛欲を込めて  作者: 蓮見燐
1章 最強と少女
34/44

33:十賢者と十剣聖

「手をまともに動かせるっていいですねー」

「俺らが事情聴き終わったと同時に言う事かソレ???」

『というかそう思うなら昨日の時点で言ってほしかったです……』

「いや、まあ……長旅で疲れてるー、とかで気遣ってたのかも……」

「単に忘れていただけですけど」

「問題ありすぎるでしょ」


 ネネカとヴェルサスよりこれまでの経緯を説明し終わったと同時に聞こえてきたのは、ヴェルサスの本心からの感嘆の声。

 他ならぬヴェルサス自身が今の今まで忘れていた、ネネカの魔力を覚醒させた際の手の負傷を、エリーゼが治しながらの説明であった。

 偶然。本当に偶然、治療が完了するタイミングと説明が終わるタイミングが一致しただけの話なのだが。

 一応そこそこシリアスな話を終えた直後の空気を読まないそれに、治療をしていた張本人のエリーゼすらも思わず呆れを呟くのだった。

 ちなみに席の位置は治療の関係でヴェルサスとエリーゼが同じソファに座っている。当然のようにネネカは机を挟んで対面の、クルーベルの隣だった。


『というより、ネネカさんも教えてくださればよかったのに。ヴァメル皇帝より聞いていなければ、私も気付きませんでした。ヴェルサスさんの偽装魔法は相変わらず極めて高度ですし』

「私も忘れてたんだって……あまりにも平気そうにしてたし、見た目誤魔化されてたし……」

「まぁ……気持ちは分からんでもない。付き合いの長い俺らでさえ見抜けなかったんだしな……」

「え。何で私の手一つでそんなに呆れられるんです?」


 そりゃ感覚も失うほどの惨状を忘れていたともなれば、呆れはするだろう。

 しかも、ヴァメルがエリーゼにヴェルサスの手の事を伝えた結果治療されただけで、当人は治療されずとも忘れる程度には大きな問題は無いと考えていたのだから、あまりにも質が悪い。

 それを呆れ一つで済ませているだけ、まだ温情な方ではあろう。


『……他に傷は有りませんよね?』

「無いと思いますよ。多分。ですよね?」

「なんで自分で分かんないの……」

「拷問等で痛みには慣れてるので」


 そっか、と思わず乾いた返事が出たネネカ。

 戦争の大陸だ。そういう事も在って当然だろうとは思う。

 ただこうもサラッと出されると、一応どれだけ賢く発育が優れていようともまだ幼いと呼べる年齢にギリギリ入るネネカとしては、乾いた声しか出ないのだ。

 まあこれに関しては、クルーベルやエリーゼも軽く頭を抱えているので、ネネカの感受性の問題だけではないのだが。


「まあ私の話は置いといて」

『皇帝及び理の裁定者直属の治癒魔法使いとしては置いておきたくないのですが』

「あ、一応十賢者とか以外にもそういう役職あるんだ」


 一応、冷静に考えれば当たり前の話ではある。

 十賢者や十剣聖はあくまで地位。極まった魔法、極まった戦闘能力を認められ与えられる、様々な権利も付いているだけの称号。

 であれば必然的に。称号そのものではなく、称号に認められるに至ったその力とそれを用いる様々な権利に対する責務や職務が有ってもおかしくない。


「一応あるが、俺らは普段はほぼお飾りのようなもんだな。エリーゼに限っては、ちと有用すぎて忙しい時も稀に有るが」

「そうなの?てっきり三人とも凄い仕事で忙しいのかと思った。実際ヴェルサスちゃん、普段からずっと書類とかばっかり書いて……」


 この一週間、ヴェルサスと共に暮らしていたネネカはよく知っている。

 ヴェルサスが日々、膨大な量の書類に囲まれているのを。

 自身も整理くらいは手伝いたいと願ったが、言葉も読めないのでは大前提にすら達していないとして、結局触れさせてもらえなかったが。

 以前の話と併せて理者の管理する都市の仕事で、それほど忙しいのかと思っていたが。


「……忙しいのは否定しませんが私の書類仕事の九割はヴァメルが本来やる奴です」

「押し付けられてたの!?」

「待てそれ俺も初耳」

『皇帝……』


 まさかの事実にネネカは驚愕し、クルーベルは困惑、エリーゼは心底の呆れを吐き出す。

 自身がやるべき仕事を、どれだけ優秀だったとしても部下かつまだ幼いともいえるヴェルサスに押し付けている。

 その時点で良識が有るのなら、どうかと思わざるを得ない。


「……まあ、あとでアレは問い詰めるとして。確かに俺らは十賢者とは別でそういう役職自体は付いては居る。当然、役職相応の責任も有る。例えばエリーゼなら、限定的ではあるが蘇生すら可能なその技量で以って皇帝及び理の裁定者直属の治癒魔法使いに任命されていて、俺たち十賢者と十剣聖、そして皇帝の身に与えられた傷の一切を必ず癒す義務が有る」

「クルーベルもウルグリム皇国全軍団最高司令官の役職が有りますし、私も一応立場上はただのヴァメルの私兵なので」


 ただの、という部分に思わず首を傾げるネネカ。そんなネネカに同意するようにヴェルサスへと何とも言えない視線を送るクルーベルとエリーゼ。

 そもそも皇帝の私兵の時点で、ただの、などと言っていい存在ではない気がするが。

 しかし当のヴェルサスは自分の立場の特異性を本当に気にしていないのか、変わらず平然と話していく。


「ですが私たちが役職に従って動くことは極めて稀です。例えば……先の例を引き続きの形ですが、エリーゼさんは確かに皇帝直属で皇帝の傷を癒す義務がありますが……冷静に考えてみてください。皇帝に傷がついている時点で、他の人は何をしていたって話です」

「あー……」


 成程、とネネカは納得する。

 確かに。あんなヴァメルでも皇帝であり、護衛等もそこそこ居るはずだ。

 それを超えて皇帝が傷を負う場面など、大抵禄でもない状況だ。

 エリーゼが皇帝に対し治療を行うということは、治療を行わざるを得ない状況に陥っているということだ。

 その時点で護衛は何をやっていたという話になるし、護衛が全員倒されていたのならそれこそ一大事。

 エリーゼが義務を果たす。その時点で手遅れかその寸前でしか無い故に、国としてはその義務を持った役職がお飾りであるようにするしかないのだ。

 ……まあ、その割に少し前に、ヴェルサスがその皇帝を空から落としていたような気がしなくもないが。


「他にも俺は全軍最高司令官だが、他にも司令官は沢山居る中で俺が全軍司令官として動かなければならない事態はそれこそ全軍を動かさなければならない事態。そんな大事になった時点で、大陸を統べる国としては問題が有る」

「私はただの皇帝の私兵なのでそういう大きなしがらみは無いですけど、国の最高戦力が大々的に動かざるを得ない状況というのは同様に好ましくないですねー。個人で好き勝手動くのはともかくとしますが」


 ヴェルサスとクルーベルも、各々自分の立場の重さについて語る。

 強大な力に伴った役目と責任。それを背負っているのがこの三人。

 しかしこの三人がその役職を背負って動くということは、動かざるを得ない状況だということ。


『私たちの役職はお飾りのようだとクルーベルさんは仰いました。しかし正確には、お飾りでなければならないのです。この戦乱の地に平和を築くと決めている私たちならば、尚更』


 エリーゼの言葉に、納得の沈黙を返すネネカ。

 いざという時に使うべきものを乱用すべきではない。それだけの事だ。

 国として考えた場合、そこに物だけでなく人も当て嵌まるというだけで。


「ま、そんな役職としての仕事以外も普通にあるんですけどねー。普通に権力等を持ってる感じですし。私だったら、ヴァメルから押し付けられている仕事が年がら年中有りつつ、皇都を襲う反乱の火種等の対処、といった感じで」


 それは当然だろうとネネカは頷く。

 先の例は、ヴェルサスたちが各々明確に任命されている役職故のこと。

 その役職の役目を全うする時が来ないよう、それ以外の事をするのは当然。

 そもそも十賢者として認められるほど高度な魔法だけでなく、政務を行えるほど優れた能力を、長きに渡る戦争で国力が国土とは裏腹に酷く衰弱している今のウルグリムで、遊ばせておく理由はない。

 使えるものは何でも使う。そうして生き残らなければならないのが、現在のウルグリムだ。

 ……それは、この場に居る全員が分かっているのだが。


『皇帝から仕事押し付けられている部分に関してはどうにかした方が宜しいかと思われますが……』

「というかそもそもなんで押し付けられてるの……」

「理由はまちまちですが、大抵は遊びに行く時間が欲しいからだそうで」

「それで娘のような存在に仕事押し付けんなよあの人」


 分かっているのか分からない人が、この三人の上に立っている。

 勿論物理的な話ではなく立場的な話だが、どんな意味であれ困ることに変わりはない。

 別にヴァメルに良識が無いとは言わない。破天荒な面も多少あるが、少なくともネネカの見た範囲では大国を統べる皇帝として様々な責任を背負える人物ではあろうと思える。

 ただその破天荒な面があまりにも破天荒というか、数こそ多少であれども規模が無視出来ないのが問題なのだ。

 今回の件もそうだ。結果的には全体の事態が最も丸く収まったとはいえ、皇帝がその身を守る盾でもある城から抜け出し、護衛も付けずに一人で……それも最強のヴェルサスが向かわなければならないほどの危険地帯へと向かうなど有ってはならないこと。

 城から抜け出している時点で警備の兵などの責任問題が発生するのは必然であるし、皇帝に何かあった場合にはそれこそ国単位で大きく揺らぐほどの責任問題が発生するのが現実。

 部下の失態を引き起こす上司など、頭の痛い話以外の何物でもない。


「まぁ、そこに関しちゃ後で俺からも言っておく。……効果は、あまり望めそうにないが」

『前科が多すぎますからね』

「信用と信頼の深さがすんごい」


 これを真っ当な信用や信頼と呼んでいいのか、甚だ疑問ではあるが。


「そんな事よりです。……お二人……は、ネネカさんの話を聞いて思い至るものは何かありましたか?協力関係にありそうな方々等」


 ヴェルサスが仕切り直すように、クルーベルとエリーゼに問う。

 どちらも何やら複雑そうであったが……一つ咳払いの後、フム、と考える素振りを見せる。


「……俺は……三つほど。関連していそうな組織が思い至ったな」

『私は一つです。ですが皇都近辺の組織ではなく……』

「俺の思い至った組織も各地の反乱組織だからこの辺りのじゃないな。加えて、精々多少の物資提供をしているかどうかというところだ」


 クルーベルとエリーゼは淡々と思い至ったという事実を語る。

 それに対しネネカは、少なくない驚愕を得る。

 ネネカが話したのは、ヴェルサスが話せない部分。竜王エンリルと共に呪詛の中で、ラフォンと話した事実とその内容だけだ。

 その間、ヴェルサスたちが何をしていたのかも気になりはしたが……重要ではない故に機会が有ればいずれ話すと躱されたので、大人しくネネカがラフォンとの対話を話して終わった。

 しかしラフォンとの対話は然程、そういった反乱組織の情報に関する収穫は無かったはずだ。精々、ネネカの考えを語った程度。

 しかも全て話しては長いとこの場の全員が理解しているので、ある程度かいつまんで話しただけなのに。

 それだけの情報で、それだけの反乱組織へと思い至る。

 思い至れるほど彼女たちの持つ情報が多いのか、それだけ反乱組織が多いのか。


「……私は皇都……と近郊及び周辺都市に限っても、確信できるのが一、元から疑いが有って今回の件に関わっていそうなのが十四、新たに疑い始めた方が良いと判断しているのが三〇九ですね」


 二人に続く形で少し考えながら語ったヴェルサス。

 しかしその内容に、思わず三人は困惑する。


「……いくら何でも多くない?」

「組織だけでなく個人等も含めていますので。とはいえ多いのも事実。……どうしますかね」


 先ほど、確かにネネカはヴェルサスに対し、今回の件で見つかるかもしれない反逆者等を、出来る限り生かしてほしいとは言った。

 しかしそれほどの数となると、捕まえておくことすら大変な話となる。

 ヴェルサスの述べた数が、全てが組織だったものではないと言ったが、それは同時に全てが個人では無いということでもある。

 あくまでほとんどが可能性程度。だが国を動かす為政者としては、国を揺るがす存在は決して無視できないものだ。

 かといって疑いだけで全てを捕らえることは難しいし、無理矢理捕らえたとて場合によっては批判も集まるし、収容する場所も困ったことになる。個人の立場によっては社会が巡らなくなることも有ろう。

 敵対が確定的な者たちは見逃すことは難しかろうが……それ以外の者たちについてはどうすべきか。

 結果として丸く収まったとはいえ、風竜をも巻き込んだ反逆騒動。しかも対象は皇都。

 皇都を襲われたのに全て無罪放免とは決して出来ない。そんなことをすれば、今なお無数に居る逆賊たちを調子づかせるだけだ。


「……ヴェルサス」

「んむ」


 クルーベルは、腕を組んで目を瞑り数秒考えた後、ヴェルサスの名を呼ぶ。

 それに応えるヴェルサスは、何やら口をもごもごさせていた。


「……何喰ってんだこの僅かな間にお前……」

「前にネネカさんに焼いていただいたクッキーです。保存も利くように作っていただいたのですが、美味しくてつい食べちゃって」


 ヴェルサスの手には、白と黒のマーブル模様のクッキーが数枚入った瓶が有った。

 どうやらクルーベルが考えていた僅かな時間に、何処からともなく取り出し食べていたらしい。

 それは当然、ネネカが作ったものだ。

 足を動かせず暇な時間も多かったネネカは、言葉等の勉強の合間に時折お菓子も作っては振る舞っていた。

 料理文化が余りにも未発達としか言えないウルグリムにおいてネネカの作るお菓子は甘美極まったもの。当然屋敷のメイドたちも含めての争奪戦と危うくなりかけたので、慌てて量産して一人一瓶という形で分配して収まった。

 ヴェルサスが今持っているのは、その中身がクッキーのもの。つい昨日作って補充したはずのそれだ。

 ヴェルサスは忙しいだろうと、いつでも食べられるように保存が利くように作ったのだが……どうやら美味すぎて想像以上に早く消費してしまったらしい。

 ネネカ的には、材料の質等の問題からあまり美味しいものが出来たとは思っていないのだが……食べられれば何でもいいが基本だったらしいウルグリムにおいては十分すぎるものだったらしい。


「……まあ、いい」

「あげませんよ?」

「興味は有るが今は要らん」

『私は食べてみたいです。ネネカさん、後ほど作っていただけませんか?』

「求めんなお前も」


 頭痛を堪えるが如く頭を抑えるクルーベル。

 マイペースなヴェルサスとエリーゼは、そんなクルーベルを気にすることなくネネカを見ていた。


(……作って、って、めっちゃ目で言ってくる)


 言葉は無い。が、容易くそう感じ取れる程度には、二人の目はキラキラと輝いていた。

 それだけ美食に飢えているということなのかもしれないが……一応国の体裁等も関わる真面目な話の最中にそちらに話を逸らし過ぎるわけにもいかない。

 ネネカは全力で二人の視線を無視することにした。


「……【死の魔剣士】ヴェルサス・ヴァナディース。【深淵の魔王】クルーベル・ダーク・オルネルが皇帝代行として命ずる。我らに牙を剥いた愚か者どもを処理しろ。必要とあらば騎士団を……二、いや……一師団まで率いてよい」


 クルーベルが、先ほどまで談笑していたとは思えないほど、有無を許さぬほどの威圧感すらも纏ってヴェルサスへと命じる。

 彼女の視線はヴェルサスへと向いていたが、ネネカはその横顔から何となく感じ取れるものが有った。

 助かった、と。

 どうやら二人のペースに飲まれて、真面目な話が進まないのは日常茶飯事のようだ。

 ヴェルサスもエリーゼも、それぞれネネカと二人の時はそこそこ真面目だった記憶が有るため、気の知れた仲ならではの気が抜け過ぎた結果とも言えるのかもしれない。


「ンー……」


 当のヴェルサスは。

 クルーベルの命令にどこか困ったように、クッキーをサクサクと齧りながら唸る。

 そんなヴェルサスの様子に、クルーベルどころかエリーゼも驚いたように注目する。


「……お前が悩むとは珍しいな。如何した」

「……んー、や。大したことじゃないんですけどね」


 大したことじゃない、と言いながらも悩むヴェルサス。

 何に対して悩んでいるのか。全く見当も付かないクルーベルとエリーゼは首を傾げる事しかできない。

 余計な我が儘を言ってしまったなあ、と今更ながらヴェルサスと同様悩むネネカ。

 決してあの我が儘に嘘偽りは一切無い。本心だ。

 あれこれ理由付けこそしたが、その理由も本心だ。

 ただ。個人の欲望よりも優先すべきことは時としてある。

 それだけの話で、ヴェルサスはそこで悩んでいるのだ。


「……うん。少し譲歩……というほどでもないですが。我が儘いいですか?」


 悩んだ末にヴェルサスは。

 そう、クルーベルとエリーゼの二人へと、申し出た。

 当然ヴェルサスがそのようなことを言い出すと思わなかった二人は、心底の驚愕を露にする。

 と、同時。クルーベルはギロリと、半ば睨むような形でネネカを見た。

 この僅かなやり取りで、ヴェルサスが悩んでいる理由にネネカが関わっていると、クルーベルは理解したらしい。

 しかしそれも一瞬の事。

 クルーベルはため息を吐いて、ヴェルサスに視線を戻す。


「……一応聞くが、どんな我が儘だ?いくらお前でも、許容できんものは有るぞ」


 クルーベルの真っ向からの問い。

 それに対しヴェルサスは、特に物怖じすることもなくさらりと答える。


「んや、単にその反逆者たちをどうするか、軽くでいいんで私に決めさせていただければなあ、と」


 ヴェルサスのその答えに、クルーベルとエリーゼは再び心底の驚愕を露にする。

 どういった思いが込められての驚愕なのか、ネネカには分からなかった。

 ただ少なくとも、ヴェルサスと決して浅くない信頼関係を築いているこの二人が二度も心底驚く程度には、様々な思いが籠っているのだろう。


「……お前……」

「?」


 クルーベルとエリーゼが、ネネカへと視線を向けてくる。

 表情は未だ消えぬ驚愕が残っている。

 二人が驚愕していることはネネカも流石に分かっている。

 しかし二人が何に対してそれほど驚愕を露にしているのか。ネネカには分からなかった。

 ネネカはただ、自分の我が儘をあれこれ理由付けをして言っただけだ。

 間違いなく現状はそこから来ているのは間違いないが、何故にそれほど驚くのか。

 ネネカの知らないヴェルサスの一面が有る故なのだろうが、その一面を知る由もないネネカには困惑するしかないのだった。


『……随分と気に入られましたね』

「?そうなの?」


 エリーゼの微笑みながらの言葉に、首を傾げるネネカ。

 立場の違い、視点の違い、付き合いの長さの違い故仕方ないところは有るのだが……ネネカとしてはどれだけ意味深にされても首を傾げる事しかできない。

 ネネカはまだ、クルーベルやエリーゼは知っているヴェルサスの過去など、殆ど知らないのだから。


「……ヴェルサス。お前に反逆者の処遇を任せたとして、どうするつもりだ?」

「ンー。折衷案ですかね」

「何と何の間を取る気だ」

「面白そうと面白そうの」


 ニタニタと笑いながら言ったヴェルサス。

 クッキー美味しいですね、とヴェルサスの横でのんびりとしているエリーゼはともかく、対面しているネネカとクルーベルはそこまで楽観的ではいられない。

 要約すればネネカの我が儘とウルグリムの現状で天秤にかけた結果の折衷案なのは分かる。クルーベルも、ネネカの我が儘だとは分からずとも似た何かだろうとは察しているだろう。

 しかしそれをどちらも、面白そう、などと形容する時点でどうかと思わざるを得ない。


「まあご安心を。悪いようにはしませんから」


 そう言ってヴェルサスは、ふわりとソファから浮き上がる。

 そして、ふわふわと浮いたまま、どこか礼儀正しく見えるようなそうでもないようなポーズで、クルーベルに笑いかける。


「【死の魔剣士】ヴェルサス・ヴァナディース、皇帝代行【深淵の魔王】クルーベル・ダーク・オルネルより逆賊撃滅の任、拝命いたしました。必ずや吉報を」


 ヴェルサスがそう畏まって言うが早いか。

 ブウン、と音を立ててヴェルサスはこの空間から消えた。

 扉は開いていない。今この瞬間に開いた形跡もない。

 気配も何も感じられない。最初からそこにはヴェルサス・ヴァナディースは居なかったと語るが如く。

 ヴェルサスはこの空間から別の空間へと移動したのだろう。それも、何の予備動作も必要とせずに。


「驚いた方が良いのかな」

「無視しろ。あいつの出来ることに一々驚いていたら、一生驚き続けることになるぞ」

『人体の空間移動は初めて見ましたね。しかも次元魔力反応も無いとは』


 クルーベルは呆れ混じりに、エリーゼはほのほのと感心したように、しかし大きな驚きは無いようだった。

 その時点でヴェルサス・ヴァナディースという少女が、これまでどれだけ周囲が驚愕するような技術を披露してきたのか、想像が容易く出来てしまった。


「しかし……ネネカ。お前、一体ヴェルサスに何を言ったんだ?戦争と死が大前提なウルグリムの大地の化身とすら謳われたあいつが殺すこと以外で解決を自ら望むとか、相当だぞ?」

「大前提が大前提な辺り、この大陸の方が相当だと思う」


 戦争の歴史が積み重なった大地故、仕方ないところは有るのだろうが。

 それでも、実年齢はともかく精神年齢は見た目相応と言ってもいい少女が他者を殺す、ということが当たり前となっているのはこの大陸ならではの歪みの総集である気がしなくもなかった。


「んー……でも本当にただ我が儘言っただけだよ?殺さないであげて、って。綺麗事混じりに」


 一応そこそこの理由付けもしたが、と思ったが黙っておく。

 それをもう一度語るのは面倒だった上、然程重要なことではないとネネカは判断したが故に。

 クルーベルもエリーゼも、そこは事実求めていなかった。

 そもそもネネカがその話題でヴェルサスに対し何を言ったかなど、二人もネネカが綺麗事と言った時点で大体の想像は付いている。


「……となれば、いつもの気まぐれか、それとも……」


 クルーベルはネネカを見ながら何かを考えこむように腕を組んだ。

 彼女がその内で何を考えているのか、ネネカには分からないが。

 少なくともネネカの何かを見定めている。

 そんな気がした。


『どうあれ。ヴェルサスさんの呪いが少しでも晴れたというのは、喜ばしい事です』

「……まあ、それはそうだな。長い付き合いの俺たちではなく僅かな時間しか共に居ない此奴がってのは、少しばかり嫉妬するが」

『ああ、それは確かに』


 冗談交じりのクルーベルの言葉に、エリーゼもクスリと笑いながら同意する。

 そんな二人の会話の中で、ネネカは首を軽く傾げて疑問を述べた。


「呪い、って……ヴェルサスちゃんも何か呪いにかかってたの?」


 ヴェルサスは強い。どれほど強いのかも想像できないほど。

 少なくとも今日関わった風竜たちが総勢で掛かったとしても、傷一つ負うことは無いだろう。明確な戦力は把握できずとも、そういった大雑把な把握は可能な程度にはヴェルサス・ヴァナディースという少女の能力は規格外だ。

 そんなヴェルサスが、呪いを抱えている。

 その光景はとても想像出来なかったのだが。


「あいつはあいつで、結構色んなモンを抱えていてな。心で抱えているモンって意味での呪いも、身体に受けている呪いも、様々だ」

『身体に受けている呪いだけでも私が癒してあげられたらよろしいのですが、ヴェルサスさん自身の自責の念も相まって解呪が不可能でして……』


 心に抱えている呪い。身体に受けている呪い。ヴェルサスの自責の念。

 成程、確かに呪いだとネネカは思った。

 ヴェルサスは確かに最強だ。どれほどの力を持っているのか、想像も出来ないほど。

 しかしヴェルサスも、どれだけ最強という殻を被っていようと中身はまだ20にすらなっていない少女。周囲の話を考えれば、精神年齢は肉体年齢よりも幼く、見た目相応と言った方が適切らしい。

 真っ当に育ったとしても思春期ど真ん中の年齢。情緒がまだ不安定なことも有るどころか、それが自然でも全くおかしくない時期。

 そんな少女が、この数多の強者ひしめき合っていたらしい戦争の大陸に在って、最強という唯一無二の称号を世界から認められ与えられるほどの事を成した。

 呪いと言っても差し支えないほどの様々を抱えてしまっていたとしても、おかしくはないだろう。

 そして。抱えてしまったそれを、降ろす手段すら知らないというのも。


「……最強でも聖女でも、心はままならないんだね」

「この世で一番、心をどうにか出来る奴がヴェルサスではあるんだがな」

『万能の最強。故に自由がない。……皮肉なものです』


 力には責任が伴うとは、よく言われるが。

 戦争と死を至上とするが故に、結果としては力こそ全てのウルグリムの大地に最強として在って。

 それでもなお責任から逃れることが出来ない。

 ヴェルサス個人の気質も有るのだろうが……力さえ有れば全てが手に入ると言っても過言ではないウルグリムで、最強であっても自由も幸福も手に入れられないというのは。

 エリーゼの言う通り、皮肉と評するほかないだろう。


「しかし……あまり人の事情に踏み込む気は無い、というのを前提にした上で聞くが。……ネネカ、お前もそう変わらんだろ。ヴェルサスと」

「まあね」

『率直ですね』

「言わなくてもお互いに感じてたことではあったし」


 ヴェルサスが様々抱え過ぎているというのは決して否定できない事実だが、ネネカも人の事を言えない程度には様々抱えている。

 ヴェルサスの過去とどちらが重いか、などとくだらない団栗の背比べをする気は無いが。

 結果としてどちらも幼くして、人格に致命的な影響を与える程度の過去を抱えていることには変わりない。

 抱えてきたものは当然異なろう。あくまで抱えているという結果が同じなだけで、何から何まで生き写しというわけではない。

 戦争とは無縁の世界で育ったネネカと、戦争が当たり前の世界で育ったヴェルサス。そもそもの価値観から異なって当然だ。

 だが、それでも。

 ネネカはヴェルサスに何も言われずとも、少なからず共感を示し。

 ヴェルサスもネネカを意識的か無意識的かは分からずとも、決してその他大勢のようには扱わない。

 過程も抱えていることは異なれども、結果として似た存在となり、互いに共感を少なくない形で示している。

 それは紛れもない事実だった。


「……お前が何を抱えているのか、俺たちには分からんが。その重荷は下せそうか?」

「どうだろ。ヴェルサスちゃんと同じで、重荷を下ろす術を知らないし、下ろしていいものなのかも分からないから」


 ネネカの答えに、クルーベルは「そうか」とだけ言って目を伏せる。

 エリーゼも少し辛そうに表情を歪めていた。

 二人も思うところはあるのだろう。ヴェルサスという自分よりも幼い少女に、相当な重荷を背負わせていることに。

 そんな彼女と友人であるがゆえに、その重荷を代わりに背負うこともままならないことに。

 そして。

 同様に重荷を背負う目の前の少女の助けにも、自分たちは成ることが出来ないという現実に。

 当人であるネネカとしては、他人の事情をそこまで気負う必要はない、と言いたいところではあるが……。

 ヴェルサスほどではなくとも世界有数の強大な力を持ち、力故の責任を果たすが如く戦争の大陸から戦争を奪い平和を尊ぶ大国を創り、ヴェルサス・ヴァナディースという一人の少女が抱えていく様を見てきたであろう彼女たちとしては。

 如何に他人事であったとしても、忸怩たる思いを抱かずにはいられないのだろう。


「……優しいね、二人とも」

「……平和な世界出身の奴にそう言ってもらえるのは、光栄なことだと思っておく」

『これがウルグリムの普通となれば、ヴェルサスさんも少しは気が安らぐのでしょうか』


 ネネカの素直な言葉に、どこか自嘲気味に笑うクルーベル、同じくどこか自嘲気味ながらヴェルサスを思うエリーゼ。

 しかしそんな二人の言葉に、ネネカは少し苦笑を浮かべる。


「元の世界、戦争が無いって意味では平和だったかもしれないけど……多分ウルグリムの戦時中の一年の死者の数と私の世界の一年の死者の数で比べたら、元の世界の方が死者の数自体は多いと思うよ」


 え、と絶句するクルーベルとエリーゼ。

 そういえばこの二人にはあまり元の世界の事を言っていなかった、と思い出したネネカ。

 ヴェルサスにも自分の過去を思い出したくないという理由であまり話していないのだ。

 一週間共に過ごしたヴェルサスでさえ、ちらほらと話していた程度。

 昨日今日の付き合いの彼女たちが知らないのも、無理はない。


「まーそのー……アレ。私の世界じゃ、人類種って一番効率が良くて便利な素材だから……」

「想像以上に不穏だな???」

『効率の良い素材……』


 再び絶句するクルーベルとエリーゼ。無理もないと苦笑するネネカ。

 人類の上を行く上位存在が人類種を素材と呼ぶのは分からないでもない。人類が家畜から様々得るように、上位存在が人類から様々得ることも有ろう。

 しかしこれまでの話からどう考えても、ネネカの世界もこの世界と同様に人類の世界。人の意思と呼べるものが、この世界と細部は異なるが同じように存在している世界だ。

 そんな世界で、同じ人類種を素材と呼ぶ文化。

 この戦争と死の大地に在ってなお……否、死すらも尊ぶこの大地だからこそ、人の死すらも徹底的に利用し尽くすのであろうネネカの世界の文化に、絶句せざるを得なかった。


「まあそんなわけでさ。その世界で生きてきた私も、こう見えて少なからずはってところは有るから。あまり平和な世界の参考にはし過ぎない方が良いと思うよ」

「……そのようだな……」


 クルーベルは軽く息を吐きながら、ネネカの言葉を肯定する。

 エリーゼも無言で頷き、クルーベルと同様にネネカの言葉を受け入れる。

 元々異なる世界、異なる法則の世界だ。平和の在り方一つも、何から何まで異なろう。

 さらに言うのならこのウルグリムの大地は途方もない期間の戦乱に包まれていた、この世界ですら異端と見るのが自然な環境。

 とてもではないが、真っ当な平和が即座に受け入れられるような環境ではない。

 仮にネネカの世界をモデルケースとして平和を作れたとして、ウルグリムの環境と合わされば、それは最悪戦時中以上に人類が容易く死んでいく地獄の平和にしかならないだろう。

 ネネカの世界を参考にし過ぎない方が良い、というネネカの言葉は、平和を志す為政者としては受け入れるほかないのだった。

 とはいえ国際情勢的に平和な国を作るためのアプローチも難しいであろう現状で、平和を作り上げたい為政者の二人としては、勝手にしたものとはいえ期待が外れたことについては沈むものが有るようで、少なからず気分を落ち込ませている。

 仕方のない事だ。二人も為政者の地位に在るとはいえまだ若く、ヴェルサスと同じくこの戦乱の大地たるウルグリムで育った者。平和の作り方など教わっているはずもなく、手探りだ。

 手探りの限界も少なからず見えている中で、外部の助けも真っ当に呼ぶことのできない情勢の中で、戦争の無い平和な世界を知る者が現れたとなれば、その者の手を借りたくなるというもの。

 決してネネカが悪いわけではなく、彼女たちが悪いわけではない。

 ただ単純に。

 彼女たちも自分たちの目的のために必死なだけだ。

 この世に生きる、大多数と同じように。

 そんな二人を見てネネカは、僅かな沈黙の後、軽く悩みながら言葉を紡ぐ。


「文化とか諸々が違うからまるっきり参考にするのは難しい……というか無理だと思うけど」


 技術が違い過ぎるし、とネネカは心の中でのみ呟く。

 大雑把な違いだけでも魔法の有無……即ち魔力の有無。

 魔法使いなんて職業は当然存在しないし、魔獣というカテゴリーの存在もネネカの世界には存在しない。

 その時点で明確に文化は異なると言わざるを得ない。

 だが、それでも。


「それでも意思ある人類が作った社会。活かせるところは、少なくない形で有ると思うよ。こうして、言葉だって通じるんだし」


 ネネカの言葉に、クルーベルは驚いたように目を見張り、エリーゼも微笑みながらも驚きを隠せていない。

 通じないところは多々有るし、参考にしてはならない部分も極めて多い。

 だが、決してそれだけではない。

 言葉は通じる。単語も通じるものが有る。食材だって名前こそ違えども似たようなものや同一のものも有る。

 他にも……嫌な共通点ではあるが、ネネカとヴェルサスが互いに共感する程度には人間性も似た部分は有る。

 であれば、政策等も一概に悪いものばかりではなく、今のウルグリムに活かせるものも存在するであろう。

 仮にネネカの時代のネネカの住んでいた場所の政策等で活かせるものが無かったとしても、歴史上に執り行われたものや他の場所で行われたものも確実に在り、それを含めれば一つくらいは活かせるものが有るかもしれない。

 政策に限らず、衣食住の基礎的な文化も通じるものや活かせるものは有るかもしれない。

 今この場で何もかも活かせるものは無い無駄だと断ずるには性急に過ぎるのだ。


「……いかんな、どうにも」


 ふぅ、と深くため息を吐くクルーベル。

 その両手は額に当てられ、頭痛を堪えるが如く。


「今の俺では、どうあっても現状しか考えない。先の事を考えるのが難しい。常人はこれで生活しているというのだから、驚きだ」

「?」


 ぼやくようなクルーベルの言葉に、軽く首を傾げるネネカ。

 気になる発言は有ったが、今は特に気にしないことにした。

 本当に気になる事ならばあとでヴェルサスにでも聞けばいい。確実に急いで話さなければならないことではないと、何となくではあるが感じ取ったが故に。


「……ま、色々言ったけど要するにさ。折角此処に異世界の存在居るんだし、我が儘な進化していこうよ。こっちの世界とうちの世界の良いところだけくっつけて選び取って……所謂良いトコ取り。人類って、それぐらい傲慢で良いと思うよ」


 ネネカの本心からの考え。

 それに対しクルーベルは見定めるようにネネカを見、エリーゼは楽しそうにほほ笑む。

 各々何を思っているのかは分からないが、少なくともネネカの言葉は受け止める価値は有ると、判断されたらしい。


「……成程、あいつは気に入りそうな正論だな」


 ふぅ、と一つ息を吐きながら呟くように言ったクルーベル。

 ネネカ自身、今語ったことが正論かどうかは分からない。純粋にただ自分の考えを言っただけだ。

 そもそも人それぞれで考え方や立場が異なれば、正論と成るものも異なることも有ろう。Aから見た場合の正論とBから見た場合の正論が異なっても、何ら不思議はない。

 ただ少なくとも、ネネカとは立場も考え方も異なるのであろうクルーベルは、ネネカの言葉を正論だとは感じたらしい。

 それが喜ばしい事なのかどうかも、人それぞれであろうが。


「ま、お前はまだ若い……つーか幼いし、今はそうやって理想を言い続けてりゃいいさ。小難しい部分をどうにかするのは、俺たち大人の仕事だ」


 そう言ってクルーベルは立ち上がり、身体を伸ばす。

 彼女の左手には、いつの間にかつい先ほどまでは存在しなかったはずの数枚の紙があった。

 ネネカはその優れた視力で紙を見ると、全ての紙に文字がびっしりと書かれていた。

 流石にまだ文字を一瞬で判別できるほどこの世界の文字に馴染んでいるわけではないので、内容までは分からなかったが……恐らくこの場の会話を記録した書類のようなものだろうと考える。

 そういえば先ほどヴェルサスもヴァメルと、報告云々の話をしていた。ヴェルサスが空間転移で反逆者の討伐に向かった今、代わりに報告書として届けるのが自然とクルーベルになったのだろう。

 書類を転送する箱は使わないのかと思ったが、この家の魔道具は扱いが難しいものも有ると聞いた。その類で、クルーベルは人力で持っていかざるを得ないのかもしれない。


「……年齢知らないけど、まだ大人って言える年齢じゃないんじゃない?外見的に……と思ったけどヴェルサスちゃんの事を考えると数百歳とかでもおかしくないのかな」

「魔人族はエルフほど長命じゃねえよ。いや最上位だから長命ではあるが。あとヴェルサスはなんか例外的に小柄なだけだ」


 やっぱり例外なんだ、と思ったネネカ。

 とはいえ、元より最強と謳われる存在。この世界の特異点。

 今更例外が一つや二つ追加された程度では、この世界の事をあまり知らぬネネカでも驚きはない。


「十分大人……かは国によるか。うちの国じゃ十七で成人だが」

『他の国でも大体十六から十七、稀に十八で成人ですね』


 クルーベルの言葉に、エリーゼが補足する。

 要は十六から十八の間で成人とされる年齢は世界的に決まっているらしい。

 細かい年齢については国ごとに異なるようだが。


「そうなんだ。私のところじゃ、世界共通で二十歳で成人だったよ」

『あまり変わらないかと思いきや意外と遅いのですね』

「そっちの基準じゃ俺らもまだ子どもか」


 ネネカの世界では一応、成人していないイコール子どもという訳でもないのだが、それは秘めておくことにした。

 話したところで与太話にしかならない上に……。


「とはいえ、実際長命種のマジで長生きしている奴らからすれば、大抵の奴は子どもも同然なんだろうがな」


 クルーベルの言う通り、この世界では細かい年齢の差異による成人と子どもの違いなど、本当に長生きしている者たちからすれば誤差に等しいからだ。

 今日出会った風竜たちもそうだ。人より長く生きるのが当然の種。二十年程度の歳月など誤差のようなもの。

 故に。大人と子どもを分けるのは年齢だけではない、とクルーベルとエリーゼは考えている。

 ならば、態々改めてネネカが言う必要はないというだけの話だ。


「どうあれ俺が此処でこれ以上話すべきことはこれ以上無さそうだし……俺は今回の会議内容を報告書と纏めて皇帝に提出してくる」


 クルーベルはネネカを乗り越え容易く執務室の扉に辿り着き、ドアノブに手を触れる。


「その後……は……あー、どうすっかな。まあ城で寝泊まりするか」

『皇城は狭い気がしますが、大丈夫ですか?明日か明後日、ホープに帰ることになると思いますが、疲労は回復出来ますか?』

「ホープの自部屋に慣れ過ぎだお前は。ちょっとはテント生活思い出せ。……ネネカは、これまでと変わらずここで寝泊まりする、でいいんだよな?」


 クルーベルとエリーゼの会話の後の問いかけに、ネネカは「多分?」と首を傾げながら答える。

 ネネカがこれからどうするかは、状況次第としか言えないために。

 もしかしたらヴェルサスが返ってきた後、急いで二人でどこかへと行かなければならない事態が発生するかもしれない。

 ネネカとしては、初めてまともに魔法を使った上に訳の分からない状況に巻き込まれ続けて、心身ともに割と疲れているので休みたくは有るのだが。

 しかし状況が許さぬ時は存在する。今のネネカは、その時が来ないことを願うしかない。

 二人もそれが分かっているが故、苦笑してその答えを受け入れた。


「ではネネカ、またな。明日会うかどうかは分からんが、遠からずお前は理の裁定者には成るだろう。その時を楽しみに待っているとは、今の時点で言っておくよ」


 そう言って、クルーベルは執務室の扉を開き廊下へと出、そのまま扉を閉じて姿を消した。

 足音などは聞こえない。扉も廊下も何もかもが魔道具なこの屋敷だ。扉の先の足音が聞こえない程度、今更不思議にも思わなかった。


「……理の裁定者って、十賢者と十剣聖を纏めた呼び名だっけ?」


 ネネカが対面に座すエリーゼに問いかける。

 エリーゼは再び苦笑を浮かべながら、頷いて肯定する。


『名前そのものは……少々……その、どうかとは思いますが。ですがそれが、我々十賢者と十剣聖を纏めた呼び名であることは確かです』


 何やら少し恥ずかしそうなエリーゼ。

 その様子にネネカは首を傾げようとして……ふと、思い出した。

 本当に色々あって忘れかけていた、この世界にきて二日目の空での会話。


「……そういえばこれ命名したの、ヴァメルだっけ?」


 ネネカの問いに、エリーゼは視線を気まずそうに逸らしながら無言で頷く。

 そこには微妙に個人的な抗議が入り込んでいる気がしなくもなかった。

 事実、言葉が表す意味そのままとも言えるシンプルなネーミングの十賢者や十剣聖と異なり、理の裁定者だけ妙に独特なネーミングだ。それこそ誰か個人の趣味が盛大に入り込んだが如く。

 個人の趣味故に、自分の趣味と合わないこともまあ有ろう。エリーゼがその類だったとしても不思議はない。


「……クルーベルは気にして無さそうだなあ……。ヴェルサスちゃん、は……気にしないどころか逆にノリノリでさらに悪化させそう」


 ネネカが、この一週間ヴェルサスと過ごして積み重ねた経験と、昨日今日だけとはいえなんとなく分かっているクルーベルの諸々から、何となくそんな想像をしてみる。

 適当極まる個人のイメージからの想像だったが……エリーゼは気を悪くするどころか、苦笑しながらも頷いていた。


『まさに。クルーベルさんは公序良俗に反するものでなければ、基本的に軍略等の邪魔にならない限り名前などの直接的な影響が少ないものは気にしないお方ですので……』


 それはまあ、軍師としては正しいだろう。

 軍師の本領、軍略というものが真に役に立つのは、一分一秒を文字通りに争う戦場だ。

 戦場で振るう剣の銘や動きの名称を、一々全て気にする者は居ない。必要なのは振るって意味のある剣と、剣を振るうのに必要な身体だけ。

 軍師にとっての刃とは兵であり、身体とは策のこと。

 クルーベルは軍師としての在り方が染み付いているが故に、そういった細かな名などを気にする習慣が無いのだろう。

 流石に人の名は姿と併せて憶えていると思いたいが……少なくともそんな不安が湧き出る程度には、軍師としての在り方が自然となっているのがクルーベルだ。

 付き合いの遥かに短いネネカにも分かる程度に軍師としての在り方が染み付いているのは、やはりヴェルサスと同じくこの戦乱の大陸で生き延びたが故だろうか。


『それでヴェルサスさんは……まあ、その、はい』

「その反応の時点で」


 さらに気まずそうに眼を逸らしたエリーゼ。

 親しい仲の者をあまり悪し様には言いたくない、が、現実がどうしようもない。

 そんな葛藤が有る風だった。


『……その、ヴェルサスさんは……なんとなく分かっておられるようですが、割と自分の楽しさを優先する方。……ですので……』


 決して何もかもにおいて楽しさを優先するわけではないだろう。

 仮に完全に自分勝手な楽しさを優先する愉快犯な側面が有るとするならば、普段から明らかになっている方が自然だ。

 そもそも、仮にヴェルサスが愉悦十割な人物だった場合、如何に実力主義なこの大陸であったとしてもそんな人物に権力など与えるはずがない。

 今のところネネカから見える範囲だけでも少々アレな人物だということが分かるヴァメルも、そういった判断は付くが故にこの癖が強い三人の上に立っているのだ。

 そんなヴァメルが上に立ち、ヴェルサスに信用と信頼で以って地位を与えている時点で、決して最強の愉悦存在という訳ではないのは分かる。

 この場合の、自分の楽しさを優先する、というのは。


『処理しておけと命じられた爆発物を、その場で起爆させることで処理するような方なのです……!しかも何度も……!』

「まあ……淫魔だったらそれぐらいが健全だと思うし、いいんじゃない?ちょっとぶっ飛んでる感あるけど」


 完全に自分の好きなようにしてよい場面となった場合に、ノータイムで珍妙奇天烈な行動だろうが奇想天外な行動だろうが成すタイプ、ということだ。

 自由にしてよいとなった場合に自分の好きなように動くこと自体は、至って普通の事だ。むしろ健全な証ともいえる。

 ただ問題なのは、それが余りにも時も場合も場所も考えないことと、ヴェルサスが最強存在故に本来自由となっても守るべき最低限のラインすらも遥か高みに在ることだ。

 決してヴェルサス自身は万象全てを自身の愉悦のままに振り回すような人物ではないし、自分の行いに対し責任を持てないようなタイプでもない。

 本当にただ、ブレーキが本当にオンとオフの二択で極めて極端でしかないということと、ヴェルサスにとっての徐行が世間一般の比較的安全な徐行運転ではなくマッハを超える速度で周囲から見ればハラハラどころではなく、しかしヴェルサスにとってはそれが安全運転だというだけだ。

 だけ、というにはあまりにもあまりなのだが……次元の異なる力を持つが故の感覚の違いとしか言いようがない。


「……で、その性質がそういうネーミングの時にも割と働いて、アレな方向にどんどんブーストするわけだね」

『?ね、ねーみ……ぶーすと……?……ああ、名付けですか。そうですね、最初こそ二十星天剣魔将という……いえ、まあ、こちらも大概なのですが。それでもまだ数字が入っている分は分かりやすいものだったというのに、ヴェルサスさんとヴァメルが二人だけでわいのわいのと盛り上がっていると思いきや、いつの間にかこんな個性的すぎる名称に改められた上、二人の権力と力で以って逆らえず……!』

「うーん、職権乱用。というか個人的には二十の時の方のが痛い」


 自分たちの与り知らぬ場で、自分たちの新たな呼び名が創られるまでは良いだろう。二つ名や異名など大概がそういうものだ。自分から二つ名を創り名乗るものは、そう多く居るまい。

 だがその二つ名が余りにも個人の好みにそぐわない場合。通常ならば抗議し、それを取りやめさせるのが良いとはなろう。当然、抗議した側とされた側で関係性はその後も良いものとするのは難しいが、嫌なものを都度許容するよりはという見方も有り、それも含めて人それぞれとするしかない事でもある。

 しかしこれに限っては、相手が上司でもある皇帝と、その懐刀たる世界最強のヴェルサスが名付けたもの。抗議するにも相手が悪すぎるし、抗議することで関係を悪化させるのもその可能性を生むのも、喜ばしいものとは言えない。

 なにより。その関係を悪化させ得る抗議の内容が、実利重視のクルーベルが無視する程度のもの……完全に個人の趣味嗜好によるもので、その趣味嗜好においてもアレルギーが如き反応をしてしまうほどエリーゼも嫌という訳ではない。勿論、だからと言って決して好きなネーミングだとは言わないが。

 我慢できる程度の。気にしなければ問題ない程度の。気にしないことも問題なく出来る程度の事で抗議をして、上司や同僚と関係を悪化させるのは喜ばしくない。

 実利においても個人の感情においても、エリーゼはそう思っているからこそ直訴することはない。

 ただ、それでも少なからず文句は出る。こうして陰口じみた形で発散したくなる程度には。


『コホン……少々私情は混ざりましたが……ともあれ理の裁定者は十賢者と十剣聖を纏めた呼び名に違いありません』

「そっか……」


 仕切り直すようなエリーゼはみなかったことにしたネネカは、少し悩むように唸る。

 そんなネネカに、今度はエリーゼが問いかけた。


『なにか、気になる事でも?』

「んー……いやまあ、気になる事はそりゃ色々あるよ。大前提として、この世界の事情とかもあんまり知らないし」

『ああ、そういえばそうでした。こうして気軽に話せるもので、ネネカさんが異世界出身だということをすっかり忘れておりました』


 忘れないで、と思わずネネカはツッコミを入れるが、エリーゼは微笑むばかり。

 しかし無理もない話だ。同じ人類種で同じ世界に生きる同じ言葉を使う者であっても、話が通じない者は多いこの世の中。

 対話という点において、異世界故にこの世界の常識等に疎いというデメリットは有れども、それ以外はこの世界の大多数の人間種と変わらず意思疎通が可能なのだから。

 自らの声で話すことの出来ぬエリーゼを気味悪がる者は少なくない。

 そんな中でネネカは、確実に初めてこういった形で話す人物と出会ったはずであるにも拘らず、最初にほどほどに驚きこそすれ、その後は偏見なくこうして現在も至って普通に会話を行えている。

 立場と知名度も含めてエリーゼと真っ当に会話を行える人物はそう多くない中で、異世界から来たにも拘らず受け入れ、こうして真っ当に会話を行える。

 その時点でエリーゼはネネカの事を好ましいと思い、普通の会話を思わず楽しんでいた。

 が。会話に興じ過ぎてネネカの重要事項を少し忘れてしまっていたのも事実。

 ネネカは、エリーゼの浮かべている微笑みが、何かを誤魔化しているが故の微笑みのような気がしてならなかった。


『それはまあともかく。何か気になる事が有るのでしたら気軽にお聞きください。答えられることでしたらお答えしますよ』

「……なんか誤魔化され……まあいいや」


 仕切り直すようなエリーゼに半ば呆れながらも、その言葉に甘えて少し考えた後、自身の現在の疑問を提示する。


「さっきさ。クルーベルが、遠からず理の裁定者には成るって言ってたけど。理の裁定者……十剣聖や十賢者って、そんな簡単になれちゃうものなの?」


 クルーベルの事だ。アレは紛れもない確信を持っていたが故にそう言ったのだろう、ということは分かる。

 ただその確信を抱いた理由が、ネネカには分からなかった。

 当然、ネネカは知らない理の裁定者と成る条件を、ネネカが既に満たしているためにそう言っただけの可能性も有る。

 しかしどうあれその理由が分からないことには変わりないために、同僚であるエリーゼにこうして聞いたのだ。


『うーん……簡単……いえ、うーん……どう、なのでしょう』


 だが返ってきたのは、よく分からないといった風に首を傾げるエリーゼの姿だった。


『……十賢者と成る際の、細かい条件に付いては、述べることが出来ません。十剣聖については、現在は至ってシンプルなのですが』

「やっぱり条件とかあるんだ」

『ええ。……十剣聖に限りますが』


 条件。十剣聖に限る。

 その言葉が表すところは。


『どうやらネネカさんは察せられているご様子。聡いお方です。……考えておられる通り、十賢者には明確な条件というものは有りません。強いて言えば、特筆するような魔法能力を有していること、とはなりますが』

「十剣聖の条件ほど、明確で端的なものじゃなくて、細かい部分が個人の裁量次第。曖昧なんだね」


 ネネカの言葉にエリーゼは無言で頷く。

 特筆するような魔法能力を有していること。それは確かに、個人の裁量次第となろう。

 十剣聖の条件がどういったものかは分からない。だがこの地の性質等も考えれば、明確な武の功績を伴う何かであろうことは間違いないだろう。


『十剣聖と認められる最低限の条件は、如何な手段を用いようとも竜を一匹倒す、です。仕留める必要のある竜は何でも構いません。巨竜と謳われるような老練なものでも、生まれたばかりの小竜であろうとも。ただ、己が仕留めその首と逆鱗を併せて持っていること。それだけです』

「あー、うん。確かに明確だ」


 想像以上に細かく分かりやすかった。

 要は、どんな手段を使ってでもどんな竜でもいいので竜種を一匹以上倒し、その証明もかねて倒した竜の首と逆鱗を持っていればいい。ただそれだけだ。

 当然、それだけの話なだけで決して簡単な話ではない。

 今日ネネカが主に接したルドラや竜王エンリルは紛れもなく風竜の中でも強者の部類に入るために除外するとしても、小竜でさえ決して常人が束になろうが決して及ばない強さを持つ。

 皇都を襲撃した竜たちは紛れもなく若い部類だが、あれらも一匹で容易く都市の一つや二つ滅ぼせる能力は有る。

 それを、どんな手段を用いてもよいとしても討伐して首と逆鱗を持ち帰るなど、至難の業。そもそも持てる手段全てを用いてようやく勝負になるかどうかという次元の存在だ。

 分かりやすいだけで簡単とは常人では決して言えないことだ。


「じゃあ……仮に十剣聖になるとしたら竜を倒さないといけないっていうのは良いとして。十賢者になるとしたら何をどうしたらいいとか、そういう明確なのは無いんだね?」

『有りません。先も述べた通り、何らかの特筆するような魔法技能を有してさえいれば条件を満たしたことになります』


 一見すれば十賢者もシンプルな条件に見えるが、認定基準とするには確かに曖昧極まる。

 どんな魔法技能を有していればいいのか。どういった風にそれを証明すればいいのか。

 細部まで明確だった十剣聖の条件に比べ、エリーゼが首を傾げるのも無理もないほどふわふわとした条件なことは確実だった。


『一応、例としましては……現在十賢者に任命されておられる方では……【空間執政】が分かりやすいでしょうか』

「二つ名的に明らかに空間操るんだろうなって」


 想像以上に分かりやすい二つ名が出てきて思わず真顔でツッコミを入れてしまったネネカ。

 エリーゼも苦笑している辺り、自分たちの二つ名と比較した場合本当に分かりやすいと感じているらしい。


『コホン。……【空間執政】……事情が有って名前は呼ぶことが出来ませんが。彼女はその名の通り、世界で唯一空間魔法を自在に操ることが出来ます。より正確には、空間魔法を操るに適した魔力を継承する一族の者です。その特殊な魔力と空間魔法で以って、十賢者の任命条件たる特筆するような魔法能力を有していると認められ、当人も十賢者となる事を希望したために現在彼女は十賢者の地位を得ています』


 空間を操る魔法。

 成程、それは確かに特筆する魔法能力だ。

 明らか一般ではない高位の魔法を用いる魔法使いが特筆する魔法能力を保有していないのなら、一体誰がその条件を満たせるというのか。


『他にも【天命の技工士】カルメン様。彼女は純粋に魔法の扱い等では優れた点はございません。魔力量も一般の方々と比べても差が無いほど。ですが極めて優れた魔法知識を持ち、魔道具という概念すらも作り出し、今なお魔道具開発の第一線で活躍しておられる方です。彼女も、魔道具という概念の開発が唯一無二の魔法能力と認められ、十賢者に任命されました』


 そりゃ認められるわ、と思わず呟くネネカ。

 この家の殆どを構成する魔道具。それを開発した者。魔道具開発の第一人者。

 個人に優れた魔法能力が無くとも、その実績だけでお釣りが膨大だ。

 先の【空間執政】同様、十賢者と認められるのも納得だった。


『と、こういった形で。何らかで魔法に関する優れた技能を持ってさえいれば成れるのが、十賢者です。ですので、簡単かどうかは自他共に個人の裁量次第となります』

「魔力の量とかだけで決まるわけじゃない、ってことか」


 勿論、魔力の量が特筆する魔法能力として認められれば、十賢者になる事も出来よう。

 纏めてしまえば、十剣聖になる条件はガチガチに決まっているのに対し、十賢者になる条件はふわふわとしている、ということだ。


「じゃあ……私の場合は、魔力で十賢者候補にはなれてる感じ?」

『いえ、恐らく……少なくともクルーベルさんの中では、ネネカさんが十賢者に任命されるのは時間の問題だと判断しており、ヴァメルさんやヴェルサスさんもそれを否定しないでしょう。勿論、私も否定は致しません』

「候補飛び越えてた」


 そうそうたる面々のお墨付きを得ていたことがさらりと発覚した。


「そん、そんなに簡単で良いの?いや簡単じゃないのはこれまでで分かってるけどさ」

『まあ……ネネカさんの立場ではそう思ってしまうのも仕方のない事です』


 少しばかり同情的なエリーゼ。

 年齢的にはまだ幼い少女が異世界に来たかと思いきや、優れた魔力を持っているからとこの世界の常識もまだ学びきれていないのに権力とそれに伴う責任を与えられようとしている。

 先はまだ遠いであろうとはいえ、そんなことが当人の了承なしで内々で勝手に決まっていたとなれば、当人は困惑して当然だし良識の在る者は気の毒に思うのが自然だ。


『ですがこれは、現在のウルグリムの状況……というより、理の裁定者の状態があまり……お世辞にも善い状態だとは言えない事が強く関わっておりまして。勿論その解決のためとはいえ、貴方のような幼子を巻き込むことはとても心苦しいのですが』

「私視点、本当にただただ巻き込まれてるだけだからね、色々」


 そもそも異世界に飛ばされてきている時点で巻き込まれの極み。

 当人の順応力や理解力、魔力を含む基礎能力が高いためにどうにかなっているだけで、当人たちからしてもどうかと思うほど巻き込まれているのは間違いない。

 ただネネカとしては、もう今更という感情も強い。

 この世界に来てあの賊たちに囚われた時点で、狂った元の世界の普通からすらも外れてしまったのだと恐ろしく冷静に受け止められていたし。

 賊から救い出してくれた者がこの世界の最強だという時点で、この世界の普通からも外れたのだと理解した。

 異常の現在に、さらに他者の事情による異常が加わったところで、異常であることには変わりないのだから。


「で。その理の裁定者の状況って、何が駄目なの?あ、言えないなら別に……」

『いえ、知られていることですので構いませんよ。一般には発表されてはおりませんが、一定以上の役職を持つ方は知らされておりますし、民も感付いていることでしょうし』


 公表はしていない。が、公然の秘密でもある。

 それは良い事なのか。場合によるとは思うが、当事者たる彼女たちが言うのならば問題は無いのだろう。


『端的に申し上げますと、少ないのです。理の裁定者の人数自体が』

「少ない?……って、ことは……」

『お察しの通り。現在の十賢者の数は、私たちを含めて六人……十剣聖に至っては二人のみ。圧倒的な人手不足なのです』


 理の裁定者。その定員数は、十賢者と十剣聖の定員から考えて、必然的に二十人。

 現在の人員は、計たった八人。

 圧倒的人手不足。その言葉に偽り無しであった。


「……あ。ヴェルサスちゃんが仕事でずっと忙しいのも……」

『はい。まず間違いなく、人手の足りていない理の裁定者がやるべき業務をやっているからでしょう』


 以前ヴェルサスは、他の理者が管理するべき土地も管理していると言っていた。

 冷静に考えればあの時点でおかしな話だった。

 如何に他の理者の執政能力が軒並み低くヴェルサスが優れていたとしても。ヴェルサスが皇都からあまり動けず他の理者が忙しかったとしても。

 他の理者全員分の仕事を請け負っているのは、明らかおかしな話だ。


『理の裁定者の人員が少ないことで発生する問題は他にもあります。最たるものでは、様々な決議の際の投票です』

「……あー、元の世界でも企業のお偉いさん方であったなー、そんな感じの」


 主に姉の会社で、と思い出すネネカ。

 ただ一社員の妹でしかないのに色々と巻き込まれた記憶は、新しいわけではないが忘れられるものでもなかった。


「あれでしょ?理の裁定者で考えるなら、本来は理の裁定者……だけだと偶数だから、皇帝もかな。その合計二十一人で色んな法案とかに賛成反対でー、とか。だけど理者が居ない場合は、その票……の権利的なもの……というかが皇帝に統合されて、みたいな」

『まさにその通りです。異世界でも似たようなことは起こり得るのですね』


 似たようなことというかまさに同じことが有ったんだけど、とネネカは心の中で呟く。

 国と企業。規模は違えども、同じような意志を持つ生物が同じような姿形をとって行う事ゆえに、世界が異なれどこういった事はあまり変わらないのかもしれない。


『概ねご推察の通り。しかしここは大陸一つを統べる国ゆえに、その問題も絶大なものとなっております。加えて、我々が執り行っている平和的政策はウルグリムの民にとっては異例のもの。全てが皇帝の一存で決められる現状は、民にとっては皇帝の横暴を許すしかない現状で在り、我々他の為政者にとっても意見を申し上げたとて皇帝の気分ですら却下される。……誰にとっても、非常に望ましくない状況なのです』


 国の政策を、完全に個人の判断で全て決めることはそうそうない。

 ウルグリムのように一人の君主を置く帝政であったとしても、ある程度は側近と呼べる存在たちの言葉を聞き入れ、その上で判断する。

 皇帝であっても一人の人。間違う時は容易く間違うもの。

 間違った政策を行えば、それは民を苦しめた末に己へと返ってくる。

 それを防ぐためにも人は人を頼る。皇帝とて、例外は無い。

 が、現状はその相談まではいけても、そもそもの相談する相手が身内に等しく意思を共にする者たちばかり。相談する意味は、細部でこそ意味は有るかもしれないが大局的な意味では薄い。

 加えて。如何に相談を経たとしても、本来は皇帝を含めた二十一人で可否を決定するものを、皇帝の一存で幾らでも可否を決められる現状。

 ウルグリムは皇帝という君主を置いている故に絶対的な民主主義という訳ではないが、同時に絶対的な権威主義という訳でもない。良いトコ取りを目指した、理の裁定者という枠組み在ってこそのハイブリットだが独特な政治体制だ。

 だがその良いトコ取りを目指した政治体制が現在機能しておらず、権威主義どころか独裁に偏り始めている状況。

 皇帝の側近、皇帝に意見を言える数少ない立場に居ながらも、政治的な機能が失われている現状……望ましくない状況としか言えまい。


「……成程ね。それで一番の解決策は十賢者や十剣聖を増やすことになったわけか」

『必然的にそうなりました。しかし十賢者と十剣聖……理の裁定者の任命基準を揺るがせるわけにもいかず……』


 十賢者と十剣聖の任命のハードルは下げるわけにはいかない。ハードルを下げてしまったら、それこそ何のための称号なのか分からなくなってしまう。

 だがハードルを下げねば、政治を真っ当に機能させることが出来ない。それは国として決して在ってはならないこと。

 ウルグリム皇国特有の環境が発生させた特異な状況。どちらかを譲らねば国が立ち行かぬ、しかしどちらも在り方の根源からして譲ることが出来ぬもの。

 板挟みとはこの事か、とネネカは思った。


『そんな状況ですので。クルーベルさんたち国の運営に特に関わる者にとっては、ネネカさんという想定外ながらも理想の存在は、決して逃したくないのでしょう』

「まあ……私も同じような状況だったら、求めるよ」


 そんな苦境の中、全ての想定も想像も超えて現れたネネカは、喉から手が出るほど欲しい人材だ。

 少なくとも十賢者の資格は十分すぎると言える、膨大な魔力。

 それを持つ上で、ウルグリム大陸特有の戦争至上主義でなく、平和至上主義とまではいかずとも、最低限戦争と死を是とする性格でない。

 この時点で理の裁定者の人員を真っ当に増やしたいクルーベルたちには、理想の極みの人材。欲するのも無理はない。


『加えて。少しずつ平和を浸透させていくのが好ましい現在求めなければならないのは、平和を知った上で意見を言い過ぎることなく、しかし周囲の意見に流されることなく、皇帝にすら政策の問題点等を物怖じすることなく告げられる……確固たる意志と胆力を持った第三者です。そういった意味でも、ネネカさんならば適任だと考えておられるのでしょう』

「あれ?もしかしなくても私、ご都合主義にご都合主義を重ねたレベルに物凄い神タイミングと神能力で発生した、この国にとって凄い重要ポジ候補???」


 まあハイ、と苦笑しながらエリーゼは肯定した。

 ネネカ自身、そういう立場が適任とまではいかないかもしれないが、出来ないわけではないと考えてはいる。

 個人としての考えこそあれども、自他共にそれに振り回されすぎない。そんな人材を現在のウルグリムが求めているとして。

 ネネカは己が、それに向いているかは別として、出来るか否かで考えれば出来るとノータイムで答えられる。

 それは自らの能力を評価した上ではなく、自らが積み重ねた実績で以って。

 元の世界で似た事態に巻き込まれた際に、結果的に人の命を消費する形になる事も有ると理解していながら、ひたすら第三者として冷静な意見を述べた経験が有るから。

 故に。その立場を好んでいるか、適任か。そういった諸々は一旦置いておくとして、今のネネカがその立場を遂行できるか否かで言えばイエスなのだった。


「……でも、正直まだやるかは分かんないよ?そっちが私に理の裁定者になってほしいって理由とか気持ちは分かるけど、私だってこの世界の事全然知らないから」

『ええ、それで構いません。元よりこれは我々だけで解決するべき事ですし』


 ネネカの存在は、良くも悪くもひたすらにイレギュラーだ。

 為政者は彼女のような外からのイレギュラー頼りではなく、内側に在るもので以って自身の治める地をより良いものへと変えていかなければならない。

 当然、時には外と交流するのは必要だ。万事悉く内側だけで完結できるほど、世の中というものは甘くない。

 だからと言って、外ですらない存在……完全な理外の存在のイレギュラーを頼りにするのは違う。そもそもからして起こるかも分からない事象に期待する方が、為政者として考えればおかしい話だ。


『何をするかはネネカさんが決めて良い……などと、偉そうに言える立場でも人生でもありませんが。少なくとも私はネネカさんに、我々の業を共に背負わせるような不自由を強制する気は有りません。自分たちの事は自分たちだけで、どうにかすべきことですしね』


 そう言ってエリーゼは、瓶の中に残っていたクッキーの最後の一枚を手に取り、口に入れた。

 結局のところこの先どうするかは、ネネカ自身が決めろ、ということなのだろう。

 とはいえそれが十賢者や皇帝の総意ではないだろう。これが総意ならば、クルーベルのネネカが理の裁定者になる事は既に決まっているような言葉は出てくるまい。

 ネネカはまだこの世界にきて日が浅く、この世界における自身の能力の理解も浅い。それは同時に、周囲の意思疎通もままなっていないということ。


「……色々仕方ないのは分かるけど」


 ネネカは思わずと言った風にぼやく。


「どの世界でも、力が有るせいで人の思惑に振り回される人生なんだろうなあ」

『…………………………』


 誰に聞かせるでもなく。意味を込めるでもなく。

 ただただ、自分の内から出た言葉。

 ため息すら出ないその言葉に、対面に座すエリーゼは何を思ったか。

 沈黙のまま口に含んだクッキーを咀嚼し続けていた。


「ま、なるようになれ、としか今は言えないか。がんばれ私」


 ネネカはようやくため息交じりにそんなことを言って、エリーゼへと手を伸ばす。

 より正確には、エリーゼの持つ先ほどまでクッキーの入っていた、現在は空となった瓶へと。

 意味を理解したエリーゼは、そっとお辞儀混じりに空の瓶を手渡した。


『すみません、つい美味しくて食べてしまいました』

「いいよ。暇潰しに作っただけの奴だし」


 ウルグリム大陸的には相当な甘味だったのだろうが、ネネカ的には本当に暇潰しも兼ねて作っただけのもの。

 食材を生産しているわけでも調達しているわけでもないので、礼を言われても困ってしまうところは少なからず有るのだった。


「……こっちの食材の把握も出来てきたから、そろそろちゃんと美味しいの作れるかな」

『十分美味しいお菓子でしたが……昼食としていただいたあのお米も、単純な味付けながらとても美味でしたし……』

「私的にはあんまり完成度が高いとは言えないかなあ。あれも、塩の風味とかを確かめるためのものだったし」


 さらりと言ったネネカの言葉に、本日何度目かもはや分からない心底の驚愕を露わにしているエリーゼ。

 食文化が極めて遅れているウルグリムで育ったのだから仕方ないところは有るが……塩の風味云々ですら驚愕に値するらしい。

 そんなこの大陸に食文化を広めるとしても、一体何十年……何百年かかるのか。

 別にネネカはその使命を請け負っているわけではないが……遠からず押し付けられるのだろうなという確信と、それが果たされるあまりにも遠い未来に、思わずため息を吐きそうになったが無言で堪えた。


「って、そうだ。そろそろ夕食も作らないと。エリーゼさんはどうする?食べていく?」

『もう完全に料理長ですね。そうですね……問題が無ければご一緒させていただければ』


 別にいいよ、とネネカは軽く返事をして、既に思考は料理へと傾けていた。

 なんだかんだ食材の種類自体は豊富。元の世界と名前が違うだけの食材、全く同じ食材も多い。

 当然見たことのない食材も多く有ったが、それらはここ数日の料理である程度性質を把握できている。

 料理が数少ない趣味でもあるネネカは、昼間に買い出しを頼んだ食材も含めて現在のこの屋敷にある食材から作れるものを考えていく。


「食べる人数的に……ヴェルサスちゃんへの作り置き……いやヴェルサスちゃんが帰ってきてからすぐに作って出せる方が……そうなるとコロッケは……みんなの食べる量から考えて一人当たりの量は大体……そうなると在庫で……早く処理したいのはトマトも……」

『……あの、こういう時は屋敷の主人と客人の分だけで良いと思うのですが……普通、従者の食事は別で用意するものですし……』

「お米は有るけど昼ので炊いたのがあまり残ってないから……けどパンを今から作るのも……というか酵母がない……一番余っているのは小麦粉……けどそもそも薄力粉寄りだからうどんを作るのも……炊飯器が有れば急ぎで炊いたかもしれないけど……」


 聞こえてない、と今もブツブツ呟いているネネカに若干呆れ気味なエリーゼ。

 料理の事となるとこれほど熱くなってしまうのが料理人というものなのだろうか。それともウルグリム以外ではこれが料理する者の普通なのだろうか。

 人生で二度だけしか、料理と呼べる行動をしたことが無いエリーゼは、今は困惑が勝ってしまうのだった。


「……ウルグリムのパンって硬いし味気ないからなあ……アレを主食にするのは……やっぱりあれはパン粉にして……うん、コロッケは確定。けど主食……薄力粉……パンケーキ……出来るけどコロッケとはなあ……そういえば卵は有ったけど……」

『……食文化の浸透は、先が長そうですね……』


 ウルグリム人ではほとんど考えない事に悩み続けるネネカに、少なからずの羨望を抱きながらも、あまりに遠いと分かるその未来に、エリーゼも思わずため息を吐きかける。

 長きに渡る戦争の傷跡は、あまりにも深すぎた。

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