32:綺麗事も時には必要
「ただいま戻りました」
「ただいまー」
ヴェルサスの屋敷の玄関の前に降りたち、ヴェルサスはネネカを降ろし。
ネネカは地に足を付けて、ヴェルサスは相変わらず空をふわふわと飛びながら、二人で屋敷の唯一の入口の扉を開く。
帰宅した二人を出迎えたのは一人のメイド。
「お帰りくださりましてごぜえます。皇帝と白いのと黒いのが執務室に居やがります」
「言葉が通じるのに分からないんだけど」
「終いには解雇しますよ……?」
「解雇されたら勝手に居座るので問題ありません」
「問題しかねえ」
アレ過ぎる対応のメイド長……セリナは、うんざりした様子のヴェルサスたちを認識しておきながら特に気にすることなく。
「ところでネネカ様。お腹すきましたので何か作ってください」
「……ああ、うん。後でね……」
「ヴァメルたちは執務室に居るんですね?では先に報告をします。……ネネカさん、そのあとでいいので何か作ってあげてください」
色々一気に疲れた様子のヴェルサスの言葉に、苦笑交じりに頷くネネカ。
着実にこの屋敷での自分の立場が炊事係に成りつつあると思いながら、ふわふわと浮いて移動し始めたヴェルサスの後ろについて屋敷の中を歩きだす。
この屋敷は外見とは裏腹にとても広く、複雑だ。無数の魔道具が使われている故仕方なくは有るのだが、ある種の迷宮が如き様相。
普通に此処に住んでいるメイドすら、まだ一部しか屋敷の全貌を把握できていないというのに、殆ど自力で動けなかったネネカが屋敷の内部を把握できているはずもない。
ので。ヴェルサスから逸れないよう、しっかりと着いていくのだった。
「夕食何がいいかなぁ。お米とかはあるっぽいし、野菜くずも有ったから……かき揚げ丼でも作ろうかな。あー、でもタレも……なんかあるかなあ。作れたら作るけど……」
「普通にその食文化を皇都だけでも一般化してほしいですね。……いや、本当に、マジで」
他の食事が、と見ずとも分かる死んだ目で呟くヴェルサス。
なまじネネカの……ネネカにとっては普通の料理、ウルグリムにとっては革命に近しい料理を知ってしまったが故、百歩譲っても美味しいとは決して言えないウルグリムの食事が半ば拷問のようになっているのだろう。
当然といえば当然だ。人間、苦痛に耐えることは出来ても幸福に耐えることは難しい。それが食事という、日々行うものともなれば尚更。
まして、物によっては生乾きの雑巾のような臭いを放ちスポンジのような食感なんてものもある無味なウルグリムの拷問のような食事と、様々な食欲そそる香りと程よい歯応えの上で美味だといえる食事。その差は酷いものとしか言えない。
その差を理解した上で幸福を堪えろと言われても、最強たるヴェルサスを以ってしても厳しいものが有ると言わざるを得ないのは、仕方のない事でもあった。
「あ、というかそっか。ダンジョン出来たからには、皇都に人を集めて留める手法の一つとして食事の改善は非常に有用ですね。予定より早くネネカさんを酷使することになりそう」
「酷使とか聞こえたんだけど。何させられるの私」
「私と同じで国の発展及び回復のための犠牲になってもらいます」
「犠牲って言っちゃったよ。誤魔化すでもなくド直球に言われちゃったよ」
しかも最初の言葉では予定より早くと言っていたので、元々酷使する予定は有ったということ。
あのダンジョンと呼ばれる漆黒の巨塔によって予定が早まったようだが、元々はどういった予定だったのだろうか。
ヴェルサスの性格的に本当に酷使されそうな気配がして、ネネカは軽く身体を震わせた。
それは決して武者震いなどではないだろう。
「でも、私だって一般的な料理は知ってるけど、専門的な料理とかは知らないよ?精々、趣味で少し齧った程度だし、そもそも食材が有るかも分からないし」
「あー……しまった、そうですよね。食材……そもそも食材の生産があんまり出来てないんですよねえ、ウルグリム大陸レベルで」
軽く忘れかけていたが、ウルグリム大陸は不毛とまではいかないが基本的に土壌が良いとは言えない大地だ。
元々土壌が弱いのに、そこに加えて数百年……もしくはそれ以上の戦争と、様々な竜の争いで酷く傷つき、死んでいるとすら評せる大地も決して少なくない。
料理以前にまずは何かしらの手法で、大地を蘇らせなければならないかもしれないのだ。
「……ネネカさん。なにか、土壌を改善する手法とかご存知です?」
「知らないよ、会社に勤めてたわけじゃないんだし……」
「まー、そうですよね。……肥料ばら撒きまくって……」
「場合によっては肥料で土壌が枯れることも有るって聞いた事ある。あと栄養過多で作物が腐る、みたいなのも。うろ覚えだけど」
「なんですと」
ネネカの言葉に振り向いて絶句するヴェルサス。
元の世界ではとある会社が基本的な食材生産は世界的に一手に担っていた故、当然最新の一次産業はほとんど企業秘密。勿論そんな大企業に関わっていたわけではないネネカが、元の世界の詳細な食材事情なぞ知るはずもない。
ネネカの農業知識はゲームが主体の知識。しかしそのゲームの知識も古い農業の知識ばかりかつ創作物故に省略されたものも多い。中には魔法で農業をするものも有り、とてもではないが参考になるものは少ない。
故にネネカも自身の言葉が何処まで正しいか確証はない。少なくともリアル寄りのゲームではそういう描写や機能が有った、というだけだ。
「……結局は土壌の地道な改善からですかねえ……あー、めんど」
「管理職は辛いね」
「いや管理もなんですが、大抵こういうの私に押し付けられてくるんですよ。自由に動けて、いざという時どうにでも出来る能力が有って、そこそこ暇している、ある程度失敗しても揺らがない権力持ちってことで」
「あ、本当に面倒な奴だった」
しかももし失敗した際の揺らがない権力は、あくまで揺らがないだけで相応に非難はされるだろう。責任者として。
管理職の極みでありながら中間管理職、そして最強であるが故の、本当に面倒の役満があからさまに見えるのだった。
「しかもですよ?それで成功したら上司であるヴァメルの功績に、失敗したら部下である私の責任になるんですよ?やってらんねーです」
「本当にやってらんない事あるんだ。っていうか、何そのブラック企業まっしぐらな上下関係」
「皇帝が絶対君主なんでねー……皇帝以外のその他大勢なんて、最強であってもこんなもんなんです」
ウルグリム皇国は皇国と名の付く通り、皇帝を頂点とする国家。
それ故、皇帝かそうでないかで扱いが変わるのは当然といえば当然なのだが。
国の存亡や状況を左右し得る最強存在であっても例外なく上下関係が有るのは、頑固というべきか徹底しているというべきか。
「あー、謀反起こしたい」
「国終わる」
思わず漏れたヴェルサスの本音。
それに対し淡々と、確定した未来を呆れたように答えるネネカ。
事実、仮にヴェルサスが国へと牙を剥いた場合。仮に直接命は奪わなかったとしても、環境被害だけで相当なものとなるのは想像に難くない。
例えばネネカと出会った時の賊に対して放った火炎旋風。
あれを一度町に放つだけで、町は容易く地獄と変わる。
しかもあの時のヴェルサスの様子からしてあれでも本気は出していないであろうし、あれだけが攻撃手段なはずもない。
ヴェルサスが謀反なぞ起こそうものなら、本当に一夜にして国が滅んでもおかしくないだろう。
「……帰って来て早々なんつー話してんだ……」
「あ、ヴァメル。ただいま戻りました」
「こんばんわー。執務室に居るって聞いてたけど」
そんな二人の会話に、軽く表情を引きつらせながら混ざってくる声が有った。
皇帝ヴァメル。ウルグリム皇国で最も偉い人物が、ヴェルサスとネネカの背後に居た。
「帰るついでに厠に行ってただけだ。結局、何処にあるか分からなくて迷いまくって諦めて皇城で行くことにしたが」
「ちょいちょい来てるんですからいい加減少しは構造憶えてほしいんですが」
「こんな立体迷宮もびっくりな家の構造なんぞ憶えきれるか馬鹿」
うんざりしたように言うヴァメル。
事実。この家は外見以上に広い上に、扉一つ窓一つで何処へ繋がっているか分かったものではないし、中には扉が一方通行の部屋や鏡の迷宮になっている部屋まである。
ネネカも、足が今までは自由に動かせなかった事も有って全ての部屋を知っているわけではないが、それでも今まで見てきた部屋だけでも迷宮という言葉に同意したくなるのが現状だ。
トイレ一つ探すだけで苦労する環境。比較的恵まれているはずの環境でそれは、あまり良い環境とは言えないだろう。
「報告はどうするんです?執務室で報告を受け取るんじゃ?」
「あとで顛末書を送れ。始末書等も必要なら書いて一緒に送ってこい。 書類で済ませた方が後々の証拠にもなる。書面で済むことをわざわざ忙しい互いの時間を合わせてまで口頭でする理由は無い」
すたすたと、ヴェルサスとネネカに背を向けて歩きながらヴァメルが淡々と言ってくる。
そんなヴァメルの背に、ヴェルサスは呆れ気味に言葉を投げかける。
「文官の文句はそっちで引き受けてくださいね。というか色々疲れてるし何度も説明するの面倒なんで、今回の件で私のところに説明を求めに来たら膾切りにするとお伝えください。説明を求めるのなら、私からの報告書を受け取ったヴァメルに聞けと」
「膾切りって……」
「貴重な文官を殺そうとするな。そして皇帝をなんだと思っている。まあいい。代わりに報告書はしっかり書け。全て精密に、一切の偽りなくだ」
「私が報告書をサボったことが有りますか?」
割とあるだろ、と声に出さず気配だけで言ってくるヴァメル。
と同時にネネカはなんとなくだが、もう一つの意思も感じ取れてしまった。
見張っていろ、と。
それだけでかなりヴェルサスが報告等をサボっているのだと察したネネカ。
当然その意思はヴェルサスも察知しており、二人は揃って軽くため息を吐いた。
「……っていうか、見張れと命じられても私書類と分かんないし、どう見張れと」
「そもそも文字もまだ覚えてませんからね」
こちらに背を向けてすたすたと、それ以上語ることなく去っていくヴァメルに各々の気持ちを込めて呟くヴェルサスとネネカ。
サボり癖とまではいかずとも程々にサボりはするヴェルサスを見張る存在として、常ならば共に暮らすネネカが適していただろう。それはヴェルサスもネネカも認めることだ。
しかし見張る対象は寄りにもよって最強のヴェルサス。その魔眼によって、やろうと思えば認識すらも改竄できよう。
そうでなくても、まだネネカは世界共通文字すら習得していないし、書類の書き方だって知るはずもない。大人びているがネネカはまだ12で、書類を書かなければならない環境に居るわけでもなかったのだから当然だ。
相手の悪さと見張り役の状況の悪さ。様々で以って致命的すぎる人選ミスだと評せよう。
まあ相手の悪さに関しては、比類出来る者が居ないのでどうしようもないのだが。
「はぁ……仕方ない。真面目に全部書きますかね。ネネカさん。後程でいいので、呪詛の中で感じたことなども全て教えてください。会話等が有ったのならそれも」
「はーい。……あれ?言ったっけ、呪詛の中でのこと」
ネネカはこれまでの会話を思い出しながら問う。
ふわりと再び移動を開始しながら、ヴェルサスはなんてことないように答える。
「強力な呪詛には、時として術者の思念が強く入り込むことが有ります。例えば己の魂を削ってまで用いた呪詛などは」
「魂を……」
ネネカはヴェルサスに付いていく形で変わらず歩きながら、情報をかみ砕いていく。
魂を削って練り上げた呪詛。
成程。それほどの呪詛ならば、竜の一匹や二匹、やり方次第では呪えよう。
魂とはその存在そのもの。魂を削るとは、人で例えるならば人生や寿命を文字通り削るもの。
エルフという長命且つ魔法に長けた種の残る全てを用いて呪詛を練り上げたのなら、あれほど強力なのも納得というものだった。
「私とヴァメルの帰還ついでに確認した時点で、術者だった【呪幻神官】ラフォン・フィオルテという男は既に肉体も限界を迎えていました。回復は可能だったかもしれませんが……どの道ウルグリム皇国へと牙を剥いた者。その手段がどうあれ明確にウルグリム皇国の敵である以上は生かす道理無し。介錯も兼ねて、さっさと斬り殺しました」
ラフォンの話では、気付けば斬られていた、とのことだったが。
ラフォンがヴェルサスという明確な強者の接近にすら気付けないほど弱っていたのか、ヴェルサスの判断が早すぎてそうとしか言えなかったのか。
真実を知る者は、今や一方の視点しか持たぬ二人だけだ。
「ネネカさんが呪詛の中で何を見たのか、対話をしたのか、何を得たのか……それは私にも分かりません。私と【呪幻神官】の関係は、国を守る者と国に仇名した者……殺した者と殺された者の関係だけ。そこから察することは流石に不可能ですし」
ヴェルサスは屋敷の廊下に取り付けられた窓の一つに手をかけ、キィ、と音を立てて開く。
どこかの山脈の黎明を映していた窓は、開かれたその先にその景色を広げることなく、屋敷の異なる廊下を広げていた。
どうということは無い。この屋敷においては、一部の窓は別の場所の同じ風景の窓と繋がっている。ただそれだけの話だ。
ヴェルサスは窓を通り、先の廊下でふわりと浮かぶ。
ネネカも特に驚きもなく窓を通り、通り終わった窓をパタンと閉める。
「ですが呪詛の中にラフォンという一人の男の魂が有り、肉体を滅ぼしたことでその意思までもが呪詛にある可能性は大きい。強力な呪詛……魂を削ってまで練り上げた呪詛に明確に死者の意思が宿る場合が有る、というのは世界的にも幾つか前例が確認されています」
私も経験がありますし、とふわふわとネネカを先導する形で廊下を進みながら、ヴェルサスはどこまでも淡々と語る。
まるで感情を大きく、抑えているかのように。
少なくともそうなるほどのなにかは有ったのだろう。ヴェルサスほどの強者ならば、様々経験していてもおかしくないし、そこから様々な考えを得ていてもおかしくない。
今回の感情の抑制が、過去のトラウマのようなものなのか、現状に対するものなのか、個人の考え等によるものなのかは、ネネカには何一つ分からないが。
「ですので。もし呪詛の中で対話などが有ったのなら、一切の偽りなく、出来る限りでいいので語ってください。我々の持つ情報や情報網と併せて、さらに反乱の兆しを察知することも出来ますし」
反乱の兆し。
確かに。ラフォンは結果としては一人で活動していたようだが、その過程で反乱を行う軍勢と手を組んでいる可能性は無くは無い。
ネネカとラフォン、竜王エンリルを交えてのあの空間での対話で、反乱に関する話はあまりしていなかったはずだが。
しかしヴェルサスら国の上層部が持つ情報網を用いれば、あの会話からでも様々を導き出せるだろう。それこそヴェルサスの言ったように、新たな反乱の兆しや集いなどを。
国を維持する上でそれは重要だ。反乱というのは明確に国を揺るがすもの。為政者としてそれを許すわけにはいかず、出来るのなら明確に反乱という形で結実する前に止めたいというのは分かる。
が。
「……その、さ。反乱に加わった人たちが居たとして。その人たちは、どうするの?」
「拷問とまではいかずとも、尋問の末に見せしめの処刑程度はするでしょうね。現体制への反抗勢力は未だ膨大ですし。反乱の兆しのある都市も多い今、利用できるものは利用しませんと」
淡々と。ひたすら淡々と、感情も込めず述べるヴェルサス。
当然だろう。ヴェルサスは為政者。この世界最大の国の、国家元首に次ぐ地位と権力、それに伴う責任を持つ存在。
為政者として。時には冷徹とならなければならぬ場面も有ろう。
反乱などその最たるもの。まして今回は結果的なものであったとしても皇都が襲撃されたのだ。容赦なぞ出来るものではない。
相手を赦すことで懐の深さを示し、忠誠を得られる可能性も有るが……そうなるかどうかは相手それぞれで異なるし、場合によってはより舐められる事もある。そもそも今回は皇都を襲撃されたのに、それを赦しては国として示しがつかない部分も盛大にある。
利用できるものは利用する。合理的なそれに、ネネカも同意する。
同意する、が。
「自分のせいで人が死ぬことを受け入れられませんか?」
「…………………………うん」
自然と。ネネカの、執務室へと進む足が遅くなる。
ヴェルサスもネネカより少し進んだ先で、振り返るようにしながら速度を落とす。
決して足は止めない。そうすべきだということは理解しているから。
それでも納得の出来ない感情が、歩みを遅くする。
先を行くヴェルサスは、静かにふわふわと浮きながら、ネネカを見据えていた。
そうすること数秒。
「……ネネカさん。貴方のその感情は、正しいものです」
ヴェルサスは、そっと寄り添うようにネネカの迷いを肯定する。
決してその歩みの距離を、縮めようとはせずに。
「私たちは人を殺すことに慣れ過ぎている。それは戦乱の時代、戦乱の大地であったこのウルグリム大陸において、それが自然でしたので」
「…………………………」
「殺さなければ死ぬ。故に殺す。自分と自分の国が生きるために、他者と他者の国を殺す。そうせざるを得なかったこの大陸に生きる者は、それが当たり前として根付きすぎている」
私とて例外ではない、とどこか自重するように語るヴェルサス。
例外ではない、どころかその極みまであると言えよう。
最強の二字。【死の魔剣士】という二つ名。
そんなものが与えられる理由など、それこそ殺し続けることに限られるであろう。
「私たちはそんな人々が一般的なこの大陸の中で、その一般を変えたい。その一心で、無理矢理押し付ける形ではありますが平和を齎しています」
「それは、分かる」
他ならぬネネカ自身が、ラフォンへ向けて言ったことだ。
復讐も含めて戦いの輪廻に満ち溢れすぎているこの大地を変えるため、ヴェルサスたちは尽力しているのだと。
戦争ではなく平和を一般とするために、ヴェルサスたちは戦いの終着点として在り続けているのだと。
「ですが。そんな風に平和を考える私たちでさえ、死と戦争は前提になっている。反乱の兆しが有るのなら殺せばいい。そんな考えが前提なんです。死と戦争の時代が終わった今でさえも」
「!」
「そしてそんな私たちでさえ、このウルグリム大陸においては異端極まる存在。戦いとそれに対する強さこそを至上とするウルグリム故に、この在り方を以って最強の座と皇帝の座……方向性の異なる二つの頂点を得ているからこそ、ウルグリム大陸の民は私たちを認めています。認めざるを得ないから」
逆に言えば、その二つの頂点が揺らいでしまえば、その在り方を証明するに至らず、前提の段階へと巻き戻る。
最悪どちらかだけでも頂点で在りさえすれば証明は成る。時間はかかりこそすれ、成すことは出来る。
しかしどちらも崩れてしまえば、証明は失敗しウルグリムは前提へと戻る。
そのどちらも崩す可能性が僅かでも有るとするならば……国に対し牙を剥く者たち。
今。ネネカが庇ってしまっている者たちのことだ。
「ネネカさん。私は貴方が呪詛の中で何を見たのかは知りません。何を話したのかも知りません。貴方がそうして敵すらも思いやれるというのは、私たちにとって理想の極み。とても尊く思いますし、その考えを嗤うつもりも有りません。少なくとも私は、貴方の考えを馬鹿にする者を見たのなら、例外なく容赦なく殺しているでしょう」
許すか許さないかという次元ではなく、容赦なく殺す。
平然と、当たり前のように言った言葉だが。
その幼い外見と併せて、あまりにも歪だとネネカは思わざるを得なかった。
そして同時に理解する。
この歪さこそが、ウルグリムなのだと。
平和に生きていた自分とは、根源的に異なる生命。姿形が同じだけの別モノ。
ヴェルサスたちは、この歪な生命から人類と成るために、今尽力しているのだと。
「ですが。……理想が現れるには、あまりにも早すぎました。おかげで私たちは、まだ幼い貴方に命の天秤を持たさざるを得ない己の無力に苛まれ、貴方は命の責務に苛まれる。力が有っても、運命とはままならないものです」
「…………………………」
ウルグリムにとって、ネネカの存在は完全なるイレギュラー。最強のヴェルサスも、皇帝のヴァメルも、ネネカという理想の存在が現れることは想定外だった。
勿論、いずれはこういった人物が現れることを期待していただろう。彼女たちはそのために尽力しているのだから。
しかしそれはあくまでいずれ。今現れたところで、現在のウルグリムに食い潰されるのみ。
物事には順序というものが有り……理想の成就も先でなければならない時も有る。
ネネカは完全なるイレギュラー。一段飛ばしどころか数十数百段飛ばしで現れてしまった理想。
双方にとって不都合極まり、かつ不本意も極まりない状況。
だからこそ。ヴェルサスは心苦しくとも、こう言わざるを得ない。
「貴方がどういった考えを抱くも自由ですし、その考えの下何をするも自由です。あれこれ好き勝手してる私が言える話ではないですし」
「…………………………」
「ただ。貴方が目の前の他者へ与えられる死に躊躇ったことで、無辜の人々が大勢死ぬ可能性が決して小さくないことをお忘れなく。我々為政者は、これ以上の無辜の人々の死を厭うということも」
ヴェルサスははっきりと。突き付けるようにそう言った。
二人の歩みは、いつの間にか止まっていた。
ネネカも分かっている。為政者とはそういうものだ。
このウルグリムにおける為政者の在り方は異なる可能性は有る。が、正常かつ一般的な為政者として見るならば、現在のヴェルサスやヴァメルの行いは正しいもの。
今、このウルグリム大陸はようやく戦後なのだ。
戦争とは、勝って全てよし、負けて全ておしまい、などという単純なものではない。
戦争に勝とうが負けようが、残った者は戦争の終わった時代を生きなければならない。当然そこには、勝者と敗者それぞれの責任が有る。
勝者と敗者がどういった形で責任を取るかは戦争の理由や形それぞれ。だが相応の責任が有るという点に限れば、例外は無い。
この場において、戦争に勝った末の為政者として正しいのはヴェルサスだ。ネネカの死を厭う在り方は、一般的な人の倫理観としては正しいかもしれないが、この地この時代の為政者としては及第点に届かせることも出来ない。
なんてことは無い。ヴェルサスが悪いわけでも、ネネカが悪いわけでもない。それは互いに理解している。
ただ、本当に。
至極単純に、間が悪かった。
それだけの事で、それも互いに理解していた。
「貴方の考えを、在り方を否定することは有りません。出来るのならその在り方を皆に広めてほしい。ただ今は、その考えを……外法を使ってでも捨てさせて私たちは成さねばならないことが有る。それだけでも理解しておいてください」
そう言って。ヴェルサスはまるで距離を離すように、再びふわりと揺らぐように移動していく。
それは文字通り、ヴェルサスとネネカの本来の在り方の違いを示す、距離のようで。
見えているのに届かない、届かせようとしない、触れられない憧憬のようで。
「なら、これも否定出来ないよね?」
「?」
その距離を。
ネネカは容易く追いつき、ヴェルサスの横に並ぶ。
ネネカはまだこの屋敷の間取りを把握しきっていない。当然、執務室の正確な場所も分からない。
しかし、ヴェルサスの横に立つことは、迷うことは無かった。
見えているのだから。
「死と戦争の時代が終わったと貴方たちが語り、その口で私を求めるのなら。私は貴方たちが求める理想として、貴方たちの間違いを指摘する」
ネネカは今だけこの世界に居着くことを決めた異世界の人類ではなく。
純粋に。戦争が遠いものであった世界の住人として。ウルグリムの現状を俯瞰する、第三者として。
ウルグリムの在り方の体現者たるヴェルサスの、その遠い理想へ至る道を少しだけ舗装する。
「死と戦争の時代が終わったと言うのなら。対となる生と平和の時代を創るというのなら。処刑と言えど、そこに死を容易く当て嵌めている時点で失格だよ」
「!」
「確かに、時と場合によっては必要な死も有るだろう、とは認めるけどさ。けどそもそも死が前提じゃなくて、生を前提にしないと。死を前提にした世界で出来上がるのは、死が付いて回る世界だけだから」
それは本当に、極めて単純な話だ。
一から世界を創る上で、一に死を当て嵌めたのなら。その先にどれだけ生を積み重ねようが、死が根底にあるのが当たり前の世界となる。
そして死が根底となった世界から死を取り除くのは、容易い事ではない。
病気に侵された巨大な木を整えるとして。伸びた先の枝を切除して整えるならばまだしも、根本を切除するわけにはいかない。
死は病気であり、国を木とするのなら。
国が巨木のように育ったその時には根はボロボロで、いつ腐り落ちてしまってもおかしくないだろう。
国の運営など分からないネネカにも、それだけは明白だった。
「この先に簡単な死の無い世界を創りたいって本気で思って言っているなら。捕まえて殺す一択じゃなくて、赦す前例を作らないと。じゃなきゃ、戦争は終わったのにいつまで経っても誰も彼も死が当たり前で在り続けるだけ。死の無い世界の成就なんて到底無理だし、よしんば出来たとしても遥か先の未来でようやく可能性が生まれる程度。前例がないとなれば、何でもそんなもの」
「…………………………」
「前例を作るタイミングとしてはさ。私の意見が有った、とか丁度良いんじゃない?何か、些細なことでも切っ掛けが有るってだけでも、新しい試みに手を出せるんだし」
多少個人の意思は有るものの、出来得る限り第三者として語るネネカ。
個人の意思として混ざるそれは、ヴェルサスをも黙らせる明確な確信。
彼女に過去何が有ったのか、詳細は知らず。
しかしこう思うほどの何かを経験しているのは間違いない。
第三者として語りながらも混ぜざるを得ない、壮絶とも取れる経験を。
その上での助言。
それに対しては流石のヴェルサスも、沈黙して受け止めざるを得なかった。
「それに他人が切っ掛けだったら、いざという時自分の中でだけでも他人の責任に出来るしね」
「……良いこと言っていたのに最後で最悪なのですけど」
先ほどまでの言葉を全部ひっくり返すが如きあんまりな言葉に、ヴェルサスは沈黙を破ってでも呆れ果てる。
一瞬、重くなった空気を気遣ったのかと思ったが……ヴェルサスの呆れた雰囲気に「あれ?」と普通に首を傾げるネネカに、その気配は無い。
先の言葉も今の言葉も、ネネカの本心なのだろう。このウルグリムの現在の在り方に対すて、ウルグリムで育っていない現在のウルグリムの理想そのものたる第三者が率直に思い感じた。
ネネカの言葉の善し悪しを全て、ヴェルサスは静かに認めた上で……もう一つ呆れを込める。
「色々言ってますけど。要するに貴方の我が儘を通したいがための方便でしょう?」
「あ、バレた?」
ネネカは悪戯がバレた子どものように軽く笑う。
どうということは無い。ネネカは自身の死を厭う在り方を通すため、ヴェルサスの説得を試みた。それだけだ。
無論、発した言葉は全てネネカ自身が、経験を経た上での本心から考えていることであるが。
「……それで?あなたは結果として、私に何を望むので?」
ヴェルサスはふわりと浮かび、ネネカよりも上に移動し。
その上で逆さまとなり、ネネカと視線を合わせて問うてくる。
一切重力に縛られていないその在り方に、ネネカは少なからず憧れは覚えた。
「うーん。別に大層なことじゃないよ。ただ、私が呪詛の中でのことを全部語ったとして、それで見つけた反逆者を殺さないでほしいな、って」
だと思った、とヴェルサスはネネカの言葉に対し呟く。
分かり切っていた。そんな願いを語るであろうことは。
そもそも最初からそういう話だ。一周回って戻っただけで。
「……まず問わせていただきますが。それは私たちの立場とウルグリムの在り方を理解した上で、貴方自身の意思ですか?同情等ではなく」
「私の経験とか諸々踏まえてのって意味だから同情も入ってないわけじゃないけど、とりあえず私自身がそう思ってることだよ。立場とかもちゃんと、あくまで今の私がってだけだけど理解できる部分は理解した上で言ってる」
ネネカの言葉を聞いたヴェルサスは、そうですか、とだけ言ってそのままネネカの少し前を、背を向けてふわふわと漂うように進む。
そんなヴェルサスの様子に、ネネカは軽く首を傾げて問う。
「反論……って言うと少し違うか。そういうのしないの?」
「無駄だと悟りましたので」
あまりも簡潔な返しに、ネネカは思わず拍子抜けする。
意外であったからだ。
ヴェルサスはこういう時、淡々と利について語り、こちらを説得しようとするタイプ。ネネカ自身と似た方向性のキャラだと思っていたが故に。
決して感情で動かないわけではないだろう。ただ、理屈と感情を秤にかけた際に、ネネカと同じで理屈を取りやすいタイプだと。
そう思っていたのだが。
そんな風に考えるにネネカを察したのか、ヴェルサスはクスリと笑って語ってくる。
「私の行動原理って、凄まじく単純ですよ。まあ単純なその先は相応にですけど」
「単純?」
「ええ」
ヴェルサスはそれだけ言って、特に詳細を答えることは無かった。
これまでのヴェルサスにその答えが有るのか、単純に答える気が無いのか。
ともあれ此処でこれ以上ヴェルサスに付いて問うのは無意味だと、ネネカは悟った。
「まあ、貴方は貴方の意見を言えば宜しい。どの道対処するのは私たち……つーか確実に直接動くのは私です。そして私個人としては、ネネカさんの意見や願いも、綺麗事ではあれども一考する価値等は有ると判断しています」
「!」
「結果としてどうなるかは分かりません。割と、そういう温情をかけられることこそ屈辱!みたいに本当に死ぬまでどころか死んでも抗ってくる輩も居ますし」
戦士として生きることを誓った者や、戦場で生きて死ぬことを誓った者。
そういった者には、確かにネネカの慈悲とも取れる我が儘は、屈辱以外の何物でもないだろう。
そして。そういった手合いが普通だったのが、少し前までのウルグリムだ。
此処でネネカが自身の考えを譲らなかったとして。譲らなかった相手が最強と謳われるヴェルサスだとして。
根源的に異なる生命ともいえるウルグリムの戦士たちを相手に、その理想と願いを語ることすらなく受け入れられるかと言われたら、ノーと言われる確率の方が遥かに高いだろうし。
仮に理想や願いを語ったとして、それを受け入れるかもまた別の話となる。
結局のところ、こればかりは相手次第としか言えないのだ。
如何にヴェルサスが最強であろうとも、別人である以上は考え方等も異なって当然なのだから。
「だから貴方は、その私たちでは決して至れない在り方を貫いてくれればいい。貴方は貴方にやれて私たちが出来ないことを。私たちは私たちにやれて貴方に出来ないことをする。それだけの、今まで通りの社会を進めばいいんです」
今まで通りの社会。
その言葉にネネカが何か思うよりも早く、ヴェルサスは一つの扉を開ける。
「ん、ようやく帰ったか。随分と遅かったな」
『扉が開いていないと感知もまともに出来ませんね、この家では』
そこはヴェルサスの執務室。ネネカももはや慣れた部屋。
部屋のソファーには、向かい合うようにクルーベルとエリーゼが座っていた。
「ええ、まあ。随分色々と面倒が有りまして」
「お前をして面倒とな?これはまた徹夜が増えそうだ」
『徹夜はいけませんよ?美容の大敵です』
淡々と語るヴェルサスに、うんざりしたように返すクルーベル。
そこに対し微笑むエリーゼ、色々思うところは有りながらもとりあえず部屋に入ったネネカは。
「……俺、美容に気を使った無いんだが。強いて言えば……洗顔か?でも忙しくて洗ってる暇ない時も有るしなあ」
「私もですねー。まあ私は種族的なものなんでしょうけど、種族関係なく美容気にしたことないです」
ヴェルサスとクルーベルの心底疑問そうなその言葉に、ネネカとエリーゼは異なる笑みを浮かべる。
「……エリーゼさん。この二人、女性代表として一発殴っていい?」
「「なんで?」」
『ガツンと思いっきり蹴っても大丈夫ですよ。どれだけ怪我しても、私なら治せますので』
「「なんで!?」」
困惑するヴェルサスとクルーベルも一瞬のこと。
美容の美の字も知らずして美貌を保つ二人へと、常日頃の美容の苦しみを抱える女性代表の鋭い一撃が突き刺さる!
その日。最強の名を持つ事を許された二人の、ノォー!?という情けない悲鳴が、魔道屋敷の廊下へと響き渡った。




