31:怨みを止めるのは難しい
呪詛の世界から肉体へと意識が引き戻されたネネカが目を覚まし、視界に入れたもの。
それは、無数の風竜の腹だった。
「……何事?」
思わずぼやくが、風竜たちはギャアギャアとテイム能力を持つネネカを以ってしても聞き取れない叫びを上げるのみ。
自身が重力に引かれる形で居るのは、意識が取り込まれる前と同様に竜王エンリルの身体の上。より正確に述べるのなら、竜王エンリルの眉間。
ヴェルサスの結界によって阻まれているため、風竜たちがネネカを押し潰すことは無いが。
それはそれとして何故にこうして押し寄せているのか、分からなかった。
「……あのー」
ネネカは、一応風竜たちへと呼び掛けてはみるが。
風竜たちの叫びに比べればあまりに細やかなその声が響き渡るはずもなく。
幸いなことに竜王エンリルの呪詛は完全に消えている。テイム関係を通して流れ込んでくる呪詛は無いので、急ぎの問題は無い。
ただ、煩いのは事実だし、結界が無ければ押し潰されているのも事実。急ぎの問題は無いからと、永遠にこのままでいいわけではないのも事実。
どうしたものかと、一応の浄化魔法を継続しながら悩んでいると。
『……ン?ぬ!?ぬぉ、っも!?』
「あ」
どうやら竜王エンリルも、意識が肉体へ戻ったようだ。
それ即ち、竜王エンリルへ刻まれていた呪詛は消え、呪詛そのものであったラフォンも消えたということ。
ラフォンへの弔いも込めた追想でも行うのが良いのかもしれないが、相手と深い仲という訳でもない上にこの状況。とてもそういった事をする気にはならなかった。
『なん、なんだ一体!?重い!凄く重い!!!』
「がんばれー。私にはどうにもなんないから」
『ぬ!?僅かに聞こえるヒトの声……もしやネネカか!?其方も無事に戻って……っていうか煩ッ!?』
ネネカからは竜王エンリルの声は割と聞こえているが、竜王エンリルからはネネカの声は僅かにしか聞こえないようだ。
まあそれも致し方なき事。竜の聴覚器官のすぐ傍にすら風竜が集って騒ぎ立てているのだから、あまり大きく喋っていないネネカの声が僅かでも聞こえるだけ凄いと言えよう。
とはいえネネカも、何故かこの風竜の騒ぎ立てる中で竜王エンリルの声は比較的はっきりと聞こえているだけであり、平時と比べれば聞き取り辛いことこの上ない。恐らくテイム能力に関連した何らかによって互いに言葉を聞き取れているだけなのだろう。
『ええい!離れろ、離れぬか!誰、もご!?もごごもごごもごごご!?もごごごもごもご!?』
「口の中に入るな、かな?後半は分かんないけどもう」
どうやら開いた口に入ってきてしまったらしい。
まあ竜王エンリルがブレスなど放とうものなら辺り一帯一気に塵と化しかねないため、それを事前に防ぐため口を塞ぐのは合理的ではある。
実際、竜種の討伐の際には何らかで口を塞ぐことが推奨されているため、対処そのものとしては間違ってはいない。
『もが、ボウッ!!!ネネカ!少し強引に吹き飛ばす!しっかり掴まって居れよ!?』
「掴まるもの無いから諦めるんでさっさとどうぞー」
恐らくヴェルサスの結界のおかげでさほど影響は発生しないだろうとは思っている。
ただそれが絶対の保証は無いし、そもそも竜王の本気の動きに対応しきれるかは分からない。
しかしこのままではネネカも身動きが取れない。一応動けないついでに浄化魔法を継続しているが、別に問題は無いだろうと分かるので本当に意味は無く、動けるのならさっさと浄化魔法の行使も止めているところだ。
今は竜王エンリルに任せるしかないと、ため息交じりにネネカは思い。
『ふんぬらば!!!』
「どんな掛け声???」
ネネカは困惑を口にしながら、大人しく待つ。
どういう風に吹き飛ばすのか、普通に少し気になったが。
気が付けば結界の外の風竜たちが吹き飛び、結界の外がぐるぐると回っていた。
どうやら無理矢理回転することで吹き飛ばしたようだが……ネネカには遠心力の欠片も感じない辺り、この結界の効力は本当に凄まじいようだ。
まあ結界以外にもネネカに何か魔法が行使されている可能性も無くは無いが……どちらにせよ、竜王エンリルが凄まじいスピードで回ったにもかかわらず、ネネカに一切の影響がないのは変わらないのだった。
『フー……久々に本気で回ったわい……で、なん、おご!?』
回り終え、一息ついた竜王エンリル。
しかしその背後から再び風竜数匹によってタックルを受け、思いきり前に倒れ込む。
普段の竜王エンリルならば多少のタックル程度問題無かったのかもしれないが、現在は呪い明けで消耗が酷い状態。人間で言うなら重病からの病み上がり状態だ。とてもではないが本調子とは言えなかろう。
『オイ、一体なんださっきから!?凄まじく重、いや重!?ちょ、背中に凄い勢いで乗っかっとらんか!?』
「うん、あっという間に見渡す限り風竜になっていく」
『やはりか!!!ええい、呪詛上がりでなければ……つーか重いわ!!!』
グググ、と竜王エンリルはなんとか身体を持ち上げようとしているが。
流石の竜王と云えども、自分の体積の数倍に積み重なる竜の群れを背負って起き上がるのは厳しいのか、地面に沈んだきりで動けそうになかった。
「んー。おーい、ヴェルサスちゃーん?ルドラー?居るー?」
『ルドラ!ルドラ!!!聞こえておったら返事せい!!!コイツらをどうにか……ちょ、腰に重心掛けるのはやめろ!?腰痛は竜でも辛いんじゃぞ!?』
「辛いんだ」
まあ実際腰やその周辺の骨はどんな生物でも特に重要な骨であることが多いので、竜でも生物である以上はそうであっても不思議は無いのだろう。
「ハイハイ、皆さん落ち着いてくださいね」
『状況が状況ゆえに仕方なかったとはいえ、少し落ち着けお前たち……』
突如として、竜王エンリルにのしかかっていた風竜たちが浮かび上がる。
よく見ると風竜たちには、金色の糸のようなものが一匹の例外もなく絡みついていた。
金色の糸に絡めとられた風竜たちは、少しの間ギャアギャアと慌てたように騒ぎ立てるが。
次第に状況を理解したのか、大人しくなっていく。
「はい、皆さんが静かになるまで3分かかりました」
「学校の先生???」
実際それくらいには大人しくなるまで時間かかったので仕方ないのだが。
竜王エンリルは疲れ果てた身体を何とか起こして、一息つく。
そんな竜王のすぐ傍に、他の風竜よりも巨大な身体を持つ一匹の風竜がやってくる。
金色の糸を放った者は、当然ヴェルサス・ヴァナディース。
近付いてきた一匹の風竜も、当然ルドラ。
一人と一匹の姿は、ネネカと竜王エンリルが呪詛の世界へと意識を取り込まれる前に見たものと異なっていた。
ネネカの背には万華鏡のように色が変わり続ける一枚の翼が生えており、ルドラの全身には少なくない傷を刻んでそこから流れる黄金の血が翡翠の身体を彩っていた。
明らかに先ほどとは異なる一人と一匹の姿だったが……どちらも特に気にした様子は無く、竜王エンリルも然程驚いた様子を見せない。
となれば異世界人のネネカが知らないだけで、この状況は然程不可思議なものではないのかもしれない。
『……で。何故我がああも取り押さえられておったのだ?ルドラ、貴様が居てこうなったということは、相応の事訳は有るのであろう?』
『無論にございます。しかし今は語るよりもやらねばならぬことが有ります故、後程ゆっくりと説明いたします』
『ふむ?やらねばならぬ……ン?』
ふい、と竜王エンリルが何かを感じ取ったかのように上を向く。
竜王エンリルの頭に乗っているネネカも、重力の影響を変わらず受けないが故に自然と上を見ることになった。
そこに在ったものは。
「……ナニアレ。檻?」
金属の槍のようなものが連なって構成された、檻のようなもの。
その内に在る、半透明な球体。
球体の内側にあるのは、今にも爆発しそうな赤黒の煌めき。
その輝きが、決して良いものではないことは、細かい事情を知らないネネカでさえ明らかだった。
「細かいことはまたいずれ。私の成せること故に、何時でも教えられることですしね。まずは外へ移動しましょう。この規模のアレを抑え続けるのは、私は構いませんが皆さんとしては気が気でないでしょうし」
『そうであるな。では皆で移動するとしよう。彼らの拘束を解いてやってくれぬか?』
「暴れないのなら」
ヴェルサスはちらりと、竜王エンリルとルドラへと視線を向ける。
拘束とは、風竜たちを縛っている金の糸の事だろう。
視線を向けた理由は単純。ちゃんとこの風竜たちの上司たる竜王エンリルとルドラが、彼らを制御してくれるのか、という問いだ。
二竜は無言でコクリと頷き、ヴェルサスは僅かな逡巡の後、左手の指をパチンと鳴らす。
指鳴りの音は、この空間に静かに響き渡り……音色を聞いた金の糸は、溶けるように消えていく。
金の糸から解放された風竜たちは、羽ばたくことなく空中で浮かびながら体勢を各々整えていく。
『では……どうするか。何処が良い?』
「別にどこでも。この魔力です。何処にやってもまあ……というのは有るので」
『であろうなぁ。ふむ、では……まあ丁度良いことだ。真上の、竜王の間とその周辺へこの場に居る者全てを飛ばす。皆、備えよ』
備えよと言われても、どう備えたらいいのか全く分からないネネカ。
風竜たちは特に動揺することなく、各々で姿勢を整えつつ数匹ずつで纏まっていく。
ヴェルサスも状況はあまり分かっていないようだが、ルドラに傍に居るよう視線で示され、大人しく近くに居ることにしたようだ。
ネネカは結界で囲われていることもあり移動のしようもないため、大人しく正座して次の状況を待つことにした。
「……正座は別にしなくても……」
『?』
「した方がいいかな、って」
流石の竜王エンリルも、眉間に座っているネネカは見えないのか軽く疑問そうな声を上げる。
まあ元より巨体の竜王。自身の身体に乗っている小さな人なぞ、感触を感じ取ることすら本来は難しかろう。
『……分からんが、とりあえず良いのだな?』
「どう備えれば良いか分かんないけど、とりあえずじっとしてるよ」
『それでよい』
竜王エンリルがネネカの言葉に軽く頷く。
頷いた後、竜王エンリルはその巨大な両翼を大きく広げる。
すると。
「……まさかのテレポート」
瞬きの直後には。
サザンベルス山脈の地下の大空洞へ行く前にルドラに連れられ踏み込んだ、竜王の間だった。
竜王の間の入口より差し込む光は、既に黄昏時を超えて夜に差し掛かろうという時間だった。
どうやら呪詛の解呪に、相当な時間がかかっていたらしい。
「……驚きましたね。まさか風竜がこのような能力まで持っていようとは」
言葉とは裏腹に、微塵も驚いていない声音及び雰囲気のヴェルサス。
彼女の背には変わらず万華鏡のような色彩の片翼。手の先には檻に包まれた謎の球体。
色々特殊な状況の彼女すらこうして問題なくテレポート出来ているのだから、相当な能力なのだろう。
「他の竜は?」
『下へ飛ばした。今回は特例中の特例故に其方らも此処に飛ばして居るが、本来は竜王の間はそこらの者が立ち入ってよい場ではないからの』
「人類的に例えるなら玉座の間ですからねー。立場もないのにおいそれと踏み込んでいい場所ではないのは確かです」
確かに。竜王の間という時点で、相当な場所なのは聞いてわかる。
現在は諸々の緊急事態故にネネカとヴェルサスはこの場に居ることを許されているが、本来は人類的に言えば応接室に相応する場所で対応することだろう。
そんな重大な場所に、緊急の時が過ぎ去った今、一般市民に相応する他の風竜たちを竜王の間へと招く理由は無い。
「さて。ではこれをどうにかするわけですが。……ぶん投げますけど、どこか細かい場所の指定等は有ります?」
「投げるの???」
これ、というのは間違いなくヴェルサスの手の先にある謎の球体だろう。
明らか封印しているような状態。どこか真面目な雰囲気のヴェルサス。
その正体は分からないが、決して野放しに出来るものではないのだろう。
ただその処理方法が、まさか投げるとは思っていなかったが。
「投げるんです。で、何か指定は?勿論遠方に投げますけど」
『……ふぅむ。……ルドラ、麓の森はどうだ?』
『近すぎるかと。この規模のエーテルです、出来上がるものも決して生半可なものではないでしょう。若い者共の鍛錬には向くやもしれませんが、万一も有り得ます』
『そうよなァ。かといって離れた場所では、下手をすると他の竜への宣戦布告と取られかねぬし、これを手元に置けぬのも惜しい』
うーむ、と悩む竜王エンリルとルドラ。
話を聞く限りではあるが、どうやら竜種にも戦争のようなものがしっかりあるようだ。
もしその戦争が人類のものと同じようなものならば。
この明らか不穏の塊でしかないこれを、自分たちの領域外に解き放つのは確かに様々な理由で恐ろしかろう。
『利も不利も有るのが難しいところよなぁ。……ヒトの子らよ。其方らはどう思う?』
竜王エンリルは、自身の頭の上に居るネネカとふわふわ浮いているヴェルサスへと問いかけてくる。
この場に居るのは竜王エンリルとルドラだけではない。それ故、種族は違えども彼女たちにも意見を求めるのは、おかしな話ではない。
しかし。
「それ実質ヴェルサスちゃんだけしか意見できなくない?私何にも分かんないけど」
「正直これ体内に逆流してきて結構普通にきついんで、何処でもいいのでさっさとぶん投げさせてもらえません?」
『やべ、思っていたより相談が不可能じゃったわ』
『ヴェルサス嬢については普通に済まんが、絶対問題無いだろう。きついと言うなら冷や汗の一つはかけい』
何も分からないネネカと、答える余裕があまりないヴェルサス。
まあヴェルサスは考えるのが面倒なだけで本当は平気なのかもしれないが、少なくともこの場で自分たちの事情云々を押し付ける気は無いようだ。
『……ふむ。では……儂が少し地面を抉る。その場所へ打ち込んでくれぬか?』
「投げるのはいいですけど、そう遠くには無理ですよ?あと目印として地面を抉るのはいいですが、あまり広くされても困りますし狭すぎても場所によっては見えませんので、程よくお願いします」
「思ってたより注文が多い」
しかし竜と人の細かな能力の違いを考えれば、この程度の注文で済んでいるだけマシだろう。
そもそも現在地は雲を容易く貫くサザンベルス山脈の頂上付近。常人では、雲海の下の地面の詳細なぞ容易く見られるものではない。
ヴェルサス故にどうにか出来はするのだろうが……普通に考えた場合は色々双方で調節しないといけないのも確かだった。
『分かっておるよ。とはいえ竜と人の違いがどこまで正確に掴めているかは儂も分からぬ。調節は努めて行うが、其方らの想定よりも規模が大きくなろうな』
「ある程度は容認しますよ。こちらとて竜と人が価値観レベルで異なることは理解しています。優先すべきはこのホロウの対処であり、余程でなければそれ以外の被害は黙認します」
『カカ!余程とならぬよう尽力するとしようかの』
そう言って竜王エンリルは、竜王の間の入口で大きく翼を広げ、咆哮を上げる。
咆哮は挙動こそ巨大な音が鳴るものだと思えたが、意外と、というより不自然なほど一切の音がしなかった。
それに軽く首を傾げたネネカは……すぐに眼下の光景に絶大な変化が発生したことで理解する。
咆哮というより、人で言うところの魔法の行使なのだと。
「おー」
「いや、おー、じゃないレベルの何か起きてますけど」
発生した事象は、少なくとも人類の基準では大規模としか言えない事象だった。
超高高度故に、眼下に雲海が有るのは良い。思いのほか雲の量が多く、地表が見えなくなっていたことは想定外でこそあったが、それは自然の事だ。おかしなことではない。
問題は。竜王エンリルが明らか何かを行ったと同時。
その白亜だった雲海が、一点を中心に一帯の雲を巻き込んで渦を巻き、縦に延び……雷光を伴った黒雲の竜巻へと、瞬きの間に変わったことだ。
当然その余波も決して小さいものではなく、見える限りではあるが地面が竜巻の発生地点は勿論その周辺も抉れているのが分かる。
竜巻自体の高さも、雲海を容易く貫くサザンベルス山脈よりも高くまで登っており、その大きさも相まって存在感が凄まじい。
ネネカはとてもではないが、余程の事となっている以外の感想は出てこなかったが……今更驚くのも疲れたので、単に気の抜けた声だけが出てしまった。
『少し大きかったかの?』
「だーいぶ大きいですけど。……もうツッコミも何もかも疲れてきたんで黙認ということでさっさと済ませます。あの竜巻の中心の地面に撃ち込めばいいですか?それとも竜巻の中に?」
『あー、竜巻の中も……いやそれはそれで後々の面倒が増えそうだ。地面へ撃ち込んでくれ』
はいよ、と竜王エンリルと入れ替わるように今度はヴェルサスが竜王の間の入口へふわりと浮かぶ。
ずっと飛んでいるヴェルサスだが、あれで居て足腰もあれほどの蹴りを繰り出せるほど強靭なのだから、見かけによらないものだとネネカはぽわぽわと思った。
「にしても、どれだけのホロウを使って呪詛を練り上げたんだか。私が、確実にやるためとはいえ翼出すほどって相当なんですが、どうにも計算が合わない気がするんですよねー」
「計算?なんの?」
「色々。まあそれは後で。……せーのッ!!!」
ヴェルサスは珍しく地に足を着き。
ザッ、と思いっきり足を構え、左腕を大きく振りかぶり。
そのまま何かを投げるように腕を振るう。
檻と球体はヴェルサスのその動きに応じるように動き、投げられたかのように凄まじい勢いで以って竜巻の根元へ向けて射出される。
周囲に轟音と衝撃波を響かせながら突き進む球体を包む檻は、容易く竜王エンリルの発生させた竜巻の壁を貫きその内へと入る。
一点のみとはいえ明確に貫かれた竜巻は、次第にその勢いを失っていく。もともと魔力で構成されたものである上、目印として用いられたもの故に、然程維持するための力は働いていないのだろう。
数秒もすれば竜王エンリルの起こした竜巻は、形を失い連なる雷雲としてのみ残ると思い。
「うわーお」
「反応薄」
『もう疲れとるなコレ』
『無理も有りませぬ。……しかし、これほどとはな……』
突如として竜巻の内側、地表で発生した大爆発とそこから立ち上るどす黒い光の柱によって、竜巻は雷雲ごとかき消される。
維持する気は然程なかったであろうとはいえ、竜王の展開した竜巻を容易く消し飛ばす爆発と光の柱。
爆発は見える限りでは爆炎などは上がっておらず、ひたすらに地面に半球状の万華鏡のような眩い光の塊が有り。
空に立ち上るどす黒い光は、サザンベルス山脈を容易く超えて宙の彼方まで伸びている。
この世界に宇宙と呼べるものが有るかは分からないが、在るのなら黒い光の柱は宙まで届いているだろう。
それほど巨大で衝撃的な光景は、意外にも数秒で収まった。
しかし収まった後には、明確な変化が有った。
「……ナニアレ。塔?」
黒い光の柱がそのまま固形化したかのような。
そんな、不気味で異様で異形な塔が、黒い光の柱の跡に発生していた。
無論、塔は地面から空の彼方まで伸びている。
詳細な大きさは距離の関係で分からないが、ヴェルサスがあの速度で球体を投げてからそこそこ時間が経ってから爆発が発生したので相当な距離が有ると思え、その上で高さ以外を見ても巨大だと一目で分かる規模なので、相当な大きさなのは間違いない。
突如として発生したあれが何なのか。聞こうと、ヴェルサスや竜王エンリル、ルドラに意識を向けると。
「なんですかこれ」
『高すぎんか……』
『デカいし頂上が見えぬ……』
「アレー?誰も分かってない感じかー?」
恐らく事前の口ぶり的に、ある程度の推測自体は出来ていたのだろう。
現在の反応から察するに、その推測を容易く凌駕されたようではあるが。
「……どうします?って聞いてもどうにもならんですよね、アレ」
明らか疲れた表情で、背に生えていた翼を塵のように消しながら聞いてくるヴェルサス。
勿論問いの先はネネカではなく、竜王エンリルやルドラだろう。
『うーむ。……儂としては日差しが程よく遮られる故、然程支障は無いが』
『王、そこどうでもいいです』
「日差しが強いと寝るのも大変になるとき有るからねー」
「ネネカさん、それ別に広げなくていいです」
さらに疲れた表情を浮かべるヴェルサスと、何やら遠い目をしているルドラ。
色々面倒臭くなって思った事だけを話した竜王エンリルと、それに乗っかったネネカ。
何とも言えない空気がこの場に発生したが……。
「どれだけ現実逃避しようとも、どうにもならない現実だけがそこに在るんですよねー」
ヴェルサスがじろりと、竜王の間に影を落とさせる天を貫く巨塔に視線を送る。
外見は石造りの精巧かつ芸術的な雰囲気も感じさせるそれであるはずなのに、どこか生きたように蠢いているような雰囲気も感じられた。
まず間違いなく、あれはこの世界でも屈指の異物と言えよう。ヴェルサスに並ぶほどの特異点的存在かは分からないが、少なくとも雑に存在していいものではないのは確かだ。
『……まあ、なるようになるわい。慢心するわけではないが、余程のものでなければ魔物も我らの敵ではない。そう易々と魔物の大量発生なぞさせんわ』
「私たちとしても、ダンジョンから採れる財宝とかは明確な利点として有用ですからねー。出来上がってしまったものは仕方ないとして、何とか利点に変えていきますかね」
ふう、とヴェルサスと竜王エンリルは各々で一つ息を吐く。
そしてヴェルサスはふわりと浮かび、ネネカの傍へとやって来る。
当然のように結界は展開されたまま、ヴェルサスは結界をすり抜けてきたが……元よりヴェルサスの展開した結界。通り抜ける手段は有るのだろう。
「さ、帰りましょうネネカさん。私たちの仕事は終わりました」
「あ、終わりでいいんだ」
「今回の我々の仕事は、風竜の襲撃の原因の調査及びその原因の除去です。その任務は達成されました。報酬と呼べるものはすぐに用意できるものは有りませんが、一先ずクルーベルさんとヴァメル……はともかく、エリーゼさんにも貴方は信頼された事でしょう。この世界で生きる上では、十分すぎる報酬だと思いますよ」
「うん、そういうこっちゃなくて」
素で頭上に疑問符を浮かべるヴェルサス。
先ほどネネカが竜王エンリルの言葉に乗る形で的外れなことを言ったが、ヴェルサスはデフォでそういうタイプでもあるようだ。
最強故に感覚が違うのか分からないが……まあ、これが彼女の個性ということだろう。
「どの道、私たちが今ここでこれ以上居たところで出来ることは有りません。私ならあの塔を木っ端微塵に出来ますが、あれはあれで使い道が絶大なのでそれは悪手極まる。となれば残すしか有りませんが、そうなるとこの場で私たちが出来ることはただ帰る事のみです」
「木っ端微塵には出来るんだね」
『どうなっとる淫魔の子』
その場の者たちの呆れた視線がヴェルサスに突き刺さる。
当のヴェルサスは軽くうんざりしたように、簡潔に告げる。あの規模は簡単じゃない、と。
反応からしてそこそこ面倒なのだろうと言うことは察せられ、その上で別で使い道が絶大にあると言うのなら、そちらを優先するのが良くは有るのだろう。
となれば確かに、ヴェルサスとネネカが此処で出来ること、やるべきことはもう無いと言える。帰宅するのは最善ではあった。
『しかし、もう帰るのか?こちらとしては大恩を受けたばかり。そのような客人に、何もせずに只返すというのは、いささか気が引けるのじゃがのう』
『如何様。我が一族がもう駄目かと思ったほどの呪詛から救ったお前たちを、ただ返すというのはな……。財宝でも持っていくか?』
竜を助けた例に財宝を手に入れる。
昔話やおとぎ話ではよくある話。夢のある話だ。
しかし現実的に考えた場合。
「今時財宝とかダイレクトに貰っても困ると思うんだけど……」
「出所とか色々聞かれますからねー。竜から貰ったって言っても信じてくれる方は少ないでしょうし、財宝であっても価値は高くならないかと。下手をすれば盗みを働いたとか疑われかねませんし」
『『なん……だと……?』』
竜王エンリルとルドラはあんぐりと口を開け、二人の情報に絶句する。
それほどか、と思わずヴェルサスとネネカは思った。
しかし竜はエルフ並みに長生きで、人世とさほど関わらない。ならば昔の常識で考えたのならば、そういった昔話と同様の行いを自然と思ったとしてもおかしくはない。
『…………………………時代は、移ろうものだな……』
「沈黙が長かったんですけど」
「竜でもジェネレーションギャップでショックを受けることが有るんだね」
「うん、貴方は貴方で何語???」
ショックを受けている竜王エンリルとルドラ。それに淡々と感想を述べるネネカ。そんなネネカに困惑するヴェルサス。
何やら混沌とし始めた場であるが……恐らく全員、なんだかんだで疲れているのだろう。こうでもしなければ、疲れで各々ばったりと倒れそうな雰囲気が有った。
無理もない。ネネカは呪詛の解呪でずっと呪いが流れ込んでいたのだし、ヴェルサスは解呪の間あの塔が発生するほどのナニカをずっと抱え続けていたのだ。竜たちは言わずもがな、呪詛による消耗が絶大すぎる。
竜と人……ヴェルサスも含めて皆生物である以上、消耗は必ずある。
その消耗という点において、現在決して無視が出来ない程度の消耗がこの場の全員に発生しているのは否めない。
こうしてワイワイとするのも、その表れと言えよう。
「とにかく、財宝は現時点では私は不要ですし、ネネカさんも要らないでしょう?」
「要らない。全く要らないわけじゃないけど、あくまで今後の生活を考えての話だし」
「ですね。それに関しても今回の件の事もあって、私からどうにか出来ますし」
結果的に大した戦闘もなく、大事に至ることもなく、ただひたすら時間をかけただけで解決した事態ではあるが。
放置しておけばまず間違いなくこのサザンベルス山脈に巣を持つ風竜の群れは、良いか悪いかは分からずとも明確な変化が発生していただろうし。
その変化の影響で以って、皇都も決して小さくない損害を負うこともあっただろう。
直接的な被害はヴェルサスによって抑えられてようとも、その余波で以って物資の輸送等がままならなくなることもあろう。
そういった、結果的に発生し得た損害の事を考えれば、ネネカに対しても相応の褒章が有ってもおかしくは無いのだ。
尤もネネカの立場上、どういった形で褒賞が与えられるかはこれから考える必要がありそうだが。
「加えて此度の事態は、動機はともかく事態そのものは人の手で発生した事象。それを人の手で解決して被害者たる竜より褒美を得ようなど、随分と悪辣な自作自演。詐欺にも等しい」
「というかまんま詐欺だね」
勿論、首謀者と解決者に繋がりは無い。精々あの呪詛の中での精神世界で言葉を交わした程度。ヴェルサスに至ってはラフォンを瞬殺しただけだ。それは竜王エンリルもルドラも、彼らと精神をつなげている風竜たちも理解している。
しかし第三者より超大雑把に……それこそ種族単位で見た場合、結果的に詐欺に近しいマッチポンプと化しているのは紛れもない事実。
「私たちに報酬と呼べるものは完全に別の形で得られる故に不要。また、自作自演としないためにも報酬を受け取るわけにはいかない。となれば、私たちはこのまま帰るしか本当にないんです」
よっ、とヴェルサスはネネカを担ぐ。
ネネカは自分も飛べると言おうと思ったが、身体に上手く力が入らない上に魔力の扱いすらままならない。
呪詛に飲まれた後遺症か何かだろうか。まああれほどの呪詛だ。後遺症の一つや二つ、あってもおかしくはない。
そうでなくても解呪で相当な体力を消耗している。普通に魔法を行使するほどの余力が自覚も不可能なほど残っていない可能性もあろう。
どうあれネネカは現在動けないのは変わらない。ので、大人しく担がれていることにした。
ヴェルサスに最初に保護してもらった時を思い出すなー、とのんびりとこの世界に来た初期を思い出すネネカ。
あの時はサザンベルス山脈の麓の森で保護された結果なので、今とは状況が似てはいても違うのだが……この山では抱えられる結果に縁が有るのかもしれない。そう思ったネネカだった。
『……むぅ。しかし此度の件の動機に関しては、我らが直接ではないとはいえ同族が成してしまった事も含まれていよう。それが全ての要因ではなかったとはいえ、一因ではある以上な……』
竜王エンリルが、少し困ったように唸る。
確かに、このサザンベルス山脈に巣を構えるこの地の風竜たちが直接やってしまった事ではないだろうとはいえ、ラフォンの家族を竜が奪ったのは事実。
竜と人。その種族単位で諸々考えた場合、その点についても最低限は考慮しなければならないだろう。
「ふーむ……そう言われましても、こちらにも責が有る以上は両成敗な気もするんですが……」
「あ、ねえねえ。話ぶった切るようで悪いけど、一ついい?」
考え始めたヴェルサスの腕の中で、ネネカが小さく手を上げる。
小さく手を上げると言うか、小柄なヴェルサスの身体で狭くて小さくしか上げられなかったというのが正しいが。
「あのー……私とのテイム関係はどうするの?場合によってはこれだけで十分すぎる報酬になりそうだけど」
「『『あー……』』」
そういえば、と言わんばかりに声を上げるヴェルサス、竜王エンリル、ルドラ。
忘れていたわけではない。ただ現状がデフォ過ぎる上に考えることが多すぎて、思考の隅に追いやられていただけで。
ネネカの言う通り、冷静に考えれば竜とのテイムを含む協力関係だけで、十分すぎる報酬だと言える。
それが仮に一時のものであったとしても相手は竜。風竜の子竜一匹で過去三つの国が滅んだという記録さえあるのに、竜王ともなればそれこそ対抗できる存在がヴェルサスを含むもはや能力が超常の域に達している者たちに限られよう。
そんな存在よりこうして実績を以って信用と信頼を向けられ、テイム関係とすらなっている現状。
限定的とはいえ最強に迫れる戦力をある種の報酬と考えた場合、十分すぎると言わざるを得ないのは確かだ。
「……そこは……当人たちに任せるしかできませんね私は。テイム能力の詳細も私はよく知らないので」
『儂ら個竜としては、極端に我ら竜を恐れるわけでなし、崇めすぎるでも無し、親しみは有るが侮るわけではない、と中々に気に入って居るのだがな』
「想像より好感度が高い」
とはいえ実際、そのテイム能力を抜きにしてもネネカは竜を、適度な恐れこそあれ怯えるほど恐れているわけではなく、その強さや威厳に平伏して崇め奉っているわけでもない。
人との交流は殺し合いか恐怖が主な竜としては、ネネカとの交流は新鮮で面白いものが有るのだろう。
その上ネネカは、見ず知らずで見捨てても問題の無いはずの自分たちの呪いを、動けないほど消耗してでも解呪してくれた恩人。嫌う理由があまりにも無い。
『其方はどうだ?儂らとの関係は解消したいか?』
「なんか微妙に悪い言い方なのなんで」
「恋人かなんかですか」
『失礼ながら王。盛大に言葉の選択を間違っておられるかと』
あれ?と軽く首を傾げる竜王エンリル。
今の今までずっと竜王エンリルの頭上に居たヴェルサスとネネカは、頭の動きに軽く引っ掛かり動かされてしまったが……元々ヴェルサスは浮いているので、軽く動いただけでさほど問題は無い。
強いて言えば、軽くのはずなのに結構動かされてしまった事か。
仕方のない話。そもそも身体の大きさが違い過ぎるのだから。
「ンー……私は別に、貴方たちとの……こう、なんだろ。まあテイム関係を含む関係?を断ち切りたいわけじゃないよ。お友達感覚、的な」
『随分と気安いのう……悪い気はせんが』
『我らよりも脆弱な身で恐れを一切交えずによく言えるな……恐れが無いのか?』
別にネネカに恐れが無いわけではない。何度も言うがネネカは竜との実力差を大雑把ではあるが理解出来ている。
ただ本当に、それはそれでこれはこれ、というだけだ。
「ただ……なんというか。そういう関係だからこそっていうのもあるけど、私に縛られてほしくは無いからテイム関係は解消したいな、と」
『別に人間の一生程度の束縛、儂らは気にせんぞ?其方なら上下が有ってもさほど問題は無さそうだしの』
『王。流石に王が人間の下に着くという点については気にしてください。他の群れに我々が舐められます』
先ほどから竜王エンリルの言葉に対し、ため息交じりにツッコミを入れているルドラ。
割と最近に、ヴェルサスとヴァメルで似たようなやり取りを見たなあ、と既視感を得るネネカ。張本人故に何とも言えない表情となるヴェルサス。
意思が有る生命であり社会性も有るとなれば、竜と人で種が明確に異なれども、こういうところはどうしても似る部分が有るのかもしれない。
「寿命の差って凄いですね。人間の一生程度の束縛とか言えるの。……エルフも長生きするとそうなるのかな」
「長く生きてる、長く生きることが決まってるとこういうものなのかも」
『……いや、まあ……実際人間の一生程度、然程長くも感じないのは事実だが』
凄く何か様々言いたげなルドラだったが否定しきれないのか、ううむ、と唸る。
中々どうして苦労しているようだ。
「でも……互いの意思がどうであれ、そもそもテイムの解除とか出来るんですかねマジで。私は本当に詳しくないので力にはなれそうにないんですが」
ヴェルサスの言う通り、互いの意思がどうであれそもそも可能か不可能かで考えなければならない。
解消すべきだという結論に至ったとして、その際に解除できませんでしたでは結論付けた意味がなくなるし、今回の件の報酬という形でテイム関係の維持を半ば強制することになってしまう。
ヴェルサスにテイマーとしての知識が深く有ればとは思わざるを得ないが、ヴェルサスはテイマーではないのだ。才覚が有ってもおかしくは無いが、テイマーではない以上テイマーの知識を求める理由は少ない。知識を求めすぎるのも酷というものだ。
『ンー……分からんな。ルドラはどうだ?』
『……どう、と言われましても』
竜王エンリルとルドラが、軽く何かを考えるように唸る。
が。どちらもテイムの云々について思い当たる節も、何か出来そうなことも無いらしく、静かに首を横に振るのみ。
元より竜王エンリルは、テイムを隷属の技術と誤解していたほどだ。知識に関しては期待できるはずもない。ルドラも同様。
故に何とか今出来ることをと考えてみたようだが……知識が無さすぎることが災いしてか。出来そうなこともないようだ。
「うーん……」
ネネカにも当然、細かい知識は無い。が、この世界はイメージ次第でどうにかなるものも多い。
ので、イメージでどうにか出来ないか考えてみることにした。
しかしどういったイメージをしたものかと悩む。当然だ。創作物に対し自分なりに色々考えることは容易くとも、こうして現実となっている以上は勝手が異なる。
とりあえずはゲーム画面風にイメージしてみることにしたネネカは、ヴェルサスの腕の中で唸りながら頭の中で考えていく。
元の世界に様々有ったゲーム。その中にはモンスターを育成、編成して戦うゲームもそこそこあった。勿論戦う以外の目的が有るゲームも様々。
そういったゲームのメニュー画面と呼べるものは、似た構成となっているものが多い。最初にそのジャンルを開拓したゲームの構成をモデルにしていることが多い故、似るのは当然といえば当然なのだろうが。
流石のネネカも遥か昔の最初の該当するジャンルのゲームをやったことは無いので、やったことが有るゲームの画面を頭の中にイメージして。
そこに竜王エンリルとルドラを表示させ、テイム解除の項目を作り、押してみる。
「あ」
『む?』
『ん?』
すると、本当に。
本当にあっさりと、テイムの関係が切れた感覚が有る。
当然イメージした中でも、テイム済みの枠の中から竜王エンリルとルドラは消えている。
「……?切れたんです?」
「うん。なんか、いけた」
『……こう、急に断ち切れると寂しいものが有るな……』
こんなことで本当にテイムが解除できるとは思っていなかったため、ネネカも苦笑いを浮かべざるを得ない。
ネネカは本当に、頭の中でゲーム画面をイメージして、そこで軽い操作をしただけだ。
魔獣側からも似たような形で解除が出来るのかもしれないが……ゲームを知らない以上はこういった画面をイメージするのも難しかろう。他の形でイメージするにせよ、そもそもテイムに関しての情報が互いに少なすぎる。
ネネカがイメージでテイム解除が出来たのは、偶然も有るだろうと自身で感じていた。
でなければ、今頃世の中のテイマーたちは、いつテイム関係の解消が発生するか分かったものではないだろうから。
「……まあ、うん。結果的とはいえ解除してしまったんならそれでいいです。これで互いにフラット。今後も持ちつ持たれつとまではいかずとも、不干渉を貫いてくれれば」
『……そこまで褒美の一つも固辞されてしまってはの。無理強いも難しいか』
『恩には相応に報いたいとは、思うがな』
理由、主犯がどうあれ、結果としてネネカは此処の風竜の群れを救った。
主犯の動機等を知った上で、竜王エンリルたちは相応に礼を……褒美と呼べるものを与えたいとは思っている。
しかしその礼を受け取る側よりここまで固辞されてしまっては、それも難しい。固辞する理由も理解できるとなれば尚更だ。
「……もし、どうしても報いたいものが有るのなら、あのダンジョンの管理を任せたいです」
『む?』
ダンジョンと言われ、竜王エンリルとルドラは竜王の間の外に見える漆黒の巨塔を見る。
話の中でさらりと触れられていた故何となく察していたが、あの塔はダンジョンと呼べるものらしい。
どういった理由で以ってダンジョンと呼ぶのかは分からないが、少なくともヴェルサスがそう呼び、竜王エンリルとルドラも特に疑問を抱かず理解している辺り、ダンジョンという単語とそれがどういうものか共通認識であることは間違いないだろう。
「いずれ我々人類が手を出すことにはなりましょう。財宝以外にも利は大きすぎる。手を出さない理由がない」
『うむ、同意しよう。あれは巨大故にヒトの子らの求める財宝も絶大であろう。修行場としてもあれ以上は中々無い』
「ええ。ですが、この規模のダンジョンは前代未聞です。初手から何が起こるか分かったものではありませんし、手を出すまでの短い時間であっても確実に魔物も膨大な数発生するでしょう。あそこから再びスタンピードが発生して、それを使った土壌汚染等が発生したら、目も当てられません」
呪詛も再び発生するかもしれない、とヴェルサスが加えると嫌そうな表情を浮かべる竜王エンリルとルドラ。
無理もない。つい先ほどまでその呪詛によって、一族レベルで滅ぶ危機に至るまで身体を蝕まれていたのだから。
「人の手を入れ始めれば、一応相応に管理は出来ましょうが……あのダンジョンの中の魔物が、どれだけの数、どれだけの強さを持つかすら定かではない。その上で今から魔物が溢れる可能性を考え対応しなければならないとなると、どうにも今この付近に居る我々人類が用いれる戦力では手が足りなくなる」
「ヴェルサスちゃんが居ても?」
『其方が居れば、大抵はどうにかなりそうじゃがのう』
「私もなんだかんだで暇じゃないので。取り決め的にも、あんまり良くは見られないでしょうし。異世界から来たばかり……とは言えなくなってきていますが、ネネカさんの事も有りますから」
ネネカの事。
戸籍等はある程度用意できているようだが、それ以外にも言葉や文字、魔法について教えなければならないというのは確かな話だ。
ヴェルサスやネネカが望まずとも、その周囲の存在や環境によって今後も否応なしに様々な騒動に巻き込まれるであろうことは分かる。何しろ今がそうなのだから。
そういった事態に備え様々どうにかしなければならない。何しろそもそもヴェルサスが巻き込まれる事態の時点で、相当な大ごとになるであろうから。現在のように。
いつ何が来るかも分からないが、何かしらは有るであろうことに先に備えておきたいというのは、おかしな話ではない。
現在直面しているのが、その何が来るか分からないという評価の極致であるならば、尚更。
「いずれ明確に我々が管理することにはなりましょう。というかあの規模、私がどうにかしないと不安要素が多すぎますし。ただあの規模では、その管理がまともな形になるまでどれだけの時間がかかるかも分からない。私が手を出せれば早いですが、ままなりませんし」
『成程。それまでの期間、我らが一時的とはいえ管理するとなれば安心感は確かに異なる、か』
竜王エンリルとルドラが、ちらりとダンジョンに視界を向けながら頷く。
ヴェルサスは最強だ。どういった理由でどれほど最強なのかは、ネネカはよく知らない。が、少なくとも竜王エンリルすらも比較対象に挙げることも許されない程度には強いことは確実だ。
ダンジョンと呼ばれるあの漆黒の巨塔がどれほど危険なのかも同様に分からないが、最強のヴェルサスをしても不安要素が多いと述べる程度には危険なのだろう。
そんな危険な存在。最強たるヴェルサスが対処するのが良いのは誰もが分かっているのだろうが……先ほどから、莫大な利も有ると相互で語り合っていることから、決して危険なだけではないことも分かる。
莫大な利が有るということは、少なくとも人類の間でその利の奪い合いが発生する可能性が有るということだ。
幸いにもウルグリムの領土の国内且つ大陸でも屈指に過酷な環境である皇都の近く。加えてヴェルサスがほぼ常駐している場所の付近、風竜の巣がすぐ近くと、そこらの者では手を出すメリットよりもデメリット、リスクの方が遥かに勝る故に、その可能性自体はさほど高くは無いだろう。
だが可能性が高くないだけで存在するのは変わらない。そして存在するのが変わらず、それ故に様々な利権が確実に絡み合ってくることを考えれば……人類ならではの、規約や契約で統制しなければ後々が面倒になることは分かり切っている。
そしてそういった契約等は、如何に最強のヴェルサスと云えども時間がかかってしまうものが殆どだろう。
それまでの時間。ヴェルサスにダンジョンそのものをどうにかする能力が有っても、様々な理由から手出しが難しくなってしまうのは変わらない。無視して手出しもできなくはないが、後々を考えると決して最善とは言えない。
しかしその放置せざるを得ない期間の管理を、風竜たちが行うとなれば。
余程の事が無い限り、誰も手出しは出来ないだろう。
風竜が弱いと言われているとはいえ、それはあくまで同格の存在の中では、の話。そういった利を強く求めてくる者たちの九割より、風竜の赤子一匹の方が強いのだから。
「ああ勿論、我々が何かしらで管理をすることになってもそちらが使いたいのであれば許可は出します。どうやって許可等を出すかは今後の調整次第にはなりますが……あれほどのダンジョンです。竜にとっても、修行場として有用性は非常に高いでしょう?」
『そうだな。少なくとも若い奴らには、あそこである程度生き残ることを課すのもいいだろう。それほど丁度良い修行場だ。ヒトの子らが求めるであろう財宝にも然程興味は無いしの』
人にとってのダンジョンでの利と、竜にとってのダンジョンでの利は異なる。
勿論双方に例外は居るものの、ほとんどの場合の利は異なり、共存可能だ。
その上でこうして対話することでそれを共存させられるというのならば、そうするのも別におかしな話ではない。
「というわけで。何か恩に報いたいというのであれば、我々がどうしようもない間だけでもいいのでダンジョンの管理を願いたいです。いつまでとかは今後詰めていく形となりますが」
『ふむ。……儂は構わんな。褒美というには少々あれだが、双方に利が有るというのなら拒む理由は無い。ルドラ、貴様はどうじゃ?』
『私も異論は有りません。強いて言えば、こちらへの利が大きいことが気になる程度でしょうか』
竜にとっての利。
先ほど僅かに言っていた修行場以外にも利は有りそうだが、どういった形で利が有るのか。
ネネカは思い当たるものが無かったので気になったが、今無理に聞く理由は無いし話の流れを断ち切る意味もないので今は疑問を飲み込むことにした。
「こちらとしてはその殆どが不利益になることですし。ここまでデカいと、修行場としても有る程度の強者でなければ使い辛くて仕方ない側面もありますし」
それに、とヴェルサスは加えて鋭い視線で竜たちを見る。
「修行場を含む様々な利で以ってあなた方が何万匹と火竜並に強くなろうが、私にとってはその他大勢であることには変わり有りませんので」
『『――――――――――』』
どこか退屈そうな意思を混ぜながら、ヴェルサスはこの地の竜の王に対し微塵も臆することなくそう言ってのけた。
対する竜王エンリルとルドラは、その表情を僅かに、ほんの一瞬だけ歪ませた。
その一瞬。しかしその一瞬でも決して生易しいものではないと評せる、殺気が放たれる。
眼前の竜王エンリルとルドラだけではない。この地に居る風竜全てから、ヴェルサスへ向けて。
ヴェルサスの腕の中に居るネネカも、直接向けられているわけではないとはいえ、それを正確に感じ取れるほどの殺気だ。
当然だ。ヴェルサスの言葉が本心か否かは置いておくとして、言葉そのものは挑発でしかない。
どれだけそれが事実だったとして。挑発と受け取れる言葉を発したことは間違いないし、それを見逃せるほど竜のプライドが低いわけではない。
『……フン。今は事実。その言葉、この屈辱。受け止めるとしよう』
「どうぞご自由に。それで私に迫れるというのなら」
どれだけ竜から怒りを向けられようが、ヴェルサスは揺らがない。
竜たちも殺意と敵意を向けるのみで、攻撃する気配は微塵もない。
分かっているのだろう。竜王エンリルとルドラだけではない、この地の竜の全てが。
ネネカはともかく、ヴェルサスには決して敵わない、と。
仮にこの地の風竜全てで挑んだところで、戦いにすらならずに終わる。
ヴェルサス・ヴァナディースという一人の少女の高すぎる実力を把握及び理解できる程度には竜という種が強い故に、そうなると確信できる。
風竜は個としての能力は竜の中では最弱。それを様々な能力や数で補うことで、他の竜に匹敵できる。
しかし仮に他の竜……個体としての戦闘能力が最強とされる火竜が、風竜並の数を以ってヴェルサスに挑んだとしても、ヴェルサスは戦いにすらしないだろう。
それほどの隔絶した実力。どれだけ挑発的な発言をされたとて飲み込まなければ、絶滅するのは自分たちだと理解している。
故に風竜は決して、敵意を向けても敵にはならないよう徹底する。
事実を以って述べられた挑発紛いの言葉を、淡々と受け止めて。
「ではまあそういうことで、私たちは此処で。なんだかんだで日も暮れていることですしね」
「何がそういう事なんだろう」
『日が暮れているのは事実じゃがの』
実際、既に夜の帳は降り始めている。年頃の少女が出歩く時間としては遅い方と言えるので、そろそろ帰るべきであるのは間違いない。
話すべきことも話した。これ以上此処に居ても話すことが然程あるわけではないのもまた事実。残る話すことも日常会話のようなものであり、今話す必要はない。
ならば帰るのが最善ではあるが……些か無理に帰ろうとしている気がするのは気のせいだろうか。
「うーんと……じゃあ、またね?でいいのかな」
『構わんよ。……また会うその時に、互いに敵とならぬことを願っておるよ』
『っと、そうだ。くれぐれも地下の大空洞については他言せぬよう。敵が何度も襲来しては面倒なのでな』
「大丈夫。言う相手がいないから」
「……その言葉、場合によっては悲しくなりません?」
若干呆れた様子のヴェルサスは、ネネカを抱えたままふわりと飛び立ち。
その直後……瞬きをしたその時には、既にサザンベルス山脈とそれを超える漆黒の巨塔は、遠くに聳えるのみだった。
ネネカはそのことに軽く驚きつつも、帰宅先の皇都の方角を見て。
「あれ?」
しかしサザンベルス山脈からここまでが瞬きの間であったのに対し、皇都まではまだ遠く、進みも遅い。
ヴェルサスも特に消耗している気配は無い。何度でも今の移動を行って皇都にたどり着こうと思えば出来そうだ。
それをせずに、竜の住処から離れる時だけ異様に迅速、そのあとは遅くする理由は。
「……あのー、ヴェルサスちゃん?」
「なんでしょう?」
先ほどの竜に対する態度や、これまで……特に最初の、竜との交渉の任せぶりから逆算して、ネネカは有る可能性に行き着いた。
本当に、ありきたりな理由。復讐に走ったラフォンと大きな括りで言えば同じもの。
「もしかしなくてもだけど……竜、嫌い?」
「物心付いた頃から善くしてくれた先達の同僚を何人も殺した存在を、善く見る理由は有りません」
表情を微塵も変えることなく、淡々と、しかし確かな憎悪を込めてヴェルサスはそう言った。
先達の同僚。察するに十賢者の先輩か何かだろう。
物心が付いた頃からの仲の者たちを竜に殺されたとなれば、それは確かに善く見ることは難しかろう。
出会い頭に暴れるほど憎んでいないようだが、言葉から感じられた憎しみは決して生半可なものではない気がした。
恐らく今日のやり取りの間、ずっとこの憎しみを抑えていたのだろう。国のため、世界のため、ネネカのために。
それをヴェルサスの優しさと取るか、大義のために己を押し殺していると取るか。
受け取り方はヴェルサスを含めて人それぞれだろう。
「……ちゃんと人間してるんだね、ヴェルサスちゃんも」
「淫魔ですけど」
「そういえばそうだった」
ネネカは暇な両手を、ヴェルサスの頬に当てる。
そのままムニムニとヴェルサスの頬を動かし弄る。
少女の頬は、最強とは思えないほど赤子のようにふわふわだった。




