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荒廃の大地より愛欲を込めて  作者: 蓮見燐
1章 最強と少女
31/44

30:感情の行く先

「随分と気の狂いそうな空間だなあ」

『空間と言っていいのかは、定かではないがのう』


 ネネカと竜王エンリルは、光一つない黒の空間に居た。

 どうしてここに居るのかは分からない。どうやってここへ来たのかも分からない。

 ネネカは解呪のために浄化魔法を、全身の感覚を失っても行使し続けていたら此処に居て。

 竜王エンリルは呪詛による苦痛を、ただひたすらに耐え続けていたら此処に居た。

 それだけの、一人と一竜であった。


「……まあなんとなく分かるのは、此処は精神空間的な奴だろうなあ、って」

『じゃろうのう。そういうものが有るとは聞いた事もないが、こうしてあり得ぬ状況に陥っておる以上は、の』

「百聞は一見に如かずって感じかなあ。あれ、ちょっと違うか?」

『それも異世界の言葉かの?』

「かな。どれだけ見聞きするよりも、一度見た方が早いって意味。でも見聞きもしてないから違うかな」

『ふうむ。まあ聞いた事は無くとも、想像は出来るものであるし。構わんのではないか?』

「それもそっかー」


 自分たちの肉体の状況を忘れているわけではない。

 恐らく今も自分たちの肉体は、呪詛と戦っているだろう。

 あるいは負け、精神だけが追い出されたか。

 どちらにせよ今自分たちの精神は肉体から離れていることだけは、確かだった。

 それに対し思うことは当然有るものの……どうしてそうなっているのかも分からない以上は、そこに関して考えるのを最低限にしているだけだ。


「で、どうする?ここから」

『どうすると言われてものう。其方の解呪は出来ぬのか?』

「んー……なんとなく今も発動し続けている感じはあるから、多分解呪云々じゃないんだと思う」

『ぬ?……む、確かに。我も薄っすらとだが、解呪され続けている感覚はあるな』


 精神世界だろう、ということは肉体と離れている感覚で分かる。

 肉体の現状も薄っすらとではあるが感じ取ることが出来る故に、一先ず問題ないことは分かる。

 問題は。

 今の自分たちはどうすべきか、という点で。


『……とりあえず乗るか?』

「え。いいの?」

『ヒトの子一人程度、苦にもならんわい。この場で何をするか分からぬが、一先ず行動は共にするべきじゃろうしな』


 竜王エンリルは首を降ろし、ネネカに視線も合わせてくる。

 この黒一色の世界。上も下も何も分からないが、少なくとも底の概念はあるらしく、今ネネカたちが立ちエンリルが首を降ろしている場所が底だ。

 ネネカは自分が底から離れることで、いざという時に降りる場所が分からなくなりそうだと思ったが……この暗い世界で逸れるよりは遥かにマシだと考える。


「……ん。じゃあ、お世話になります」

『うむ』


 そう言って、ネネカは竜王エンリルに乗ろうとし……。


「……ゴメンあのー……尻尾から登っていい?」

『ぬ?……あー……うむ、構わぬ。そうか、そうよな……普通に伸長が足らぬわなあ……』


 竜王エンリルはかなりの巨体だ。皇都を襲った風竜たちが、比較した場合に本当に赤子程度に思える程度には。

 皇都を襲った風竜でさえも人類の感覚で考えれば相当な大きさであったのに、それよりも遥かに巨体のルドラ。それと比較にならないサイズの竜王エンリル。

 竜王エンリルのどこに乗るにせよ、この場で飛行魔法も使えないネネカには、その超人的な身体能力を以ってしてもあまりにも高すぎる壁でしかなかった。

 降ろされた竜王エンリルの尻尾から、何とか半分よじ登るような形で竜王エンリルに乗ったネネカ。

 甲殻で意外と段差が有り、激しく動かれない限りは落ちることは然程なさそうだと思った。


「よっと。頭に乗っていい?見えなくて」

『構わぬよ。……思い出すのう、昔は色んな小竜を乗せてあやしたもんじゃわい』

「昔はって、今はもうやってないの?」

『竜王となったからの。上下関係のため威厳を保たねばと、やれなくなってしまった。子は種族問わず好きなんじゃがなあ』


 ふぅ、と寂しそうに溜息を吐く竜王エンリル。軽く俯いた拍子に落ちそうになったネネカ。

 人には人の、竜には竜の考え方が有り、考え方から成る社会性が存在する。

 が。種族と種族故の考え方の違いがあっても、意思を持って生きる以上は発生する社会性には誤差程度の違いはあれども大きな違いは無いのかもしれない。

 確実に強力な存在なのに好きなことは出来ない竜王エンリル。本当に最強かどうかは知らずともそう言われているがそれ故に自由な活動が許されないヴェルサス。


「力と立場を得ると自由を失っていくの、なんだか皮肉だね」

『そうじゃなあ。そこは生きている以上、誰しも変わらんのじゃろう。責任を捨てたのなら、そこそこ自由にはなれるやもしれんがな』

「責任を捨てるのは嫌だなあ、って思うけど。でも当人が背負いたくないのに力と立場を無理やり与えられて責任を背負わされた場合って、自由になってほしいって思ったりする。難しいよね。ふう、やっと登れた」

『正しさはその時々で変わるものじゃ。むしろ時々で変わるだけなら少ない方じゃろうな。各々の事情や状況……その全てを纏めた環境で変わるからの。恐らく揺れる、しっかり乗っておれよ』


 そう言って歩き出す竜王エンリル。

 竜王エンリルの頭の上に乗ったネネカは、揺れる身体を楽しみながらきょろきょろと周りを見渡すが……何も変わるものは無かった。


「どこまでも真っ暗だね」

『じゃが不思議と恐怖は感じぬのう』


 竜王エンリルの言う通り、何も見えぬ暗闇であるにも拘らず恐怖は感じなかった。

 何故かは分からない。ただ、なんとなく恐怖を感じないのだ。

 まるで、その必要がないと身体や精神のどこかで分かっているかのように。


「んー……ところで歩くのはいいけど、何か当てはあるの?」

『無いと言えば有る、かの。不思議と、儂はこちらに歩きたいと思った。それだけじゃ』

「うん、じゃあ当ては有るってことで」


 普通であればそれを当てがないと言うのかもしれないが、此処は精神世界だ。無意識にそちらへ行くことを求めている可能性だってある。

 勿論こんな世界故、その先へ向かって鬼が出るか蛇が出るかはどう足掻いても賭けにはなるが。

 竜は一人の少女を頭に乗せて、のしのしと暗闇の世界を歩いていく。

 その強靭な翼で飛ばないのは、乗っている自分よりも小さく弱い存在を気遣っているからか、あるいは地の感触を忘れないためか。


「……ねえ、エンリル」

『なんじゃ?聞きたいことでもあるのか?』

「まあ……そりゃ色々あるけど」

『うむ、うむ!何でも問うが良い。答えられることならば答えよう!』


 きゃっきゃっと何やら楽しそうな竜王エンリル。

 この暗闇の世界で気が狂わないよう、一応の話題として会話をしようと思っただけなのだが……思いの外嬉しそうだ。

 もしかすると、竜王エンリルは案外お喋り好きなのかもしれない。子ども好きなことと良い、異なる種族であっても俗な部分を持つ者は居るのだろう。


「大したことじゃないけど……あなたたちに呪いをかけたのって誰なのかなあ、って。あとどうやって呪われたのかとか」

『む?ぬあー……そういえば伝えておらなんだか。忘れておったわ』


 本当に。本当に今更なことではあったが。

 今の今まで、術者本人の事を全く把握していなかったことをふと思い出したネネカだった。

 どうして呪ったのかはヴェルサスの推測ではあれども分かっていた。ありふれた理由だ。

 どうやってこれほどの呪いを用意したのかは、ネネカには分からないがヴェルサスには見当がついているようだったので後ほど聞こうと思っていた。

 しかし術者が誰なのか、どうやって呪詛をかけられたのかは、現時点では重要度が低かったために考えることすら後回しにするばかりであった。

 現在も解呪は続いているが、どうにもならない状況かつ暇が勝る中でならば、タイミングとして丁度良いのは事実であった。


『先に言うが、儂等もヒトの有名人とかは分からん故、誰かだったとは言えんぞ?』

「大丈夫、私もこの世界の有名人とかほとんど知らないから」

『成程。ならば問題は無いの』


 ネネカからすれば、こちらに来てからまともに関わっている人物の中で、ヴェルサスの屋敷のメイドを除けば全員有名人でしかないし、そのメイドたちも一部の筋でかなりの有名人だとか。

 だが逆に有名でない人を知らないために、有名人とそうでない者の違いが分からないのが現状だ。

 よって、この世界の有名人を聞こうがそうでない者を聞こうが、違いは無いのだ。

 竜王エンリルは歩きながら少し考えるように数秒唸り、少し困ったように口を開く。


『実のところ、姿は儂もうろ覚えでなあ。黒いフードとマントの、男の……ヒトの子らの中では何と言ったか……エルフじゃったか?その魔力はあったが……細かな姿は覚えておらぬのよ』

「呪いの影響で?」

『いや、普通に眠っておったでの。加えて何らかの臭い消しや透明化の技術も使っておった。呪いの苦痛で目が覚めた時に辛うじて見え感じたのがそれであったが……細かな素性までは分からぬのよ』


 情報は限りなく少ないが、重要な情報ばかりだ。

 元より何らかの手段で臭いを消し姿も消してまで竜王に害成すため近付く存在が、情報をまともに残すとは到底思えない。

 その中で、竜王エンリル自身は眠っていたところを呪詛で起こされたという最悪の状況で、その時の容姿と性別、種族が分かるだけでも見事と言えよう。


「眠ってたところを呪われたってことは、あの洞窟のあの場所で寝てたの?」

『うむ。楽な姿勢で眠っておった故、眠っておったそのままの体勢で呪詛に雁字搦めにされたがの』


 竜王エンリルの身体は、体勢だけは確かに眠る時のように楽そうな姿勢であったことを思い出す。

 あれが本当に眠っていた時そのままだと言うのなら、楽な姿勢も納得だ。

 とはいえ楽な姿勢も、何日も同じ体勢かつ呪詛の杭も打ち込まれていたのでは、結局は苦痛としかならなかったであろうが。


「あの場所……あんなところまでよく入って来たなあ……」

『驚くべき執念よ。如何にしてあの場までたどり着いたかは分からぬが、臭いも姿も消せるのだ。何らかですり抜けたか、隙を突いたのだろうよ……』

「見張りの竜とかは居なかったの?」

『居たが、誰一人気付かなんだ。我が辛うじて見た時も、まるで亡霊を見ているが如く微かなものであった。恐らく、少なくとも我ら竜には認識し辛くなる何かでも使っていたのであろうよ』

「そういうの幾らでも有りそうだもんなあ」


 限定的すぎる気もするが、逆にそれほど限定的でないと危険すぎる技術のような気もする。

 元の世界でも透明化を含むステルス技術は、様々な創作物で嫌というほどその強さを見せつけていた。

 もしそれが限定的かつ手間のかかるものであったとしても、目的に照合するのならばそれを用いる価値は十分にあるだろう。

 今回のように、竜種にだけ見えないなど場合によっては本当に活かせるであろう。

 それで考えるのなら、呪いをかけられた直後なのにその存在を認識出来ている竜王エンリルが何やら色々おかしい事になるが、ネネカはあまりそこについては考えないことにした。元より竜王と呼ばれる存在。それほどの能力を持っていても不思議はない。


「そう考えると、デフォで透明化というか風景に同化できる風竜って九割に通用するから凄まじいんだなあ」

『そうじゃろうそうじゃろう!何やら舐められやすいが強いんじゃぞ儂らは!』

「いや舐める要素何処?」


 感嘆したネネカに、どこか自慢気に語る竜王エンリル。

 そこに若干の呆れ混じりの疑問を呟くと……竜王エンリルはどこか寂しそうにする。


『ネネカ。其方は、まだこの世界に来てから日が浅かろう。故に知らんのじゃろうな』

「うん、殆ど何も知らない」

『じゃろうなあ。……暇でもあるし、是より風竜と呼ばれる我らの事情を語る。願わくば、侮ってくれるな』

「多分だけど侮れる要素が無いと思うんだけど。っていうか、語りたくないなら……」

『いいや。其方はまだ若い。故に、学べることは学んでおくべきじゃよ。様々な視点からも、の』


 事実、この暗闇の空間を歩き続ける上で話題が尽きるのは、あまり良い事ではないだろう。

 どんな話題であれ話が続くのは、下手に気を病まずに済むので良いだろう。

 しかしその話題が片方にとって苦しいものならば、逆効果になり得よう。

 そう思いネネカは気遣ったが……それ以上に竜王エンリルは若者に物事を教えることを選んだようだ。

 それは種族問わず子は好きだと言った竜王エンリルなりの、愛情の形の一つなのかもしれないとネネカは感じ取った。

 竜王エンリルは歩みを止めることなく、寂しそうに語り始める。


『風竜はな。弱いのじゃ』

「え?」


 簡潔に、端的に言われたそれに、ネネカは思わずキョトンとする。

 到底信じられるものではなかったからだ。

 確かにヴェルサスやクルーベル、エリーゼと比較した場合、風竜は弱いとされるのも仕方ないだろうと思ってはいる。

 だがそれは相手が悪いだけ。決して風竜は弱くない。相手が強すぎるだけだ。

 ネネカが今乗っている竜王エンリルよりも小さく弱いルドラよりも遥かに小さく弱い風竜でさえ、ネネカが生身でなくとも決して勝てないだろうと思える強靭な肉体と、皇都を覆えるほどの巨大な暴風を放てるのだ。

 それが弱いとは、ネネカは到底言えそうになかった。


『勿論そこらのヒトには負けぬし、魔獣と呼ぶ輩にも、魔物と呼ぶ輩にも負けぬよ。先の其方が言ったように、九割に通用する。九割に勝てる』

「…………………………」

『じゃが儂らが主に相手をしなければならぬのは、勝ち負けの分からぬ一割。其方と共に来たあの淫魔の子のような、決してその他大勢ではない者であり……我ら風竜の活かすべき長所や得意とする戦術は、悉くそういった手合いには通じぬし通じたとて効き目は薄いのじゃ』


 要するに、相手が悪いようだ。

 当然の話ではある。そもそも竜種という強大な存在である以上、戦いが成立する相手自体が極めて稀だ。

 戦いが成立する相手とは、それ即ち強者。それこそヴェルサスほどでなくとも、規格外の強者と言える者たち。

 そういった者たちは、自分の戦い方というものを確立させ、その上で自力も確か。加えて決して相手を見縊らない者ばかり。

 ヴェルサスも最強とは思えないほどゆったりのんびりとしているものの、眠っているその時ですら一切の油断がない。最強かどうかはネネカとしては分からないとしか言えないが、少なくともそんじょそこらに居るような存在ではないことだけは確かだ。


『我らが最も得意とするは、極めて高い環境適応能力と繁殖力、擬態を始めとした様々持つ特性や竜種の中では比較的高い知能を利用しての、相手の情報も徹底的に得た上で様々な搦め手をも用いての軍勢戦。勝つためならば各々が捨て駒に成ることすら厭わずに戦う。それが我ら、風竜の戦い方よ』

「まともに敵にしたらすんごい厄介」


 風竜は強い。幾ら弱いと言われていてもそれはあくまで規格外の中では弱いという話であって、決して個体でも赤子でも弱いわけではない。

 そんな存在が、個の犠牲も受け入れての軍勢で、種として有する様々な特性を活かしての罠も用いて、ただひたすらに全体の勝利を求めて向かってくる。

 普通に考えれば恐ろしく厄介だ。どんな手段も用いてでも勝ちを貪欲に狙ってくる存在は勝負の場において最も恐ろしいと言え、風竜ほどの強さを持った上でのそれはまともに止められる存在など数えるほどだろう。


『だがヒトの子らで言うところの戦術……いや戦略だったか?まあどちらでもよいが、そのどちらも学ぶ機会は無くての。結果、我らは高い知能と様々な能力を持ちながらも、その能力を十全に活かすことは出来ずその他大勢にその身体能力で勝つばかりよ』

「……ああ、そっか。なまじ身体能力が高いから、下手に戦略とかを覚えることも出来ないんだ」


 竜王エンリルはコクリと頷く。

 戦いになる相手が少ないということは、まともな経験を積める数が少ないということ。

 戦術も戦略も、基礎は積み重ねによって培われるもの。現代に存在する基本的な戦術、戦略と呼ばれるものも、過去に誰かが細かな経験を積み重ね築いたものやそれが基になっているものであり、決して何もないところから生えてくることは無い。過程には必ず、誰かの積み重ねがあるものだ。

 だがそれはあくまで、戦いを積み重ねた場合の話。戦術も戦略も、戦いの経験を積み重ねた末に生まれたもの。どんな形であれ、大前提は戦いの経験だ。

 その点において風竜たちは、その純粋な肉体の強さや種として持つ能力の多さ、高い知能と繁殖力の高さこそが仇となり、戦いとなるものが限りなく少なく。

 しかし戦いになる相手は決して一筋縄ではいかない者ばかりだけならばまだしも、純粋に様々な能力で風竜を個で上回る者ばかり。経験を積もうにも、経験以前に純粋な攻撃で敗北し殺されるために、経験を得てもそれを伝えることも叶わないことばかり。

 結果。生き残れる戦いが少なく必然的に戦術や戦略が生まれる余地もなく、その能力を十全に活かすことが出来ず、純粋な格上の存在には敗北を期すばかりの悪循環に陥っているのが風竜のようだ。


「なんか……ヴェルサスちゃんたちもだけど、物事って一度上手く回らなくなると本当に空回りするのがまだマシなほど悪循環に陥るんだなあ」

『なまじそこらには個で勝てるほど強く、勝てない相手にも大抵数でぶつかれば勝てるが故になあ……余計に悪循環よ。……ヴェルサスとは、淫魔の子の事であろう?彼の者もなにか抱えておるのか?』

「ヴェルサスちゃんがってより、国がかな。戦争ばっかりしてきて平和な政治を知らないから、手探りでどうにかしてるけど限界が有るっていう。外国から政治家招こうにも、自分の国が強いから下手に敵の手引きとかされると……」

『あぁ、成程のう……どこもかしこも難儀なもんじゃわい……』


 物事が全て上手く巡ることは稀だ。それは国であっても生物としての生態であっても大きな違いは無い。

 健康に生きること一つでさえ、務めてそうしようとしても自分ではどうしようもない外的要因で健康を損なうことはあるし、気付かないうちに不調を溜め込んで健康を損なうこともある。

 国も同じだ。どれだけうまく管理しようが、内外問わず何らかの要因で上手く巡らないことも出てくる。

 ウルグリムも風竜も、ボロボロな身体をどうにか維持できているような状態。少しずつ統治や知恵という名の投薬で改善はしているものの、劇的な改善は見込めていないのが現状だ。

 どれだけ実力や能力が秀でていようとも、それだけで全てがどうにかなることは無い世の中。だからこそ面白いというのもあるだろうが、その煽りを受け続けている側としては辛いものが有ろう。



「ふん、いい気味だ」



 その場に響く第三者の声。

 決してヴェルサスの声ではない。彼女ならばこの場にも干渉できそうではあるが、少なくともそうはしていないだろう。

 竜王エンリルは足を止め、自分たちが進んでいた方角の暗闇を睨むように見る。

 ネネカも同様に、進行方向の暗闇を注視する。

 一人と一竜に驚きは無い。

 なんとなく、そんな気はしていた。

 これが。その者が居ることは。


「姿を見せて」


 ネネカは竜王エンリルから軽く飛び降りながら、端的に告げる。

 暗闇に紛れている、その存在へと。

 ネネカの言葉に応えるように、暗闇の世界に黒以外の色が形作られていく。

 形はあっという間に人の形をとり……そしてその姿も明確なものとなる。


『間違いない。儂等に呪いをかけた術者じゃ』


 その者は、形を成したその時こそ黒いフードローブかつ身に黒い霧のようなものをまとっており、姿は分からなかった。

 しかしすぐにフード部分を外し、黒い霧を散らせ、その素顔を見せる。

 金の髪。碧の眼。純白の肌。

 そして人間よりも長く、尖った耳。

 世間一般の感覚で言うのなら美形と言えそうな男性が、そこには居た。


「……エルフ、で合ってる?」

「いかにも。そうか、そういえば貴殿は異世界から来たのだったか」

「うん。元の世界には人間以外居なかったよ」

「到底信じられぬ世界だな。とはいえこの状況で疑う理由もない。そういうことだとだけ思っておくとしよう」


 男性のエルフは落ち着いていた。

 ネネカと竜王エンリルも落ち着いていた。

 異世界から来た事も知っているようだが、そのことについても然程驚きは無い。


「じゃあ一応現状の確認だけど、貴方はこの呪詛をかけた術者の意思が呪詛に混ざっているって認識でいいの?」

「問題ない。細部は少々異なるが、結果として現在は呪詛と一体化しているのが今の私だ」


 この存在は、竜王エンリルにかけられた呪いと同化した存在。

 ならば呪詛を介して会話の一つや二つ、把握していたとしてもおかしくはない。

 ネネカも竜王エンリルも、何となくそんな気はしていた。故に驚きはなかった。

 勿論、こんな状況が発生していることそれ自体には、相応の驚愕は覚えているが。


「名前は?あ、私はネネカ。ネネカ・クロツチね」


 ネネカが名乗りながら名を問うと、他ならぬエルフと竜王エンリルから呆れた視線を向けられる。


「呪術師に名を明かすのか?随分と不用心なことだ。経緯故に世間知らずとは理解しているが、それを踏まえても不用心が過ぎるぞ」

『元の世界に魔法が無かったのは分かるがのう。お前さん、魔法の師匠から何も教わっとらんのか?』

「え?なんか駄目だった?」


 竜王エンリルどころかエルフからすらも呆れた視線を向けられたネネカは困惑する。

 ネネカとしては至って普通に、相手に名前を問うたからには自分も名乗らねばという程度の気持ちで、名乗っただけなのだが。


「……まあいい。どの道、私はこれ以上どうすることも出来ぬ身。しかし次からは、魔法使いに名を名乗るときは気をつけられよ。呪術師の中には呪術を扱える事実を秘匿し、名を聞き出し、名を辿って呪詛を与える者も居るでな」

「あー、名を辿って。流石異世界、名前も重要だ」

『儂やルドラとのテイム関係も名が必要であったろう?名は魔法に関する様々な事象において重要な要素での。あまり魔法使い相手に名乗ることは推奨できぬのじゃ』


 成程、ならば竜王エンリルとエルフが呆れたのも納得だ。己の弱点を、一つ敵に教えたようなものなのだから。

 しかしそこでネネカは、どうしても気になる疑問を抱く。


「あのー……それで呪いとかやったとして、私に効くの?」

『お前さんは魔力が高すぎるんじゃて……悉く常識から外れよったからに』

「直接は効かぬだろう。此度の私の呪いも、人の身で直に触れて四肢の一つどころか指の一つも腐り落ちぬのだろう?呪詛を受け入れていたのならば、話は変わっていようが」


 どうやらネネカは例外極まっているようだ。

 当然と言えば当然。十賢者のクルーベルとエリーゼも及ばぬ圧倒的な魔力を持つのだ。

 魔法において魔力が最も重要だというのなら、その重要な要素をヴェルサスを除いて誰も及ばない以上、一体だれがネネカに魔法で害を成せるというのか。

 まあそれを成せるのが、クルーベルやエリーゼといったごく一部の例外なのだろうが。


「とはいえ。そのようなリスクを知らなかったとはいえ私に名乗って来る者は久しいことだ。何より私も、もはや身体も失い成せることもない。ここは久しく忘れていた人としての礼儀を尽くす時だろう」

「?人と……あー、そっか。名乗りも難しいんだあなたみたいになると」


 エルフはコクリと頷く。

 ネネカですら直接効かずとも相当な不快感を与えてくるこれほどの呪詛。それを生み出す呪術を扱う呪術師。当然、ネネカが知らないだけで名を知られていることだろう。

 となれば必然、敵も多かろう。

 人とは、そういう生き物だから。


「私が名乗った名も呼ばれた名も様々有るが、他ならぬ私自身として名乗るならば名は唯一つ。ラフォン・フィオルテ。今は亡き我が祖国において、美しき音色を意味する姓、かつて最も美しき音色を奏でるとされた楽器の名だ」

「ラフォン、フィオルテ。良い名前だね、本当に」

『ラフォン、か。久しく聞いておらぬ音色だと思うておったが……まあ儂等並に長命なエルフじゃし、そういうこともあるか』


 家名から考えて、恐らく音楽に精通していた家系なのだろうとネネカは考える。

 ヴェルサスより聞いた話だが、この世界において名はともかく姓を正式な形で持つ者は、必ず貴族やそれに準ずる存在、もしくは家系において何らかの特徴を持つ存在に限るという。

 例えばヴェルサスの家名、ヴァナディースはこの世界において戦乙女や戦姫を意味し、代々女系かつ何らかの形で武に秀でた者だけが生まれてくるという。よって、家系に何らかの特徴を持つという例に当て嵌まる。

 クルーベルの家名、オルネルもこの世界においては魔の王を意味し、その言葉の通りに最上級魔人族が唯一生まれる家系。故にこれも、家系に何らかの特徴を持つという例に当て嵌まる。

 恐らくはエルフの男……ラフォンの家名も似たようなものなのだろう。音色を意味するというのだから、音楽に関連する家系だったのかもしれない。


「……色々言いたいこととか聞いてみたいことはとても多い。けど、聞いている余裕は無さそうだから色々単刀直入に聞かなきゃいけないと思っていることだけを聞くね、ラフォンさん」

「私もそれを奨めよう。互いに然程、時間が残されているわけでもなさそう故な」


 ラフォンは先ほど、身体を失ったと言っていた。

 であれば此処に居るのはラフォン自身の残骸や残滓、残響のようなものだろう。

 しかしそれでもラフォンであることには変わりないだろうが……それでも残されている時間が少ないだろうということは誰の目にも明らかだ。

 そしてそれは竜王エンリルとネネカも同じ。

 魔力が桁違いに多くヴェルサスの補佐も可能なネネカは然程問題無かろうが、竜王エンリルは相当消耗していたのだ。今この場でこそ問題は少なくとも、実際の肉体がどれほど持つかもう分からない状況。

 表向きに余裕こそあるが、互いに余談のない状況。無駄な会話が出来ないわけではないが、いつまでも喋っていられるわけではないのも確かだった。


「まず……うん、直近で気になったことから聞く。あなたはどうして此処に居るの?」

「無論、肉体が滅ぼされたからだ」

『簡潔じゃのう』


 それ以外無く、先ほども僅かに言っていたこと。ネネカとて、そう帰ってくることは分かっていた。

 ネネカが問いたいのは、もっと核心的なこと。


「あのー……分けるか。どうして、っていうかどうやって肉体が滅ぼされたの?滅んだじゃなくて滅ぼされたって言ったからには……」

「【死の魔剣士】に斬られた、としか言えんな」

『死の……誰じゃ?』

「ヴェルサスちゃんの異名というか二つ名というか」


 改めてヴェルサスの二つ名を聞くと、想像以上にシンプルだと思わざるを得ない。

 クルーベルの【深淵の魔王】、エリーゼの【辛酸の聖女】のように凝った単語が入っているわけではなく、ただシンプルに死の一文字と魔剣士というクラスだけ。

 まあそれだけ分かりやすく単純に強いということでもあるのだろうが。


「言えないって言うのは、何か事情があるから?それとも分からないから?」

「後者だな。肉体の最後の記憶は、気付けば背後に皇帝ヴァメルが居り、反射的に仕留めるため魔法を放とうと手を伸ばしたと思いきや、手どころか全身が既に【死の魔剣士】に切り刻まれ塵となっていた。切り刻まれていると認識しなければ、私は今も死んだことに気付いていなかっただろうな」

「いや色々えげつな」

『敵対しておるからなのじゃろうが、随分とまあ油断も何もせんのじゃなあ……』


 どのタイミングでそれを行ったかは、まあ想像がつく。

 ネネカがクルーベルやエリーゼと共に、皇都を襲った風竜の亡骸の前で待機している時だ。

 超遠方から放たれたヴェルサスの攻撃で皇都を襲った風竜が殲滅された直後。その時に既に術者であるラフォンの所在を掴み、殺害した上であの場に駆け付けたのだ。

 ヴェルサスの本気の移動速度や感知範囲を考えれば、そのくらい出来て当然であろう。

 加えてヴェルサスは、呪詛や呪術そのものは様々考えていたようだが、術者のことについては不自然なほど何も気にしていなかった。

 あれは単に忘れていたわけではなく、もう終わったこと故に気にしていなかっただけだ。


「っていうか、死んだことに気付けないってどんな剣技なんだか。どうして肉体が死んだからって此処に居るの?呪詛に同化してる感じなんだよね?」

「理由は分からぬ。が、この呪詛は我が積年の怨念そのもの。私の命すらも削って練り上げた呪詛。我が人生そのもの。恐らく肉体を失ったことで、私の魂と呼べるものが私が残っている場所へと偏ったのだろう」

『エルフの魂どうなっとる?』

「理屈はまあ分からないでもないけど……」


 思わずネネカも竜王エンリルも、そんなことある?と言わんばかりに困惑する。

 ラフォン自身もネネカの言葉に苦笑いを浮かべている辺り、かなり無理のある理論ではあると思っているのだろう。

 しかし事実、現実の肉体が破壊されたラフォンがその時の記憶も全て有した状態でここに在る。細かな理屈も気になりはするが、時間のない今に答えが何時出るか分からない経緯よりも結果を重視せざるを得ないのは仕方のない事ではあった。


「じゃあ次の……質問というかお願いだけど。この呪詛、止めてくれる?」

「無理な相談だ」

「だろうね」


 ネネカの願いに、表情を微塵も変えることなくバッサリと断るラフォン。

 願ったネネカもその答えは分かっていたので、特に驚きもない。無論、竜王エンリルも同様。

 当然だ。見ず知らずの少女の願い一つで止まれるのなら、今頃こんなことをしていないだろう。


「現実の私は今も解呪してると思うけど、解呪の妨害とかする気はある?」

「無いと言わぬ。が、この身で出来ることでもない。何より貴殿は膨大な魔力を持つ。今更私がどうにかしようと抗ったところで、押し通されるが道理。諦めている」

「要するにどうにも出来ないから手出しする気は無いってことだね」


 話が長いのか短いのか判断に困るが、今更そこを指摘する意味もなかったのでスルーすることにしたネネカ。

 心なしか竜王エンリルが呆れた表情をネネカに向けている気がするが、そちらも全力でスルーすることにした。

 ネネカ自身言いたいことは諸々あるものの、どれだけ猶予があるかも分からない状況下で流石にボケとツッコミを繰り返す気はなかった。


「……うーん。何を聞くべきか」

『……お前さん、此処は普通なぜこんなことを?とか聞く場面じゃろう?』

「竜と意見が合致するのは甚だ不本意だが、同感だ。こういう場では相手の事情を聴くのが定石だと思っていたが」

「そんなもの定石にしないほうがいいとツッコみたいけど、それ以前にこんな状況の定石が有るのなに???」


 創作物は自由故に。


「……私は……うん、まあ正直に言えば聞きたいよ。聞きたい気持ちは凄くある。何でこんなことしたのかとか、引き返す道はどこかに無かったのかとか色々聞きたくもあるし、その返事次第では言いたいこともたくさん出てくるんだろうなあとか、思ってはいる」

『正直じゃのう』

「そのまま創作物のようなことに発展しそうだな」


 どんな創作物も人が創るもの故、創作物での出来事が有り得ないとは決して言えないだろう。現にネネカは、異世界転移すら起きているのだから。


「けどさ。私個人として同時に、それを問いただして無理に聞き出した結果、相手が苦しむのも嫌なの」

「!」

「細かな事情は分からないけどさ。こんな大それたことをやるのが貴方みたいな優しい人ってなったら、そうするだけの相応の事情はあるんだろうなってくらいは察するよ」


 ネネカの言葉に驚くラフォン。

 何故驚くのか、ネネカには分からない。他人には知る由もない事情が有るのか、唯々ネネカのその在り方に驚いているのか。


「少なくとも私は、そうするだけの相応の事情を思い出させて苦しめたいとは思わない。だから聞かない。自主的に話すとか、その事情を思い出しても問題ないとかならまあ野次馬根性が無いわけじゃないから聞くけど、確実に無理をさせるって分かってる相手に無理に問いただしたいとは思わない」


 あくまでネネカは、持論を語る。

 別に好いことを言ったつもりは無く、唯々本心を語る。

 それだけの事なのだが、生憎とネネカ以外の者にはそう簡単に捉えられる話ではなかったようだ。


「……優しいのだな、少女。ネネカ、と言ったか」

「名前は合ってるよ。私が優しいかどうかは知らない。状況によるし。私はただ、私がそうしたいと思ったことをやってるだけ。その結果を優しいと見たいなら好きにしたら良いと思う。そこにはあんまり興味は無いし」

『素直なのか捻くれとるのか分からんのう……』


 竜王エンリルとラフォンから、尊敬するような、呆れるような複雑な視線が飛んでくる。

 実際、素直なのか捻くれているのかイマイチ分からないと捉えられても仕方ない思考なのだが。


「とにかく。あなたが何か想いが有って自分の過去を私に話したいとかならちゃんと聞くけど、私が聞くことで苦しめるなら私は聞かない。私がそうしたくない」


 ネネカは正直に、竜王エンリルとラフォンへとそう言い切る。

 別にネネカも、相手の事情に興味が無いわけではない。年相応の興味や野次馬根性は持ち合わせている。

 ただそれ以上に自分が、無理に聞き出すことで相手のトラウマを穿り返して相手を傷つけたくないだけだ。

 相手を気遣っているわけではない。気遣っているように見えても、それはあくまで結果。

 どこまでも自己中心なのが、今のネネカだった。


「……理由がどうあれ助かる。復讐へ繋がる過去など、幸福な記憶も有れば不幸な記憶も多い。何もかも思い出したくないわけではないが、苦痛であることに変わりない」

「復讐に繋がる思い出なんて、幸福なものばかりでしょ。じゃなかったら、そもそも復讐なんて言わないし」

「違いない」


 理由もなく悪行を成す者も居るが、ラフォンはそうではない。

 他ならぬラフォン自身が、復讐と言った。ならば必然的にそれに繋がる思いも、思い出も有ろう。

 復讐を成すのは、真面目で、幸福に居た者たちだ。

 ネネカは、それをよく知っていた。


「軽蔑するかね?復讐などという、得るなど何も無い愚行の末に殺された私を」

「軽蔑?なんで?する理由が無いじゃん」


 ほう?とラフォンだけでなく竜王エンリルまでもが、興味深そうにネネカを見る。


「……そんな風に見られても困るんだけど。おかしなこと言ったかな」

「いや、少々驚いてな。貴殿のような者は大抵、復讐は何も生まないと言って止まることを奨めてくるのだが」

『ヒトの子らのそういった諸々には疎いが、儂も其方はそう言う輩であろうと思っておったな。無論、様々な経験を経た末にそう思っているのやもしれんが』


 様々な経験の末に現在のネネカが有るのは否定しないが、どれほどそういう説得をするタイプだと思われているのか普通に気になったネネカだった。


「……どれだけ理性的に物事を理解できても、感情で納得できないことはあるから。復讐なんてその代表例。復讐が何も生まないって理解出来ていても、止まることは出来ない人も居る。そういうのは本当に、感情の問題だから説得も難しいし」


 別にネネカに説得する気が無いわけではない。難しいことはやらないなどというゆとり主義なわけでもない。

 説得できる相手ならば、どれだけ難しかろうが迷うことなく説得するだろう。他ならぬネネカがそうしたいと思うが故に。

 ただ、感情は理屈ではないということを理解出来ているだけだ。

 そんな感情だけで動くことを決めてしまった者が、説得など殆ど意味が無いということも。


「だから私は、他人の復讐を肯定することは出来ないけど、否定もしない。そういうことをして、明確に得るものが無いのは確かかもしれないけど、当人は気分がすっきりするだろうし。ただ私や当人含めて色んな人に迷惑がかかるから肯定はしないし奨めもしない。自分で言うのもなんだけど、良くも悪くも自分本位の中立だから今回は干渉しないだけ」


 成程、と竜王エンリルとラフォンは揃って納得したように頷く。

 自分本位の中立。それは確かに、自身で言うのはどうかであれども、良くも悪くもと言えよう。

 自分の主観で変わる中立など不安定でしかない。不安定ということは状況によって善にも悪にもなるということ。

 今回はネネカにとって、過度に干渉すべきではないと判断したために、このスタンスで居るようだ。


「中々に独特な考え方をしているな。異世界ではそういうものなのか?」

「さあ?少なくとも皆、他人の事を気にしている余裕がある世界じゃなかったよ。自分が生きるために他人を資源として食いつぶす世界だったから」

『知れば知るほど我ら竜が引くほど過酷な世界じゃのう』


 その世界で育ったネネカからすればそれが普通なのだが、他の世界から見れば過酷と呼べる世界らしい。

 まあ普通とはいえ過酷であることにネネカも否定は出来ないのだが。

 しかし方向性が異なれどこの世界も同様に過酷ではあるだろうとネネカは思う。

 魔獣という脅威によって人類の生存圏が僅かな世界。ヴェルサスらのような特異点に近い存在が居なければ、あっという間に人類の生存圏が潰されていてもおかしくない。

 そんな中で生き残り、加えてこの地では長きに渡り戦争をしてきたという。

 一見平和に見えるこの世界も、夥しい流血の果てに今が有ることは違いない。

 ネネカの元居た世界との違いは、現在進行形で血が流れているか、過去にそれを遥かに上回る血が流れたかの違いだろう。


「私はまだ恵まれたところで育って……はいたけど、そうでないところじゃ家族が死んでも他人事が普通かな。たまにそういうところ育ちでも家族とかを大事にする人は居たけど」

『そうせねば生き残れぬ世界、ということか』

「過酷という一言で言い表してよいものか、分からぬ世界だな」


 誰でも死に得るという点ではこの世界と同様、過酷な世界ではあるだろう。ただ、それ以外にも言わなければいけないことが多すぎるだけで。


「……そんな世界で育った貴殿からすれば、私の事を個人としてはどう思う?」

「復讐に対してどう思うかじゃなくて、貴方という個人に対して?」

「左様。……親と兄妹を竜に奪われ、流れ着いた国で得た友をウルグリムに奪われ、逃げた先で得た妻を竜に奪われ、娘と娘婿をウルグリムに奪われ、終いには逃げる最中に初めての孫すらも失った、私の事を」

「サラッとエグイ人生語られた」


 本当にさらりと語られたが、さらりと語っていい人生ではないはずだ。

 とはいえそんな人生だ。当人としてもあまり深くは語りたくはないのかもしれない。

 語れば、当然のように苦痛の記憶も思い出さざるを得ないのだから。

 死してなお苦痛に苛まれるのは、少なくとも当人にとっては喜ばしい事とは決して言えないだろう。


「……貴方の人生の詳細を知らないから、私が何を言っても今の私から見える範囲に対してでしか言えないけど?」

「構わんよ。どのみち話す時間も無さそうだ」


 ラフォンがそっと、右の腕を上げてくる。

 先ほどまで確かに指の先まで存在していたはずの右腕は、いつの間にか肘から先がなくなっていた。

 当然だ。既に肉体は死んでいるラフォンが此処に居ること自体がおかしなこと。

 自然の自浄作用と併せてネネカの浄化魔法も発動し続けている今、こうして平然と話しているラフォンが遠からず消える運命だというのも、分かり切っている話だ。

 であれば余分を話す時間が惜しいと感じるのも、必然であった。

 ネネカは諦め、数秒だけ腕を組んで悩んだ後に自身が思ったことを語り始める。


「……色々思うところはあるけど要約して主なところだけ言うなら『よく頑張ったね』『この迷惑者が』『呪いに巻き込むな』の三つかな」

『随分と纏めたのは分かるのう』


 竜王エンリルの言う通り、ネネカはかなり要約した。

 要約してなお、三つの言葉となるほどに言いたいことは多いのだ。

 まあネネカの現状から考えれば、当然と言えば当然なのだが。

 要約された結果の言葉からも、ネネカの現在の個人としての心情はある程度感じ取れるが……そこにも少なからず、ひたすら巻き込まれているネネカの不満が含まれているのが分かる。

 とはいえ詳細を聞かれたとて、少なくとも時間に余裕の少ない今、ネネカは込めた不満を直接語ることはないのだろうが。


「……まさか、頑張った、と言われる日が来るとはな。それぞれに込めた意味を、時間の許す限り教えて頂きたいのだが」

「?教えるのは構わないけど……そんなに頑張ってが不思議かな」

『不思議じゃろうなあ。人も竜も、才を以って育てば育つほど、才故に他者からは出来て当然だと勝手に期待される。出来て当然、出来なければ叱責。才ある者は、頑張った、と褒められることすらないんじゃよ』


 其方もそうであろ?と竜王エンリルは、ネネカを見ながらそう言ってくる。

 否定は出来なかった。事実ネネカも、才ある上に恵まれた環境故、出来なければいけない環境ではあったから。

 不幸だったのは、求められたこと以外にも本当に様々な才能が有りすぎて、それが当然となった結果自他共に全てを振り回してしまっただけで。


「……まあ丁度良いし順番に行くよ。……『よく頑張ったね』は、本当にそのまま。それだけの不運と不幸に塗れた人生で、それでもここまで生きた事とか復讐の完遂は成せずとも復讐そのものは成したこととか。他にも色々なことに対して、纏めて一言にするならそうかなって」

「……そういった褒められ方は初めてだな」

「じゃあ他の人が褒め下手だったのかな。少なくとも私は、貴方の人生に素直に敬意を表せるよ。私だったら……そうだなあ。親や兄妹を失ったまではギリギリ耐えれても、そこから伴侶までもを失ったら、本当に気が狂って自ら命を絶つことを考えているだろうし。貴方はそこに加えて娘や娘婿、孫を失って、どれだけ絶望と憎悪に塗れても次の目標を見つけて生きてきた。その目標が復讐であれ、そこまで耐えた精神もそうなっても生きようとする姿勢も、素直に尊敬するし褒められて当然だと思う」


 ネネカは恥ずかしがることもなく淡々と、しかし一切の嘘偽りのない本音でそう語る。

 ラフォンは唯々、照れることもなく驚き戸惑うばかり。竜王エンリルも同様に。

 当然だ。ネネカ自身はラフォンの自分勝手な復讐に巻き込まれただけだというのに、その張本人を褒め称えるなど。

 復讐を肯定せずともその生き様は認め心から褒め称える。言うは易しを地で行くそれだけの事を、一体どれほどの者ならばこうして平然と容易くできるというのか。


「なんでそんなに驚くかなあ……褒められるべきことが褒められるのは当たり前の事じゃん」

『……竜もヒトも、その当たり前を為すのが難しいんじゃよ』

「そうかなあ。私がまだ幼いから分かんないのかな、そういうの」

「……そうやもしれぬな」


 うーん、とラフォンと竜王エンリルの様子に困惑するばかりのネネカ。

 ラフォンはエルフ。竜王エンリルは竜。

 人間のネネカとは寿命も何もかもが異なる存在。当然二人はネネカよりも遥かに年上で、当然経験も相応だ。

 ネネカの言ったことも経験から得た当たり前として、理解はしているつもりであった。

 しかし経験故に理解は出来ても、それを成すことは経験故に難しい。

 その難しさを理解せず、心からそう言ってのけるネネカは、確かに見た目に反して幼いと言えるのだろう。

 ネネカがどれだけ大人びていようとも、実際はまだ遊びたい盛りの多感な少女なのだから。


「では次の『この迷惑者が』は一体どんな意味を込めている?」

「『この迷惑者が』も『呪いに巻き込むな』も色々通じるところはあるからまとめて。正確には方向性が同じだからってだけだけど」

『まあ同じであろうなあ、先の言葉に比べれば』


 残る二つはどちらもラフォンを叱責するもの。

 細部で違いは有れども、大きな方向性で同じだと言うのは否定できないだろう。


「……まず大前提で察しちゃったことの確認だけどさ。ラフォンさん、誰かに……こう、お前は生きろ、的なこと言われたでしょ。幼い頃に」

「!」


 ネネカの確信しているような言葉に、ラフォンは目を見開く。

 図星であったから。


「……そうだ。私は故郷で父に守られ妹と共に脱出した際に、そう言われた。勿論、言われた事も含めて細部は様々異なるが。……何故分かった?」

「そりゃあね。……あれだけの絶望を受けてなお生きている。それ自体は凄い事だけど、貴方みたいな優しい人に貴方の境遇は、到底耐えられるものではないって思ったから。それでも生きているってことは、相当前向きな人か色々失った直後から復讐に取り憑かれたか……」

『……成程のう。誰かに生きよと言われそれに囚われたか、か』


 ネネカは竜王エンリルの言葉に静かに頷き、ラフォンは目を伏せる。

 細部は異なれども、確かにラフォンが父より生きよと言われたのなら。

 そしてその言葉通りに生き残り続けてしまったのだとすれば。


「……『この迷惑者が』『呪いに巻き込むな』は、別に竜を呪ったことに対してじゃないよ。誰かを呪いたくなるほど怨むことは有るから。復讐と同じで、その想いは否定しない。生きろと言われてそれに応えるのも良いと思うし、生きる理由として復讐を持つのも良いと思う」

「…………………………」

「けど、自分が生きるために他者を犠牲にしてどうするのさ。復讐を生きる意味にしたからって、その過程で色んな人を犠牲にして、遺った人にも生きる意味として復讐を与えようって?馬鹿じゃん。そんな復讐の連鎖をどこまでも回すつもりかっての」


 ネネカはどこか叱り付けるような口調で、呆れ果てたような雰囲気で以ってラフォンにそう告げる。

 竜王エンリルもラフォンも、そんなネネカの様子に軽く驚いたようだった。


「……そんな口調だったのだな、貴殿は」

「相手と時と場合と場所によって変えてるだけ。王様とかには敬語になるでしょ?あんなようなもの」

「成程。今の私には、その口調が相応しい、ということか」


 ネネカの言葉にラフォンは納得したように頷きながら、自嘲気味に軽く笑う。

 少なからず自覚はあるのだろう。ネネカが相応の口調になることをしでかした自覚は。


「……貴方だって気付いているんでしょ?ヴェルサスちゃんたちが……世界征服とかも簡単にやろうと思えばできるヴェルサスちゃんたちが。ウルグリム大陸一つを征服して、それ以上侵攻せずにウルグリムの支配で留めている理由。反乱も何もかも受け止めて、支配を続けている理由」

「……薄々は。侵略された側としては、認めたくないものだが」

「そうかもね。けど認めなきゃいけないことなんだよ」


 ヴェルサス曰く、今もウルグリムは戦争中ではあるらしい。

 しかしそれはあくまで他の大陸の、ウルグリム大陸の支配を是としない国々の侵攻を止めるためのもの。要は防衛のためのものらしい。

 ウルグリム大陸の内側へ戦争が持ち込まれることは無く、防衛は国境線上で二人の十剣聖の尽力もあって完全に留められ続けているという。

 即ち。ウォーランドなどと呼ばれるほど戦争の大陸のはずの現在のウルグリム大陸では、ウルグリム皇国への反乱以外で戦争と呼べるものは発生していないのだ。

 戦争が何百年も続き、もはや戦争が当たり前のはずのこの大陸で、それほどまでウルグリム皇国の上層部……皇帝ヴァメルや十賢者ヴェルサスなどが戦争と呼べるものを積極的に起こさない理由。

 それは、単純なものだった。


「ヴェルサスちゃんたちは、貴方みたいな人をこれ以上生み出したくないから支配してるんだよ。竜の被害までは全部どうにかすることは出来なくても、戦争の被害を無くすことは出来るから。だって戦争は、人の手で起こることだから」


 戦争を無くすため。そのために大陸を支配すると言うのは、中々に常軌を逸した手段だと言えるだろう。他に最善が有った可能性も決して否めないし、不満を唱える者も極めて非常に多い事だろう。

 だが、それでも。

 この戦乱に満ち過ぎた上に長きにわたる戦争で、もはや死に絶えたと言っても過言ではない大地。

 戦争が当たり前となり戦争こそを喜びとする者も多い中で、無理矢理にでも人を生かして残し、戦争を当たり前から遠ざけ大地を復活させるには。

 強引極まる支配という形であったとしても、戦争をウルグリムから無くすしか確実な手段と呼べるものは無かったのだろう。

 少なくともヴェルサスたちが、平和を目指し始めたその時には既に。


「貴方よりも短い人生しか生きていない、生きられない人たちが、貴方以上に世の中の厳しさを全部知った上で、それでもと言って自分たちを憎しみの終着点にして憎しみの連鎖を止めて、この地に少しでも平和を齎そうとしてる。それを理解しても貴方は止まれなかったんだろうけど、だったら尚更理解した上でそれを台無しにしようとしたその行動は、相応に批判するよ。……貴方にかけられた生きろの言葉。それに復讐で以って応えるために、危うく大陸の全ての民が再び死へと歩みだすところだった、って」

「……厳しいな」


 ラフォンは再び自嘲するように苦笑する。

 ラフォンも確かに気付いていた。ウルグリムが、この大陸を統べてから侵略戦争を仕掛けない、その理由は。

 否。ある程度頭の回る者ならば皆気付いているだろう。

 戦争を至上とするウルグリム大陸の民が戦争をしない理由など極めて限られている。

 主に思い当たる理由は、戦争する理由が無くなったか、戦争を至上としなくなったか……戦争しようにも出来ないか、だ。

 現状、ウルグリムの皇帝はヴァメル。そして忠臣かどうかは怪しいが配下として、最強の座に在るヴェルサスが居る。

 ヴァメルの……ウルグリムの意向に背くということは、ヴェルサスと敵対するということ。

 如何にウルグリム大陸の民が戦争を至上としていようとも、最強相手は話が異なる。そもそもの戦いが成立するかも怪しいのだから。

 そしてヴァメルが、そんな比類なき存在を味方に付けて、何故他の国へと侵攻することなく現状維持をしているのか。戦争を是とするウルグリムに在って、なぜ戦争をせずに平穏を作ろうとするのか。

 そんなもの、戦争を是とせず、平和を是とするウルグリムを作りたいからに他ならないだろう。


「私はこの世界に来たばかりで、この世界の事なんか殆ど知らないし、ウルグリムの歴史についても詳しいわけじゃない。精々、ヴェルサスちゃんから大雑把に聞いている程度。だけど……少なくとも私は誰も彼もが死へと向かっていく世界が正しいとは思えない、思いたくない。たとえそれが、先人に報いるためであろうとも」

「…………………………」

「復讐は否定しない。それは各々の心を保つためでもあるから。争いも否定しない。時として意思ある生命はその意思ゆえに相反することもあるから。……だけど、そのために誰も彼もの命を奪うのは、私は否定する」


 ネネカは確固たる意志を以って、ラフォンの所業を真っ向から否定する。

 ネネカがこの世界の歴史や文化を知らないように、ラフォンと竜王エンリルもネネカの事を詳しく知っているわけではない。

 しかし、それでも。

 優しいが故に全てを奪った竜とウルグリムへの復讐に染まったラフォンも。表向きの雰囲気とは裏腹に眼前のラフォンをただの敵とみなしていた竜王エンリルすらも。

 ネネカのその言葉と、その内に込められた意思と、雰囲気にただ怯える。

 彼女を上回る圧倒的な力が有ってなお。己の絶対的であるはずの意志を以ってなお。

 決して深く触れてはならぬと分かる、彼女の眼に浮かぶ深淵に。


『……其方、元の世界で、一体なにを……』

「色々」


 ネネカは浮かんできた自身の心の闇を一言で鎮めながら、思わずため息を吐く。

 色々あった。ただそれだけだ。

 説明する気もネネカは無い。思い出そうとも思わない。

 それはとうに過ぎ去ったこと。今の自分には、どうしようもない事ゆえに。


「……私は無意味な死を唾棄する。だからこそ私は、復讐として戦争とすら無関係な人も居る皇都を、風竜を操って襲った貴方を否定する。貴方から全てを奪った竜そのものでないのに風竜を操って、死地へと向かわせたあなたを否定する。同時に、生きてほしいという親からの真っ当で純粋な願いをも、生きなければならないという呪いにした事も私は唾棄する」

「…………………………」

「誰もが持ってるわけじゃないものを持って生まれて、それを奪われて、生き延びた先で誰もが手に入れられるわけじゃないものを得て、それをまた奪われて。それは確かに悲しいし、怨むのも理解は出来る。肯定はしなくても否定もしない。だけど自分の身でそれが起こったからといって、見ず知らずの他人にまでそんな悲劇を強要しないで」


 ネネカはひたすらに、復讐そのものを否定せずとも、その連鎖を回そうとするラフォンに厳しい言葉を投げかける。

 それはまるでどこかネネカ自身が、嫉妬を吐き出すように。

 彼女が一体、何に嫉妬しているのか。

 復讐という形であっても生きる意味を持っていることに対してか。

 生きてほしいと言った親からの愛を呪いに変えたことに対してか。

 はたまた、幸福を持っていながら全てを奪われた程度で復讐の連鎖を回そうとすることに対してか。

 少なくとも。彼女が得ようとしても得られなかった何かに対してであるのは、間違いないだろう。


「復讐の連鎖を進めても、誰も本当に幸せになることはない。なることは出来ない。人は必ず、どこかでどんな形でも連鎖を断ち切らないといけない。それを強要する気は無いけど、自分が出来ないからってそれを成そうと頑張っている人たちの邪魔をするのなら、例え力で敵わなくても私は貴方の敵になったよ」


 まあ敵になる以前に死んでるみたいだけど、とネネカはため息交じりに呟く。

 事実。此処に居るラフォンは既にヴェルサスによって殺された存在。今更どれだけ敵対しようとも、時間で消える存在に変わりはない。

 それを互いに理解している。故に、敵対する意思はあっても実際に敵対することはない。

 逆に言えば、生きていたのならネネカは確実にラフォンを敵と見做していた、ということになるのだが。


「……もう、時間は残っていないようだ」


 ラフォンが己の身体を、静かに見下ろす。

 既にラフォンの肉体は、胸から上までしか残っていなかった。

 同時に、この暗闇の世界が少しずつ晴れていく。

 暗闇の世界が端から崩れ、朽ちていくのが不思議と分かる。

 ラフォンと、ラフォンと連動した呪詛の終わりが、近付いているのだ。


「……異界の少女。貴殿の言葉は、私の行いに変化を与えることは無かった」

「……そっか」

「だが響くものが全くなかったとは言わぬ。幾つか、納得することもあった。惜しむらくは、それを深く語らう時が無い事か」


 納得は有ったが、変化は無かった。

 それは良い事か、悪い事か。

 既にラフォンが亡き者である今、それを明確にする術は無いのだろう。


「……謝罪は無い。私は変わらず、竜とウルグリムに対する復讐者である。死してなお、それを変えるつもりはない。私は家族に、友に、報いると既に決めたのだから」

「……そっか」


 ここでどれだけ語らおうとも。ここでどれだけネネカが、己が意思を語ろうとも。

 ラフォンは既に終わった存在。最期まで凝り固まった憎悪は、呪詛となってヴェルサスにも容易くは砕けなかったように、僅かに語り合った程度で解きほぐされるものではないだろう。

 何より。ここで語り合って己の所業を反省した程度で消える憎悪ならば。

 これほどの憎悪を溜め込んでしまうほど真面目で優しい人物故に、この憎悪すらも抑え込んでいたことだろう。


「……しかし、そうか。呪い、生きろと言われたそれを、か」


 朽ち逝く身体でラフォンは。

 静かに暗闇の空を見上げながら、寂しそうに笑う。


「……昔は、エルフとして。長く生きられることを誇ったこともあったが」

「…………………………」

『…………………………』

「心が、短い生の人々と変わらぬでは。……いつか腐り落ちるも道理よな。終いには気付かぬ内に、父の最期の言葉を、妹から託された命を、孫から奪い取ってしまった人生を、呪いに変えてしまっていたのだから」


 ネネカは知っている。復讐者となってしまう人物が、どれだけ優しく真面目であるかを。

 竜王エンリルも知っている。竜の身ながら、長く生きることでどれだけ苦しむこともあるかを。

 優しく真面目であるがゆえに。エルフとして長く生きられるが故に。

 いつの間にか、与えられた愛をも呪いへと変えてしまっていたのがラフォンなのだろう。


「……『呪いに巻き込むな』嗚呼、その通りよな。その点については、私は本当に迷惑をかけてしまった」


 ラフォンは自嘲気味に微笑んだ後。

 何か、ネネカにも竜王エンリルにも聞こえない声で、何かを呟く。

 何を呟いたのか。ネネカが聞こうとしたその瞬間。


「!」


 ふと。

 ネネカの意識に、何かが入ってきた感覚が有った。

 悪しきものではない。そもそもそういうものではない。

 近いものとしては、ヴェルサスの眼で見られた時。

 自分が触れなければただそこに在るだけのものが、自分の中に発生した感覚。


「……せめてもの詫び……いや、礼だ。私は貴殿がどんな存在であれ、今更謝罪をする気も起きぬでな」

「……何をしたのかは分からないけど。というかまあ、死んでるわけだしね」


 死した後に反省して謝罪したところで、意味はない。

 復讐と同じ。気分が晴れるだけだ。

 まあどちらも時としてより気分が落ち込むこともあろうが。

 故にどちらにもなり得る謝罪を、ラフォンは決して行わない。ネネカも謝罪を決して求めない。

 ネネカは、復讐者として生きることを誓ったラフォンへの敬意を以って。

 ラフォンは、出会ったばかりの己に同情ではなく厳しい言葉を向けられるネネカへの敬意を以って。


「……今、貴殿に渡したのは魔法特性だ」

「魔法特性?」

「左様。私が組み上げ、私だけが行使していた魔法特性。今この時まで他の誰一人として手に入れたことも、見せたこともない。我が秘奥の術よ」


 魔法特性。

 それがどういうものなのかはイマイチまだ分からない。

 部分的な情報とそこから察せられるものは幾つか有るが、流石のネネカも今ある情報だけで全てが分かるわけではない。

 故に普通に驚いてしまう。

 魔法特性の譲渡が可能なのか、と。


「世間一般ではこの魔法特性を模した粗悪品が禁忌とされ、此度の呪詛もそれを様々な形で利用した結果組み上げられたもの。私が唯一持つ特別性でもある」

「禁忌の時点で嫌な予感しかしない」


 この世界の魔法事情はまだ然程詳しいわけではないが、禁忌が僅かでも関わっている時点で相当な厄ネタの可能性がしなくもない。

 そう思ったネネカだったが、既に魔法特性は己が内に刻まれている。

 刻まれた魔法特性を消す方法を後でヴェルサスに聞かなければならないかと考えたところで、心配するなとラフォンが間もなく消える身体で言ってくる。


「その魔法特性単体では然程強力なわけではない。あんな外法も極まった行いでもしなければ、私の魔力では精々掌に収まる程度の物を動かすのが関の山。貴殿の魔力でどうなるかは未知数だが……貴殿や、貴殿が信じたウルグリムならば、我が友の国のような愚行は犯すまいよ」


 どういった魔法特性なのかは分からない。が、物を動かす類の存在であることは確かなようだ。

 ネネカの魔力で何が起こるかまでは、今まで用いていたラフォンであっても正確なものは分からない。

 しかしラフォンは、ネネカを信じてこの使い方によっては禁忌となる魔法を託すことにしたようだ。


「貴殿がこれからどんな人生を歩むかは知らぬ。が、どのみち我が身は滅びた者であり、貴殿はこれからも生きる身。その魔法が祝福となるか呪詛となるかは私にも分からんが……滅びた者なりに、貴殿の赴くままに用いた末に祝福となることを願っている」


 ラフォンがそう言うと同時。

 暗闇の世界が一気にひび割れ、光と共に消えていく。

 どうやらこの場そのものである竜王エンリルの呪詛が、ネネカの浄化魔法に確かな敗北を喫したようだ。

 消えゆく世界の中で、同様に消えゆくラフォンは、別れの挨拶も交わすことなく砕けていく世界を見つめていた。


「……ああ、もし。あの時、あの場所で。妹だけを逃がすために私も死んでいたのなら」

「そんなこと言うものじゃないよ」

「!」


 最期に呟いたラフォンの言葉に、竜王エンリルと共に精神が肉体に戻りつつあるネネカは。

 自身の夢も込めて、語る。


「私の親のような人の命も尊厳もなんとも思わないような人でなく。人として、親として。子どもに対して死に際に生きろって言えるほどちゃんとした親なら。子どもが何人であれ、親と一緒に死んでほしいとか思うはずがない」

「……!」

「親は子どもに生きろって言う人で。子どもは親よりも長生きする人で。……私が親なら、子どもが一緒に死にたいなんて言ったら、本気で怒るよ」


 貴方だってそうだったんでしょ?とネネカは意識が肉体に引き戻される寸前に問いかける。

 それを最後に、ネネカの意識はこの場から消える。

 どうということはない。元よりこの呪いはラフォンから竜王エンリルへとかけられた呪い。部外者である彼女が先に解放されるのは道理でしかない。


『まぁ、そうじゃなあ』


 そこで、今まで静かに話を聞いていた竜王エンリルも。

 呪いから解放される己が精神で以って、最後に今回の騒動の元凶たるラフォンへと語りかける。


『儂らは竜とヒト。生物として異なるもの。故に感覚は違うがの』

「…………………………」

『儂にも子は居る。其方らの在り方とは違うが、親として子は愛しいものじゃ。こういった種族故、親よりも先立つ子は多いが……それでも生きてほしいと願うのは同じじゃよ』


 願いの強さは違うじゃろうがのう、と苦笑気味に語る竜王エンリル。

 野生でいつ死ぬか分からぬ状況で生きる竜。比較的秩序が有る中で守られて生きることもある人。

 環境が違えば考え方が違うのと同様。親子の在り方も種族と環境の違い故に、竜と人のそれでは明確な違いが有る。

 それでも。意思ある生命として、親が子を慈しむという文化は有るものだ。


『のう、ラフォンとやら。其方、幸せじゃったか?』

「当然だ」

『ほうけ。では、親もそれは幸せなことじゃろう。子どもの幸せが親の幸せじゃからの。そしてそれを奪われた其方が復讐に落ちるのも分かる』


 竜王エンリルは、肉体へと意識が引き戻されるその最後の瞬間に。

 ククッ、とどこか楽しそうに笑ってこう告げた。


『生きるというのは、まっこと難儀なことじゃのう』


 その言葉を最後に、この空間から竜王エンリルも消える。

 残ったのは、数秒後にはこの呪いの世界と共に消えているだろうラフォンのみ。


「……竜に奪われたことから狂った私の人生の終幕が、竜への共感とは」


 そんなラフォンは。

 己の最期の瞬間に。

 自分の中では笑って、呟く。


「……その難しさに心が折れてしまった者は、どうすれば良かったのだろうな」


 そうして。

 ラフォン・フィオルテは、この世を去った。

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