18:重要アイテムは忘れた頃に大体役に立つ
「甘苦い……」
「酸っぱ辛!?」
「なに?この、クッキーのようなナニカ……」
『一応、我が都市ホープの新商品なのですが……』
ネネカの治療が終わり、一息ついている四人。
現在摘まんでいるのは、エリーゼが持ってきていたホープの新商品らしいクッキーのようなもの。
どちらかといえば栄養食として作られたらしく、味は二の次なのも仕方なくはある。
のだが、ネネカはこう思う。
(絶対身体に悪いコレ)
甘苦く酸っぱ辛い、ねちょねちょぶよぶよジャリジャリとした食感の、どす黒い四角のクッキーの外見をした物体。
ウルグリム大陸の食事に慣れているはずのヴェルサスたちですら、一口で目が死んだのを見るに、相当ヤバいと評せてしまう代物と言える。
ネネカも同様。こちらでの食事に慣れて来たタイミングでのこの劇物。元居た世界での食事がどれだけ美味なものだったか、劇物を何とか咀嚼しながら思いを馳せた。
「……まあ、このヤバいモノはさておきとして」
『……食を二の次にしたの、間違いだったかな……』
「さておきとして」
この劇物はエリーゼの管理する都市ホープで開発されたもの。
管理する者として、コレに至るまでも含めてかなりの責任を感じているようであった。
まあこんな食レポも何もない物体を食しては、そう思わざるを得ないのだろうが。
「……まあ、目的は幾つかある。一つは、異世界から来たという存在の確認。要するにネネカの事だな」
「私の事だった」
しかし考えてみれば納得な理由ではある。
異世界から来た存在が居ます、といきなり言われても、話を聞くだけならまだしもその存在を信じられるかは話が別だ。
実際に当の存在を自身の眼で目の当たりにするまでは、存在の実証すら疑わしいものになる。
最低限その存在だけでも確認しない事には、国を動かす者としては安心し辛いだろう。
「正直まあ色々考えちゃあいたが……見る限りヒューマンとそう変わらんように見える。魔力には確かに驚いたが、それ以外は問題無いな」
『ご、ぐふっ』
「問題無いの?知識とか諸々で危険視とかされてもおかしくないなー、って思ってたのに」
「どんだけ疑心暗鬼な世界なんですかねそっち。それと水どうぞ」
クッキーでむせたエリーゼに、ヴェルサスがグラスに水を入れて渡す。
グラスは部屋のどこかから取り出したらしい。魔道具満載のこの家だ、どこかに収納か何かが有ったのだろう。
水は当然魔法によって。問題無いのか怪しい所ではあったが、風呂の水も魔道具によって生成されたもの。基本的には問題無いのだろう。
「まあ、勿論それも考えはしたさ。そっちの知識によって発生し得る諸々を、考え得る限りは。とはいえ異世界だから、俺の想定も容易く飛び越えてくるんだろうがな」
「お互い様だけどね。こっちには魔法なんて無かったから」
「その時点でこの世界に生きてて普通に想定できる世界じゃねえなやっぱ。……ただまあ、ネネカはしっかりヴェルサスに懐いていて、ヴェルサスもネネカを放り出す雰囲気無し。であれば基本的にヴェルサスの管理下にあるだろうと考え、問題無いなと判断した」
クルーベルの手元にも、エリーゼと同様に水の入ったグラスがふわりと渡される。
どうせ必要になるだろうとの判断で渡されたようだ。
チラリとネネカがヴェルサスを見ると、部屋の壁に触れて魔力を流し込んでいた。その手にはいつの間にか空のグラスが二つ。
何をやっているのか分からないが、瞬きの寸前まで確実に無かったはずのグラスが二つ出現した辺り、何かしらの収納魔道具なのだろう。
ヴェルサスは無言でグラスに水を入れ、一つをネネカに渡してくる。
「俺が危惧してたのは、異世界の存在によって国が内側から崩されたり余計な考え方を広められたり、その知識を有効活用するのは良いとしてもそれが他国に流れたりすることだ。だがヴェルサスの庇護下にある以上は内部崩壊させる難易度は極めて高いし、余計な考えもヴェルサスが上手くやるだろうなと判断した。元々そんな気質でも無さそうだしな」
「気質は私も同意しますけど、他が私に大分押し付けてません???」
「異世界の知識も他国に流れるのは面倒だが、そこもヴェルサスとの縁で抱えてくれそうだからな。19の都市を管理している関係でも、異世界の技術を流しやすく都合がいい。当然、他国に流すようなら相応の処罰は考えねばならんが、まあそこもヴェルサスなら上手くやれるだろう」
「私に大分押し付けてません???ねえ???」
相当押し付けている気がしなくもない、とネネカはグラスの水に口を付けながら思った。
まあそれだけクルーベルが、ヴェルサスを信頼しているという事なのだろうが。事実何かあってもヴェルサスならば対処可能かつ、そもそもネネカを拾ったのもヴェルサスなのだから。
「ま、疑いが完全に晴れたわけじゃないが、何でもかんでも疑ってたらキリがねえしな。直接信頼が深くあるわけじゃないが、今はヴェルサスに免じて俺は信用する、というわけだ」
「つくづくヴェルサスに助けられてよかったって思う」
「そうだな。色々感謝しておけよ?」
ネネカからすれば、ヴェルサスは本当に恩人以外の何物でもない。
異世界に来て早々賊に捕まり地獄を味わい、そこから救い出して受け入れ保護するだけでなく、真っ当な教育等も行ってくれている。
純粋にヴェルサスの興味が湧いたというのもあるのだろうが、理由がどうであれ絶大な恩があるのは事実。こうして間違いなくヴェルサス経由でなければ出会う事も無ければただ警戒されるだけであったろうクルーベルとも、良好な関係を築けている。
改めてネネカはヴェルサスに感謝しなければと、ヴェルサスを見て……
「……あのー、この僅かな間に年齢制限付きそうな絵面になってるのなんで?」
『水をくれたお礼に、胸を大きくしてさし上げようかと』
「単に揉まれてるだけなんですけど」
ヴェルサスを膝の上に乗せたエリーゼが、背後からヴェルサスの胸を揉んでいた。
揉まれているヴェルサスは何とも思っていないのか、グラスを傾けて水を飲んでいた。
「っていうか、ヴェルサスちゃんにもって割と見境なし?」
「コイツと俺らの初対面の時に言われた事、教えてやるよ。二人ともナイスおっぱい!揉みますね?だ」
「あ、初対面でそれだったんだ!?」
それを考えると、ネネカへの初対面でしっかり聞いて来たのは、まだマシというか自制している方なのかもしれない。
「初対面でそれで、ヴェルサスが嫌悪感で反射的に攻撃放ったら、コイツ防いでなぁ。それで互いに驚いて、紆余曲折あった末に十賢者に任命したってわけだ」
「色々有ったことは分かった」
ネネカは察する。詳細を聞けば途轍もなく長い奴だ、と。
クルーベルもそれを理解し、かつネネカが察するだろうと判断して、超大雑把に語ったのだ。
そんな始まりで、ヴェルサスが今エリーゼのセクハラを何とも思わないまで仲良くなっているのは、余程の経験が有ったか気が合ったか。ネネカは少し気になった。
「話が逸れたが、要は俺が来た理由はネネカの実在の確認とその他諸々を判断するため。存在は確認でき、その他諸々も今のところは問題無いと判断した。一応他にも用事は有るが、機密もあるし急ぐことでもないからな。余裕がある時にヴェルサスを借りる程度で今は構わん」
「借りるも何も、別にヴェルサスちゃん持ってないよ……」
「つーかマジの機密なら機密もあるとすら言わないでほしいんですけど」
『ネネカさんなら大丈夫だと思ったんじゃないですか?』
恐らくクルーベルのその信頼と信用は、精神的なものだけでなく肉体的なものも含まれているだろう。
実際、まだネネカは様々な理由で外出できる状態には無い。
足は傷こそ治りはしたがこの僅かな期間でも使えなかったために、当然衰えているしバランスもまだ不安定。ストレッチやマッサージも含むリハビリが必須。
知識も基本の会話や知識は元の世界の知識でどうにかなるが、この世界の一般常識と通じているかは分からない。世に出るにはネネカも保護者のヴェルサスも不安が絶大に残る。
そもそも皇都の中ですら皇帝が襲われる今の皇都を、ヴェルサスの弱点に成り得る存在がまともな自衛手段も無しに出歩くなど言語道断。最低限外出するのなら、ヴェルサスほどとまではいかずともある程度の自衛手段は必須となる。
これらを考えた結果、クルーベルが多少の機密を漏らしても問題無いという判断に至ったのだろう。
当事者とその保護者としては、先の面倒を再認識させられて溜息を吐きたくなったが。
「あとまあ一応、明日にはなるが皇帝にスタンピードの報告だな。まあ然程でもなかったが。てことで、次はエリーゼの用事だ」
『私の用事は用事というほどでもないのですが。ネネカさんがどういった方なのか会ってみたかったのと、治療のためとスタンピードの報告と、あと久々にヴェルサスさんのおっぱい揉みたかったので』
「淫魔よりもセクハラ大魔王してるこの聖女なんなの?」
「終にセクハラ大魔王まで行きましたか」
いやまあ、言われても仕方ない行動はしているが。
ネネカからすれば足を治してもらった恩こそあれども、それ以上に現在の印象としてはひたすら他者の胸を揉みまくるセクハラ聖女でしかないのだから。
『おっぱい好きなんだからいいじゃないですか。あ、あとこれも一応用事として見せておこうかと』
そう言ってエリーゼは、一度ヴェルサスの胸から手を離し、何も無い空中へと手を振るう。
すると何も無かったはずのその場所に、明確なカタチが現れてくる。
ネネカは何一つ理解出来ないが、ヴェルサスとクルーベルが驚いていない辺り、エリーゼが普通に用いている技術のようだ。
そうして取り出されたものは。
「?なんです、コレ?」
『箱ですね』
「黒くて四角のな」
「ンなモン見りゃ分かります」
しかし事実そうとしか言えないものだった。
色は艶のある黒。形状は完全なる立方体。大きさはヴェルサスの頭部ほど。箱の表面には何やら金色の幾何学的な模様が刻まれている。
正体不明の黒い立方体、としか言えないものだった。
「俺でも平気で持てる程度には軽いから、金属とかじゃあねえんだろうがなあ」
「見た目ならすげー重そうですけど」
『でも本当に軽いんですよ。ほら』
エリーゼがその言葉と同時、ヴェルサスの頭の上から箱を落とす。
が、微妙に取り落としたような形で落としたために、丁度箱の角がヴェルサスの頭にヒットしてしまった。
ヴェルサスは落ちて来た黒い箱を手でキャッチしながら、ジト目でエリーゼを見上げる。
「痛いんですけど」
『ごめんなさい、普通に落とし損ねました』
しかし箱の角を頭に受けても、ヴェルサスが言葉とは裏腹に微塵も痛がっていない様子からするに、本当に箱は軽いようだ。
ヴェルサスは箱を片手で持って軽く振っているが、物音はしない。中身があるわけでは無いようだ。
「見た感じ、ただの変な黒い箱ですね」
「ああ。中身も無さそうな、ただの変な箱だ。が、問題はそこじゃ無くてな」
此処へ持ってきている時点で、何かしらの問題がある代物であることはヴェルサスも分かっていた。
が、明らかに普通ではないこの物体。その問題も相当な面倒である事を察し、ヴェルサスは溜息を吐く。
「説明前から溜息吐くなや。……これ、何処にあったと思う?」
真面目な雰囲気で問うクルーベル。
エリーゼの表情も、いつの間にか険しいものとなっていた。
先ほどまでの緩い雰囲気はどこへ行ったのやら。相当真面目な問題と二人は認識しているようだが……
「世界のどっかでしょう?」
『間違ってないですけど対象範囲広すぎません?』
「無駄に広域必中魔法使うのやめろ」
その真面目な雰囲気を察した上で微塵も合わせようとせず、我が道を行くヴェルサス。
それに呆れるクルーベルとエリーゼ。
苛立っている様子が無い辺りいつも通りなのだろうとネネカは、それどころではない思考の渦の中で反射的にそう思った。
「正解は、ホープの北門に突き刺さってた、だ。それも今日の今朝、昨日は確実に無かった。誰もが目に付く場所で、両側に見張りも居て、ホープからの光で周囲も含めて明るかったのに、俺とエリーゼが転移のためにホープを出て気付くその瞬間まで、他の奴は誰一人気付かなかった」
「……へぇ」
ヴェルサスの雰囲気は変わらない。が、声音は確かに変わった。
警戒に値すると判断したか、単純に興味が湧いたか。
どうであれ。ヴェルサスの、この謎の物体を見る目が変わったのは事実だった。
『誰も気付かないのにいつの間にか存在していた点からも、もしかしたら異世界関係かな、と思って持ってきたのですが』
「どの道皇帝には報告しなきゃならんしな。そのついでだ」
成程、とヴェルサスは手元で黒い箱を眺めながら呟く。
ネネカからかなりの異世界の情報を聞いてはいる。人を魔獣のような怪物へと組み替える機構、培養された人類を食する領域、記録した存在を再現する砂時計、奏者を消費して音色を奏でる楽器群……とても信じられないものばかりだが、少なくともネネカ曰くこの程度は割と普通かつ身近にも存在しているらしい。
そんな自分の想像も及ばない世界。ヴェルサスの眼前にあるこの黒い箱も同様。であれば、同じ世界の物と考えても違和感は少ないが。
「……昨日、というか今日なんですよね?コレ」
「見つかったのはな。少なくともホープの北門の夜中には、俺も所用でそこに居たがその時には無かったはずだ」
だとすれば、あまりにタイミングが合わない。
ネネカがこの世界に来たのは一週間前。この物体が現れたのは今朝。
その時点で明確なズレが生じているし、別で転移してきたというのならそれこそ次元魔力反応が有ってもおかしくないが、そんな報告も届いていない。
何やらおかしなことだが、次元魔力ともなれば時間のズレなど些細な事かと軽く諦め気味に考え、ヴェルサスはネネカを見る。
「……何かは知ってそうですね」
ネネカは、その手を黒い箱へと伸ばしかけながら、引きつった笑みを浮かべて動きを止めていた。
どうやら混乱しているようだが……その混乱すらも、何か知っていないと出来ない事。少なくとも何も知らないわけではないようだ。
「ほう、やっぱ異世界関係か。そっちの世界に有ったのか?」
「……え、っと……。……有りはした、というか、無いわけじゃない、というか……?」
クルーベルの問いに、ネネカは視線を一切黒い箱から離せないまま、戸惑うように答える。
が、その答えはしどろもどろ。微塵も要領を得る内容ではなかった。
分からない、というわけでは無さそうだが、説明が容易いわけでも無いようだ。
「まずは落ち着いてください。説明できることからで大丈夫ですよ」
ぷにょぷにょ、とヴェルサスが水の手を介してネネカの頬をつつく。
またも訳の分からない魔法技術が出てきたが、ヴェルサスの事なので諦めたネネカだった。
『ま。水の魔法でこんなことも出来るのですね』
「土でやってるのは見たこと有るが、水は初めて見たぞ」
どうやら付き合いの長い二人ですら知らない技術だったらしい。とはいえ二人も軽く驚くだけで何とも思っていなさそうな辺り、ヴェルサスが普段からどれだけ様々な技術を多用しているのか、薄っすらと分かるものでもある。
ネネカは一つ深呼吸をした後、決して黒い箱から視線を外す事無く落ち着いて語り始める。
「……私の世界に、それ自体は無かったよ。ただ、お姉ちゃんの会社のゲーム……まあ要するに創作物の中に登場したキーアイテム……重要な道具として、それがあったの」
「一瞬で知らねえ単語が量産された」
『きいあいてむ……?』
言葉は同じでも単語が異なればこうなるのは、中々に面倒だなとネネカどころかヴェルサスも静かに思った。
しかし異世界でこの程度の違いで済んでいるのだから、まだマシな方ではあるのだろう。言葉が異なる事もざらであろうから。
「要するに、私の世界の創作物の一つの中に出てくる、その創作物の中の世界観で凄く重要なもの。それと同一かは分からないけど、少なくとも見た目はそれそのままだよ」
「お気遣い感謝する。創作物、ねえ」
『世界が異なれば様々な創作物が存在するのですね』
まあ国が違うだけで文化も異なるのが自然な中で、世界が違うとなれば創作物一つですら想像も出来ないものがあるのは至極当然ではあろうが。
「……つまり、コレはネネカさんの世界の創作物で存在はしていても、ネネカさんの世界に実在していたわけではない、と?」
「うん。あ、ゲーム……創作物の中ではその箱、パンドラって呼ばれて……凄い嫌そうな顔」
ネネカより、パンドラ、の名を聞いた瞬間思わず各々で表情を歪めるヴェルサス、クルーベル、エリーゼ。
パンドラの名そのものに罪はない。この世界でも普通に存在する名であるし、物体を表す名としても特別おかしなものではない。
ただ。
「いえ、お気になさらず。単なる偶然ですので、ハイ」
「詳しくは聞かないでおくけど、とんでもない何かあったことは察した」
クルーベルとエリーゼが顔を背けて深く息を吐いているのを横目に、ヴェルサスは引きつった笑みを浮かべて言い訳にすらならない言葉を紡ぐ。
あんまり具合にネネカも呆れ気味だが、一先ずは何も聞かない事にしたようだ。
ヴェルサスはネネカに隠し事は出来ない。そういう契約を結んでいる。
幾らでも回避方法はあるようだが、少なくとも普段においてはネネカに対し隠し事をするのは、ヴェルサスにとっても相当なデメリットもある事だろう。
そんなヴェルサスが、無理な誤魔化しをしてでも語りたくない様子。それ即ち、相当語るのが面倒か語りたくもないことか。
いずれにしろ無理に問い詰めるのはヴェルサスたちにも相当な負担になるだろうと判断し、ネネカはこれ以上問わない事にした。
問わなければ密事も無い故に。
「……とりあえず今はパンドラって呼ぶけど。そのゲー……創作物の中で、幾つかあるパンドラを巡って色んな騒動が起きて、っていう物語」
「大分端折りましたねさては」
「要約しただけだから。創作物の中で語られてたのも、その幾つかあるパンドラの一つを巡って引き起こされた、幾つもある戦乱の物語の内の一つでしか無いって設定だし」
幾つもある戦乱の物語の内の一つ。
戦争という概念が極めて身近なこのウルグリム大陸に生きる三人には、何とも複雑な話だった。
「それで。このパンドラは何が有って、そんなにコレを巡る戦争が起きるのです?」
「……創作物の中のアイテムでしか無いんだけど」
「異世界人のネネカさんが居る時点で空想も現実もあんま変わんねーです」
それを言われては、とネネカは諦め、んー、と唸りながら思い出し語っていく。
「理由はまあ、色々あるよ。パンドラって、魔法の存在しないその世界において、唯一魔法的な力を無制限に行使できるデバイスだから」
『……想像が出来ません……』
「魔法の存在しない世界とか……」
そうなるよなあ、とヴェルサスはイメージに悩む二人に苦笑する。
ネネカから様々な異世界に関する情報を聞いているヴェルサスで、ようやくなんとなくのイメージが付くような世界だ。
有って当然のものが無い世界。想像が難しいのが自然の事だ。
「まあそういうものだとして。劇中で語られたパンドラはどういった能力を持っていたのですか?」
「シリーズだから色々有るけど……私が一番ヤバいなぁって思ったのは二作目の情報の管理かな?」
情報の管理。
それだけなら普段から事務作業として自分たちも行っている事だが。
ネネカがヤバいというからには相当なのだろう、と三人は思い。
「情報の管理とは具体的に?」
「世界の情報の管理だよ。人一人の存在を消すことも、逆に作る事も、物体どころか世界の法則を過去ごと書き換えるっていう」
成程ヤバい、と三人同時に思った。
例えるのなら、クルーベルの存在を消し去り、エリーゼを新たに創り出す事も出来る、という事だ。
それを巡って争いが起きる。当然だ。そんな危険なものが野放しにされていれば気が気でないのだから。
「ではこのパンドラも、それが出来ると?」
ヴェルサスが問うと、ネネカはうーんと軽く首を傾げる。
「分からない。パンドラって幾つも有って、一つにつき一つの能力があるから」
「……ああ、成程な。今言った情報の管理が出来るパンドラは情報の管理だけが出来て、他のパンドラにはそれぞれ能力があるってことか」
クルーベルの推察に、ネネカはコクリと頷く。
そうして三人も納得がいく。要するに、そういう事が出来る魔道具のようなものか、と。
魔道具も基本的には入力された事のみを行うもの。この家の魔道具は試作ばかりのため動作は不安定かつ誤作動で想定外の挙動を発生させるが、本来魔道具とは入力された動作だけをするものだ。
引き起こされる事象が桁違い過ぎて比べられるものでは無いが、少なくとも大雑把な理論そのものは似たものだと三人は納得した。
「しかし成程。これでネネカさんが色々焦った風であったのも、合点がいきました」
『確かに。そういったものもあると認識していると、不用意に触れる私たちが恐ろしくて仕方なかったでしょう』
言うなればいつ爆発するか分からない爆弾を弄んでいたのが今だ。
爆発の威力も条件も何も分からない。が、爆弾である事だけは確実なそれを、知らずとはいえこうも不用意に触れては動かしていれば、恐怖やら安堵やらが入り混じって混乱し動きを止めてしまうのも当然だ。
「……しかし、あくまで創作物の中の話とはいえ……眼前にこうして異世界の存在が居る以上、これも創作物内のパンドラと同一と考えてもおかしくは無いな……」
クルーベルが難しい表情を浮かべて唸る。
ヴェルサスとエリーゼも、眼前のパンドラを困ったように見る。
場合によっては世界レベルの危険物と分かった以上、国を動かす者かつ世界屈指の強者として、見過ごすわけには決していかない。
が。コレは既に何の効力も発揮しない物体で警戒し過ぎという可能性もあるし、下手に管理すれば周囲から余計な警戒を買ってそれこそ争いになる可能性もある。
国どころか世界を動かせる者たちとしては、悩ましい物体でしか無いのだ。
「……ネネカさん。これの効果を調べる方法は?」
ヴェルサスが問うが、ネネカは無言で首を横に振る。
先ほど分からないと言っていたのだから今知らないのは納得とはいえ、それを調べる方法も不明となればさらに悩ましい。
元は創作物、それもゲームという特殊な媒体によるもの。そもそもパンドラの解析などそこまで設定が作られていたとして、それを明かす余白が有ったかも分からない。ネネカを責めることは決してできまい。
「あ、でも」
そこでふと、ネネカは思い出したようにパンドラを見ながら言う。
より正確には、パンドラの表面に走る金色の模様を見ながら。
「パンドラの共通なのかは分からないけど。パンドラが起動する時や起動状態の時、ゲーム中だと表面の模様が金色になってたよ」
ヴェルサス、クルーベル、エリーゼがパンドラの表面を見る。
表面の幾何学模様の色は金色。
つまり。
「起動状態です?これ」
「たぶん」
面倒が増えた。
そう四人が同時に思うのは、必然であった。
「…………………………色々言いたいことは多いですが」
ふぅ、とヴェルサスが溜息を吐きながら、件のクッキーをもそりと食べる。
表情を歪めた辺り、相変わらず美味しいとは言えないようだ。
「一先ずこれは、ネネカさんに関連したものとして私のところで管理するのが最善だと、私は進言します」
ヴェルサスはクルーベルへと、その手に持つパンドラから視線を外す事無くそう告げる。
クルーベルはその言葉に、ふむと考え込むような動きを見せる。
しかしそれもほんの数秒。すぐに一つ頷き口を開く。
「いいだろう。最悪の事態でも、お前なら安心だ」
『ヴェルサスさんなら大体どうにか出来ますからね』
「だからって何でもかんでも押し付けないでほしいですけどね???」
クルーベルが認め、エリーゼもほわほわと安心する。
その様子に思わずネネカはぎょっとする。
パンドラの危険性を理解していないわけではないだろうに。幾らヴェルサスが最強とはいえ、存在ごと抹消されては元も子もないはずだが。
まあこのパンドラがそういった危険な技術を持っているかは分からないし、そもそも本物のパンドラなのかも分からないのだが。
そう危惧するネネカに、ヴェルサスはくすりと笑いかける。
「大丈夫ですよ、ネネカさん。情報抹消や過去改変程度なら、私は何度か喰らってその度に自力で対処しておりますので」
「ああ、うん。最悪な奴でも本当に問題無いんだね」
安心だと言う理由が分かった。
実際に最悪なパターンだったとして、ヴェルサスは自力でどうにでも出来るが故に問題が無いのだ。
どうやって対処したのかとても気になったが、まあヴェルサスの事なので上手くやったのだろう。
最強と謳われる存在は、本当に最も強いが故に最強なのだった。
「だがどの道、コレが起動状態にあるというのなら、コレがどんな機能を有しているのかはなにかしらで調べる必要は有るな」
クルーベルの言う通り、誰が管理するにせよパンドラがどういうものか知った以上、何とかしてこのパンドラが持つ性質も知っておきたいものとなった。
起動し続けている現状も、いつまでも問題無いとは限らない。
元々この世界に無かったものである以上、明確かつ致命的な歪みをいつ生んでもおかしくはない。最低限情報だけでも得たいというのが、大国の上層部たる者たちの意思であった。
尤も、この世界の存在ではなく明確な歪みを生みかねないのはネネカも同様ではあるのだが。
『ネネカさん。こちらのパンドラ、他にどういったものが有ったのですか?』
真面目に、真っ直ぐに、ヴェルサスの胸を揉みながら問うてくるエリーゼ。いつまで揉んでるんですか、と言いたげなヴェルサスの視線も彼女にはそよ風の如く。
そんなエリーゼに対し、ネネカは凄く言い辛そうだった。
「……一応言っておくと、全部とんでもなく強いってわけじゃないよ?中にはしょぼいのとかしょうもないのとかあったし……」
「余計気になるんだが」
言い辛くなるほどのパンドラ。
逆に気になってしまうのは、人の性と呼ぶべきもの故か。
三人は無言でネネカに続きを期待し、ネネカはそれを察して軽くため息を吐いたのち、えーと、と前置きをした上でさらに語る。
「常におしっこが流れ続けるパンドラとか」
『なんて?』
「常に周囲の人の頭に原型が無くなるまでぶつかっていくパンドラとか」
「なんて???」
「起動した瞬間起動した人とその関係者最大10人が爆散するパンドラとか」
「なんで???」
三人は聞いて軽く後悔した。薄々変なモノだろうなと察してはいたが、思っていたよりろくでもないものばかり出てきたために。
成程、そんな代物ばかりならば言い辛いのも納得である。
「あとは、起動した人の髪の毛が死ぬまで伸び続けるのとか……」
「もう、もういいです……」
「誰でも髪長魔人に出来ると考えればまあまあ凄まじいのは分かるがなぁ……」
『世界は広いですね』
世界は広いどころか異世界な上に創作上のものなのだが。
「……まあ、パンドラがどういう性質を持つのかは大体わかりました。ちなみに起動方法とかは……分からないですよね」
「作中だと手に入れた人はしれっと使ってたからなあ……後の作品だと語られたのかもしれないけど」
「そういうものですよねぇ。仕方なし」
明確に操作なども描いている作品も無いわけでは無いが、有るものには有るだけで無いものには無い。パンドラの登場した作品も、ネネカが見た範囲で描写されていなかったとしてもおかしいと言える点は無い。
まあ説明がない故に現在現実となった結果色々困っているので、ネネカにとっても複雑なものでは有るが。
「だが少なくとも、先程の例のようなしょうもない機能を持っているわけでは無さそうだな」
『そうですね。現時点でなにも被害等は有りませんし』
「分かんないよ?原作だと、起動してから一時間後にパンドラ周囲の人間にげっぷを出させる、なんて時限式のも有ったから」
「ねえなんでそんな禄でもないものばかりなんです???」
パンドラの創作物は、シリアスかと思いきやコメディに寄っているのだろうか。
ヴェルサスたちは真面目に気になった。
「……まあどうあれ、今はまだ何も分からん事ばかり。時間をかけて少しずつ調べていくしかねえか」
「調べるの絶対主に私が担当するじゃん、めんどくせーです」
もはや言葉を微塵も取り繕っていないな、と思ったネネカ。
しかし実際どんな効果を秘めているか分からない、文字通りパンドラの箱を誰が管理するかとなった際に、この家で魔道具の扱いに長けかつ大抵の異常事態にも事後対処可能なヴェルサスは、適任中の適任だろう。
パンドラについての情報を唯一持つネネカを、現時点では保護という形では有れど明確に抱えている点で見ても、誰に預けるかという問いに対する最善はヴェルサス以外ありえない。
そんな貧乏くじを引かされるヴェルサスは、普通に嫌そうでは有るが。仕方のない事である。
『まあまあ。どちらにせよ私たちも少しの間はこちらに滞在しますから。その間であれば、私たちも管理は手伝います』
「ネネカからの情報も正式に記録しないとってのも有るしな、こうなると。……お前まで嫌そうな顔すんなよ……」
思わずネネカも普通に嫌そうな顔をしてしまった。
正式に記録するという事は、下手な発言をすればそれも公的に記録されるという事。
ヴェルサスが基本的にこんな感じである以上は、ネネカがある程度下手な発言をしても気にはされないのだろうが、それでも記録されてしまうのは変わらない。
別に下手な発言をしたいわけではないが、言葉に気を付けなければならないというプレッシャーはかかる。
分かり切った面倒を嫌がるのは、おかしなことではない。
「諦めろ。どの道やらにゃならん事だ」
「……ハーイ」
「……ワカリマシタ」
「……お前らがこの短期間で妙に気が合ってる理由が分かった気がする」
呆れた様子のクルーベル。きょとんとしながら変わらずヴェルサスの胸を揉み続けるエリーゼ。
実際、ヴェルサスとネネカは中々に気が合うと互いに思っている。
世界は違い、環境が異なる故に境遇も大きく異なる。が、薄々互いの境遇については察しがついており、それに対する感情は双方似たようなモノ。
根本的な思考も含めどこか似た者同士だと互いに感じているのだ。気が合わない理由がない。
まあそれ故に面倒も共有している現状を共に嫌がっているのは、どうかとは思うが。
「……あ。ところで、お二人は泊まっていくんです?」
ふと思い出したように、ヴェルサスが二人に問う。
そういえばこの二人は一応遠距離から来ているのだと、今更ながらにネネカは思い出した。
遠方より自分のためにわざわざと考えると、なんだか申し訳ない気持ちも湧いてくる。
まあ足を除けばネネカ関係は、殆どがネネカ自身は巻き込まれたようなものであるし、足も賊にやられたのであってネネカ自身で傷付けたわけではないので、ネネカがそう思うのもどこかお門違いな面も有りはするのだが。
「ンー……一応俺はお前と細かく色々話しておきたい事あるから、最低でも数日は皇都に滞在する予定だが……色々有るし今日は泊まっていこうと思うが」
『私は、皇都滞在中は泊まらせて頂いてもよろしいですか?ネネカさんのおっぱいも揉みたいですし、ネネカさんの足のリハビリや経過観察も行いたいので』
クルーベルが悩みながら泊まる意思を示し、エリーゼはブレない我欲も示しつつ真っ当な理由での宿泊を望む。
当然エリーゼに対しては、ヴェルサスもネネカも呆れているが。
「リハビリは物凄く有り難いけど、前者は言わないでほしかったなー」
「つーかリハビリより先に我欲出してんじゃねーです」
『おっぱいに勝るものなど有りませんので』
言い切りやがった、と三人の心の声が揃った気配がした。
当のエリーゼは清々しい顔で、未だヴェルサスの胸を揉み続けている。
コレが聖女かあ、とちょっと遠い目になったネネカ。元の世界での空想の現実がコレでは、そうなるのも致し方ない。
「はぁ。とりあえず二人とも泊まっていくと。了解です」
そう言ってヴェルサスは、エリーゼの腕を振り払いつつふわりと浮かび上がったと思いきや、部屋の壁に片手をぺたりと当てる。
「セリナ。クルーベルとエリーゼさんが数日宿泊します。いつもの部屋の用意を」
『面倒なので自分でやってください。もう既にやってありますが』
「やってあるのは素直に褒めたかったんですが、その前の言葉要りましたかねメイド???」
どこからかメイド長のセリナの声が聴こえてくる。
ヴェルサス曰く、この部屋と執務室は壁の一片までもが様々な魔道具が仕込まれているらしい。
現在用いているのは、ネネカの世界風に言えば館内通信や電話の類。使用者が対象者を選択し、指定された範囲……今回で言えばこの家の内部に居る限りどこでも会話が出来るというもの。
普通に相当便利なように思えるが、使用者側の魔力消費が頭おかしいらしい。メイドたちが微塵もこれを用いようとしない理由である。コレも一応試作中の魔道具らしいが、魔力問題が悪化するばかりで改善には難航しているらしい。
「……まあいい。部屋の用意、ご苦労様です」
『もっと褒美。具体的にはセッ』
ヴェルサスが壁から手を離す。
と同時に聞こえなくなるセリナの声。
通信を終了したのが良く分かる。
「……ねぇ。今ご褒美にってなんか……」
「言わんといて」
ヴェルサスの珍しい懇願するような言葉に、三人はこれ以上何も言わない事にした。
まあこう優しい上に種族的な性分もあるとはいえ、ヴェルサスは淫魔だ。そういう事に長けているのが当然ではあるし、それ故に手を出していてもおかしくは無いだろう。
「……ま、どうあれ助かる。今から皇城に帰んのめんどくせえからな」
あふ、と一つ欠伸をするクルーベル。
なんだかんだ起きているとはいえ、元々ヴェルサスとネネカが寝る準備をする程度の時間ではある。諸々の疲れも相まってかなりの眠気が襲ってきてはいるのだろう。
もしやすれば、エリーゼの胸揉みも眠気覚ましを兼ねていたのかもしれない。よく見れば少し眠そうである。
『お世話になります。あ、そうだ。宜しければ私たちも滞在中、ネネカさんに魔法についてお教えしましょうか?』
謎に手をわきわきとさせながら、エリーゼがそんな事を言ってくる。
手はともかく、表情はほわほわとしている。とても含みが有るようには思えなかった。
「……任せますよ、ネネカさん」
「……有難くは有るけど、順序的にはどうなの?」
ネネカの問いにヴェルサスが肩を竦めた辺り、あまり良くはないようだ。
現在のネネカは、魔力の覚醒こそさせているが魔法の適性も知らなければ魔力の使い方も未熟だ。
一応魔道具の扉を自力で開く程度の、本当に最低限の魔力の扱いは出来たものの、それですら魔力を込め過ぎて効率最悪だとヴェルサスに言われたほどだ。
エリーゼの申し出は有難いものではある。十賢者による魔法指導など、莫大な金を積もうと叶わないのが自然であろうから。
ただ状況的には、時期尚早と言わざるを得ないのがネネカの現状でもあった。
「……まあお二人の指導云々も後日考えましょう。そもそも魔法使いの道を歩むかも決めていないんですし」
「多分流れでほぼ強制的に魔法使いの道になると思うなぁ」
何処か諦め気味なネネカ。
別に魔法使いの道に興味が無いわけでは無い。が、まだこの世界の事を学んでいない以上は今魔法使いの道を歩むと決めるのは早計に過ぎるし、なによりヴェルサスが許しはしない。
ただネネカがこれほどの魔力を持っている以上、莫大な魔力の持ち主を狙う者たちからは狙われることだろう。そうなれば自衛の手段は必然と強力なものが必要になっていく。
そうなった場合、手っ取り早く色々覚えられ、かつ適正が有ると言えるのは魔法。
流れで魔法使いになるかもというのも、あまり否定できないことだった。
「その辺りも含めて、本格的にそろそろネネカさんがこの世界でどう生きるか考えませんとねー。まだ若いどころか幼いとはいえ、流石に一切働かずしてというのは難しいですし」
「んー。最初は私もメイドやろうかなって思ったけどさー。此処のメイドの仲間になるのはやだなー、って」
「……此処のメイドに染まりたくないのはまあ同感ではあるか……」
同僚となり得るメイドたちの性格が問題でメイドとして働きたくないというのは、一見どうかとは思うが大事な問題ではある。
職場の関係の良し悪しによる諸問題は、ネネカの世界でも頻繁に発生していたことだ。その果ても、様々な創作物ですら描かれている。
ネネカとこの屋敷のメイドたちは、気が合わないわけではない。この一週間でも仲のいいメイドは何人か出来ているし、そうでなくても基本的には関係は良好だ。
しかしメイドとしての在り方が、比較的真面目に業務を行うであろうネネカと、各々様々な形でフリーダム極まるセリナを始めとする現メイドたちで、かなり異なる。
人として好んでいても仕事として噛み合わない事も有る。ネネカとメイドたちはそうだろうと、ネネカも主たるヴェルサスもなんとなく分かっていた。それ故にメイド以外の、幼くとも働ける方法を探しているのだが……これが中々に難しい問題となっているのが二人の現状であった。
『……あれ?幼い?』
「……そういや今何かしれっと幼いって……」
クルーベルとエリーゼは、純粋に疑問そうにヴェルサスとネネカを見る。
二人のその反応で、ネネカは気付き、ヴェルサスも思い出したようにあっと声を上げる。
「そういえばネネカさんがまだ12歳だって書いてませんでした」
「だろうと思った。書き忘れたの?」
「というか、手紙に書ききれなかったんですよ。他の詳細情報とかも書かざるを得なくて、どうしても年齢とかの情報は省略せざるを得なくて」
「あー。まあ異世界人って時点で年齢なんかより先に伝えなきゃならないこと多いもんね」
え?とクルーベルとエリーゼが虚を突かれたように揃ってネネカを見る。
ネネカの体格は、同年代と比べてかなり発育が良い。12歳にも拘らず、元の世界では高校生や大学生と間違われることが普通であった程度には。
加えて色々あった末に精神も、大人にならざるを得なかったために12歳としてはかなり落ち着きがあり、それこそ身体相応な精神の成熟具合。
クルーベルとエリーゼも元の世界と同様、外見や雰囲気から相応の年齢だと思って接していたようだが……。
「……待て。何歳つった?」
「12歳」
「12歳です、これでも」
『……ええと……疑うわけでは無いのですが、本当に……?』
信じられないよなぁ、とヴェルサスとネネカは揃って思いながら頷く。
外見で年齢が判別し辛い者は他にもいる。ヴェルサスも、実年齢に反して体格は若いどころか幼いの部類に入るし、精神も背伸びしているだけで幼い部分が目立つ、ネネカとは真逆の年齢に合わない人物だ。
肉体も精神も相応に成熟していれば、年齢を聞かずとも相応の年齢と思ってしまうのが世の常だ。それは決して、少なくとも今の価値観においては一重に悪い事と定義されるものではないだろう。
極稀に、ヴェルサスやネネカのような例外が居て、それが此処に揃っているだけ。その偶然を誰が信じられようか。
クルーベルとエリーゼの勘違いも困惑も、誰も責められるものでは無かった。
「まあそんなことはさておき。どのみち時間ももう遅くなってきてますし、全員なんだかんだで眠気や疲れもあるようですし。細かい続きは明日以降としましょう」
「……そん、まあいいか今は……。……そうだな。あ、だがヴェルサス。先に少し二人で話しておきたいことが有る。時間いいか?」
「構いませんよ。執務室でいいですか?」
ああ、とクルーベルが椅子から立ち上がりながら返す。
椅子から立ち上がったクルーベルは身体を伸ばす。結構座りっぱなしだったために、身体が固まってしまっているのだろう。
ヴェルサスはふわふわ浮いているためそういうものと無縁と思いきや、微妙に猫のように背中を伸ばしている。最強であっても身体は固まるようだ。
『パンドラはどうしましょう?置いておくわけにも……』
「ああ、置いといていいと思いますよ」
そう言ってヴェルサスは、部屋の机を適当に指し示す。
そんな適当で良いのか、と思わずネネカとエリーゼは軽く視線で問う。
「話を聞くに、パンドラは魔道具に近しいモノ。誰かが用いれば動作はしましょうが、今はその用いる手段も分からない状況。我々が把握できない上にこの家にあるのであれば、他の誰も手出しを出来ませんから」
魔道具に近しい性質を持つというだけで、パンドラは魔道具ではない。それはこの場の四人は明確に理解している。
ただ謎が多い故に、このまま放置でいいのかという疑問が大きいのだが、ヴェルサスは然程重要視していないようだ。
明らかにパンドラが動作中なのにそれでいいのか、とクルーベルすらも疑問に思うが。
「なにより、それが作動して爆発しようが時間がおかしくなろうが空間が壊れようが情報が破壊されようが、私ならウルグリム大陸の範囲程度ならどうにでも出来ますので。壁数枚挟んだ程度で阻害されるものでもないですし」
「ああ、うん。真面目に考えてたこっちが馬鹿だった」
最強は何処までいっても最強であった。
確かに、過去に何度かそういった概念的な手合いも対処したことのあるらしいヴェルサスが、壁一枚隔てた程度でその技量を損なうかと言われれば誰もがノーであろう。
ネネカの言う通り。ヴェルサスという最強を前に、真面目に発生し得る被害を心配するだけ無駄でしかなかったのだ。
「それに私、パンドラについてはなんとなーくですが、そうだろうな、という推測が有りますので」
だからご安心を、とヴェルサスは欠伸しながら言った。
どんな推測を立てているのかは分からないが、今此処で話さないという事は何か話し辛い内容なのか、もしくは今はまだ話すことが出来ないのか。
少なくとも現在のヴェルサスにこの推測に関して過度に話す気は無く、同時に隠す気もなさそうなので、三人はヴェルサスが自発的に話すのを待つことにした。
とはいえ気まぐれなヴェルサス。その話すのも何時になるかは、分からないが。
『では、パンドラは机の上に置いておきます。私はネネカさんの足をマッサージした後、いつもの部屋で休ませていただきます』
「どうぞ。ネネカさんも好きに休んでてください。あ、朝には風呂を入れさせますので」
「正直助かる。……ん?ネネカもこの部屋で休んでんのか?」
「歩けなかったから、ヴェルサスちゃんにずっと担いでもらってたんだよね。結果、なんか流れで」
「……淫魔のベッドに寝るの、中々に豪胆だな」
クルーベルの言葉でそういえばと思うネネカ。
淫魔と共にベッドの上に居た場合、そういう事をされても仕方ない部分はある。
この世界の淫魔族が一方的な姦淫を忌み嫌うために問題が無かっただけ。普通に考えた場合、淫魔と共に淫魔のベッドの上で無防備に眠るなど、不用心を通り越して呆れられて当然だ。
その点も含めて、この世界の淫魔族の性質と、ヴェルサスの善性に感謝しなければと思ったネネカだった。
「……クルーベルは私を何だと思ってるんですかね」
「世界一ヤバい淫魔」
「否定できない。ではー」
それだけ言ってヴェルサスは執務室へ繋がる扉を開き、その先へ消えていく。
扉一枚も魔道具。故に扉の先の風景はこの部屋からは見えない。
本来其処に無いはずの部屋へと消えていく光景。不思議を通り越して不気味だと感じるネネカ。
「……毎度の事ながら慣れんな、これは」
はぁ、と溜息を吐きながらヴェルサスと同様に扉の先へ消えていくクルーベル。彼女もあまりこの光景には慣れないようだ。
どうという事は無い。ヴェルサスの執務室はこの屋敷の3階に有るが、ネネカたちが今居る自室は2階にある。
扉を介して別の場所にある部屋に繋げている。故に先は映らない。
元の世界に存在した創作物の中に、入る度に別の扉へ繋がる不思議な扉が登場していた。それの対象限定版のようなものか、と思いつつも同時に恐ろしくも有った。
この家の魔道具は殆どが試作品。あの扉もヴェルサス曰く試作とのこと。
もし空間を移動する魔道具が不具合を起こしたらどうなるのか。
それを考えれば、文字通りのパンドラの箱が一つ追加された程度、ヴェルサスにとっては日常であって今更気にするほどの事ですら無いのかもしれない。
「ま、家主が良いならいいか……」
自分たちがとやかく言おうが、この家の主にして最強の二字を与えられているヴェルサスが良いと言ったのなら、それに従う。
異を唱えることは出来るし、逆らう事も出来る。だが意味は無いためにやらない。
比類なき最強が問題無いと言ったのだ。であればパンドラも問題無いのだ。この世界においては。
「……立てる感覚が落ち着かない」
『無理はなさらず。治療直後はそうなる方が多いですし』
ごとごと、と椅子を片付けているエリーゼ。
ネネカもそれを手伝おうと立ち上がったのだが……様々な支え無しではまだ満足には立てず、生まれたての小鹿とまではいかずとも足が震えてしまっていた。
「こう考えると、日ごろ歩くのも大事なんだなぁって実感する……たった一週間歩けなかっただけでこれかあ……」
『今回は微量ですが毒が含まれていたこともあって、かなり酷い状態でした。治療状態を調整するための毒だったようですが、それもあって足の衰弱は酷いものです。本当に無理はなさらぬよう』
「毒喰らってたかあ」
足の傷は賊に切られ、質の悪いポーションで治されたために、足だけが使えない状態だったが。
どうやらその賊に切られた際に、切ったモノに毒が含まれていたらしい。
簡単に足を治さないためだったのだろうが、その結果治った今も脚が此処まで衰弱しているのだから、本当に厄介な事をしてくれたとネネカは思わずため息を吐く。
『ですが、本来ならそれほどの衰弱状態では、支えが有っても立つこともままならないはずですが……もしや何か運動でもされていたので?』
「あー、うん。一応、まあ……色々」
『成程。異世界の運動……どういったものでしょうか……気になります。教えられる範囲でいいので教えて頂けますでしょうか?』
エリーゼはどうやら、異世界の文化について強い興味があるようだ。謎に手をワキワキさせながら、目をキラキラと輝かせている。
まあこれでも世界有数の都市を管理する者。新しいモノは都市の発展に貢献するやもしれない。それ故統治者としても興味があるのだろう。
「うーん……言っていいのかな異世界の文化。ヴェルサスちゃんから口止めされてるんだけど……」
『あーっと、興味抱いたことも無かったことにしてください』
しまった、といった風に顔を背けるエリーゼ。
よく見れば冷や汗がダラダラと、目に見えるレベルで流れている。
なにがあったのやら。ネネカが気になるのも、人の性であった。
「まあでも……魔法が無い事を除けば、同じ人の作る文明ってことで、こっちとあんまり変わらないと思うよ。色んな国が有って、色んな人が居て。色んな文化が有って。あ、でもこの大陸よりは私の住んでたところは平和だったかな」
『ウルグリム大陸は戦乱の大地……この大陸と比べれば、どんな世界も平和でございましょう。あ、マッサージしますので、座って楽にしてください』
「それはまあそうだろうけど」
何百年も戦争を続けて、今ウルグリム皇国が統一してなお反乱という形の、無数の戦乱の種が埋まっているウルグリム大陸。
このある種の魔境と比較すれば、どんな場所も平和かもしれない。
エリーゼはネネカの足にそっとふれ、ふにふにと優しくマッサージしていく。
『今日はリラックスさせる程度の軽いマッサージに留めておきます。明日からはリハビリ的に少しずつ歩いてみて、それに合わせてマッサージを行います。現在の足の細かい状態等が分かりませんので、それも調べながらではありますが、根気良く行きましょう』
「……こっちの世界と医療はあんまり変わんないのかな……はーい。って、いだだだだだ!!!???」
優しいマッサージが続くかと思いきや、悶絶するほどの痛みが襲ってくる。
先ほどまでふにふにと触っていたマッサージは、いつの間にかグリグリと音が聞こえるものとなっていた。
『安心してください!このまま気絶させて眠らせる勢いでやるだけですのでっ!』
「気絶する痛みを伴うマッサージは絶対軽いマッサージにカウントしないよね!?しちゃ駄目だと、いっ、だだだだだいだいいだい!!!???」
グリグリゴリゴリと、エリーゼは容赦なくネネカの足をマッサージしていく。
その度にネネカは悶絶と共に悲鳴を上げていく。
どれだけ悲鳴を上げようが、この屋敷では部屋の扉を開けていない限りは外に声が漏れる事は無く、現在この部屋の扉は全て閉められている。声を外部に漏らす例外は勿論あるが、今この状況に適用されるものはない。
つまりはどれだけ叫ぼうとも、どれだけ助けを乞おうとも、誰も来る事は無い。
悲しいかな。ネネカは本当に気絶するまで、エリーゼの軽いマッサージを受け続けるしかないのだった。
「ま゛――――――――――――――――――――!!!!!!」
その後。本当にネネカが気絶するまで、否、気絶してなおエリーゼのマッサージが止まる事は無かった。




