14:昔から争いの理由は大体シンプル
「ねえヴェルサスちゃん、それなに書いてるの?」
「んー?」
紆余曲折あった末に眠るのに程よい時間となり、ヴェルサスの部屋へと戻って来たヴェルサスとネネカ。
まあ眠るのに程よい時間といっても、この家では時間がいまいち分からないので、眠くなったら寝る程度でしかないようだが。
「ヴァメルに今日一日の事に関する報告書ですね。何を教えたかとか、どんな話をしたかとか、大雑把に。一応、立場的には私がネネカさんを保護している状態ですので、面倒でも報告書は必要でして」
ヴェルサスは椅子の上で飛行魔法を用いて浮かびながら、机の上でガラスペンを走らせている。
ベッドに座っているネネカからは書いている紙は見えないが、何かを書き込んでいる音は聞こえていた。
「大変だね、そういうの。お疲れ様」
「形式的なものでしか無いんで、本当に大変なだけなんですけどね。ただ、こうしないと後々掘り返してくる馬鹿も多いので」
会話しながらも、ヴェルサスはガラスペンを走らせる手を止めない。
視線も机の上から逸らすことはない。
しかし声音には、明らかな面倒が滲んでいた。
「下手に馬鹿に隙を見せて面倒を引き起こされるより、面倒をこなして隙を潰した方が楽なんですよ。だから面倒で、形式的なものでしか無くても、書類として用意するんです」
「……本当、異世界とは思えないほど現実的だね。お疲れ様です」
「異世界といえど世界の一つ。人の意志が同じであれば、似たような世界になるのは必然なのでしょうね」
ヴェルサスはガラスペンにインクを付けながら、ため息混じりにそう話す。
それはこれまで、異世界の住人であるネネカと触れ合って得た結論なのだろう。
ヴェルサスとネネカとして明確に互いに意思を以って触れ合った時間は、たった一日。されど一日。
互いの世界について多少でも理解するのは、当然の事ではあった。
「正直、異世界って少し夢見てたんだけどなあ。思ってたのと少し違う」
「私も同じですよ。最強故に生き辛いこの世界から解放されるかなとか、少し思ってたんですが」
「現実でも空想でも、そこに生きているのが人ならあんまり変わんないのかな。創作物でさえ、最終的にはアイディアが出尽くして似たり寄ったりになりそうだし」
「それが世界レベルともなれば、まあある程度の法則は違っても結果は似てもおかしくはない、か。夢の無い事です」
カリカリ、とヴェルサスは変わらずガラスペンを走らせる。
一方のネネカは、ベッドの縁で足をプラプラさせていた。
足首は動かないが、膝は動く。先ほどまでベッドの上で行っていた軽いストレッチ後の、リラックス状態だった。
「あ、夢が無いと言えばさ。食事、いつもあんなに不味いの?」
「基本的にウルグリム大陸の食事は不味いですよ。料理文化が発達していないので」
えー、とネネカは軽く嫌そうにし、ヴェルサスもそれに苦笑する気配が有る。
時間は色々違ったが、結果として朝食、昼食、夕食に該当する食事を、ネネカはヴェルサスと共に行った。
朝食は良かった。皇都にある喫茶店の料理を、ヴェルサスが持ち帰って来たものを食べた。程よい焼き加減の様々な具入りのサンドイッチと、酸味の有る果実のドリンク。シンプルなモーニング的なそれだった。ヴェルサスのお気に入りのお店らしく、それに相応しいしっかりとした美味しさがあった。
問題はこの屋敷の中で提供された昼食と夕食。
どちらもじゃぼじゃぼとした黒い炭のようなナニカでしかなく、見た目の時点でネネカは食べるのを最初は拒否したほど。
流石に食事をしないよりはマシなので食べたが、一口目にして噴き出すほどの味。ヴェルサスもそれを咎めることは無く、というかヴェルサスでさえ一口ごとに顔色が悪くなっていたほど。
とてもではないが、食事とは呼べないそれだった。
「でも、喫茶店のは美味しかったよね?」
「まああの喫茶店、私とクルーベルさんとエリーゼさん……十賢者の同僚と共に立ち上げた店なので。出来る限り美味しいものをこの大陸にも広める、その第一歩として」
「創業者だったの!?」
「ええ。現在はエリーゼさんに経営権を完全に譲っておりますが、それだけ力を入れただけあって食事は美味しく出来てるんです。……昼食と夕食のような、ウルグリム大陸の一般的な食事など比べ物にならないほどに」
皇帝も良く食べに行ってます、とヴェルサスは溜息を吐きながらガラスペンを置く。
どうやらある程度書き終わったらしい。
溜息は恐らく、皇帝が勝手に出歩くが故だろう。美味しい食事は大事とはいえ、勝手に国家元首が出歩かれると臣下としては気が気でないのは当然故に。
「とはいえ、まだまだあの喫茶店の食事のラインナップも少ないですし、その調理法を広めるのも難しいんです。米だって、お粥とかシンプルな白米として食べるくらいしか、この大陸ではまだ調理法が確立されて居ない。……どうにかして大陸全体の食事を改善したくはあるのですがね……」
「もしかして食事に限っては最悪な大陸に転移した私?」
「そうですね。ウルグリムの飯は不味い、というのが世界の常識な程度には食事が壊滅的です」
そんなもの常識にするな、とネネカは凄く声を大にして言いたかった。
「なんでそんなに食事が不味いのさ。大きな国なんだし、食事文化とか発達しなかったの?」
「それ説明するとなると、少し歴史を語る事になって面倒ですよ」
ヴェルサスは書き込んでいた紙を折りたたみ、一つの封筒へと入れる。
封筒を封蝋で閉じ、そっと机の傍に置いたヴェルサスは、身体をふわりと浮かび上がらせながら腕を伸ばす。
机の上を見ると、そこには既に封筒の姿は無かった。
よく見ると封蝋を押したスタンプには妙な幾何学的なラインが迸っており、何かしらの魔道具であることが分かる。当然のように、ガラスペンやその台座、インク瓶の一つまでもが。
であればどれかの効果で、既に封筒は宛先へと送られたのだろうと推測し、ネネカはそれ以上気にしない事にした。
「それでもいいよ。話せる限りで。どうせ、遅かれ早かれなんだし」
「まぁ、それもそうですね。報告するほどの事でもないですし、少し語りますかね」
ぽよん、とヴェルサスは自分の身体程度の大きさの水球を作り出し、その上で片足立ちをする。
水球はまるでバランスボールのように、ヴェルサスの体重に応じて形を変えていた。
「ウルグリム大陸において食文化が発達していない理由は極めて単純ですよ。ウルグリム大陸の別名はウォーランド。ほんの数年前、ウルグリム皇国がウルグリム大陸統一を果たすまで、大陸全土で戦争ばかり行われていたからです」
反乱を含めれば今もですが、とヴェルサスは表情を変えずに言ってのける。
大陸全土で戦争ばかり行われていた。だから食文化が発達していない。
一見繋がっていないように見えて……しかし案外あっさりと、ネネカも繋がりに気付く。
「……まともな食文化が生まれる余地が無かった、ってこと?」
「ええ。食事を楽しむ暇が有れば戦争のために力を蓄える。それが数年前までのウルグリム大陸の自然でしたから」
それは、ウォーランド……戦争の島などと呼ばれるのも仕方ない事だ。
三大欲求すらも戦いのために捨てるなど、正気の沙汰ではない。
「むしろ食事ってまだ残ってる方なんですよね。芸術に分類されるようなことなんか、不要の極みとされてウルグリム大陸のほとんどの国で禁止にされていたほど。例外は……別大陸と隣接していた国々と、ウルグリム皇国の前身のウグ皇国くらいです」
「あ、前身の国有ったんだ」
「ありましたよ。ウルグリム大陸統一を機に、ウルグリム皇国に変えたんです」
それ自体はおかしなことではない。国の形が変わったために名前も変える例は幾つもある。
ネネカも決して知らないわけでは無かった。
「話を戻します。そんなわけで、戦争ばかりしていたこの大陸では、明確な食文化と呼べるものが今まで存在しなかったんです。最近でようやく、そういった戦争にとっては余計なものに手を出す機会も生まれてきたほど。私たちが始めた喫茶店は、その足掛かりになればというものなんです」
「なるほど」
ネネカは納得した上で、どうしても気になったことを問う。
本当に、シンプルで単純な問いを。
「なんで、そんなに戦争してたの?今平和なら、別に戦う事が良い事って言われてたわけじゃないんだよね?」
「勿論違いますよ。どっかのマジの強者だけ求める国とは違います」
「そういう国はあるんだね……」
流石異世界、と今は納得しておくことにしたネネカだった。
「戦争してた理由も単純です。食料もしくは水の奪い合い、安全な土地の奪い合いです」
「本当に単純。けど必要だよね」
単純でシンプル。しかし決して馬鹿には出来ない理由だった。
食料も水も生きる上で必須。安全な土地も、こういった世界であれば同様。むしろ食料や水以上に必要となる。
どんな世界でも、生きる上で必要なものが無いとなれば、手に入れるしか無いし。
手に入れるのに奪わなければならないのなら、そうするしかないのだ。
「……でも、それで大陸全土で戦争?」
「全土で戦争です」
「どれだけの年月?」
「300年以上は数えられていませんね」
「長っ」
だとしても、あまりにも広く長い戦争に、普通に驚愕するネネカ。
生存競争とはいえ、それほど長く続いては本末転倒ではないか。
ネネカはそう思い、ヴェルサスもその意思を読み取り無言で肯定する。
「長きに渡る戦争の果てに、元々痩せた土地であったウルグリム大陸は全土がほぼ死に絶えた土地となり、生存競争はさらに激化。戦争続きであったが故、土地のマナ等も汚染されホロウとなって魔獣を生み出し安全な土地は消え。……そんな散々な土地が、このウルグリム大陸です」
「本末転倒極まってる……」
「今なお食文化が遅れているのも、改善しようにも土地をまず改善しなければならないからです。人が立つのに足が必要以前に立つための地面が必要なように、食文化を発達させるためにも材料を用意するための土地が必要なんです」
要するに、現在のウルグリム大陸はゼロなのだ。
何をやるにしても、まずはゼロを一にしなければならない。
ウルグリム皇国が大陸統一を果たしたために一がゼロに戻る可能性は少なくなったのだろうが……それでも、可能性が少なくなっただけであり、同時に一から先へ進めることも考えなければならない。
「……分かってた話だけどさ。戦争って、やってる時もだけど、終わった後も大変だね。勝った方も、負けた方も」
「そうですね。勝とうが負けようが、後に残ったのならその先へ歩まなければならない。人も、土地も、何もかも」
ぽよん、とヴェルサスは水のボールから大きく跳ね、ベッドにダイブする。
ベッドにダイブする寸前に飛行魔法でも使ったのか、ベッドダイブの距離と勢いに反してベッドの振動はとても軽かった。
「ま、そんなわけで今このウルグリム大陸は、ウルグリム皇国として形そのものは一つになりましたが、長きに渡る戦乱で酷く傷付いた地。それ故、食文化や芸術等も他の国々より遥かに劣っているのです。ご理解いただけましたか?」
「うん。私がとんでもなく面倒なところに落ちたんだなぁ、ってことも」
「良くお分かりで」
ベッドの上のヴェルサスが両手の指を、わにゃわにゃと動かす。
水のボールはその指の動きに応じるように、ぐにぐにと形を自由に変えていく。
「……私もさ。色々学んで一人で出来るようになったら、何かやった方が良いの?」
「まあ何かしらはやってほしいとは思いますが。ですが無理して大それたことをやる必要はありませんよ?このウルグリム大陸の事は、この地に生きる私たちでどうにかしますし」
もよもよと形を変える水のボールに、ネネカがそっと触れる。
水のボールはネネカの手にも応じて、ぐにっと形をさらに変える。
感触は本当に水そのもの、しかし弾力のある、不思議な感覚だった。
「一応、助けて貰った以上は私もこれからウルグリム大陸で暮らす人になるんだろうし。私の世界の知識とか、偏りはあるけど役立つかもよ?」
「活かしてくれたら有難くはありますがね。異世界の知識というだけで、色々有利を取れるでしょうし」
活かせる土台があるかは分かりませんが、とヴェルサスがベッドの上で転がりながら、苦笑して言う。
まあ幾ら知識があったとしても、その知識を活かすための場が無ければどうにも出来ない。
どの道まずやるべきことは変わらなそうであった。
「ただ、無理強いするつもりはありません。私や私たちの理想としては協力してくださればというのは有りますが、それはあくまで私たちの意思ですから。ネネカさんの行動の選択肢に加えてほしくはありますが、それを選ぶかどうかはネネカさん次第です」
「?ヴェルサスちゃんに凄まじい恩あるし、普通に……」
「駄目ですよ」
ヴェルサスはベッドの上でふわりと軽く浮かびながら体勢を変えて。
ネネカの正面から口へと、そっと指をあてる。
言葉を止めるように。
「恩の一つや二つで、軽率に人生を決めてはいけません。何も知らぬ若者が、嘘を吐く大人に騙され、人生を破滅させる。それはこの世界で良くあることです」
「え。でも別にヴェルサスちゃんは……」
「貴女にとっては基本的に善い人かもしれませんが、他者から見える私は悪い人かもしれません。人の在り方など、個人で見え方が違って当然ですよ」
ヴェルサスはちらりと、自分が発生させた水のボールを見る。
それだけでブクブクと歪に膨れ上がり、破裂する水のボール。
飛び散った水は、壁や床に触れると同時、跡形もなく消えていく。
水に濡れたものは何一つなかった。
「何度も言います、ネネカさん。貴女はまだ、何も知らないんです。何も知らないのに、助けてくれたというだけでほいほいと他者を信じすぎる可能性を持つ、未熟な子どもなんです」
「……ヴェルサスちゃん」
「貴女はまだ若い。私と違って余計なしがらみも、枷も無い。選択を急ぐ必要もない。であるのならば、今答えを出す必要はない。物事を知った上で。この世界で生きて経験した上で。人生の選択をするくらいが丁度いい」
ヴェルサスは、優しく微笑みを浮かべながら、しかしその眼と言葉に強い意志を込めて告げる。
ネネカはその眼に不思議と、闇だけを感じた。
何が根源なのかも分からない、深い闇を。
「私は、貴女が学んだ末に出す人生の選択に、選択肢を加える事はあれどもそれを強制させるつもりは有りません。他者の強制も許すつもりはない。……ですが。他ならぬ私自身の幸福のために、貴女を不幸には絶対させませんので」
そう言ってヴェルサスは、ネネカの視界から煙のように消える。
ふとネネカが傍を見れば、既にヴェルサスはベッドの上で枕を抱いて、静かに寝息を立てていた。
手を出せばすぐに目を覚ますだろうが、手を出さなければ目を覚ますことは無いだろう。
それほど深く、あっさりと眠りについていた。
「……何も知らない、か」
ヴェルサスは決して、ネネカの過去を知らないだろう。
ただヴェルサスは、己の信条を、譲れないものをネネカに告げただけで。
それがネネカにとっては、眩しく、疎ましい記憶を呼び起こすものだっただけで。
「…………………………」
静かに想起するは元の世界での過去の無数の記憶。
ネネカが人と密接に関わる事を拒むようになった理由の一片。
自身を強姦した教師。才能が有る癖に努力を怠って自分に負けた同級生。自分の夢を叶えるために自分を人形にした実の母親。他にも様々。
心が揺らぐことはない。
教師は社会より報いを受けた。ネネカの情報と引き換えに。
同級生は幼くして破滅した。ネネカは人食いと呼ばれるようになった。
母親はあっさり死んだ。父親と共に事故で他界した。
朽ち果て、世界すらも違えた過去。
とうに砕けた心に響かせるほどの感傷など、微塵も湧きはしない。
(……まあ、本当に感謝してるのかも分からないしね)
自分ではヴェルサスに感謝しているつもりだし、最低でも感謝の分はヴェルサスに義理を果たすつもりではいる。
しかし自分の内に在るその感情が、本当に感謝なのか。それは分からない。
真っ当に理解する前に心を砕かれた。真っ当に経験する前に異世界へ飛ばされた。
ヴェルサスの言う通り、ネネカは何も知らない子どもでしか無いのだ。
尤も、元の世界に居たとして学べたかは分からないが。
「……寝よう」
ネネカは自分の内から湧いてくる眠気に抗うことなく、ぽすっとヴェルサスの傍に身を沈める。
(……お姉ちゃんに連絡の一つくらいは入れておきたいな)
ネネカは沈む意識の中で、冷静にそう考える。
年頃の少女としてはあまりにもドライに、自分の状況を考えながら。
「……いまがゆめじゃないといいなあ」
完全に意識が眠るその寸前。
ぽつりと、無意識に出たその言葉を聞いた者は、誰も居なかった。




