10:水着を下着にすると結構蒸れる
「ヴェルサス様。ネネカ様をお連れ致しました」
「ご苦労様でしたと言いたいところですが、誰が袋に詰めて持って来いと言いましたか」
ヴェルサスの執務室。
仕事用の専用の机と椅子、その正面に休憩用兼来客用のテーブルとソファーが置かれただけの、シンプルな部屋。
執務室に存在する扉は三つ。正面の通常の出入り用の扉。ヴェルサスの私室である右隣の部屋へ繋がる扉。緊急脱出用の本棚の後ろに隠された魔道具の扉。(なお魔道具の扉は設置時点より故障中)
メイドの一人、フォルネ・アクアがネネカを連れて入って来たのは正面の入り口。それはいい。主人の部屋だというのにノックも無かったが、この際どうでもいい。
最大の問題は、フォルネがネネカを連れてきた方法。
白い、どこにあったのか大きな白い袋にネネカを丸ごと入れ、それを背負う形で連れて来たのだ。
明らかに袋の内側でネネカが軽く嫌がるように動いているのが分かる。もぞもぞと常に動いている。もしかしたら体勢が悪いのかもしれない。
明らかに人間扱いをして連れて来たとは到底思えない。連れて来たという表現ももはや正しくない。持ってきた、としか言い表せない。
そんな現状に心底の呆れの視線を向けるヴェルサスに対し、フォルネは主の視線をガン無視で自然にさっさと袋を下ろし、その口を開いてネネカを出す。
「……なんで白スク水……」
「……なんか、折衷案でこれになったって……」
「最初は全裸でした」
「どのタイミングで何処をどう折衷してんですか???」
本格的にメイドたちに常識を学ばせる必要があるのではないかと思ったヴェルサス。
大きく溜息を一つ吐いたヴェルサスは、仕事用の椅子からふわりと降りながらフォルネへ退出するよう手だけで指示を出す。
フォルネは素直に指示に従い、一つ腰を折ると空の瓶を数個ポケットから取り出して床に置いて退出していく。
「……ねえ。ツッコミ入れた方が良い奴?これ」
「頭痛くなる一方なんで勘弁してください」
もはや溜息を吐くことすら面倒になったヴェルサスは、ふわりと浮いたまま隣の自室へ繋がる扉を開く。
ネネカは近くに置かれている空の小瓶を手に取り眺める。触れても特に何もない、ただの空瓶だ。元は何が入っていたのか、何も入っていなかったのかも分からない。当然のように瓶だけで、蓋もない。
本当に何故あのメイドの少女はこれを置いていったのか。ネネカは困惑するばかりだが……昨日今日と信じられない事ばかり起きていたので、驚くのも困惑するのも疲れてきてもはや何とも思わなくなってきた自身に気付き、それが一番複雑に思えた。
「い、よいしょ、っと。身体が小さいとこういう時も不便ですね。適当にフリーサイズな部屋着を幾つか持ってきました。そのままでは流石にどうかとは思うので、こちらに着替えてください。下着は……サイズの合うものが無いので我慢するか、そのスク水をそのまま下着として使うかですが」
「……無いよりはマシだし、スク水をそのまま下着にするよ。というかスク水って通じるんだね、異世界でも」
「こんな単語が通じることなんて知りたくなかったんですけど」
まあ異世界同士の会話で用いる単語かと言われれば、普通は用いない単語ではあるだろう。そもそもそれ自体を用いることが無いのだから。
「ところでヴェルサスちゃんはなんでシースルーネグリジェ?しかも下履かずに。完全に私以上に痴女だけど」
「着替えの用意を忘れてて、とりあえず常備してあるネグリジェだけ着たんです。で、そのまま部屋に来て、自分の家で服着るの面倒だなって思って」
「さては結構ズボラだね???」
お着換え中……
ヴェルサスの持ってきた適当な部屋着を幾つかスク水の上から来たネネカは、ヴェルサスに促されるまま来客用のソファーへと座る。
ヴェルサスも対面のソファーへと座り、文字通りに一息つく。
なおヴェルサスはぶかぶかのTシャツを一枚ネグリジェの上から着ている。相変わらず下着は無いが、Tシャツの裾がヴェルサスの身長では膝まで届くほどにぶかぶかのため、大した問題とはなっていない。
「異世界でもジャージって過ごしやすいね……Tシャツも」
「どんどん本当に異世界か分からなくなってきたんですけど。ジャージの単語まで一緒ですか」
「私も不安になってきたけど、でも確実に魔法とかは空想のものだったから」
「魔法の無い世界ですか。……想像も出来ませんね。私たちの世界では、魔法はあって当然のものですから」
「そういうところは異世界だなあって思ったよ」
殆どが馴染みあり、しかし部分的に全く以って信じられない互いの世界。
双方の世界の様々な在り方に興味を持ちながら、まずは眼前の問題はどうにかするためそういった興味を置いておくことにした。
ヴェルサスはふわりと浮かび上がり、保温の効果を持つ魔道具のトレイの上に置かれた器を、そっとネネカへと差し出す。
「こちら、一応温かく身体に負担をかけない食事を用意させました。お口に合うかは分かりませんが、よろしければどうぞ」
「まさかのお粥。ありがとうだけど、よくお米あったね?」
「文化圏が似ている場所のものであればよいかなと思い作らせました。米は、ウルグリム皇国では一般的ではないですが、食べる人は食べるので栽培はされてるんです。皇帝も好きですしね、お米」
成程、と頷きながら一つ手を合わせたのちお粥をそっと食べ始めるネネカ。
他ならぬ国の絶対君主が好んでいるとなれば、好むものを生産するのはおかしな話では無いだろう。
「美味しい……落ち着く……」
「本当は疲れをとるためにも梅干し等も入れたかったのですが、丁度バーベキューで焼いて切らしていたようで」
「あのゴメン、梅干しをバーベキューするの初めて聞いたんだけど」
「私もです。どうなってんですかね」
互いに遠い目でどこかを見るヴェルサスとネネカ。
その思考は互いに、メイドたちへの困惑で埋め尽くされている事だろう。
「さて。食べながらでいいので、とりあえず行ったことについて言わせていただきます」
ヴェルサスは真面目な表情となり、正面からネネカを見据える。
ネネカはお粥を口にそっと含みながら、言葉を聞き逃さぬよう集中する。
「ネネカさんが来るまでに、魔道具で皇帝に連絡を入れておきました。返事等はまだですが。また皇帝経由で最低限の理者にも伝えるようにも。信頼できる者にのみ伝えるよう念入りに指定しておきました。余程都合が悪くならない限り、悪く扱われることは無いでしょう」
「何から何まで本当にありがとう……」
「いえ。むしろこちらの世界の人間、それもこの国を支える存在の一人としては、転移直後に貴女が受けた被害に申し訳ない気持ちでいっぱいですから」
ビクッ、とネネカがお粥を口に含みながら僅かに身体を震わせる。
身体の傷は癒えるとヴェルサスは知っている。他ならぬヴェルサス自身、何度も様々な形で身体に傷を負い、それを癒してきたのだから。
だが心の傷まではそうはいかないと、ヴェルサスは知っている。
他ならぬヴェルサス自身、何度も様々な形で心に小さくない傷を負い、今なおそれが癒えることが無いのだから。
「……事前承諾、いえ事後承諾ですかね?まあともかく。貴女の今回の被害に関する後始末についても、先に送っておきました。食事を終えた後、処置をさせていただきます」
「?処置?」
「避妊処置です。嫌でしょう?強姦の結果として子を産むなど」
ネネカはお粥を食べる手を一瞬止め、軽く俯いたのちコクリと頷く。
ヴェルサスは静かに思う。彼女を助けたのが自分で良かった、と。
でなければ、聞かされた際の不快感のまま、なにかに当たり散らしていたであろう。
「でも、処置って何をするの?手術?」
「しませんよそんなの。いえあなたの世界ではしたのかもしれませんが、こちらの世界での避妊処置は異なります。最終手段で手術も有りますが、私ならもっと確実に出来ます」
「あ、他にあるんだ。私の世界だと……アフターピルとかあったっけ」
ネネカの言った単語の意味は、ヴェルサスは分からなかったが。
話の流れから、避妊用の手術の名前かなにかだろうと判断し、特に気にすることなく話を続ける。
「異世界の人類にこちらの避妊処置が通じるかは流石に分かりませんが、見たところ種族的にはこちらの世界のヒューマンと同一の模様。完全に同じではないでしょうが、凡そが同じであれば余程の事が無ければ問題は無いと思われます」
「異世界転移ってその余程の事に該当しそうな気がするんだけど」
「そこは否定できません。とはいえ万が一通じなかったとしても、身体構造が余程わけ分からない異形でなければ私はどうにか出来ます。一応、国一番の産婦人科でもありますし」
「ヴェルサスちゃん多才すぎない???」
多才、と言われてヴェルサスは少し困ったように苦笑いを浮かべる。
ヴェルサスは多才と言われることは多いし、そう言われるに足る様々な能力を持っているのは事実。
しかしヴェルサスは、自身が多才と言われる技術のほとんどは、それしか出来なかったが故に得たもの、生きるために必要であったから得たもの、種族として元から備わっているもののいずれかである場合がほとんど。
即ちヴェルサスにとっては、有って当然の技能でしかない。
常人がただ普通に腕を動かすだけで称賛されても困ってしまうのと同じ。ヴェルサスにとってはこの程度、称賛されるものでもなんでもなく当然のもの。称賛されても返しようがないのだ。
ただネネカは、純粋にそう思って言っているだけというのも理解出来ている。まだ彼女はこちらに来て、ヴェルサスの事すらまともに知らないのだから。
まあそれ故に尚更困ってしまっているのだが。
「……まあそれは……さておきとして。強姦行為の後始末については、あなたの心情以外はどうにでもなるとだけご理解を。精神についても私やこの家の者が、幾らでもいつまでも寄り添いますので」
「ヴェルサスちゃんはともかく、この家のメイドさんに寄り添われても不安があるんだけど」
「一応あの子たちも悪い人ではないので。少し抜けてますけど」
ネネカは今まで見て来たメイドたちの奇行を思い出し、抜けているのは少しかと首を傾げる。
ヴェルサスはそれを無理矢理無視し、話を続ける。
「次に……そうですね。貴女が、元の世界に帰れるかどうか、という話です」
「多分無理じゃない?」
「随分と軽いですね……そういうものなのかな。まあお察しの通り、少なくとも私は世界を渡る技術を知り得ません。ので、現時点では無理、不可能だろうと言わせていただきます」
存外にあっさりと、帰れない事を受け入れたネネカを意外に思いつつ、淡々と事実を述べる。
非情でもなんでも、それが現実であるが故に。
下手に希望を持たせ、後に積み重なった絶望を受けるよりも、今ここで嫌でも受け入れてもらった方が良いとヴェルサスが判断したが故だったが……ネネカの反応に、その備えは憂いと帰した。
「察していたので?」
「んー……薄々と。相当凄い立場に居るんだろうなってヴェルサスちゃんが今まで異世界の住人を知らない感じだったから、多分前例とかは無いんだろうなって。だから帰る方法にも、心当たりは無いだろうな、って」
「成程」
ヴェルサスの問いにネネカは、お粥をそっと蓮華ですくいながら、どこか達観したように答える。
「……帰りたいとは思いますか?」
「そりゃ思うよ。家族もいるし、友達もいる。読みたい漫画だってあるし、やりたいゲームだってあるから」
「だのに帰れないと知って、しかし絶望はしないんですね。前例が有るわけではないですが、こういう事態では帰れない事に大抵の方は絶望しそうなものですが」
「初めてこっちに飛ばされて一夜中強姦された時に、もう絶望はしてるから」
あー、とヴェルサスは心の中で賊に対する殺意を再び湧きあがらせ、しかし当の賊は既に滅ぼしていたことを思い出し、行き場のない怒りが渦巻きそうになり。
「……今は、その絶望も含めて何もかも受け止めないと。でないと、私は先に進めない」
続いた言葉に、渦巻く怒りをネネカに対する好意へと変換する。
ヴェルサスは理解する。ネネカは決して、馬鹿ではない、と。
一を聞いて十を知るような天才ではないだろう。馬鹿ではないだけで、頭が良いとは現時点で思えない。
しかし眼前の現実は受け入れる柔軟さがある。
遥か遠方の言葉にこういったものがあるという。
『真実を受け入れよ。それが如何に否定したいものであろうとも』
どれほど自分の中での常識でありえないと認識していても、結果として発生している現実が全てにおける真実だという、誰かがどこかで言った格言らしい。
彼女は。ネネカがその言葉を知っているかは分からない。
しかし確実にその言葉の通りに。どれだけ有り得ないと思っていても、どれだけ目を逸らしたいことが有っても、己に起きた様々な出来事から決して目を逸らさず、少しずつだが現実を受け入れようとしている。
ヴェルサスはその在り方を、好ましいと思った。
(……私の存在を事あるごとに否定する愚か者よりか、万倍好ましい事です)
ヴェルサスは世界最強と謳われる存在。ヴェルサス自身もその自負はある。
だが世に生きる人は時として、自身の理解を超える存在は認識することすら拒絶する。
他ならぬヴェルサスも、そうして強すぎるが故の謂れのない迫害と拒絶を受けて来た。
故にこそ。ヴェルサスは現実から目を背ける者を忌避し、真っ向から現実を直視する者を歓迎する。
その点において、ネネカはヴェルサスのお眼鏡には適う存在だった。
少なくとも、立場関係無く個人的に彼女を助ける程度、苦に思わないだろうと自分で理解できるほどには。
それほどまでにヴェルサスは、存在を否定されることが多かった。
少なくとも、このウルグリム皇国でさえも、積み上げた信頼のある皇都以外では素性を隠さねばならぬほどには。
「……こちらでも、あなたがどうにか戻れるよう調べてみましょう。戻れるに越したことは無いのですから」
「ん。ありがと」
「いえ。それに貴女という前例が出来た以上、他にも異世界より現れた人物が居てもおかしくないですし。そのついでに調べられます」
「あー、そっか。眩しかったもんなー」
ネネカはお粥を食べ終わり、ごちそうさま、と手を合わせて祈るように言う。
聞きなれぬ単語、しかし何かしらの礼儀のような何かなのだろうとヴェルサスはスルーし、しかしスルー出来ぬ言葉の意味を問う。
「眩しかった、とは?」
「ん?あ、言ってなかったっけそういえば。私がこの世界に飛ばされる直前、空がいきなり凄い眩しくなったんだ。それで眩しくて目を閉じて、気が付いたらこの世界に居たの」
「……空が……?」
異世界の事象ゆえ、その現象に心当たりなぞあるわけもない。
この世界の事象に当てはめても同様。太陽を見れば眩しいのは当然だが、それとは異なる空の発光など自然に発生するものではない。
「……なにか、戦争でも行われて居たので?」
「全然?平和そのものとは言わないけど、戦争とかはしてなかったよ」
「……唐突に空が光って、気が付けば、ですか……」
光を放つ魔法は幾つかある。結果的に光を放つ魔法も。細かいものまで数えれば相当数ある。
光を放つ魔道具や錬金術の道具もある。閃光で眼を晦ませるものや、莫大な炎を放つものなど。
だが光を放った上で時空を超越させる技術などヴェルサスは聞いたことも無い。時空を超越する技術で光を放つという事例も同様に。
次元干渉技術は、言葉だけ聞けば壮大に見えるし行っている事は凄まじいと誰もが評するが、それを行使している光景は例外なく案外あっさりしている。
例えば十賢者の一人でもある【空間執政】。彼女の用いる空間移動技術は、異なる空間を繋ぐ穴を自身の付近に開けるというもの。大規模に行うことも出来るが、基本的に用いるのはこの形式だ。
行っている事は空間跳躍。故に凄まじい。
しかし絵面そのものは、単に何も無い場所に穴が開き、穴の先には別の場所が見える。ただそれだけだ。
光を放つほどの壮大な次元干渉など、今この世界では一切確認されていない。
そもそも次元干渉は、時間に対しても空間に対しても極めて限定的なもの。世界を跨ぐほどの次元干渉など理論上ですら上がっていない。
「……こちらで何かあった結果次元干渉が発生し、その余波で莫大な光が……?しかし世界を跨ぐほどの次元干渉を何者かが引き起こしたとなれば、その準備段階で皇都に普段から居る私が気付けないはず無いんですが……」
「なんか事故かなんかじゃない?」
「かるぅい。ですが現状、なんらかの事故以外の理由が考えられないのも事実ですし……」
時として皇都の全権を預かる場合もあるヴェルサスとしては、あまり楽観視できるものでは無いのだが。
しかし情報不足の否めない現状。今は事故とでも考えるしか無いのも、また事実だった。
「……まあ今後何が起きてもいいよう、ある程度の調査チームくらいは作っておきますか」
「異世界が思ってたより現実的だなあ」
「現実ですので」
異世界転移などは空想の産物としては良くあるものではあるが、こうして現実に起きればそれはただの現実として受け入れ諸々考えなければならない。
ヴェルサスもそういったものに浪漫を感じないわけでは無いのだが、眼前の現実を優先しているのが現状である。
「……ああそうだ。監視する、というわけでもないのですが。当面の間、私かこの家のメイドの付き添い無しでの下手な活動は控えるようお願いします」
「?いいけど、なんで?」
「下手に異世界の技術を齎した結果、皇都が混沌としては困りますので。まだ相手が善いか悪いかも分からないでしょう?」
「……仕方ないんだけど、本当に現実的過ぎて夢が無いなぁ……ごちそうさまでした」
ネネカがおかゆを食べ終わり、そっと器を置いて手を合わせる。
聞きなれぬ言葉と所作であったが、彼女の世界でのなんらかの作法だろうと判断しヴェルサスは特に何も聞かず、完食されたお粥の器をそっと横に退ける。
「でもさ。活動も何も、私もう足が……」
「ああ、足の事でしたらご心配なく。治す手立ては存在します」
あるんだ、と軽く感心した様子のネネカ。
今も足首から先はピクリとも動かしていない自身の足が治る可能性がある事に、純粋に驚いているようだ。
「やっぱりあれ?ポーションとかエリクサーとか使うの?」
「ポーションはともかくエリクサーなんてそんなポンポンあってたまりますか。そちらの世界では一般的なのかもしれませんが」
「どっちも一般的どころか存在しなかったよ。普通に塗り薬とか服用薬が何十種類とあった」
「そっちの方が信じらんないんですけど。病気用のポーションとか無かったんですか?」
「無かったね。そもそも病気の症状ごとに薬が違った。ある程度色んな病気に対応してる薬はあったけど、それも完全じゃないし」
「うっわ想像できない」
この世界における一般的な医薬品は、負傷用ポーションと病気用ポーションの二系統のみ。
どんな負傷にも負傷用ポーションを用いるのが一般的であるし、同様にどんな病気にも病気用ポーションを用いるのが一般的だ。
勿論それを塗り込んだり服用したりするだけでは治りきらぬ負傷や症状もあるため、手術などで適切な場所に適切な量のポーションを用いる場合もあるが……どんな治療であれ、ネネカの世界のように薬品が何十種類と存在するものではない。
まあ例外的な薬品扱いされているものも無くは無いため、そういったものを数えればほどほどな数はいくだろうが……それでもそこまでの数があるわけではない。
「その足、負傷してすぐであれば中級……いえ、低品質上級ポーション程度で済んだのでしょうが、そうも半端に治っている状態では下手にポーションを用いても効果は薄いです。ので、治療するとなれば最上級ポーションかエリクサーを用いる必要があります」
「うわ絶対高級な奴」
「実際高級です。それ故、私でもあまり手に入るものではないです。絶対数が少なすぎるので」
ヴェルサス的には、別に手に入れられないわけではない。立場的にも能力的にも、やりようは幾らでもあるが故に。
しかしあまり好ましい手段は少ない上手間がかかり、真っ当に手に入れるとしても結局手間と後々にとっての面倒は付いて回る。
それ故総合的に考えた場合、手に入ると断言はできないのだ。
「ですので、私のコネを使ってどうにかします」
「コネて。どうにかなるの?」
「ええ。と言っても、とても真っ当なそれでは無いのですが。個人の才能十割の超外法です」
「なに、ブラックジャック的な人でも呼ぶの???」
ブラックジャックがなにかはヴェルサスには全く分からないが、ニュアンス的に医者かなにかだろうと判断し深くは聞かない。
「単に極めて優れた光属性魔法の使い手というだけですよ。十賢者の一人です」
「成程理解」
「理解が早いですね」
「十賢者に関しては色々真面目に考えるだけ無駄そうだなー、って思っただけ」
「それ私含めてませんよね???」
実際十賢者は真面目に考えるだけ無駄な規格外ばかり集まっているため、そういう意味も含めて理解が早いと言えなくも無いが。
奇人変人ぞろいの理者の中では相当常識的なヴェルサスとしては、あれらのせいで自分までそういう扱いをされるのは些か不服であった。
とはいえそのヴェルサスが、単純な戦闘能力においては一番真面目に考えるだけ無駄な存在なのだが。
「とはいえ彼女、普段は皇都に居ませんし場合によっては普通に国外に居るので、どの手段であれ多少は治療が遅れるでしょう。それまでは申し訳ありませんが、その足のままで」
「うん、別にいいよ。治る可能性があるってだけで嬉しい」
ネネカはちらりと、自身の足を見ながら言う。
その表情は、言葉とは裏腹にどこか複雑そうだった。
「……なにか、運動で挫折した経験でも?」
「……分かるの?」
「戦場で相手を最低限でも観察出来ていないと、命に関わりますから。私の場合、その戦場と認識せざるを得ない場が多すぎるので、その癖で」
「成程。流石最強」
ネネカは何処か諦めたように肩を竦める。
ヴェルサス自身、コレに関しては本当に癖であり自分でも抑制できないものとなっている。
最強故に存在を拒まれ、狙われることは非常に多い。
皇都では流石に警備がしっかりしている上、他の理者のやらかしが頻発する故その余裕も無いため、あまり狙われることは無いが。
他の都市では、自国の領主にすら存在を認められず暗殺者を差し向けられることが日常茶飯事。
それ故に、刺客が誰と成ろうとも即座にその存在を少しでも正確に把握できるよう、常にあらゆる存在へと観察眼を向けている。
ヴェルサスにとっての戦場とは、単に戦の最前線というだけではない。自らの命を狙う資格が現れ得る地全てが戦場なのだ。
「んー……まあ、なんてことはないよ。運動で頑張ってたら友達だと思ってた子から疎まれて、怪我させられて。何処にでもある、そういう話」
「成程。何処にでもある話ですね」
「うん」
ヴェルサスはネネカの経歴を肯定する。
度合いは違えども、同じであったが故に。
同時にヴェルサスは理解する。
ネネカに自然と抱いていた、親近感を。
「……人から疎まれるというのは、どの世界でも同じですか」
「……同じなんだろうね」
はぁ、と溜息を吐きながら呟いたヴェルサスの言葉に、ネネカも何かを察したような表情で同意する。
生きてきた世界は違えども通じるものは多く、それがまた一つ増えた。そういう話だ。
その中身が、あまり気分の良いそれでは無かったというだけで。
「そういうものが無い世界もあればと望むものですが」
「それはそれで怖くない?それってみんな平等な世界でしょ?幸福も不幸も無い世界って」
「確かに。不平等も平等も面倒なところがあるのは変わらず、ならば不完全な不平等の方が面白い」
その結果の不幸を押し付けられる側としてはたまったものではないが、と。
二人は言葉にすることなく、一つの見解を共有する。
不平等を望んで実現しているのは、どの世界でもその世界に生きる意志を持つ存在たちだ。
集合意識とも言えるそれが選んだものを変える権利は、世界最強たるヴェルサスも、異世界の人類たるネネカも、その一端しか持たない。
故にこそ。二人は何処か諦めたように、自分たちへ向けられる不平等故の不幸を、多少なりとも前向きに考えることしか出来ない。
(……どこかの阿呆が存命であれば、ある種の平等も実現可能だったのでしょうが)
ヴェルサスは一瞬、かつて自分が殺した十賢者の一人を思い出すが。
同時に忘れ去った存在に意識を割いても意味は無いと、即座に思考から追い出す。
十賢者も十剣聖も能力主義。故に問題児を抱えやすい。
その問題児の一人であり、このウルグリム皇国どころか世界すらも歪め滅ぼしかねないほどの野望を抱いた愚か者が居た。それをヴェルサスは報いのように、ありとあらゆる手段を用いて絶対的な絶望を与えて殺した。それだけの話であったから。
「ま、本当に私はそれだけの話。異世界に来ちゃった以上、もう因縁も何もかも元の世界に置き去りだから、気にしないで行こうと思ってるよ」
「強いですね。……些か振り切りすぎな気がしないでもないですが」
「あんまり周囲に馴染めてなかったからかな。実際異世界に飛ばされたって分かった時、寂しいとかそういうの以上にスッキリした気持ちのが強かったし」
「周囲に馴染めないというのはこちらでも良く聞く話ですが、だからといって異世界に行ってスッキリする人は流石に居ないと思うんですが」
「そもそも異世界に飛ばされないからね」
それはそうですが、とヴェルサスは若干の呆れ混じりの溜息を吐く。
ネネカの境遇は大体理解した。こちらの世界でも、良くあるとは言いたくないが聞かないわけではない話だ。
そこに異世界転移というイレギュラー中のイレギュラーが混ざった上に、転移先が世界有数の危険地帯、その周辺の賊に捕まる、それを助けたのが世界最強のヴェルサスと面倒とイレギュラーが混ざりに混ざって特異点と化した結果、非常にややこしくなっているだけで。
「……冷静に現状を客観視すると、互いに凄まじい状況に陥っている気がしますね」
「私からすれば異世界転移から先の事は全部凄まじすぎて諦めてるよ」
確かに、一番頭のおかしい状況に陥っているのはネネカだが。
それを偶然保護し、異世界の存在だと容易く推測できてしまうほど頭がよく、国の上層部を含めたあらゆる方向に顔が利くが故に、色々とおかしい状況に陥っているネネカを抱え込む羽目になりつつあるヴェルサスも、中々におかしな状況ではある。
全ては異世界転移という究極のおかしい状況故だが……原因も何も分からない以上、互いの現状を受け入れ続けるしかないので、どうしようもない。
「さて、話が逸れ過ぎましたね。とはいえ何を話していたんだったか……と、そうでした。避妊処理を行いますか」
「え。いやまあ、話が逸れてたのは認めるけど……そんなに簡単に出来るの?」
「私であれば。そちらの世界ではどういった技術があったのかは知りませんが、こちらの世界では私以上に容易く、確実な避妊処理を行える存在は居ませんよ」
つくづくおかしい人に拾われた気がする、とネネカは呟く。
いろんな面で否定できないと思ったヴェルサスは、思考を逸らすように立ち上がり、浮かびながら部屋の棚の一つを開く。
「ええと、程よい針は何処に入れましたっけ。医務室には確実に在るでしょうが……」
「……なんか、針でぶっ刺そうとしてる?」
「針で刺すのは否定しないですが、そんな物騒なことじゃないですから」
若干の呆れを含ませながら程よい針を探すヴェルサス。
しかし棚に適度な大きさの針は無く、少し困った表情を浮かべる。
「……いいや、剣で」
「針の代用が剣なの???」
壁に装飾用にかけてある幾つかの剣の内、一本を雑に何の躊躇もなく鞘から引き抜くヴェルサス。
針の代用としてはあまりにも物騒なそれだが、最早面倒の方が勝ってしまったらしい。
「も、いいや。なんか考えるだけ……それで、どうするの?まさかそれで私をぐさーっとやって、あとで魔法かなにかで治すとか?」
「バイオレンス過ぎるでしょうその避妊処理。そちらの世界ではそれが普通の避妊処理なんです?」
「そんなわけないでしょ。……創作物では割と普通に結構あったけど」
「怖いんですけどあなたの世界」
こちらでも創作物でバイオレンスな表現を用いているものはある。
しかし国によってはそういった過激な表現、凄惨な表現が用いられた創作物は規制されることも多い。主に年齢によって取り締まられている事が殆どだ。
ウルグリム皇国は極端に全面禁止として居るわけでは無いが、そういった創作物の制作、閲覧にはある程度の制限は設けられており、その制限に対してはかなり厳しく取り締まられている。
まだ若いヴェルサス。実績がどうであれ年齢がまだ制限下である以上、そういった創作物が存在することは知っていても閲覧することは叶わないのだ。
それ故、自分よりも見た目はともかく年齢は低いネネカも、そういったものは見ていないと思っていたのだが……異世界ゆえの細部の違いは、こういったところにも存在するようだ。
ちなみに創作物には制限が掛けられているが、ヴェルサスは淫魔故のそういった行いへの知識等はしっかりあるし、凄惨な光景に対しても普通に戦場に出る関係で見慣れたものではあるので、単に年齢で閲覧に制限がかかっているだけではある。
「まあそんな与太話は置いといて。私の血を飲んでいただきます」
「私吸血鬼じゃないんですけど」
「誰が魔獣に飲ませるんですか。避妊処理ですよ」
ネネカはキョトンとして、今まさに手を軽く刃で切ろうとしているヴェルサスに尋ねる。
「どうして血を飲むのが避妊になるの?」
「ああ、やはりこういった処理は違うんですね。淫魔の体液には、様々なそういった事に対する効能があるんです。その中に妊娠予防効果がありまして、この世界ではそれを避妊薬として用いるのが一般的なんです」
「へー、淫魔の。……え?」
ヴェルサスが説明しながら刃に手を触れさせ、ほどほどな血を流させる。
適当にそこら辺の常備してあるグラスに流した血を入れ、少し多かったと思いながら静かに治癒魔法を発動し手の傷を消す。
剣に付いた血も拭おうと適当な布を探し……硬直しているネネカが目に入る。
「……どうされました?」
「……ヴェルサスちゃん、淫魔なの?」
「そうですけど」
こういったやり取りをするのは初めてだと思いながら、適当な手拭き布で刃の血を拭い、剣を元の鞘へと収める。
ヴェルサスはその実力も含めた名声故に、最上級淫魔と知られている事が殆どだ。
そもそも現世界で唯一の最上級淫魔。知らない方がおかしいとまで言われる存在。
故に種族を問われることは初めてだと、少し感慨深く思いながらヴェルサスはソファーへと座り直し。
「……た、食べないで?」
「どういう意味かとかは敢えて聞きませんが、食べませんよ」
色々混乱した様子のネネカに若干呆れ混じりの返答を返す。
「今は」
「食べられるッ!?」
が、正直に全部言った結果、余計な一言も加えてしまい、ネネカを無駄に怯えさせてしまった。
成程これが性格悪いと言われる理由の一つか、と静かに学んだヴェルサスは、とりあえず落ち着かせようと会話を続ける。
「大丈夫ですよ。そちらの世界の淫魔がどういった生態をしているのかは知りませんが、少なくとも私は相手が拒むのならそれでおしまいですから」
「そ、そう、なの?」
「ええ。私でなくとも、ほとんどの淫魔はそういった存在ですよ」
そっと、ヴェルサスは自分の血が入ったグラスを差し出しながら、先ほど焼き払った森の方角を窓から見る。
「……強姦など、この世から言葉すらも失せてしまえば良いと、思う程度には」
「……そっか」
ヴェルサスの表情にネネカが何を感じ取ったのか、ヴェルサスには分からない。
しかし、ヴェルサスの言葉を信じようと思えるほどのナニカを感じ取ったのは確実だ。
何しろヴェルサス自身、この手のことに関する激情を完全に抑制する術を、知らないのだから。
そしてそれに狂う己すらも、正確な姿を知らないのだから。
ヴェルサスは一つ息を吐いて、自身の血の入ったグラスをネネカに差し出す。
「……さ、どうぞ。流石に味までは保証できませんが、効果は保証します。あ、出来れば全部飲むように。効果をばらけさせたので」
「ありがとう。……効果をばらけさせた?避妊効果だけじゃないの?っていうかそんなに色々出来るの?」
「私は体液に載せる効果を、一つずつでは有りますし当然淫魔の体液がもつ性質に限りますが、自由に選べますので。今このグラスに入っている私の血には、避妊、疲労回復、体力回復、肌の潤い補充、潤い保護、喉のケア、性欲増進……まあ様々な効果を入れておきました」
「うん、凄まじくこの上なくありがたいんだけど、なんか途中から有難いけど方向性違うの入ってきてなかった?」
「気のせいです」
ヴェルサスはバッサリと言いきるが、ネネカはじとーっとした目を向け、気のせいという言葉にまるで信用が無い。
ヴェルサス自身あまりこういった形で自身の体液に意識して効果を載せる経験は無くは無いものの稀であるため、久々にやって一瞬楽しかった結果、余計な効果も幾つか入り込んでしまい。
結果。そこらの淫魔が一人一つ持つ体液の効果をほぼフルセットした、なんか良く分からん薬(血)が出来上がったのであった。
人体に明確な悪影響はないと思う、とヴェルサスは涼しい顔の裏で冷や汗を流しながらそう自分に言い聞かせ、必死に表情を崩さないよう努める。
「まあ最悪、変な効果があってもムラムラする程度ですし。ささ、ぐいっと」
「そのムラムラが一番嫌なんだけど。この異世界頭ピンクしかいないの?……あと血って、そんなぐいっと飲むものじゃないと思うけど」
「ヒューマンの中には吸血鬼もドン引きするレベルで血を好んでいる方々もいらっしゃいますよ?」
「もうそれ吸血鬼じゃない???」
今度はその人物たちに呆れを吐き出しながら、ネネカはそっと血の入ったグラスを手に取り……一瞬の躊躇の末、グイっと一気に血を飲み干す。
「あま……」
「初めて言われた」
自分の血を飲んでもらう経験は少ないが、無くはないヴェルサス。
しかしその少ない経験の中で、血を飲んで甘いと言われたことは一度も無かった。
効果を付けくわえる過程で、味が変化する要素でも入ったのかもしれないと、適当に考えて次に話すことを考え……
「そして身体がぽかぽかしてきた」
「待って絶対なんか違う反応してる」
言葉通りに、本当に身体の芯から温まっている様子のネネカ。
しかしヴェルサスは本当にそんな効果は絶対入れていない。というか淫魔の体液にそんな効果は存在しない。
異世界の住人だからか。どう考えても異なる反応が即効で発生している事に、話そうと考えていたことを丸ごと横に置いてふわりとネネカの傍に寄る。
「大丈夫です?……って、一瞬で凄い熱ですけど」
「ほえ?これ、この血の効果じゃないの……?」
「淫魔の体液にそんな効果ねーです。強いて言えば欲情させたり感度を高めたりで体温は上がるやもしれませんが、そうなっている気配もありませんし」
「はえー……あ、なんだか眠くなってきた」
「ちょい、待って堪えてお願いですから」
淫魔の体液に睡眠作用など存在しない。
確実に異世界の住人故の何かしらの反応が発生していると判断し、ヴェルサスは今にも眠りそうなネネカを担いで、ふわりと隣の自室へと運ぶ。
ヴェルサスの自室は、他の部屋に比べて極めて殺風景だ。真っ白な壁、真っ白な床、真っ白な天上、真っ白な最低限の家具。
そんな白い部屋の隅に存在する、真っ白なベッドにそっと、ネネカを寝かせる。
「確実にこんな効果を齎すことは出来ません、というか淫魔の体液を飲んだだけでこのような症状が出る例も聞いたことが無いですが……こうなっている以上は何かしら反応しているのでしょうね……」
「ふわ……ぁふ」
ヴェルサスは今にも眠りに落ちそうなネネカの頬をツンツンしながら、ブツブツと思索にふける。
(……疲労の蓄積や寝不足もあるのでしょう。恐らくほとんど眠れていないハズですし)
ヴェルサスはネネカが捕まっていた牢の様子を思い出す。
パッと思い出すだけでも酷い臭いと石畳。ネネカには手枷足枷もあった。
いつ敵に襲われるかも分かったものじゃない、荒れ果てた戦場のど真ん中で休まざるを得ない無理行軍を何度も経験しているヴェルサスには、まあ問題の無い環境ではあった。
しかしそれはあくまで様々な面で例外のヴェルサスだから問題が無いというだけ。
そんな経験など無いであろうネネカに同じレベルを強要するのは、あまりにも酷というものだ。
(ですがそれを差し引いても、状態変化があまりに急すぎる……)
異世界の人類故のなにかしらかとヴェルサスは考えたが、可能性は低いとも考える。
理由はネネカの足。腱を切られ、低品質ポーションで雑な治療をされた、動かぬ足。
負傷用ポーションも病気用ポーションも例外なく、魔獣などの効果が無い相手に行使した場合は、一切の効力を発揮しない。
ポーションは治療の魔法を特殊な薬液に溶け込ませたもの。高品質のポーションが少ない理由は単に、高位の治療魔法を行使できる者が少ないだけ。
治癒の魔法が特殊な性質を帯びているが故出来る芸当。ポーションはその実、誰でも一度限りの治癒魔法を用いるためのもの。
それ故、治癒の魔法効果が利かない場合は、ポーションも同様に一切の効果が発揮されない。
しかしネネカの足は、粗雑では有れども傷そのものは塞がっている。
淫魔の体液に含まれる様々な効力も、理屈と効果の対象そのものはポーションと同じ。淫魔の体液という名の薬液に、各々持つ効力を付与している。ポーションが効果無いのなら淫魔の体液も効果が無く、淫魔の体液が効果無いのならポーションも絶対に効力を発揮しない。どちらかだけ効果を得られないということは、少なくとも前例を一切確認していない。
これまでのネネカも思い出し、肉体構造に特筆するほどの違いは無いだろうとヴェルサスは考え、異世界の人類故という考えを候補の端に追いやる。
(となれば残る候補は、私が無意識に余計な効果を加えたか、なんらかの睡眠作用を齎すナニカ……)
既に瞼を重くしているネネカをぷにぷにしながら、ヴェルサスは思案し。
「……あいつら本当にしばくか」
即行き着いた結論に、本気で頭を痛めるヴェルサス。
原因。ほぼ確実に、おかゆに仕込まれていたのであろう睡眠薬。
置いていったあの透明な小瓶は、そういうことだ。
ヴェルサスは心底からのため息を一つ吐いて、今までとはうって変わって眠りに誘うように撫でる。
「……どの道、一度休んだ方が良いのも事実。疲れも溜まっていることでしょう。今はお休みなさい」
「う……」
「話の続きは起きた時に。どうあれ、今は時間も必要ですから。だから今はゆっくりお休みを。休める時に休んでおくのは大事ですよ」
眠りを加速させるように、優しい声音で、そっと語り掛ける。
静かに、その瞳から催眠も齎して。
「……んぅ」
睡魔に抵抗していたネネカは、あっという間にその睡魔に身を委ね意識を沈めていく。
淫魔の瞳が持つ催眠能力。主な使用法はまあそういう行為の際にだが、一応こういう使い方も出来る。
最上級淫魔たるヴェルサスの催眠の魔眼でさえ、さほど強力とは言えないソレ。しかしそれすらも使いこなすのが最強と謳われるヴェルサスだ。
「しかし睡眠薬ですか。私も気を抜いていたとはいえ、まさか客人の食事にまで入れるとは……」
ヴェルサスは眠ったネネカの黒髪をそっと撫でながら、呆れを込めて呟く。
睡眠薬に限らず、毒薬もこの家においては食事に仕込まれることは日常茶飯事だ。
理由は単純。最強故に、暗殺の機会が酷く多いため。
家内のメイドたちはそういったことは行わない。元よりヴェルサスは、劇毒を呑まされようが多少の弱体化にしかならない。それを理解しているメイドたちがやる意味は無いし、そもそも魔族の契約で裏切りは行えない。
だがそれを理解していながらこういった薬を仕込む理由。その理由も単純で、鍛えるためだ。
暗殺者は常に様々な毒を用いてくる。以前ヴェルサスが食らったことのある最も強力な毒は、一嗅ぎしただけで最上級魔人族が昏倒し生死の境をさまよった事も有るほどの毒。当時における最新にして最強の毒で、現在でも極秘密裏に出回っている世界でも有数の劇毒だ。
毒に対する耐性は、最上級の魔族であっても完璧には持たない。一部、種族的に持っている種族も有りはするが、毒は平気でも睡眠薬には弱いなど、全ての暗殺に用いられる薬物に対して耐性を持てるわけではない。
様々な能力をバランスよく持つ魔人族、その最上級の存在でさえ昏倒するほどの毒。如何に全魔族の中でも屈指の耐性能力を持つ淫魔、その最上級のヴェルサスとて無事では済まない。
そんな毒を含む薬物への耐性の付け方は魔族であろうとも古典的。少しずつ微弱な毒から服用し、慣らすこと。
耐性を持つ魔族故に、始まりが強力な毒から始まる事を除けば、一般的な人類種と変わらない。
食事に仕込まれた睡眠薬も、そのために日常的に服用するものだ。
流石に客人の食事にまで仕込む暴挙をするとは、ヴェルサスとて想定していなかったが。
「ネネカさんには申し訳ない事をしましたね。……どう考えてもあの阿呆共のせいですが」
完全な独り言だが、最早言わねばやってられないとばかりに、ため息混じりの独り言を続ける。
この家にはウルグリム皇国の皇帝も頻繁に来る。皇帝だけではない。理者を始めとした、国の重鎮も度々訪れる。
皇帝や理者はヴェルサスほどでなくとも毒物に対し耐性を持つことを推奨されるため、各々で毒物に耐性を付けているためさほど問題は無いが……そうでない国の重鎮も多い。
そんな者たちに、もし危険な毒物を仕込もうものなら。
「……面倒なことにはなりますよねえ」
死には至らせない。ヴェルサスの魔法で、命に関わる薬物であればある程度は無効化出来るしある程度までならば治療も出来る。
しかし毒を仕込んだという事実は変わらないため、面倒が増えるのも変わらない。
他にも様々な面倒は目に見える。面倒臭がりでなくとも嫌がる面倒が。
最強の称号を持つヴェルサス。大抵の相手は穏便に済まそうとはするだろうが……それはそれで面倒ではある。力を持つが故に、縛る鎖も多いのだ。
(……しかし)
家内の存在に積もる問題に軽く目を逸らしながら、静かに眠るネネカの顔をじっと見る。
起きる気配は無い。薬と催眠の相乗効果。そこに元々の疲れも相まって、恐らく半日は起きずともおかしくない。
ヴェルサスが見ていたのは、ネネカの内側。
(単に次元魔力の残滓を膨大に纏っているだけかと思っていましたが)
ヴェルサスは静かに、ネネカが表面に纏う魔力と内側に宿す魔力を見る。
そして一つ、心底愉快そうに微笑む。
「なかなかどうして、面白い拾いものをしたようで」
ヴェルサスは、決してこの場の外を映さない窓の奥を見ながら呟く。
窓の外は、黎明を示していた。




