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打ち上げと「よし」の温度

「打ち上げしよう」


桐谷(きりたに)(りん)が立ち上がった。初配信が終わってまだ十分も経っていないのに、もうコンビニに行く気でいる。


「打ち上げって、何するんですか」


「弁当買って食べる。以上」


白石(しらいし)(かえで)が笑った。「豪華だね」と言ったその声は、配信直後の疲れた声から少しだけ持ち直していた。


三人でアパートの外階段を下りて、二分ほど歩いた先のコンビニに入った。五月の夜風がぬるい。宮崎の夜は東京よりずっと暖かくて、半袖でも肌寒くない。コンビニの蛍光灯が駐車場のアスファルトを白く照らしていた。


楓はチキン南蛮弁当を選んだ。凛が「みやびは和菓子が好きなのに」とからかうと、楓は弁当を掲げて笑った。


「キャラと中の人は別。——あ、でも次の配信で好きな食べ物聞かれたら和菓子って言わなきゃ」


「設定表に書いとこう。忘れるでしょ」


「忘れるかも」


瀬川(せがわ)(みなと)はおにぎりとお茶を買った。凛はビールを二本と弁当を持ってレジに並んでいる。湊はアルコールを入れると翌日の作業効率が落ちるので、打ち上げでも飲まない主義だった。


事務所に戻り、六畳の床に弁当を広げた。椅子が足りないから三人とも床に座る。壁の吸音材と配信機材に囲まれた即席の宴会場。凛がビール缶を掲げた。


「初配信、おつかれ。乾杯」


「おつかれさま!」


楓がビール缶を合わせた。湊はお茶のペットボトルで参加する。


「湊くん、お茶なんだ」


「酒弱いんで」


「嘘。サークルの飲み会でガンガンいってたじゃん」


凛が突っ込んだ。湊は黙っておにぎりを頬張った。あれは大学の話だ。


凛がスマートフォンを取り出して、配信のアナリティクス画面を三人の真ん中に置いた。


「はい、数字見よう。最大同時視聴者数五人。コメント十二件。平均視聴時間二十八分。視聴維持率九十二パーセント」


「九十二って、高いの?」


「めちゃくちゃ高い。入った人がほぼ最後まで見てるってこと。初配信で三十分ずっと離脱されないのは、相当すごいよ」


楓はビールを一口飲んで、缶を床に置いた。


「でもさ、五人だよ」


「五人がいたんだよ。宮崎の無名事務所の、告知もほとんどしてない初配信に」


「五人しかいなかった」


同じ数字なのに、凛と楓の口調が違っていた。凛は「五人」を手応えとして見ている。楓は「五人」を壁として見ている。湊は弁当を食べながら、二人の間にある温度差をぼんやりと感じていたが、それを言葉にする方法がわからなかった。


凛はそれ以上追わなかった。ビールを一口飲んで、話題を変える。


「次の配信だけどさ、雑談だけじゃなくてゲーム実況も入れてみない?」


「ゲーム? 私、ゲーム下手だけど」


「下手でいいの。ミステリアスなみやびがパズルゲームで大苦戦する絵面、絶対面白いでしょ」


「キャラ崩壊じゃない?」


「だから面白いんだって。ギャップが武器になるの。リスナーは上手いプレイじゃなくて面白いリアクションが見たいんだよ」


楓は首を傾げた。それから「あ、わかった」と顔を上げた。


「普段クールなみやびが、パズルで詰まって素が漏れちゃう、みたいな」


「そうそう。楓ちゃんの素の天然が一番の武器だから」


「天然って失礼だなあ」


楓が口をとがらせた。でも目は笑っている。凛が方向を示して、楓がそれを自分の中で咀嚼する。いいコンビだと湊は思った。自分にはこういう会話のテンポは出せない。


湊はおにぎりを食べ終えて、ノートPCを開いた。配信ログの改善項目をリスト化する。OBSのエンコード設定の見直し、バッファサイズのプリセット変更、CPU負荷の監視方法、ノートPCの排熱対策。一つ書くたびに次の課題が浮かぶ。手が止まらない。考えるより先に指が動く。


「湊くん、もう仕事してるの? 打ち上げ中だよ」


楓が覗き込んできた。


「改善点、忘れないうちに。次の配信はもっとクリアな音で届けたいんで」


楓はしばらく湊の画面を見ていた。改善項目が行儀よく並んでいるリスト。配信の「内容」ではなく「環境」をひたすら改善しようとしている人の仕事。


「ねえ、湊くん。配信、内容的にはどうだった?」


湊は手を止めた。技術の評価なら数字で語れる。でも「内容」は別の筋肉が要る。


「……いいと思いました」


「ざっくりだなあ」


「すみません、こういうの苦手で。でも——みやびの声は聞いていて心地よかったです。コメントへの返しも丁寧で、リスナーが大事にされてる感じがしました」


楓が目を丸くした。


「湊くん、ちゃんと見ててくれたんだ」


「裏方ですけど、見てましたよ」


楓は少し間を置いて、笑った。


「よし。次、もっと頑張る」


明るい声だった。明るすぎた。リハーサル前の震えを止めた「よし」とも、面接で加入を決めた「よし」とも違う。声のトーンが高くて、力が入りすぎている。


凛がちらりと楓を見た。何かに気づいた目だったが、追求しなかった。ビール缶を傾けて、最後の一口を飲み干す。


片付けを済ませて、凛が車の鍵を取り出した。


「送るよ。楓ちゃん先に乗って。湊は——実家バス?」


「はい、次のバスで帰れるんで」


凛の軽自動車は事務所のアパートの駐車場に止めてある。三人で外階段を降りた。夜空に星が出ていた。五月の宮崎の空は東京より近くて、星がよく見える。


「じゃあ次の配信、二日後ね。——二人とも、お疲れ」


凛が運転席に座り、楓が助手席に乗り込んだ。ドアが閉まる前に楓が窓を下げた。


「湊くん、おつかれさま。バス気をつけてね」


「お疲れさまでした」


軽自動車のテールランプが宮崎市の夜道に消えていく。湊はバス停に向かって歩き始めた。事務所から三分ほどの距離だった。


バス停のベンチに座って、スマートフォンを取り出した。配信のアーカイブをイヤホンで再生する。みやびの声が、夜の空気の中に流れてきた。


帰り際に楓が窓越しに見せた横顔が、まだ頭に残っている。打ち上げの明るい顔とは違って見えた。何かを引きずっているような——でもそれが何なのか、湊にはわからなかった。


バスが来た。乗り込んで窓際に座る。実家まで二十分。揺れるバスの中で、湊はPCを開けない代わりにスマートフォンのメモアプリに一行だけ入力した。


「配信中の音声調整メモ:楓さんの声は感情が乗ると周波数が高くなる傾向あり。入力ゲインの自動調整を検討」


感情を、データとして記録する。それが技術者にできることだった。


楓を乗せた凛の車は、宮崎市内の住宅街に向かっているはずだった。楓のアパートは事務所からバスか自転車で通える距離にある静かな通り沿いの、築古の二階建てだと凛が言っていた。東京から最小限の荷物で引っ越してきた部屋に、楓は一人で帰る。配信の五人と、コンビニ弁当の打ち上げと、「また来ます」のコメントを抱えて。


宮崎の夜は静かだった。バスの窓の外を、街灯がゆっくりと流れていく。

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