感情反映と三人
瀬川 湊が「話したいことがある」と言ったのは、四月の第三週のことだった。
配信のない日の午後。事務所に三人が揃っている。桐谷 凛が「なに、改まって」と聞いた。白石 楓が少しだけ体を硬くした。
「みやびの表情のことです」
楓の目が湊に向いた。凛が缶コーヒーを置いた。
「前から——三人で話そうって言ってたこと?」
「はい」
湊はノートPCを開いた。スプレッドシートが表示される。七回分のデータ。パラメータの数値が縦に並んでいる。
「去年の五月から記録してます。みやびの表情が、楓さんのトラッキングと異なる動きをした回数。全部で七回。最初は表情バグだと思ってました。技術的にはパラメータに異常がないのに、みやびの表情が——楓さんが演じている表情と違う動きをする」
楓が黙って聞いている。
「七回分のデータを並べて比較したとき、パターンが見えました。表情筋の自然な連動——まぶたが下がると口角も下がる、というような基本的な連動が、七回とも崩れてる。楓さんが笑っているのにみやびの目元が翳る。あるいは、眉が寄っているのに頬が緩む」
「それが——私の本当の感情が出てるってこと、ですよね」
楓の声は静かだった。凛が楓を見た。
「楓、知ってたの?」
「完全にはわかってませんでした。でも——配信中に、みやびが私と違う顔をしてるのは、ずっと感じてました。凛さんにも話しましたよね。みやびは私の嘘を映さないって」
「うん。十月にカフェで」
「湊さんの仮説は——何が原因だと思ってるんですか」
湊はスプレッドシートの別のタブを開いた。
「俺の仮説は——みやびのモデルの精度が、通常よりも高すぎること。外注で作るモデルでは起きない。みやびのモデルだけ、まぶたの0.02の差まで追い込んだパラメータ設定をしてる。その精度が——楓さんの表情筋の微細なズレを拾ってしまってる。演技で口角を上げていても、本音で悲しいときは目元の微細な動きが違う。その違いを、みやびのモデルが拾える」
「つまり——湊さんの技術が高すぎるから、起きてること?」
「そういう説明もできますけど——」
湊は言葉を選んだ。
「凛さんに言われたことがあります。『外注のときと、みやびのときで顔が違う。みやびのためにいちばんいいものを作れる人だ』って」
「うん。言った」
「俺は——なぜみやびだけにあの精度を注ぎ込んだのか、自分でもわからなかった。技術者として妥協しなかっただけだと思ってた。でも凛さんの言葉で気づいたんです。俺は——楓さんのために作ってたから、あの精度になった。『誰かのために』が精度を生んで、その精度が感情反映を起こしてる」
事務所が静かになった。エアコンの送風音と、窓から入る四月の風が腕を撫でていく。
「——つまり、湊さんは。私のために作ってくれたから、みやびは私の本当の感情を映すようになったんですか」
「仮説です。まだ証明はできてません。証明するには——」
「証明はいらない」
楓が遮った。
「私には——みやびの表情を見てればわかるんです。私が笑ってないのにみやびが笑わなかったとき、私が楽しんでるのにみやびがもっと笑ってたとき。それが嘘じゃないことは、私が一番知ってます」
楓の声は静かだった。でも、芯があった。
「湊さん」
「はい」
「ありがとうございます。みやびを——あんなに丁寧に作ってくれて。私の感情を映してくれるモデルを作ってくれて」
「俺は——」
「湊さんは『モデルを作っただけ』って言うでしょ。前にも言ってました。でも——作っただけじゃないんです。湊さんの気持ちが入ってるから、みやびはああなったんです」
湊は答えなかった。答え方がわからなかった。
凛が口を開いた。
「じゃあ——この先、どうする? 感情反映をなくすことはできるの?」
「パラメータの精度を下げれば、たぶん起きなくなります」
「下げないで」
楓が即答した。
「みやびの精度を下げないでください。あのままがいい。——あのままの、みやびがいい」
凛が楓を見て、少し笑った。
「楓がそう言うなら、そうしよう」
「わかりました」
湊はスプレッドシートを閉じた。一年間抱えていたデータが、三人の間で共有された。
「じゃあ——感情反映は、みやびの特性ってことでいいかな。秘密にしておく。リスナーには言わない」
「リスナーには言わないほうがいいと思います。『演者の本当の感情が出る』って知ったら、楓さんのプライバシーに関わる」
「そうだね。三人だけの秘密。——ゆきねにも言わない」
「はい」
三人で頷いた。みやびの特性。演者の感情を映すモデル。三人だけが知っている。
「湊」
凛が言った。
「来年——二年目で、もう一人VTuberをデビューさせるとしたら。そのモデルも、湊が作るんだよね」
「そうですね」
「そのモデルでも、同じことが起きる?」
湊は少し考えた。
「わかりません。俺が——その人のために、同じ精度で作れるかどうか」
「つまり、楓のために作ったから起きたことだって?」
「……かもしれない。まだわからないですけど」
凛が「ふうん」と言って、缶コーヒーを飲み干した。
楓が窓の外を見た。四月の午後。新緑が風に揺れている。みやびの表情が楓の本音を映す。それは欠陥ではなく特性。湊が楓のために作ったからこそ生まれた、一つだけの奇跡。
「よし」
楓が小さく言った。いつもの「よし」。静かで、強くて、温かい声。
「来月——デビュー一周年ですね。一年間、ありがとうございました」
「まだ一年は終わってないよ。あと二週間ある」
「そうですね。でも——今、言いたかったんです」
凛が笑った。湊も少しだけ口元が緩んだ。
三人だけが知る秘密を胸に、一年目の最後の日々が流れていく。




