裸まいりと副業
瀬川 湊が事務所のドアを開けると、桐谷 凛がノートPCの前で電話をしていた。
「はい。はい、大丈夫です。土曜の朝八時ですね。わかりました。よろしくお願いします」
凛が電話を切った。湊を見て、いつもの顔に戻った。
「おつかれ。今日早いね」
「外注の案件、朝のうちに仕上げたかったので」
湊は自分の席に座った。凛の電話の内容には触れない。土曜の朝八時。配信は夜だから被らない。でも、事務所の仕事とも違う時間帯だ。
一月の宮崎は、冬らしい日が続いていた。朝晩は冷え込むが、昼間は陽が差すと上着がいらないくらい暖かくなる。事務所の窓から差し込む冬の日差しは、モニターに反射して少し眩しい。凛が淹れたコーヒーの匂いが、まだ薄く残っていた。
「ねえ湊、青島裸まいりって知ってる?」
「名前は知ってます。行ったことはないですけど」
「青島神社で毎年やってる神事でしょ。海に入るやつ」
「冬の海に入るんですよね。一月にやるんでしたっけ」
「一月の第三か第四月曜。今年は来週。楓が配信のネタにしたいって言ってて」
凛がスマホで青島裸まいりの写真を見せた。白装束の人々が冬の海に入る写真。神事としての厳かさと、宮崎の冬の海の青さが同居する画面だ。
「みやびの和風キャラと相性いいですね」
「そう。怪談配信のときもそうだったけど、和風の行事ってみやびのキャラを活かせる。宮崎は神話の土地でもあるし」
「配信でどう取り上げるんですか。さすがに現地レポートは無理ですよね」
「雑談で話すだけ。青島裸まいりの歴史とか、宮崎の冬の行事を紹介する感じ。楓が調べてスライド作るって」
「スライド?」
「画像素材を楓が準備して、OBSで表示する。簡易的な情報配信。楓、最近そういうの自分で作るようになったんだよね」
凛が嬉しそうに言った。楓の成長を見守るときの凛の声には、いつも少し弾みがある。
「青島って宮崎市内ですよね。車でどのくらいですか」
「三十分くらい。凛さん行ったことあります?」
「あるよ。高校のとき友達と。冬の海、めちゃくちゃ綺麗だったの覚えてる」
「楓さんは宮崎の観光地、まだあんまり行けてないですよね」
「うん。配信とバイトで忙しいからね。春になったら三人で行こうよ。青島とか日南海岸とか」
「いいですね」
湊は外注の作業ファイルを開きながら、凛の言葉を聞いていた。「春になったら三人で」。凛はいつも、先の楽しみを用意する。それが凛の、仲間をつなぎとめる方法だ。
午後になって、凛が外出の準備を始めた。
「あたし、ちょっと出てくるね。夕方には戻る」
「観光協会ですか」
「ううん。別の用事」
凛がコートを着た。バッグを肩にかけて、靴を履き替える。今日の靴は見慣れた運動靴だ。つま先の汚れは洗ったのか薄くなっていたが、靴底の減り方は変わらない。
凛が出ていったあと、湊は作業を続けた。外注の五件目。個人勢VTuberのリギング調整。前回の依頼者からの紹介で、今度はモデルの骨格調整が含まれる、少し難易度の高い案件だ。
作業に集中していると、凛のデスクに置いてあるノートPCの通知音が鳴った。
画面が点灯して、メールの通知が一行だけ表示された。湊は覗くつもりはなかったが、視界に入ってしまった。
「【イベント運営スタッフ】1月シフト確認のお願い——」
湊は視線を自分のモニターに戻した。
やっぱり。
イベント会社のバイト。凛が「用事」と呼んでいたものの正体。靴の汚れも、午前中の外出も、土曜の朝八時の電話も——ぜんぶ、そういうことだった。
湊は知らないふりを続けた。凛が自分から話す気になるまで待つ。それが、九月の資金の件で学んだことだ。
でも——凛が一人で抱えているのは、お金の問題だけじゃない。体力の問題もある。事務所の仕事とバイトを掛け持ちして、営業も経理も全部こなして。凛は二十五歳だ。若いが、無限じゃない。
夕方、凛が戻ってきた。少し疲れた顔をしていたが、声はいつも通り明るかった。
「ただいま。外注、進んでる?」
「順調です。明後日には納品できます」
「さすが。じゃあ来週の配信の準備、楓と詰めよう。青島裸まいり配信の構成」
凛がノートPCを開いた。メールの通知は消えていた。凛は画面を確認して、何事もなかったように楓にDiscordのメッセージを送り始めた。
湊は作業に戻った。凛のことを考えるのを、いったん脇に置いた。今できることは、目の前の外注を仕上げること。五件目を納品すれば、今月の売上が確定する。
凛の負担を減らすには、事務所の収入を増やすしかない。外注の月二件を、三件に増やせないか。あるいは——外注以外の収入源を作れないか。
湊は作業をしながら、頭の隅でそのことを考え続けていた。リギングのパラメータを調整する指先は正確だったが、意識の半分は別のところにあった。
窓の外で、冬の日が傾いていく。一月の宮崎は、五時にはもう暗い。




