年始と正月
『あけましておめでとうございます。お狐仲間のみなさん、今年もみやびをよろしくお願いいたしますね』
一月二日、夜八時。年始の配信が始まった。
瀬川 湊は実家のリビングで母親の作った雑煮を食べてから事務所に来た。胃の中にまだ餅の重さが残っている。桐谷 凛は事務所の椅子に座って、みかんを剥きながらモニターを見ていた。
「年始から配信するVTuber、リスナーに好かれるよね」
「暇な人が多い時期ですからね」
「それを暇って言わない」
凛がみかんの皮をゴミ箱に投げた。きれいに入った。
みやびの画面は通常の和装アバターだ。正月用の衣装差分は見送った。花よみへの衣装差分の発注は一点で二万五千円以上かかる。ハロウィン衣装で二万八千円を使ったばかりで、口座残高が十二万の事務所に余裕はない。
凛が「今回は通常衣装で和風のお正月感を出そう」と判断した。湊はOBSの背景を正月仕様にアレンジした。和室に鏡餅と門松のイラスト素材を配置し、BGMを琴の音源に差し替えた。素材はフリーのものを組み合わせたので費用はゼロだ。
『今日はお正月らしく、まったり雑談配信。みなさんのお正月の過ごし方、教えてくださいな』
>おせち食べた
>実家でだらだら
>初詣行ってきた
>みやびちゃんが初詣
『初詣、いいわね。みやびもご利益いただきたいわ。今年の目標は——たくさんの人に、みやびの歌を届けること。「寄り道の先で」、聴いてくれましたか?』
>100回は聴いた
>毎日聴いてる
>歌詞がやばい
>寄り道の先で泣くんだが
「寄り道の先で」の再生回数は、年末年始で五百回を突破していた。登録者二百八十人のチャンネルで五百回。リピートしてくれている人が確実にいる。
同接は三十六人。年始の配信としては上出来だ。新規のコメントもちらほら見える。年末年始に暇な時間ができて、VTuberを探している層が流れてきているのだろう。
配信は一時間で終了した。白石 楓がDiscordで「お疲れさまでした! 今年もよろしくお願いします!」と元気な声を出して、通話を切った。
「いいスタートだね」
凛がモニターを閉じながら言った。
「登録者、年明けで五人増えてます。二百八十五人」
「配信効果もあるけど、オリジナル曲のおすすめアルゴリズムで少しずつ引っかかってるみたいだね。年明けは動画を探す人が増えるから」
凛はアナリティクスの画面をスクロールしている。視聴者の流入元を確認しているのだろう。
「ところで凛さん」
「ん?」
「明日って事務所来ます?」
「明日は——午前中から用事があるから、午後かな」
また「用事」だ。
湊は凛の足元をちらりと見た。今日はスニーカーだった。正月なのに、つま先に見覚えのある薄い汚れがついている。靴底の減り方も、事務仕事ではつかない減り方だ。立ち仕事か、歩き仕事。
九月に凛が資金問題を打ち明けたとき、凛は「あたしにできることはやる」と言った。あの言葉の意味が——最近になって見えてきた。
「凛さん」
「なに」
「無理はしないでくださいね」
凛の手が一瞬止まった。それからすぐに動き出した。
「してないよ。何の話?」
「いえ、特には。なんとなく」
「なんとなく心配するの、湊らしいね」
凛が笑った。飄々とした笑い方だったが、目元がほんの少しだけ緩んでいた。
「じゃあ、あたしは先に帰るよ。明日の午後に来るから、外注の新しい案件の件、相談させて」
「わかりました」
「お疲れさま。あけましておめでとう、湊」
「あけましておめでとうございます」
凛が事務所を出ていった。ドアが閉まって、六畳に湊だけが残った。
凛のバイトのことを、湊は楓に話していない。凛自身が話す気になっていないのだから、勝手に共有するべきではない。でも——あの靴底の減り方が、目の裏に残っている。
立ち仕事か、歩き回る仕事。正月はイベントの繁忙期だ。年末年始に「用事」が増えていたのは、そういうことだろう。
凛は事務所の資金を繋ぐために、自分の時間と体力を使っている。社長が副業しなければ事務所が回らない。それがヨリミチの現実だ。
湊にできるのは、外注の仕事を増やして売上を伸ばすことと、みやびの配信環境をもっと良くすること。技術で稼ぐ。凛の負担を、一円でも減らす。
アーカイブの整理を終えて、事務所の電気を消した。鍵を閉めて、一月の夜に出た。吐く息が白い。空は晴れていて、冬の星が数えきれないほど瞬いている。宮崎の夜空は、東京に比べて星が多い。
来年——いや、もう今年だ。
今年の目標。収益化に向けて動く。凛の負担を減らす。みやびの配信をもっと良くする。感情反映の謎を、もう少し解き明かす。
湊は自転車のペダルを踏んだ。正月の宮崎は静かで、風が冷たくて、でもどこかに焚き火のような煙の匂いが混ざっていた。




