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電話と継続

「はい。はい、ありがとうございます。では、来月からよろしくお願いいたします」


桐谷(きりたに) (りん)が電話を切った。事務所のデスクで、スマホを耳から離して、画面を見つめている。瀬川(せがわ) (みなと)はモニターの前で作業しながら、凛の声のトーンを追っていた。


九月中旬の午後。白石(しらいし) (かえで)はバイト中で不在。事務所には凛と湊だけだった。


「誰からですか」


「観光協会の黒木さん」


黒木。宮崎市観光協会の担当者。五十代の男性で、六月にみやびの特産品紹介配信を試験的に依頼してくれた人だ。あのときの配信はマンゴーの紹介。数字は伸びなかったが、観光協会側は「若い層にリーチできた」と満足していた。


「何の電話ですか」


「継続依頼。月一本、特産品の紹介配信をやってほしいって」


湊の手が止まった。


「月一本?」


「うん。月額固定の契約。報酬は一回三万円。年間で三十六万円の計算になる」


凛の声は落ち着いていた。でも、スマホを握る指に力が入っているのが見えた。凛は嬉しいとき、顔には出さないが手に出る。


「すごいじゃないですか」


「まあね。マンゴーの配信のフィードバックが良かったのと、夏祭り配信のアーカイブも見てくれたみたい。黒木さんが言ってたんだけど、協会の中で若い世代への発信をどうするかってずっと議題に上がってたらしくて。みやびの配信を見せたら、上の人たちが『これだ』って」


「協会の中で通してくれたんですね」


「そう。黒木さん個人の判断じゃなくて、ちゃんと稟議を通した上での正式契約。だから月額固定で出せるんだって。個人の好意じゃないぶん、ちゃんとした仕事として扱ってもらえてる」


凛がスマホの画面をスクロールしていた。通話中にメモしたらしい箇条書きが並んでいる。


「あと、黒木さん、配信中のリスナーの反応も見てくれてたみたい。コメント欄でマンゴーの食べ方を聞いてる人がいたとか、宮崎に行ってみたいって書き込みがあったとか。数字だけじゃなくて、そういう質的な反応を評価してくれたんだと思う」


宮崎の魅力をこんな風に伝えてくれるのは嬉しい、と黒木は言ったらしい。凛の口調に熱がこもっていた。黒木さん、結構みやびのファンになってるかも、と凛が笑った。


凛が笑った。いつもの飄々とした笑い方だったが、目の奥に安堵の色があった。


月三万円。事務所の固定費六万円の半分。外注のマージンと合わせれば、赤字幅が大きく縮まる。二十一万の残高で「あと三ヶ月」だった計算が、かなり楽になる。


「月一ってことは、来月から?」


「十月から。毎月一つ、宮崎の特産品をテーマに配信する。テーマの選定は観光協会と相談して決める。台本は凛が作って、配信はみやびが」


「配信の技術面は俺が担当します。テロップのテンプレートとか、商品を画面に映すときのレイアウトとか、フォーマットを作っておけば毎月使い回せます」


「それいいね。効率化できると、他の作業に時間を回せるし」


凛がスマホにメモを打ち始めた。今度は電卓アプリではなく、メモアプリ。今後の配信スケジュール、テーマの候補、観光協会との連絡タイミング。凛の指が画面の上を滑る速度が、ここ数週間で一番軽かった。


夕方、楓がバイトから帰ってきた。


「ただいまです。暑い……もう九月なのに」


「楓、いいニュースがある」


凛が椅子を回して楓のほうを向いた。


「いいニュース?」


「観光協会から継続依頼が来た。月一本の特産品配信。来月から」


楓の表情が変わった。目が大きくなって、口が開いた。


「本当ですか!?」


「本当。月額固定の契約。毎月お仕事があるってこと」


「やった!」


楓が両手を握った。それから凛に向かって深々と頭を下げた。


「凛さん、ありがとうございます。営業、凛さんが全部やってくれたんですよね」


「まあね。でも、マンゴー配信を成功させたのは楓の力だよ。あたしが営業しても、配信がダメだったら継続なんて来ない」


「湊くんも。あのときの映像のクオリティ、黒木さんも褒めてくれてたんですよね?」


「テロップと商品の見せ方は気を使いました」


「三人の仕事が実ったんだね」


凛が言った。珍しく、素直な言い方だった。


楓が事務所の椅子に座って、スマホを取り出した。


「これ、お狐仲間に報告したいです。Xで」


「いいね。やっちゃいなよ」


楓がXの投稿画面を開いた。指が動く。文面を考えている。


「えっと……『お知らせです。来月から毎月、宮崎の特産品を紹介するお仕事配信が始まります! お狐仲間のみんなと一緒に、宮崎のおいしいものを楽しみたいな。詳しくはまた配信でお知らせしますね(狐の絵文字) #みやびの社』……こんな感じ?」


「いいんじゃない。ちょっと直すなら、『お仕事配信』じゃなくて『特産品紹介配信』のほうが具体的かな」


「なるほど。直します」


楓が文面を修正して、投稿ボタンを押した。


数分後、楓がスマホの画面を凛に見せた。


「もう反応来てます。『楽しみ!』って。あと、『宮崎のものいっぱい紹介してほしい』って書いてくれてる人がいます」


「いいね。お狐仲間、反応早いなあ」


「あ、この人、前にマンゴー配信のときもコメントくれた人だ。『あのときのマンゴー、お取り寄せしました』って」


楓の声が弾んでいた。スマホを両手で持って、リプライをひとつずつ読んでいる。リスナーの言葉を受け取るとき、楓の目は配信中のみやびとは違う柔らかさになる。演じていない、素の表情だった。


「引用リポストも二つ来てます。『みやびちゃんの宮崎紹介、ほんとにいい企画だと思う』って」


「スクリーンショット撮っておきなよ。黒木さんに見せたら喜ぶから」


「あ、そうですね。撮ります」


湊はモニターに向き直って、配信テンプレートの設計を始めた。OBSのシーン構成を新規で作る。まず配信画面のレイアウトを決める。みやびのアバターを画面左側に配置して、右側に商品の紹介エリアを確保する。テロップの位置、商品画像の表示エリア、BGMの音量バランス。フォーマットを一度作れば、毎月の制作工数を大幅に削減できる。


凛がスマホの画面を見ていた。さっきまでのメモアプリではなく、銀行アプリ。でも今回は、画面を隠さなかった。湊に見えるように置いたまま、別の作業を始めた。


隠す必要がなくなったから——ではない。凛はまだ楓には話していない。ただ、湊に対しては、もう隠さないと決めたのだろう。


事務所の窓から、夕暮れの光が差し込んでいた。九月の日没は早くなり始めている。八月の終わりまでは七時でもまだ明るかったのに、今は六時を過ぎると空が色づく。


「これで……もう少しだけ」


凛が呟いた。独り言のような小ささだった。でも、湊には聞こえた。


もう少しだけ。まだ足りない。でも、見えないわけじゃない。


湊はテンプレートの設計に戻った。商品画像の表示エリアのサイズを決める。十六対九のアスペクト比で、画面の右側に商品紹介用のフレームを配置する。フレームの枠線は和風のデザインに合わせて、みやびのカラーパレットから拾った深い紅色にした。テロップは画面下部に固定して、フォントサイズは視認性を優先して二十四ポイント。BGMは商品説明中に音量を絞るオートメーションを組んで、みやびの声を前に出す設計にする。


商品名のテロップが切り替わるタイミングにトランジションを入れるかどうか、少し迷った。派手な切り替えは配信の空気に合わない。フェードイン、〇・三秒。それくらいがちょうどいい。


手が動く。これは仕事だ。でも——みやびのための仕事だ。外注のモデリングとは違う。


その違いが何なのか、湊にはまだわからなかった。でも、手は止まらなかった。

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