笑顔と狐
『お狐仲間のみんな、こんばんは! みやびです。今日はね——新企画を持ってきたの』
みやびの声が弾んでいた。九月中旬の金曜日、夜九時。白石 楓の自宅からの配信。瀬川 湊は事務所でモニタリング画面を見つめている。
>きたきた
>新企画!
>楽しみなんよ
>金曜の夜はみやびの社
『今日は「みやびの質問箱」! お狐仲間から事前に募集した質問に答えていきます。何が出るかは私もわかっていないの。ドキドキね』
>送ったよ!
>採用されるかな
>みやびちゃんの反応が楽しみ
質問箱企画は凛のアイデアだった。Xで事前に質問を募集して、配信で答える。リスナーとの距離を縮めつつ、アーカイブとしても見やすいフォーマット。凛は「Q&A配信は再生数が伸びやすいジャンルだから」と言っていた。
湊の画面にはOBSのモニタリングと、みやびのトラッキングパラメータが並んでいた。配信の安定性を確認しつつ、パラメータの変動を追う。いつもの裏方作業。
『じゃあ最初の質問。「みやびちゃんの好きな食べ物は?」——ふふ、これは嬉しい質問ね』
>気になる
>和食かな
>狐だからお揚げ?
『お揚げは好きよ。でも、最近は——チキン南蛮かしら。宮崎に来てから覚えたの。バイト先のまかないで出してもらったのが最初で、あの甘酸っぱいタレが忘れられなくなっちゃって』
>チキン南蛮!
>宮崎グルメ
>みやびちゃん宮崎に染まってるんよ
>お揚げ→チキン南蛮の進化
>次は冷や汁も食べてほしいんよ
湊はコメント欄を見ながら、同接数を確認した。二十七人。今月に入ってからの最高記録だ。登録者は百三十五人。質問箱企画の告知がXで拡散されて、新規リスナーも来ている。
『次の質問。「みやびちゃんがVTuberになった理由は?」——これ、ちゃんと答えたいわね』
コメント欄が少し静かになった。リスナーが聞く姿勢になっている。
『私ね、前にも少しだけ話したけど、ここに来る前は別のことをしていたの。でも、うまくいかなかった。自分のことを表現したいのに、方法が見つからなかった。そんなときに、VTuberという世界を知って——ここなら、もう一度やれるかもしれないって思ったの』
>みやびちゃん……
>好きだなあその話
>応援してるんよ
『それで、宮崎の小さな事務所を見つけて。社長が「面白い子を世に出したい」って言ってくれて。技術さんが、私のためにアバターを作ってくれて。この狐のアバターが——私を、もう一度舞台に立たせてくれたの』
>泣ける
>社長さんとスタッフさんいい人だ
>みやびちゃんの「舞台」はここだよ
>お狐仲間でよかったんよ
湊はモニターを見つめていた。楓の声が、配信用のマイクを通して、スピーカーから流れている。いつものみやびの口調。でも、声の奥にある温度がいつもと違った。
楓は本気で楽しんでいる。
トラッキングのパラメータを確認する。口角の上がり方。目の開き方。頬の筋肉の動き。
——数値がおかしい。
湊の指がキーボードの上で止まった。パラメータの画面を凝視する。
口角の上昇値が一・三。通常の笑顔は〇・八から一・〇。一・三は設定上の最大値に近い。通常のトラッキングでは、ここまで上がることはない。
目の開き方。通常よりわずかに大きい。〇・〇五ポイントだけ。見た目にはわからない程度の差。でも、データ上ははっきりと出ている。
湊は過去のログと比較した。この数値パターン。前にも見たことがある。感情反映が発動したときのパラメータ推移と——似ている。
ただし、方向が違った。
これまでの感情反映は、楓が感情を隠しているときに発動した。寂しさ、切なさ、傷つき。楓が「大丈夫」と言っているのに、みやびの表情が本音を映してしまう。ネガティブな感情が、アバターの表情に漏れる。
今は——逆だった。
楓は笑っている。みやびも笑っている。ただし、みやびの笑顔が楓の笑顔を上回っている。楓が自分で意識している以上に、みやびが笑っている。
これは——ポジティブな感情の反映?
湊はログにタイムスタンプを記録した。九月十五日、二十一時三十二分。口角上昇値一・三。目の開き〇・〇五ポイント超過。
『次の質問。「みやびちゃんの推しマークの(狐の絵文字)にした理由は?」——あら、これは簡単。お狐仲間だもの。狐以外に何があるの?』
>ストレートw
>みやびちゃんらしいんよ
>迷いなくて好き
>(狐の絵文字が並んでいる)
配信が続いている。楓の声が笑っている。みやびの表情も笑っている。
湊はパラメータの異常値をメモしながら、画面の中のみやびを見た。
笑っている。設定値を超えて、笑っている。
これまでの五回は、すべてネガティブな感情だった。楓が隠していた感情がアバターに漏れた。「嘘を映さない」というのが、この現象の湊なりの仮説だった。
でも今回は違う。楓は嘘をついていない。楓は本気で笑っている。なのに——みやびがさらに笑っている。「嘘を映さない」ではなく、「本当の感情を映す」?
配信の後半、楓が自宅のモニターにふと目をやった。
みやびの笑顔が映っている。いつもの笑顔。でも——
『……あれ?』
楓の声が小さく漏れた。マイクが拾った。
>どうしたの?
>みやびちゃん?
『ううん、なんでもない。ちょっとね——みやびが、すごく楽しそうだなって。私が楽しいから、みやびも楽しいのかしら』
>当たり前じゃん
>みやびちゃん=中の人だもん
>アバターは嘘つかないよ
湊はスピーカーから流れる「アバターは嘘つかないよ」というコメントを聞いて、思わず画面に手を伸ばしかけた。
リスナーは何気なく書いたコメントだ。でも、その一行が、湊が五ヶ月間追い続けてきた現象の核心に、無自覚に触れている。
配信は一時間十五分で終了した。楓が「今日は本当に楽しかった。また来てね」と締めくくった。最終同接は二十九人。過去最高を更新した。
配信後、湊はDiscordで楓にメッセージを送った。
「配信お疲れさまでした。音声・映像とも問題なしです。同接二十九人、過去最高でした」
楓からの返信。
「ありがとうございます! 今日は本当に楽しかったです。なんかね、途中でモニター見たら、みやびがすっごく笑ってて。私が意識してる以上に笑ってた気がして。不思議」
湊は返信を打ちかけて、やめた。打ち直した。
「みやびは楓さんのモデルなので、楓さんが楽しければみやびも楽しいんだと思います」
技術者としての回答。間違ってはいない。ただし、すべてを説明してもいない。
楓からスタンプが一つ返ってきた。狐のスタンプ。
湊はパラメータログを保存して、事務所の電気を消した。




