浴衣と花火
『お狐仲間のみんな、こんばんは。みやびです。今日はね——見てほしいものがあるの』
みやびがくるりと回った。画面の中で、浴衣の裾が揺れる。紺地に白い狐の紋様。帯は朱色。夏祭りの夜に溶け込むような和装。
>うわああああ
>浴衣!!!
>みやびちゃん浴衣似合いすぎるんよ
>お狐仲間歓喜
『ふふ、嬉しい。この浴衣はね、ママの花よみさんが描いてくれたの。新しい衣装よ』
瀬川 湊は事務所のモニターで配信を見守っていた。横では桐谷 凛がスマホでコメントの流れを追っている。今日は白石 楓の自宅からの配信だが、三人で事前に打ち合わせをして臨んだ特別回だ。
浴衣の衣装差分。花よみに発注してから十日。凛が「予算一万五千円でお願いできますか」と交渉して、花よみが快く引き受けてくれた。元のみやびのデザインとの統一感を保ちつつ、夏らしい涼やかさを加えた仕上がり。
湊がLive2Dのパラメータを調整して、浴衣の袖の揺れと帯の締まり具合を自然に見せるようにした。普段の衣装は袖が短いから腕の動きに連動するパラメータだけで済んだが、浴衣の袂は長い。腕を上げたときに袖が遅れて揺れ、下ろしたときに慣性で振れる。その遅延の幅を何度も調整して、重力と布の質感が出るように仕上げた。帯の結び目は体の回転に対して少しだけ遅れて動くようにしてある。そこを手を抜くわけにはいかない。
>花よみさんありがとう
>ママの才能
>浴衣みやびちゃん保存した
『今日は夏祭り配信です。宮崎は夏祭りの季節で、花火大会もあちこちでやっているの。皆さんの地元の夏祭りのことも教えてほしいわ』
>地元の盆踊り毎年行く
>花火大会は浴衣で行きたいんよ
>みやびちゃんと花火見たい
>宮崎って夏祭り多いの?
>ヤシの木と花火は映えそう
『宮崎はね、夏が長いから夏祭りもたくさんあるの。海沿いの花火大会は特別よ。ヤシの木の向こうに花火が上がるの。南国の夏祭りって感じ』
『あら、一緒に見ましょう? 画面越しだけど。今日はね、宮崎の花火大会の音がちょっとだけ聞こえるかもしれないの。窓を少し開けてみるわね』
楓が自宅の窓を細く開けた。遠くから、ドン、と低い音が聞こえた。花火の音だ。
>聞こえた!
>すごい!リアル花火
>風情があるんよ
>みやびの社が夏祭り会場になった
『ふふ、聞こえた? 遠いけど、花火の音って特別よね。お腹に響く感じ』
コメント欄が加速した。リスナーが自分の地元の花火大会の話を始める。新潟の三尺玉、大阪の天神祭、秋田の大曲。みやびが一つひとつに反応して、「行ってみたい」「それは綺麗そうね」と返していく。
湊はOBSのモニタリング画面を確認した。音声レベルが安定している。花火の音がマイクに入りすぎていないか心配だったが、窓を細く開けた程度なら問題ない。楓の声がきちんと前に出ている。
「同接二十三人。いい数字だね」
凛が呟いた。百人記念からまだ二週間。登録者は百十人を超えた。少しずつ、でも確実に伸びている。
『ところで、お狐仲間のみんなに聞きたいんだけど——夏祭りで一番好きな屋台って何?』
>りんご飴
>焼きそば一択
>わたあめ!
>金魚すくいなんよ。金魚すくいは屋台じゃないかもだけど
『金魚すくい! 私、昔すごく得意だったの。ポイを斜めに入れて、水の流れに逆らわないように……って、これ舞台の動きに似てるのよね。手首の角度が大事なの』
>元女優の金魚すくいテク
>プロの技術
>みやびちゃんの配信で金魚すくい実況見たい
>実際にやってほしいんよ
『実況……いいかもしれないわね。夏祭りの現地から配信って、できるのかしら』
湊は心の中で「屋外配信は回線の問題があるな」と考えた。モバイル回線でのOBS配信は遅延とビットレートの不安定さが課題になる。ただ、技術的に不可能ではない。
>外配信!
>みやびちゃんのリアル金魚すくい見たい
>お面かぶったみやびちゃん想像したら草
『ふふ、来年までに考えておくわね。お面の下にお面があるのが狐の流儀よ』
湊は画面の中のみやびを見ていた。浴衣姿のアバターが、金魚すくいの手つきを再現している。楓の手の動きがトラッキングで反映されて、みやびの手が滑らかに動く。浴衣の袂が手の動きに合わせて柔らかく揺れている。パラメータの調整が効いていた。
パラメータは正常だった。今夜の楓は、純粋に楽しんでいる。
配信は一時間二十分。夏祭りの話題で盛り上がり、最後は「来年は宮崎の花火大会を実況配信したいわね」という約束で締めた。
『今日も来てくれてありがとう。お狐仲間のみんな、良い夏を過ごしてね。おやすみなさい』
>おやすみ!
>浴衣みやび最高だったんよ
>来年の花火実況楽しみ
>#みやびの社
配信が終わった。湊はOBSを閉じて、配信ログを保存した。
スマホが鳴った。楓からのメッセージだ。
「楓さんからだ。『楽しかったです! 浴衣の動き、すごく自然でした。袖が揺れるのが嬉しくて、配信中ずっと手を振ってました』だって」
「あー、だからあんなに手を動かしてたんだ」
凛が笑った。
「『来年の花火実況、本当にやりたいです! 湊くん、技術的にできますか?』って聞いてますね」
「できなくはないですけど、回線の安定性は検証が必要です。宮崎の花火大会の会場周辺だと、人が集まって回線が混むかもしれないので」
「まあ、来年の話だからゆっくり考えよ。今日のアーカイブ、いい素材になりそうだし」
凛がそう言って、スマホの画面を切り替えた。
「花よみさんに報告しておきます。スクリーンショット何枚か撮ったので」
「お願い。あとXにも浴衣みやびの画像上げたいから、いい感じのカット選んでくれる?」
「はい」
凛がスマホの電卓アプリを開いた。衣装差分の一万五千円。今月の固定費。外注仕事の見積もり。指が画面の上を滑る。
湊はそれを横目で見た。凛の表情は、さっきまでの「いい数字だね」の顔とは違っていた。
何か言おうとして、やめた。凛は「見ないほうがいい」と言うタイプだから。




