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百人と応援

『——ということで。今日は、皆さんにお礼を言いたくて、この配信を開きました』


みやびの声が、いつもより丁寧だった。


七月下旬。土曜日の夜九時。普段は楓の自宅から配信するが、今日は三人で事務所に集まった。デスクトップPCが安定稼働を始めてから最初の週末。そして——チャンネル登録者が百人を超えた日。


>おめでとう!!!

>100人おめ!

>ずっと応援してたよ

>みやびちゃんが伸びてくれて嬉しい


『ありがとう。……ふふ、本当にありがとう。百人って、言葉にすると簡単だけど。百人分の「登録する」ボタンを、押してくれた人がいるってことでしょう?』


>それ聞くと重みがすごい

>毎回「登録」ボタン押す時考えるようになった

>みやびちゃん真面目だなぁ


湊はモニターの裏側で、配信の安定性を確認していた。デスクトップPCのCPU使用率は三十五パーセント。余裕がある。これなら安心して配信を見ていられる。


コメント欄の名前を見る。常連のハンドルネームがいくつか並んでいた。初期からいるリスナー。怪談配信で来た新規。観光協会の配信がきっかけの人もいるかもしれない。


『五十人のお祝いのときにも言ったけど、私にとって数字は——数字だけじゃないの。一人ひとりに名前があって、生活があって、その中で私の配信を選んでくれた。それって、すごいことだと思うの』


>泣ける

>みやびちゃんにそう言われると嬉しい

>こっちこそありがとう


楓の声は安定していた。五十人のときとは違う。あのときは嬉しさが先走って、声が上ずっていた。今は——落ち着いて、言葉を選びながら話している。


成長だ、と湊は思った。三ヶ月の成長。


『それで、今日は特別なことをしたくて。チャットで、皆さんのことを教えてほしいの。出身地でも、好きな食べ物でも、最近あった嬉しいことでも。なんでもいいわ。百人の中の一人が、どんな人なのか——私、知りたいの』


>関東住みです!みやびちゃんの怪談が好き

>大阪から!マンゴーの配信で来ました

>宮崎県民です。地元のVTuberさん応援してます!

>社会人3年目、仕事終わりに見るのが日課になってる


コメントが加速した。リスナーが自分のことを語り始める。


湊は画面を見つめていた。コメントの一つひとつを読む。


関東、大阪、宮崎、北海道。日本各地から。学生、社会人、主婦。年齢も立場も違う人たちが、画面の向こうにいる。


——百人。


四月に五人から始まって、四ヶ月で百人。爆発的な成長ではない。月に二十五人ずつ。地道な積み重ね。


でも、百人の中には「最初の五人」がまだいる。コメント欄に、見覚えのあるハンドルネーム。初配信のときに「頑張って」と書いてくれた人。


『あっ——初配信のときにコメントくれた方がいる! 覚えてるわよ。……ふふ、覚えてるに決まってるじゃない。あの日、五人しかいなかったんだもの』


>覚えててくれたの!?

>古参アピールするタイミング来た

>俺も初回組だよ!

>初配信から見てる民集合


>そういえばファンネームとかないの?

>たしかに 決まってないよね


『ファンネーム? あ——ちょっと待ってね』


楓がマイクをミュートにして振り返った。


「ファンネームとかハッシュタグ、決めてましたっけ」


凛と湊が顔を見合わせた。


「……決めてない」


「忘れてました」


「百人いるのにファンネームないの、ウケるね」


凛が笑い、楓がミュートを解除した。


『お待たせ。実はね——ファンネーム、まだ決めてなかったの。今日、みんなと一緒に決めたいんだけど、いいかしら?』


>え、今決めるの!?

>100人記念にぴったり

>やりたい!


『私、狐がモチーフでしょう? 狐に関係する名前がいいなって』


>もふもふ民

>お狐仲間ってどう?

>お狐仲間がかわいいんよ


『お狐仲間……ふふ、かわいい。——決まり。今日からみんなは、お狐仲間よ』


>もう名乗っていいですか

>お狐仲間一号


『それとね、ハッシュタグも決めたいの。配信のときは「みやびの社」——お狐さんの神社みたいでしょう? ファンアートは「みやび絵巻」で。和風にそろえたいの』


>みやびの社いい

>お参りしにきました

>みやび絵巻で描きたい


>推しマークは?


『推しマーク?』


みやびが小首をかしげた。


『——狐よ。お狐仲間だもの』


>(狐の絵文字が並んでいる)

>もうプロフに入れたんよ

>お狐仲間の証


みやびが笑った。アバターの笑顔が、画面の中で柔らかく揺れた。


湊は——その表情に異常がないことを確認した。今夜は、パラメータは正常だ。楓の笑顔と、みやびの笑顔が一致している。嘘がない。


配信は一時間半。通常より長かった。リスナーとの交流が盛り上がり、楓も凛も「もう少し」と延長を決めた。最終的な同接は二十五人。過去最高タイ。


配信後、凛がXを確認した。


「公式タグだけじゃなくて、『みやびちゃん100人おめでとう』ってタグもリスナーが自発的に作ってるよ」


楓がスマホを覗き込んだ。Xのタイムラインに、「#みやび100人おめでとう」のタグがいくつか並んでいた。さっき決めた公式タグとは別の、お祝い用のハッシュタグ。


「八件……九件。全部リスナーさんだ」


「こっちはお願いしてないのにね。自発的ってところがいい」


凛が頷いた。


「ファンネームもハッシュタグも、決めた瞬間から使ってくれる。これは信頼の形だよ」


楓が画面を見つめたまま、小さく唇を噛んだ。泣きそうな顔をしていた。でも、泣かなかった。代わりに、深呼吸を一つ。


「よし。二百人、目指す」


楓の声は、低く、静かで、強かった。


凛が「いいね」と言った。シンプルに。


湊はデスクトップPCの電源を落としながら、思った。


百人。百の名前。百の「登録する」ボタン。


その一つひとつに、湊の技術が——少しだけ、関わっている。アバターの表情、配信の画質、BGMの音量、テロップのタイミング。リスナーが「いい配信だ」と思ってくれた体験の裏側に、湊の仕事がある。


誰も名前を呼ばない。裏方だから。でも——


「湊」


凛が声をかけてきた。


「デスクトップPC、調子いいでしょ」


「はい。完璧です」


「五万円の価値、あった?」


「ありました」


凛の目尻がわずかに下がった。


「じゃあ、来月から稼いでね。あのPCで」


「はい」


事務所の窓を開けると、夜風が入ってきた。七月の終わり。蝉の声と、遠くの花火の音。


四月に三人で始めた事務所が、百人のリスナーに見守られている。


まだ小さい。まだ赤字だ。まだ不安だらけだ。


でも——回っている。事務所は、回っている。


湊はモニターの電源を落とし、事務所の鍵を閉めた。


夏の夜の空気が、少しだけ甘かった。

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