中古と相棒
「見つけた」
凛がノートPCの画面を回転させて、湊に見せた。中古PC販売サイトのページ。
七月下旬。梅雨が明けて、宮崎は本格的な夏になっていた。事務所のエアコンは一日中稼働し、湊のノートPCは冷却パッドの上で必死に回っている。先週、配信中にOBSがフリーズしかけた。冷却パッドの限界が見えてきた。
「数世代前のハイスペックCPU、メモリ十六ギガ、ミドルクラスのGPU搭載。中古で四万八千円」
湊は画面を覗き込んだ。スペックを確認する。
「……悪くないですね。配信用としては十分です。エンコードはグラボに任せられるんで、CPUの負荷が激減します」
「送料込みで五万ちょい。来週届くって」
「もう注文したんですか?」
「した」
湊は少し驚いた。先週、五万円の予算が厳しいという話をしたばかりだ。
「予算……大丈夫なんですか?」
「大丈夫」
凛の声は短かった。湊はそれ以上訊かなかった。でも、気づいていた。最近、凛が事務所に来る時間が遅くなっている。以前は朝九時には来ていたのが、十時過ぎになることが増えた。
なぜかは、わからない。わからないが——凛のことだから、何か理由があるのだろう。
「ありがとうございます。届いたら、すぐセットアップします」
「お願い。あと——」
凛が少し間を置いた。
「湊。このPCで、外注の仕事もできるようになるよね?」
「外注?」
「Live2Dのモデル調整とか、動画編集とか。他のVTuberや個人勢から依頼を受けること。事務所の収入源を増やしたいの」
湊は椅子の背にもたれた。考えたことがなかったわけじゃない。自分のスキルで稼ぐ。技術者としての仕事を、事務所の外にも広げる。
「できます。配信用PCが別にあれば、作業用のノートPCで編集作業ができるんで」
「じゃあ、来月からクラウドソーシングに登録しよう。まずは実績づくりで安めに受けて——」
「また『安くしすぎない』って言いません?」
凛がぱちりと瞬いた。それから、少し笑った。
「言おうとしてた。でも、最初だけは仕方ない。実績ゼロで高い単価は取れないから」
「わかりました」
湊は頷いた。自分の技術に値段がつく。キーボードに乗せた指先に、かすかな力が入った。
——一週間後。
段ボール箱が事務所に届いた。
「でかい」
楓が箱を見て言った。ミドルタワーのデスクトップPC。六畳間にはやや大きい。
「どこに置くの?」
「窓の反対側の壁際。排熱を考えると、エアコンの風が直接当たる位置がいい」
湊は事務所のレイアウトを頭の中で再構成した。今の配置は、湊のデスクが窓側、凛のデスクがドア側、楓の配信スペースが部屋の奥。デスクトップPCを置くなら——
「凛のデスクをちょっとだけ動かしていいですか?」
「いいよ」
「楓、配信スペースの防音パネル、一枚だけ外します。配線を通すんで」
「了解!」
三人で家具を動かした。凛が指示し、楓が力仕事を担い、湊が配線を考える。三十分後、事務所の六畳間は少しだけ姿を変えていた。
窓側:湊の作業用ノートPC。
壁際:配信用デスクトップPC。
ドア側:凛のデスク。
奥:楓の配信スペース。
湊はデスクトップPCの電源を入れた。起動音。ファンが回る音。ノートPCとは違う、力強い回転音。
OSのセットアップ。ドライバのインストール。OBSの設定。Live2Dのランタイム。配信に必要なソフトウェアを次々とインストールしていく。
「湊、楽しそうだね」
楓が身を乗り出して言った。
「楽しいですよ。新しいPCのセットアップは」
「そういうのが楽しいんだ」
「そういうのが楽しいんです」
エンコードテスト。OBSで配信画面をプレビューしながら、タスクマネージャーを確認する。CPU使用率——三十二パーセント。ノートPCの半分以下。
「三十二パーセント……」
湊は息を吐いた。余裕がある。こんなに余裕があるのは、四月に配信環境を組んで以来初めてだ。
「よし。テスト配信します。楓、ちょっとだけみやびの声出してもらっていいですか?」
「りょーかい!」
楓がマイクの前に座り、みやびの声を出す。Live2Dのモデルが滑らかに動く。処理落ちなし。遅延なし。
「完璧です」
「ほんと?」
「ほんとです。これで配信と作業を並行できます」
楓が「やったー」と両手を上げた。
凛はデスクの向こうで、何かを計算していた。電卓アプリの画面がちらりと見えた。湊はすぐに目を逸らした。
五万円。事務所にとって小さくない金額。それを「大丈夫」の一言で出した凛の判断。その裏にある数字を、湊は見ないようにしている。見ないようにしているのは——凛がそう望んでいるからだ。たぶん。
「凛さん。外注の件、来週から動きます」
「うん。クラウドソーシングのアカウント、一緒に作ろう」
「はい」
湊はデスクトップPCのモニターに映る配信プレビューを見た。みやびのアバターが、画面の中で笑っている。
中古の相棒。四万八千円。でも、これがあれば——事務所の可能性が広がる。配信の安定。外注の仕事。技術者としての湊の価値が、数字になって事務所に返ってくる。
ファンが静かに回っている。ノートPCの必死な音とは違う、余裕のある回転。
湊は——椅子の背にもたれて、ゆっくり息を吐いた。




