怪談と成長
『——それで、ね。その部屋の押し入れを開けたら、中に……』
楓が声を落とした。画面の中で、狐モチーフのアバターが目を伏せる。和風ミステリアスのキャラクターに、怪談はよく似合った。
>こわいこわいこわい
>みやびちゃんの声で聞くとガチで怖い
>BGMが不穏すぎるw
>夏だなぁ
七月上旬。初めての怪談配信。楓が「やりたい」と言い出したのは先週のことだ。
湊は事務所のモニターで、OBSの照明とBGMをリモート操作していた。
通常配信では暖色系のライティングを使うが、今夜は寒色。青みがかった光がみやびのアバターに落ち、和風の衣装が月明かりに照らされたような雰囲気になる。BGMは環境音——夏の夜の虫の声に、ときおり風鈴の音が混じる。怪談のクライマックスに近づくと、虫の声を徐々にフェードアウトさせ、無音に近い状態を作る。
恐怖の演出は、音の「引き算」だ。
『……中には、何もなかったの。何もない押し入れが、ただ開いていて——でも、見てはいけないものを見てしまった気がして。それから三日間、その子は押し入れを開けられなくなったのですって』
>うわああああ
>「何もない」が一番怖いやつ
>鳥肌立った
>みやびちゃん怪談うますぎない?
同接が伸びていた。湊はアナリティクスを確認した。配信開始時は十三人。今、二十一人。通常配信の倍近い。
「……マジか」
湊は小声で呟いた。怪談配信の企画が当たった。いや、企画というより——楓の声と、みやびのキャラクターが怪談に合っていたのだ。
楓は元舞台役者だ。声の使い方を知っている。間の取り方、声のトーンの落とし方、聞き手の注意を引く呼吸のタイミング。それが怪談という形式で、最大限に活きている。
『ふふ。怖かったかしら? ……ねえ、リスナーさん。もう一つ、聞きたい?』
>聞きたい!!
>もう一個お願いします
>みやびちゃんの声で怪談聞くの最高
>夏の定番にしてほしい
『うふふ。じゃあ、もう一つだけ。——これは、私が東京にいた頃に聞いた話なのだけど……』
湊は手を止めた。
東京にいた頃。楓の劇団時代。あの七年間の話を、楓が配信で出すのは珍しい。いや、初めてかもしれない。
みやびの声が、わずかに変わった。怪談を語る声ではなく——記憶を辿る声。
『劇場の楽屋って、鏡がたくさんあるの。壁一面に。役者が化粧をするための鏡。でもね、夜中に一人で楽屋にいると、鏡の中の自分が——少しだけ、遅れて動く気がするの』
>ひいいい
>鏡こわいやつ
>リアルっぽい話やめてw
『遅れて動く自分って、怖くない? 鏡の中の自分が、本当の自分と、ほんの少しだけズレているような——』
湊のモニターの中で、みやびの表情が——。
一瞬、翳った。
設定にない表情。怪談の演技ではない、もっと深いところから浮かび上がったような翳り。
湊はキーボードの上で指を止めた。また、だ。表情パラメータの異常。前回の雨の日配信でも、一瞬だけ——。
でも、次の瞬間にはみやびは笑っていた。
『——なんてね。ふふ、怖かったかしら。お化けより、自分自身が一番怖いものよ』
>深いこと言うな
>みやびちゃん哲学入った
>でもわかる気がする
>名言出た
配信は一時間。怪談を三本語り、最後はリスナーの怖い体験談を読み上げるコーナーで締めた。
配信終了後、湊はアナリティクスを確認した。
「同接ピーク二十三人。平均二十人。過去最高です」
Discordの向こうで楓が声を上げた。
「え、すご!」
「新規登録は——七人。これも過去最高」
「七人……!」
「コメント数も通常の三倍近い。あと、Xでの反応も。『みやびちゃんの怪談配信やばい』ってポストがいくつか」
凛は静かにスマホでXの反応を確認していた。
「怪談、定期的にやろう」
凛が言った。
「月一で。夏が終わっても、月に一回は怪談配信の日を作る。みやびのブランドになる」
「ブランド……」
「凛ちゃん、怪談そんなに好きだったの?」
「好きじゃないよ。でも、数字は嘘つかない」
凛がスマホを置いて、楓を見た。
「楓の声は、怪談に合ってる。みやびのキャラクターも。これを使わない手はない」
スピーカーの向こうで楓が少し黙ってから、小さく言った。
「……うん。やろう」
湊は怪談配信用のシーンプリセットを保存した。寒色ライティング、環境音BGM、フェードアウトのタイミング設定。次回以降、すぐに再現できるようにしておく。
保存しながら、さっきの表情の異常を思い出した。楓が楽屋の鏡の話をしたとき——みやびの表情に浮かんだ翳り。
あれは何だったのか。
湊は技術ログを開いた。「表情パラメータの異常現象。4回目の観測。雨の日配信に続き、再び演者が個人的な記憶を語った瞬間に発生。トリガー条件の仮説を補強。継続観察」
ログを保存して、画面を閉じた。
事務所の六畳間に、夏の夜の虫の声が——今度は本物の——窓の外から聞こえていた。




